第4話



 そして二週間後。

 江戸と大阪。

 握り寿司と押し寿司。

 東西寿司勝負の火ぶたが ついに切って落とされたっちゅうわけや。


 決戦の舞台となるのは、自然観察公園の一画にある野外ステージ。

 屋根と照明が完備されたこの施設は、収容人数なんと千人越えらしいわ。

 観客席はローマの円形劇場っぽい造りになっとって、半円に配置されたひな壇型のベンチは風通しも良好。公園には桜の並木道もあるから、今の季節、花見や日向ぼっこにはスッゴク最適やわな。表に立っているだけで こっちまでええ気分や。


 そんな申し分のないステージで執り行われるのは、春の落語講演会。

 こりゃ、お笑い好きには辛抱たまらんわ。


 噺家はなしかも一人や二人ではなく そうそうたる顔ぶれが集まる「一門会」という奴だから、プログラムの尺もかなりのもんになる。

 当然、笑っている内にすきっ腹もグウッと鳴りだすやろなぁ。

 そこでウチ等の仕出し弁当に出番が回ってくるというワケや。


 会場の入り口はイルミネーションライトで派手にデコられたゲート。まるで高校の文化祭を思い出すやないの。そこを潜ったすぐ先、まるで狛犬みたいに通路を挟んで左右へ陣取ったのが、弁当を配るウチ等のブースなんやわ。


 向かって左が「海帝寿司」で右が「箱や」のスペースっちゅうコト。


 会場入りしたお客さまはそこで両店から弁当を受け取り、気に入った方の店名をお手数やけど出口で回収するアンケートに書いてもらう。その開票結果次第でウチ等の明暗が決まるという仕組みなんや。

 条件はまったくの五分と五分。天候も晴天。

 これならケチのつけようがないベストコンディションやんけ。


 その日は祝日。


 ウチと達ちゃんも店の法被はっぴを借りて「箱や」の接客を手伝うことにしたんや。毒を食らわば皿までと言うからな。



「いらっしゃい、いらっしゃい。大阪名物箱寿司やでぇ」

「味わい深く、ふっくらした押し寿司はいかがですか~」



 最近はネットでも落語や歌舞伎が視聴できるようになって、若い世代にも伝統芸能の人気が浸透してきたという話やけど。やはり会場入りする観客の年齢層は高め。おじいちゃんおばあちゃんがメインみたい。

 ほんならウチがサラシでお色気ふりまいてもしゃーないな。

 ここは誠実にいこ~。


 敵の海帝寿司はなにやらマグロの着ぐるみを用意して周りに愛想を振りまいてるわ。身につけたタスキに、マスコットキャラの名前が書かれてるやんけ。


『アトランティスの使者、マグロ帝王』


 これは、ノーコメもありやな。

 それにしても、去年はあんなの おらへんかったで? 

 露骨にやり方を変えてきてるなぁ、達ちゃんの言う通りや。

 競合相手が出来れば、もはや今まで通りにやれるワケがない。


 お孫さん連れのおじいちゃんおばあちゃんや、ファミリー層にマグロ帝王のハグや握手が大ウケみたい。いやいや、気にしたらアカン。勝負すべき相手は海帝寿司やなくてお客様。そう決めたやないか。

 それにこっちだって客引きの用意ぐらいしてあるんや。ウチは道行くお客様めがけて精一杯の明るい声を振り絞る。



「押し寿司作成の実演もやってるんで、よかったら見ていってなぁ。そこのカッコイイお兄さん、どや?」



 あっ、イカン。カップルの男性だったわ。

 連れの女性と達ちゃんが凄い目でこっち見てる。カンニンな。


 それは、さておき。

 ウチらのブースでは、実際に箱寿司の制作過程を見てもらう事にしたんや。


 寿司を握る所ならカウンター席で見た事あるやろうけど、これは珍しい筈。中山くんの見せる熟練のカタさばきに、お客さんはみんな度肝を抜かれておったな。



「押し寿司とは木型を使って作るスシの総称ッス。このすし型自体を大阪や京都では『箱』とも呼ぶんですね。それが箱寿司の語源となったという説もあるみたいです。さぁ、見て下さい、お客さん。寿司カタは側面の木枠、箱の底、そしてフタの三パーツで構成されていて、底とフタにはこのように下駄の歯みたいな板が二枚ずつ付いているんです」

「へぇー、取りやすいようフタに『取っ手』が付いているのは当たり前だけど、なんで底板まで下駄みたいな構造になっているんだ?」

「中身のシャリを持ち上げて、下からも同時に押せるようにッス。ほら、こうして上からフタを押し込むと、下からの反作用で両面プレスになるんです」

「なるほどねぇ、大したモンだ。でもそんなことしたら、中身のシャリが押し潰されてしまうだろ?」

「そこは力加減で調節ッスよ。力を入れ過ぎてもダメ、抜き過ぎてもダメ。入れ過ぎると酢飯がカチカチになってふんわり感が失われるし、抜き過ぎると角が崩れて形を保てなくなる。絶妙な力の抜き加減が大阪寿司には必要不可欠ッス」

「うーん、まさに職人のなせるワザだねぇ」



 お客さんに伝統の技が判ってもらえたようで何よりや。

 押し寿司は完成品を一日馴染ませなきゃならんから、作り立てをすぐ提供というワケにはいかんけど。握り寿司に負けない程の技量、経験、カンが求められる事は伝えておくべき事実やからね。こうした演出も時には必要なんやな。


 実演の甲斐あってか、箱やの寿司折りもかなりの数をさばくことができたな。

 代金はチケット代に含まれているから金銭のやり取りはないんやけど。弁当の渡し間違いをやらかさないよう気を使うから売り子も大変なんや。え? 渡し間違いとはどういう意味かって? 箱やの寿司折りは三種類あって……。


 まぁ、長くなるから それはまた後でな。


 お昼前にはどうにかお客さんもはけてきたけど、なんせ前日からブースの設営、寿司折りの盛り付け、包装作業と全部ウチ等でこなしたからなぁ。

 さすがに、ハードワークがこたえるわ。

 休憩がてらに三人で飲もうと思って自販機でジュースを買ってきたら、なにやら達ちゃんと中山君が仲良う話し合っておるやないの。楽しそうやな、君たち? なに話しとんの?



「いや、姐さんが難波の紅サソリと呼ばれていた時代の話ッス」

「なっ、それはもういいやろ!?」

「いやぁ、新鮮な気持ちで楽しめたというか……昔から大勢に慕われていたんだね」

「自分が不良にイジメられていた時も、良く姐さんに助けてもらいました。弱気な自分がどうにか体育会系の『箱や』厨房でやっていけたのも、姐さんの励ましがあればこそッス」

「別にええやん。ただのバイク仲間やんけ。ウチには料理人として生きていく天賦の才が欠けていると思い知らされてなぁ、少しグレとったんや当時。でも友達が高速道路で事故って警察と病院のお世話になって以来、これはアカンと反省して思い直した……それだけの話や、つまらんで」

「確かに一流の料理人となる為には突出したセンスや才能が必要ッス。けれど、奈々子さんにはカリスマと言うべき人望や仕切りの才能があるじゃないですか。今回の件で、自分はそれを確信したッス」

「そうだよ、料理人じゃなくても……例えば料亭の女将おかみとか向いているんじゃ?」

「おおきに、お二人さん。でもウチは気楽に生きる環境が向いとるんよ。それにウチが女将を務めたら、そんなん街の定食屋になってしまうやんけ」



 そんな他愛のない話をしとったら、敵サンも暇になったのか見覚えのある歌舞伎顔がこちらのブースを訪ねてきおった。

 まったく、わざわざ顔見せなんかせんでええのに。



「なかなかに善戦していたようだが、所詮は滅び行く旧式。本場江戸前寿司にゃ~かなうまい」

「まさか帝王から直接の挨拶あいさつを頂けるなんてな。拝顔たまわり光栄やわ」

「マグ! ツナ! マグマグロ~」



 団十郎を無視して彼の背後に立つマグロ帝王に声をかけてやったわ。

 そしたら着ぐるみの人が満更でもなさそうに照れる仕草をしてみせたやないの。

 心得てるやん。うーん、敵ながらあっぱれ。プロの職人やな、着ぐるみの。



「おいおいおいおい、そう俺っちを邪見にするんじゃーねぇよ。せっかく労いに来てやったんじゃねぇか」

「知らんがな。そんなん別に頼んでへんし~」

「お前らはどうせ、握り寿司は時間の経過に弱いから『弁当対決なら勝てる』と踏んでいるんだろう? ところがどっこい、その手は桑名の焼き蛤よ。江戸前の技を甘くみるんじゃねぇぜ、ちゃんと日持ち対策の手ってモンがあるんだからな。さぁさぁ、テメェらも技術の粋をとくと味わってみやがれってんだ」



 なんやねん、桑名くわなはまぐりはそんなにマズイんか? 失礼なやっちゃなぁ。

(注:逆です。美味い物を並べても、言いなりにはならんと言っています)

 要するに、団十郎は自分の所の寿司折りを見せびらかしに来たんやなって?

 暇なんか? 美人のお姉さんに構って欲しいんか?

 しゃーない、お客さんもはけたから聞いてやらんでもないで。

 それはそうと、弁当、ありがとなぁ。



 成程、言うだけあって去年の寿司折りとはまったくの別物やったわ。

 まずマグロの握りがヅケマグロになってる。

 ヅケというのは醤油に漬け込んだマグロのことで、普通の刺身よりも日持ちが良くなるのが特徴なんや。何でも流通システムが未発達だった昔は、相模の港から江戸の魚河岸まで魚を運ぶのに二、三日かかったらしい。腐敗防止の為に考えられたのが醤油に漬けておく方法で、江戸前寿司のマグロといったら昔はヅケのことを指していたそうなんや。

 そしてヒラメは昆布締めやないか。昆布に食材を挟んで味付けした物やね。水分が海草に吸われて身が引き締まり、こちらも劣化しにくい寿司になっとる。

 そして穴子の握りやエンガワのあぶり寿司など……火を通したり、熱を加えたものがある。せやな、これらも生より断然時間経過に強いやろうなぁ。


 極めつけは、仕切り板で弁当箱が分割され、上半分が「ちらし寿司」になっとること。それも生の刺身をご飯の上に並べた「江戸前ちらし」ではなく、錦糸卵やイクラ、マグロのぶつ切りなんかを散りばめた「バラちらし」やないか。

 確かに「ちらし寿司」ならネタの水分をご飯が吸い取って、そうそうシャリが固くなることはない。これなら作りたてでなくとも美味しいままやろう。



「へへへっ、江戸前寿司の奥の深さに恐れ入ったか」

「確かに洗練されとるし、よう考えられとるとは思うわ。でも……」

「ん? ケチでもつけようって言うのかい?」

「屋外で『ちらし寿司』はちょーっと食べ難いと思うわ。ここには弁当を置くテーブルもないし、小袋醤油とワサビをきちんと混ぜて、上からかけてこそ美味しい物やろ、チラシは」

「うぐっ」

「それに江戸前の情緒が全体的に薄い気がするな。あぶり寿司とか若い人向けや。今日の客層にホンマ合ってるんか、これは?」

「勝負にこだわりすぎて、お客様の方を見てないというのか? ちっ、ご意見、耳が痛いねぇ」

「せっかくおごってくれたのに、カンニンな。ウチは嘘がつけない性質なんや」

「いーや、確かな鑑識眼をお持ちだよ、お前さんは。ますます気に入ったぜ。是非、ウチの会に欲しい人材だが……」

「生憎、ウチは江戸弁なんか使わへんで。それよりアンケートの集計、忘れんなや。ズルなんかしたら承知せんからな」

「あたぼうよ。俺っちを誰だと思ってる」



 団十郎も口は悪いけど、悪い奴ではないと思うわ。

 なんやろ、誰かさんを思い出すやん。


 そこへ、年配のご夫婦がウチ等のブースにやってきた。

 おや、もう講演会はお昼の休憩時間を迎えたみたいやな。



「なんだか周りが食べているのを見たらうらやましくなっちゃってねえ。先程はスルーしたけど、やはり箱寿司も もらえないかしら」

「どうぞどうぞ、沢山あるから持って行ってや。達ちゃん、一番弁当まだあるよな」

「うん、余ってるよ。はい、どうぞ」



 作業台に並べられた寿司折りは三種類。

 その中から赤い包装紙の弁当を選ぶと、達ちゃんはお客さんに手渡した。

 団十郎もそれを見て、ウチ等が何をしているか気が付いたみたいや。



「お前ら……もしかして、客の年齢に合わせて渡す弁当を変えているのか?」

「アタリやで。中山くん、君も言ったれや」

「は、はい。箱寿司の味付けはネタやシャリの下処理次第で変わり、千差万別ッス。大阪でも店ごとに味が違い、同じ味の店は一件もないと言われていますから。だから今回は全てのお客様にご満足頂く為に、味付けの濃いもの、薄いもの、玉子や砂糖がたっぷり お子様むけの甘いものと三種類の寿司折りを用意しました」

「なんてぇ手間のかかる事を。それだけ繊細な仕事をする職人は江戸前でも滅多にいねぇ」

「それだけやないで。ウチ等の弁当にはもう一つ工夫があるんや」

「工夫だって? なんでぇそりゃ」

「百聞は一見に如かず言うしな。折角のチャンスだからウチ等の箱寿司もご馳走したる。団十郎さんのお家で食べてみるとええわ。江戸っ子好みの濃い味付けをたぁーんとくれてやるからな」



 そして団十郎(とマグロ帝王)の帰り際。何を思ったのか達ちゃんが彼等を呼び止めたやないの。何をするかと思えば、連絡先が書かれた名刺を差し出したわ。

 どうしたんや、君ィ? 唐突に。



「あの、アンケートの集計が終わったら、どこかでもう一度お会い出来ませんか?」

「勿論そのつもりだが、どういう風の吹き回しでい? アンタ」

「我々がこの勝負に挑んだのは、何も貴方を降参させる為ではありません。最初に言われた通りに、ぶつかり合うことでしか見られない『高みの風景』とやらを この目で見極める為です。結果は期待していた以上でした。火事と喧嘩は江戸の華。その意味が僕にも判ったような気がしました。にわか江戸っ子ですけど……」

「てやんでぃ、これ以上は褒めたって何も出ねぇよ、兄さん。泥臭い汗と工夫、勝つ為の努力もたまにはオツなもんさ」



 団十郎はそう返すと、達ちゃんの名刺を指に挟んで小粋にきびすを返したわ。

 こうして見ると江戸っ子も悪くないんやけどなぁ。歪んだ偏見を捨て去ることでウチ等は自分の世界を広げていけるのかもしれん。

 ほんのちょっと、少しずつな。知らんけど。




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