第6話



【 前日の深夜。マンションのキッチンにて 】



 物語はちょっとここでさかのぼって、団十郎と和解した前日へと戻る。

 その晩、ウチと達ちゃんは日本全国の寿司を自宅で再現すべく奮闘しておった。


 ウチの担当は京都の手毬寿司。

 ボールのように丸っこく握るのは難しいようでいて、そうでもない。ラップを使えば案外簡単だったりする。ラップにネタと適量のシャリを入れて飴玉の包装紙みたいに口を捻るだけ。昔から何度もやっているから、これは自信あるで。


 達ちゃんは酒寿司を仕込み中。

 こちらは鹿児島の郷土料理で、桶の中にネタとシャリを詰めて酒に浸し、上から重石を乗せて一晩寝かせるっちゅう、押し寿司となれずしの間の子みたいな逸品や。


 本当にスシって奴は奥が深くてオモロイなぁ。

 作業が一区切りつくと、達ちゃんは額の汗を拭いながらふと口を開いたんや。

 


「食べ物の歴史は、知れば知るほど驚かされるね」

「ホンマ、人間の発想力は無限大や」

「特に寿司の辿ってきた変遷は面白い。なれずしの名はなんと平安時代の古書にも記述がみられるんだ。昔から日本人には、さぞ馴染み深いご馳走だったんだろう」

「脈々と受け継がれてきた職人の魂。日本を代表する伝統料理って感じやな。なれずしや押し寿司は保存性に優れた調理方法やろ。そこには食べ物を粗末にしたくないという庶民の切実な想いが込められている気がしてならんわ。これからも大切にしていかんと」

「それだけに、実利を重んじる大阪で重宝されたのかもしれないね」

「大阪人はケチやからな! ははっ。……とはいえ、実際は大阪でも押し寿司の店は少なくなっとってなぁ。握り寿司だけが悪いワケじゃなくて。日本人の食生活がどんどん洋風へと傾いているから、郷土料理はどこも苦戦を強いられているんや」

「目新しいものばかりじゃなくて、地元に根付いた先人の知恵にも皆が目を向けてくれたら良いんだけど……なんて僕の言えた義理じゃないか」



 達ちゃんの言わんとする事を察して、ウチも思わずうつむいてしもうた。

 せやな、ウチ等は実家の料亭も継がんと好き放題に生きてきた者同士やから。

 家業も継がんで、民族の伝統がなんやら、ちゃんちゃらおかしいわ。


 うつむいていた達ちゃんは、やがて意を決したように面を上げる。



「でも、そんな弱虫の僕だって変われると思うんだ」

「……かもしれんな」

「寿司の歴史は進化の歴史。見ているとこっちまで勇気が湧いてくる。僕らが知る全てのモノは、まだまだ発展途上で、どこかに伸びしろが残されている。そんな気がしてならないよ。お前は成長の可能性をもっと信じるべきだって、もっと前向きに生きなきゃダメだって、この小さなお寿司が僕に語りかけてくるんだ」

「コワッ、それって幻聴やないの? 寿司の妖精さん?」

「あのねぇ、真面目に話しているんだけど」

「スマンな。明日を信じる気持ち、チョー重要やと思うわ」



 でも……まだ、それで終わりとちゃうよな? 結論は?

 続きがあるのなら、はよしてや。


 ウチの心臓が予感に打ち震え、まつ毛の隙間から涙があふれそうになってるから。

 もうな、涙声になってるのが自分でもわかる。

 肝心な時に、アカンなぁ……ウチは。



「ええよ、言って。大阪モンは直球じゃないと受け取れんのや。察しが悪いさかい」

「うん、じゃあ……言うよ、今こそ」



「僕と結婚してくれ、奈々子」






【 小杉達也の想い 】


 あれは、一年前。

 忘れもしない、奈々子と初めて会った日のことだ。当時の僕は何事にも無感動で、社会人として多忙な日々を漠然と過ごしていた。

 なので、実家から連絡を受けて最寄りの駅まで彼女を迎えに行った時も、我ながらあきれてしまう程にローテンションだった。ただ、せっかく関西から来てくれた客人をあまり待たせては悪い―― そんな無味乾燥の義務感だけで動いていた。仕事で疲弊しきった肉体には悲しい事に男の下心すらロクに残されてはいなかった。

 さぞかし落胆したことだろう。初顔合わせの花婿候補が自家用車も持っておらず、タクシーで駅前へ現れた時には。その上、眠そうな瞳を擦りながら たどたどしい挨拶をする陰気な男が該当者となれば尚更に。

 でも、君は失望した素振りすら見せなかったね。



「忙しい所、お邪魔してゴメンなぁ~。でも、大丈夫! 望月の奈々子さんは今日に備えてたんと花嫁修業を積んできたさかい。家事も、料理も、心のケアも、どんと来いってなモンよ。安心して、全部ウチに任せとき!」

「いや、あの、いきなりそんな。これから行くのは僕のウチなんですけど」

「噂通り、東京モンはシャイやなぁ。今日から一つ屋根の下で暮らすんやないの。あんまり固い事は言いっこなし! 堅苦しいのは苦手なんや」

「そ、そうなんだ」

「んー、つまらん。つまらん受け答えはアカンなぁ。ウチと本気で結婚したければ、そうやなぁ……まずボケとツッコミの基礎を覚える所から始めよか」



 芸人じゃあるまいし、なんで僕がそんなものをマスターしなければいけないの?

 関西の人は押しが強いという話だけど、何でも自分色に染めないと気が済まないのかな?


 初めはそう思った。でも、違った。

 勘違いしているのはむしろ僕の方だった。

 君は人生の真理を熟知していたんだ。


 笑いとスキンシップこそが、良質な共同生活を生み出す潤滑油じゅんかつゆだってことを。


 我が家に着いた君は、もらわれてきた猫のように家中をチェックし、特にキッチン周りには興味津々だったね。



「おぉ~流石は小杉家の男子。借家でも台所は整っているやないの」

「恐れ入ります、望月のお嬢様」

「おっ、ちょっとノッてきたな? ええ調子や。なら東京モンとの出会いを祝して、今夜はウチが美味しいもん作ったるからな」

「やけに荷物が多いと思ったら、食材と調理器具まで持ってきたの? 電車で!?」

「関西人はボケに体を張るもんなのよ。すき焼きパーティーと洒落込もうやないの」



 すき焼き一つとっても、関東と関西では食文化がまるで違う。

 今にして思えば、君はまずそれを僕に教えたかったのだろう。



「関東のすき焼きは『割り下』いうスープで、肉も野菜もごちゃ混ぜに煮てしまうらしいな? 関西だとそんな乱暴はせえへんのや」

「ふーん、プレートに牛脂をひいて、まず肉を焼くんだ。焼肉みたい」

「せや! それから少しずつ醤油や砂糖、水分の多い野菜なんかを加えていってな。いくつもの段階を経て、最終的に味付けを完成させる。食べる人の好みに合わせて味を変えられるんよ」

「へぇ~、段階を経て美味しくなっていくんだ。まるで人間関係みたいだねぇ」

「察しがええやん。素質あるよ、君ィ! ウチが言いたいのも正にそれや」

「ど、どうも」



 あの頃は何の素質だよ、オイ……ぐらいにしか思わなかったけれど。

 君は、目指す理想の夫婦像をしっかり見せてくれたわけだ。なんと初日から。



「うん、美味しい! 砂糖入れ過ぎかと思ったけど。関西風も悪くないねぇ」

「当たり前田のかぶきモンよ。ええか? 世の中には東京モンの知らない美味しさが沢山あるんや」

「へぇ、君と一緒に暮らしたら、僕もそれをもっと味わえるわけ?」

「奈々子さんに任せとかんかい! 君の人生はこれからバラ色やね、よっ、幸せモン!」



 その時、僕の心に芽生えた確かな感情。

 前の彼女にフラれて以来、数年間眠りっぱなしだった仄かな想い。

 淡い恋心が永眠から目を覚ました瞬間だった。


 君は何事にも積極的で臆することを知らない情熱の女性。

 瞳に宿った常夏の熱風が、僅か一晩で僕の心の永久凍土を溶かし尽くした。


 この人の隣に立つ。

 たったそれだけの小さな変化が、僕の人生をどれほど豊かにしてくれたのだろう。

 僕は、この一年で幸福の意味をようやく知れた気すらする。

 願わくば、この至福の時が永久に続かんことを。

 身の程知らずな願いとは知りつつも、この幸せを僕は……。

 他の誰かに譲りたくはない。










「僕と結婚してくれ、奈々子。君と生きる幸せを、僕はもう手放したくない」

「ええんか? ウチで? 知っての通りガサツな女やで」

「そういうのさ、もう勘弁してくれ」



 奈々子は焦らすように背を向け、肩越しにこちらを窺っていた。

 その返答として、僕は奈々子を背後から強く抱きしめた。

 ああ、いつもは家で香水なんかしてないのに。彼女のうなじと髪が……。

 まるで予期していたかのように僕の鼻孔を魅惑の香りがくすぐった。

 反則かもしれないけど、ルールやマナーになんか構っていられなかった。

 ただただ、僕は必死だった。



「君が居なくなることを考えただけで、僕は気が狂いそうになるんだ。だから決してNOだなんて言わないでおくれよ」

「らしくないわ。初めて会った時は去勢された猫かと思っていたのに。実際は大トラやった」

「イエスと言ってくれ」

「ウチが傍に居ないと狂ってしまうんやね?」

「そうだ」

「うーん……なら、ええよ。ウチの一生は君のモンや。これからも大事にしてや」



 そこには、たぶん彼女が期待していたような絶景も、花火もなくて。

 生涯の思い出となるようなシチュエーションとは言い難いかもしれないけれど。

 僕たちがその瞬間に共有した視野は、間違いなく人生で最も高いものだった。

 僕たちは、今までずっと目を逸らしていた確かな未来を初めて直視したのだから。



「まだ、ハッキリと実家を継ぐとか、子どもが生まれたらどうとか、そこまで確かな事は言えないけど。これだけは誓える。君と結婚する為なら、僕はいかなる試練にも耐え抜いてみせるよ」

「結婚して二人で幸せになる為なら! やろ! 結婚したら終わりかい」

「はい、すいません」

「いきなり尻に敷かれてどないするんや……まぁ寿司と一緒で進化の過程にあるんやろうな。ウチも、君も。そんなら、その未来に賭けてみようか」

「ウン、だからまずは団十郎さんとの揉め事をしっかり解決しようか」

「この程度、関西で待ち受けるウチのオカンに比べたらトラブルの内にも入らんわ」

「え? それマジ? 眩暈が」

「弱気になるなぁーー!! スカタン! 分の悪そうな賭けやで、まったく」

「たはは……」



 そんなこんなで、僕のプロポーズはどうにか上手くいったようだ。

 物陰から彼女の様子をうかがうと、頭上に掲げた婚約指輪を眺めつつ、これまで見た事もないニヤけた表情をしていたので……喜んでもらえたのだと思う、多分。


 心臓に悪い、小心者の僕らしからぬ大胆な行為だった。

 でも、これからはもっと。

 彼女の夫として相応しい強さを身につけなければならない。

 やれるはずだ。僕だって一年前の怠惰な自分ではないのだから。


 お試しの共同生活から、生きていく上で必要な秘訣を幾つも学んだ。

 ガサツやズボラなんて、とんでもない(ズボラはどこから出てきたんや?)

 君はきっと僕が知るどんな女性よりも聡明なひと。


 君はどこまでも「充実した生活」に貪欲で、生き方に妥協や満足を知らない。

 人との絆を重んじ、縁によって世界をどこまでも広げていく。

 それはまるで茶道でいう所の「一期一会」だ。あらゆる機会を生涯一度きりの好機としてとらえ、軽んじたり手を抜いたりはしない。

 毎日が疲れ知らず。いつも笑顔の全力疾走。奈々子はそんな悟りの領域へ、学ばずして片手をかけていた。


 そう、奈々子はイノチの大切さを誰よりも熟知している。

 両親に与えられた一分一秒を断じて無駄にしたりしない。

 誰かと過ごす幸せな時間を少しでも長引かせる為に、精一杯それを有意義に使う。


 子どもの頃は誰もが出来た事なのだけれど。大人になってからは……。

 その決意を揺らがせない為には強じんな心が必要となる。


 僕は、その豊かな旅路を共に行く唯一無二のパートナーとして選ばれた。

 もはや臆病なままでは未来へ歩を進める資格はない。

 彼女に学んだ「貪欲なまでの勇気」を、今こそ役立てる時だ。


 美味しいご飯を食べ、大切な人と笑い、先を見据えて我武者羅に道を切り拓く。

 それが「豊か」ということ。


 この生命、どれだけ寿命が残されているかは不明だが、ここから先はその全てを新しい家族を守る為につぎ込もうと思う。

 君が僕のモノだって? とんでもない、真逆だ。

 僕の人生こそが、君の為にある。


 文字通りの一所懸命。

 僕に与えられた領地を守らねば、命をかけて。


 少し延長してしまったけど、二人のお試し期間はもう終わった。

 つまり……明日から本番。


 

 不束者ではありますが、今後とも宜しくお願い致します。

 うん、判ってる。妻の台詞だね、これは。


 しっかりしないとなぁ、もう!


 視界を塞ぐ霧が突如として晴れ、未来が見えた。

 僕の日々に「漠然」はもうない。この先ずっと。

 多分、それが結婚するということだから。 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

大阪女とココロ押し寿司 一矢射的 @taitan2345

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ