第5話



 そんなこんなで、寿司対決から三日が過ぎた頃。


 アンケートの結果をたずさえ、江戸っ子団十郎が我が家を訪ねてきおった。

 招待したのは達ちゃんやし、考えがあっての行為やから文句は言わんけど。

 敵を自宅に招くとは大胆なことをするやっちゃな。

 まぁ、抵抗があるのは相手も同じだったようで……。



「まさか怨敵・関西人の敷居を、生粋の江戸っ子であるオイラがまたぐことになろうとは、これではご先祖様に申し訳がたたん。この数奇な定め、恐らくはお釈迦様でもご存知あるめぇ」

「そういう大仰なの別にいいから、はよあがってや。中山くんも来とるから」

「ふむ……何かご馳走をしてくれるそうだな。ちょいと邪魔するぜ」



 マンションのリビングにはサンサンと小春日和の陽光が注ぎ、温かなそよ風が花粉と黄砂を室内まで運んでくる。ノンビリうららかで、なんや決着に相応しいムードではないけれど、別にそれもかまへんか。

 大切なのは決着に至る過程であって、勝敗ちゃうからな。

 出されたお茶を湯呑でずずっとすすり、団十郎はバツが悪そうに重い口を開く。



「それじゃあ、まずテメェ等が一番聞きたいであろうことを教えてやらぁ。この勝負、アンタ等の勝ちだよ。それも百票の大差をつけて、大阪寿司こと『箱や』が勝利とくらぁ、ちくしょうめ」



 よっしゃーーー!!

 ザマァみさらせ、東京モン! ベロベロバー!


 いや、色々と台無しになりそうだから、口ではよう言わんけどな。

 あぁ、でも達ちゃんとハイタッチを決めて、陽気に身体が踊ってしまうわ。

 物静かな中山くんでさえ静かにガッツポーズをとってる。


 重要なのは過程やけど。それはそれ、これはこれやろ。

 真剣に戦ったんやもん、もっと真剣に勝利を喜ばんと。


 そんなウチ等の想いが態度でモロに伝わってしもうたみたいやね。

 団十郎は半ば呆れた顔でアンケートに書かれた内容を教えてくれたわ。



「まぁ、威勢の良い姉ちゃんの言った通りさ。江戸前の寿司折りも悪くはなかったが、チト勝敗ばかりを気にし過ぎで客人への配慮を欠いていた。それが敗因よ。育英会のメンバーですらソチラさんに投票する裏切り者が居たくらいでな。まったく、どうしょうもねぇな」

「江戸前寿司の一番人気はやっぱりシンプルなマグロの握りやろうし。期待を裏切られた気がするんやろうなぁ。バラちらしやと」

「大阪寿司は見た目からして華やかで、弁当を開けただけでなんだか気持ちが明るくなった……とさ。やるじゃねえか、ここまで言わせるとはてえしたモンだよ」



 伝統的な箱寿司は、一つの弁当箱に三種の押し寿司を詰めるものなんや。それぞれの違いは何かといえば、上に載せるネタと、酢飯の間に挟む食材の差やね。

 エビ、厚焼き玉子、ヒラメの切り身と上に敷き詰め、酢飯の間にはかんぴょうや椎茸を入れるケラの箱。穴子、ハモの焼き身をのせる焼き身の箱。そして小ダイを使い酢飯の間に焼きのりをサンドする白身の箱。カタで押し固めた完成品を切り分けて、三種の箱を交互に弁当箱へ詰めると、それはもうカラフルで見目麗しい幾何学模様が描かれちゃうの。すごく ええんちゃう?

 玉子の黄色、エビの赤色、穴子の黒と亜麻色、白身魚の桃色と純白。

 数多の色がモザイクとなって混在し、寿司折りという名のキャンバスに美しい前衛芸術を完成させるっちゅうワケや。芸術点がきっちり審査に加算されていたようで何よりだわ。


 そして、団十郎はこうも言っていたな。

 この江戸っ子も 心なしか、大阪への偏見が薄まっているように感じるわ。


「そして、ソチラさんの『もう一工夫』もキチンと客に評価されていたから安心しな。おもてなしの心に東京も大阪もねぇ。誠心誠意訴えれば通じる、真心とはそういうモンよ。まさか『なれずし』を出してくるとは予想外だったぜ」

「押し寿司が寿司の先輩ならば、なれずしは寿司のご先祖さまなんや。多種多様な江戸前寿司に対抗できるのは日本最古の寿司であり、寿司の原点、言わば大元こそが相応しい。それがウチ等の到達した答えっちゅうコトやね」



 スシは本来「鮨」とも書く。

 漢字の意味する所は「酸っぱいもの」なんやて。

 それも「米と魚を発酵させて酸っぱくなった品」を示す言葉なのだとか。古来スシが日本にやって来た時、この食べ物は押し寿司でも握り寿司でもなく、まったく別の姿をしていたそうなんや。それが「なれずし」つまりは我々が「ふなずし」としてよく知る漬物の一種やったちゅうこと。魚の腹に米(酢飯ちゃうで)を詰め込んで、それを桶の中で塩漬けにして上から漬物石をドンと乗せる。そのまま年単位で熟成させて「ご飯と魚が合わさった物」を充分に発酵させた「酸っぱい食べ物」が出来上がる。それこそが本来の鮨。あっ、食べる時は魚の胴体ごと輪切りにして一口サイズにするんやからな、念のため。


 ウチ等は原点への敬意を込めて、それを弁当へ入れたっちゅうワケや。

 幸いにも大阪には有名な「なれずし」があるからな。

 もっとも、仕込みに二年はかかるという「なれずし」を右から左へそう簡単に準備できるワケがないんやから。団十郎がこんな疑問を抱くのも当然なんやけど。



「しかし、よく『なれずし』なんて用意できたな? どうやったんでい?」

「ウチの実家は大阪の料亭でなぁ。裏庭の蔵でいつも沢山の漬物を作っているんや。そこから必要な分をコッソリわけてもらった」

「おいおい、『箱や』の商品じゃないのはちょいとズルなんじゃねえのか?」


「う、ウチの店でも近々なれずしを提供できるよう仕入れルートを模索中ッスから。大阪には伝統的ななれずしである『雀寿司』が有るッス。大阪寿司専門店として、それを提供するのは当然のコトなんです」

「チッ、仕方ねえな。そういう事にしといてやるよ」



 気前がいいな、流石は江戸っ子やん。

 『雀寿司』の名前は、ご飯を詰め込んで膨れた魚の腹(ウロコ)をスズメの羽毛、ピンと張ったヒレをスズメの翼に見立てたことが由来らしいで。寿司界隈でもダントツに可愛い見た目なんや。



「まったく大した度胸してやがる。なれずしは発酵はっこう食品。有名な鮒ずしだって香りが独特でやたら人を選ぶ食べ物だというのによぉ」

「二年物ならそうなんやけど。『本なれ』に対して『生なれ』いうのがあってな。数日、もしくは数週間漬けただけなら、初心者にも優しい香りと酸っぱさになるんや。臭みも無くてヨーグルトみたいなモンよ。程よい酸っぱさと香りで箸休めにも最適。甘味のある箱寿司との相性は最高や」

「まったく一杯食わされたぜ、そういうカラクリかよ」



 団十郎があごをなでながら納得していると、そのタイミングを見計らって達ちゃんが横から口を挟んだ。そうそう、そもそも自宅に彼を招待したのは達ちゃんやからな。なにか言いたいコト、あるんやろ?



「なれずしは江戸の街でも大層な人気商品だったそうです。けれど仕込みに時間がかかり過ぎるのが難点だったらしくて」

「オウよ、江戸っ子はせっかちだからな。数年も待たなきゃ食べられないなんて、我慢ならねぇ。庶民の食べモンだぞ、もっと手軽に素早く作れってんだ」

「漁村のみならず、都会でも『なれずし』が庶民の口に入るようになり、消費量が激増。結果として生産が追い付かなくなったのかもしれませんね。こんな話は釈迦に説法かもしれませんが」

「あたぼうよ。だが、仏陀だっておさらいは必要さ。気にすんな」

「そうした事情から奈々子が言った短気熟成の『生なれ』が生まれ、更にはご飯と魚をカタで固めてすぐ食べられる『押し寿司』へと変化していったそうです。当時は押し寿司の事を『早ずし』と呼称していたみたいですね。漬物の桶が木枠のカタに代わり、重石をのせる代わりに人の手で押し込む、そんな新しい手法を職人は考えだした。ご飯を発酵させないと酸っぱさがないので酢飯を作り、やがてはそれが現代人がよく知る寿司を握るという行為へと繋がり……」

「詰まる所、寿司の歴史は『効率化の歴史』ってワケだ。押し寿司ですら一日馴染ませる必要があるから、時間がかかる。どこまでも効率化を追求していくと、やがては素手で握ってすぐ食べられる『握り寿司』の誕生と相成るワケだな。うまく出来てやがるぜ、まったく。必要は発明の母って事かよ」

「しかし、現在では効率化だけが全てではありません。大量生産と冷蔵技術の発達によって仕込みにかかる時間をペイできるようになった。したがって、押し寿司やなれずしが、持ち味を活かして握り寿司に反逆することだって起こり得るのです」

「進化の最先端と油断をしていたら、ご先祖さまに足元をすくわれたっていうのかい?」



 団十郎は腕を組んだままで達ちゃんの話を聞いておったけど、そこでピタリと口を閉ざし、部屋の照明を夢うつつに見上げてダンマリや。

 どないしたん? やっぱり負けたのが悔しくなったのか? 口にくわえたキセルが上下に動いたかと思えば、やがてはマンションの部屋が揺れるほどの大音量で笑い出したやないか。コラッ! 驚かすなや!



「ははははは! こいつは面白い、予想以上だったぜ! 本当に面白い奴等だ」

「そう言って頂ければ何よりです。それで今日、団十郎さんにご馳走したかったのはコチラの料理なんですよ。むしろ、コチラこそが今日の本題でして。さぁ、奈々子、準備しよう」

「ホイきた、達ちゃん!」



 ウチ等がテーブルに並べたのは日本各地の名産品。

 それも全て「寿司」の名を冠するものばかりやで。


 滋賀県の鮒ずし。富山県のマス寿司。京都の手毬寿司。鹿児島の酒寿司。青森の飯寿司……等々。

 なれずし、ちらし寿司、握り寿司に押し寿司。

 種類は様々やけど一つ共通点があるよな?


 食卓に並んだ寿司の花園を目にして、団十郎も目を輝かせおった。

 やっぱ、好きなんやなぁ。達ちゃん、言ったれや。



「ほほー、コイツは圧巻だ。日本全国の寿司がここに結集したってワケかい」

「是非とも団十郎さんにこれを見て欲しかったんです」

「よくぞ集めたもんだ。さぞ苦労しただろう?」

「通販で買えるものは簡単でしたが、そうでないものは、奈々子と協力しながらどうにか再現してみました」

「なに? 手料理かい? お前さんの?」

「どうしても……団十郎さんに判って欲しかったんです。江戸前寿司は本場の寿司ではあるけれど、何もそれが全てではない。日本全国、津々浦々のお寿司があって、それぞれが、地元の人たちにとって思い入れの深い郷土料理なんです。そのどれもが例外なく『お寿司』そこに住む彼等にとっては、スシと言えばそれなんです」

「まったくだ。ちげえねえ」

「それに、これらの大元は一つだけ。『なれずし』です。そこから様々に枝分かれして、その地方に見合った進化の道を模索したけれど。根っこは全てが共通ですから」

「同じスシじゃねーか。いったい何を喧嘩することがある……つまり、お前さんは、そう言いたいワケだ」


僭越せんえつながら。そこに優劣などありません。切磋琢磨せっさたくまし、それぞれの道を往くまで」



 団十郎はまるでアメリカ人のようなオーバーリアクションで肩をすくめて見せると、ウチの方を一瞥してこないな事を言いおった。



「威勢の良い姉ちゃん。アンタの彼氏はズバ抜けて賢いな。俺っちのような頑固者を、徹底抗戦の挙句に、とうとう論破しちまいやがったぜ。なかなか出来るこっちゃない」

「いやいや、達ちゃんは賢いけど、ウチの方がもっと賢いで」

「おやぁ? ほうほう? その心は?」

「なんたって、その賢い彼氏を選んだのはウチなんだモーン」



 あっちゃー、とうとう我慢しきれずやってしもうた。

 ウチが見せびらかした左手の薬指。

 そこには、貰いたての婚約指輪が輝いていたからな……つい、ついな。

 冷静になると、こっ恥ずかしいわ。



「コイツはご馳走様って所かな。こりゃ長居するだけ野暮天ってもんだ。おい『箱や』の若い衆、俺達が何をすべきか判るだろう?」

「そうッスね。全国のライバルを前にして、どちらが上か競うなんて馬鹿馬鹿しい。他の寿司に負けないよう、ただ己を磨くのみッス」

「田へしたもんだ(大したものだ)蛙のしょんべん。情け有馬の水天宮とくらぁ。江戸前寿司だって他には負けねぇーぜ? 本家大元の意地があるからな?」



 こうして団十郎と中山くんは固い握手を交わしたっちゅう結末や。

 東西の寿司を愛する者、その和解。ここに成立せり。

 やれやれ、ここまで長かったわ。

 あと、せっかく全国の寿司を集めたんだから、勝手に納得せんと食べていってや? 別にウチ等のことは気にせんとええで? 昨夜たっぷりイチャイチャしたからな。


 隣の達ちゃんも困り顔や。

 嬉しさ半分、恥ずかしさ半分ってトコやな。

 ウチにだけ聞こえるくらいの大きさで、ボソッと呟いたのが印象的やった。



「いや、そんな。僕を選んだから奈々子が賢いって理屈はないよ。君の利発さはもっと別にある。そうだろ?」



 まっ、ええやん。丸く治まったんやから。

 これでメデタシメデタシや。

 次はウチ等が幸せになる番やろ? せやな?

 楽しみにしてるわ。


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