第3話



 愛する郷土をコケにされて引っ込んでいられるかい。

 我慢しきれず、つい座敷に乗り込んでしもうたわ。

 しかし、流石は江戸っ子や。面の皮の千枚張りとは奴らのことやんけ。

 ウチの抗議を受けても、小上がり座敷の連中にまるで動じた様子がない。



「ふん、ちゃんと代金を支払っているんだ。料理の感想を述べて何が悪いんでい」

「営業妨害やろうが。人の迷惑って言葉を知らんのかい、東京モンは」

「てやんでい! 天地かいびゃくの瞬間から、美味い物はウマい、不味い物はマズイと相場が決まっているんでい。そこを誤魔化すなら商売なんて止めちまいな」



 くぅ~、もっともらしい事をぬかしおってからに。

 それにしてもけったいな奴等や。

 小上がりの土間には下駄や雪駄がズラリと並んでるし。とび職、テキ屋、それに呉服屋か? それこそ時代劇から抜け出してきたかのような服装の奴ばかりで、特に大声で騒いでいたリーダー格らしき中年男性がすごい。


 今時マグロと七福神の宝船模様が描かれた小袖こそでを着てるって、それホンマかい。時代錯誤な装束を着流す伊達男。髪はチョンマゲを結っているし、しゃくれた口には金のキセルを咥えとるわ。

 目尻に朱が入っているのは隈取りなんやろうか。

 歌舞伎俳優だってプライベートでこんな格好しとらんやろ。

 完全にパフォーマンスやんけ、嫌がらせの。



「平賀源内みたいな格好しやがって。いったい何者や?」

「よくぞ、よくぞ聞いてくれました。江戸っ子育英会の名誉会長、あっ、サカキ団十郎とは俺様のことよぉ~」(ちょんちょん)



 あ、取り巻きどもが見得を切った団十郎の後ろで拍子木鳴らしとるわ。

 なにしとんねん。そないな寒いボケ、大阪では通用せんで、ホンマ。



「誰でもいいわ。押し寿司と握り寿司、いったいどっちの歴史が古いと思ってるんや。馬鹿にするな、新参者風情が」

「ふん、歴史が古すぎてカビが生えてるんじゃねえのか? かつては江戸で一世を風靡した押し寿司が、やがて握り寿司に駆逐された過去をご存知ないとみえる。お前さんが誇る寿司の歴史こそが、どっちの技術が上かを語るには充分すぎる証拠なんでい。真に優れているのは、握り寿司に決まっていらぁ」



 ぐっ、言うだけあって詳しいなコイツ。

 悔しいけど事実やわ。今でこそ押し寿司といえば関西の印象が強いけど、昔は江戸の街でも普通に押し寿司が売られとったらしい。そこに、両国の『華屋与兵衛』いう人が握り寿司を考案してからスシの勢力図が一変した。

 新参者がそれまでの流行に取って代わり、瞬く間に江戸前寿司の主流となるまでスターダムをのし上がったそうや。

 流行り廃りっていうのは恐ろしいモンやな。与兵衛の流れを組んで握りの技を極めた江戸前の寿司職人たちは、いつまでも道具に頼る押し寿司の職人を内心では軽んじていたっちゅう話や。残念やけどそれが江戸の正史。

 痛い所つきおってからに、まったく。


 喧々諤々の議論を見かねて達ちゃんと中山くんも座敷に乗り込んできたわ。



「わーわー、すいません。ウチのツレが迷惑をおかけしまして」

「望月さん、ここはひとつ穏便に」

「なんやねん、二人とも。謝るはコイツ等の方やろ」



 団十郎ときたら、いけしゃあしゃあとアゴを撫でながら応じやがる。

 気にくわんなぁ。



「いーや、俺っちは構わんよ。昔から言うだろ? 火事と喧嘩は江戸の華ってね。全身全霊でぶつかり合ってこそ、判る真実もあらぁーね。そうだろう? 威勢の良い姉ちゃん」

「おう、良い事いうやんけ。なら正々堂々と白黒つけようじゃないの」

「しかしなぁ、このまま当事者同士が寿司の良さを訴えても平行線のままじゃーねえのか」

「せやなぁ……となると」



 腕を組んで考えるウチの目に壁のポスターが目に留まる。

 吹奏楽コンクールのイベント告知……場所は野外ステージ、うん、これや。



「やっぱ、中立のお客さんにジャッジしてもらうのが公平やろうな」

「ほう? どうする気なんでい」

「毎年、近くの野外ステージで落語家を呼ぶイベントがあるやん。チケットの購入者には休憩時間に食べる寿司折りが配られとる。そうやろ?」

「オウよ。我らが『海帝寿司』自慢の仕出し弁当だ」

「そこに『箱や』も弁当を出させてもらえばええやん。そうすればアンケートでどっちが美味しかったか集計をとれるんやないの?」

「ははは、大阪モンにしては良い度胸じゃあねえか。古臭い押し寿司で、進化した現在の握り寿司に勝てるつもりなのかい?」

「さて、どうやろなぁ?」

「気に入った! 俺っちは町内会でも顔が効くし、そのように手配してやらぁ。ただし……」



 団十郎は意地悪くニヤリと笑ってこう続けたんや。



「もし、アンケート集計の結果、お前らが負けたら。三人とも江戸っ子育英会に入ってもらおうかな。その根性と郷土愛、むしろ気に入っちまったよ」

「へん、面白いやんけ。その代わり、ウチ等が勝ったら! 二度とこの店で嫌がらせなんかしないと誓ってもらうで。アンタだけでなく、他の会員も含めて全員が……やぞ!」

「よぉーし、話は決まった! こちとら江戸っ子よ、二言はねぇ。不正もねぇ。実力で勝たなければ勝負なんかする必要もねーんだ、べらぼうめ」


「奈々子、君って奴は。……判った、協力するよ」

「こ、公平な勝負でしたら。思い切ってやってみるっス。ウチの店の問題ですから」



 そない心配せんでええよ、君たち。

 ウチが計算もなしにこんな対決受けると思ってんのかい。


 なして大阪では東京と違って押し寿司が廃れなかったのか。

 単に握りずしを編み出した東京モンへの嫉妬と対抗心だけとちゃうで。

 その真髄と奥の深さをたっぷりと知ってもらうからな。


 大阪モンの計算高さ、なめとったらアカンで、ホンマ。













 さて「箱や」からの帰り道。


 鼻息荒く闊歩かっぽするウチと、三歩下がって後ろを行く達ちゃんの間には、何やら気まずい沈黙だけが横たわっておった。

 やれやれ、まーた、ウチってば何かやらかしちゃいました?


 うん、せやなー。ウチが余計なお節介を焼いたばかりに、達ちゃんも結婚の申し込みどころじゃなくなってしもうたからな。とんだやらかしや。街路樹立ち並ぶ大通りは人影もまばらで、道行くウチ等を見ているのは上空の朧月夜ぐらいやった。舗装されたコンクリートにコツコツと二人の足音だけが反響しとったなぁ。

 けれど、このままダンマリを決め込んだ所でシンドイだけや。

 ウチは足を止めて振り返り、会話のキャッチボールを試みた。



「なんか、色々とスマンかったな」

「え? 何がさ」

「これまでウチもさ、誰彼構わず関西マウントをとる事があったやん? 思い返せば、それをよく達ちゃんに注意されてたやろ? 大阪の方が凄い! ウチがそう言う時も、もしかしてあんな顔しとったんやろか」

「うーん、でもさっきの育英会ほどは酷くなかったと思うよ。奈々子の方が可愛げあるし。他人の商売を邪魔したりしない常識もあるじゃん」

「さよか。なら良かった。他人のフリ見て我がフリ直せって言うけどホンマやね。反省するわー。まぁ、そうやね。言われてみれば、ウチがあんな可愛げないワケないもんな! そう! 大阪モンは東京モンのアホとは違うからな! がはははは!」

「あー、うん、とっても可愛いよ。素でそれをやってる所が特に」

「大阪人のボケは生きてる証なんや……」

「友達が困ってるのに助けないなんて奈々子らしくないもの。食事を楽しむのならまた違う機会があるさ」



 良かった、いくぶんか心が軽くなったわ。たわいもない軽口でも、スキンシップを図れば互いに心の通じ合ってることを確かめられるからな。

 よし、まずは目前の障害を乗り越える。それに集中や。

 イチャラブと展望台レストランは厄介ごとを片付けてから。

 物事にはしっかりと目鼻をつけていかんとな。

 達ちゃんも同じ考えらしく、口元を引き締めると話題を変えてきたわ。



「でも大丈夫なのかい、あんな勝負受けちゃって。海帝寿司といえば下町ガイドブックの常連で、県外からも食べにくる人が居るほどだよ」

「関係あらへん。ウチも勝算なしで勝負に挑むほど向こう見ずじゃあらへんわ」

「ほう? その心は?」

「実は去年、落語家の野外イベントにウチも客として参加した事があってなぁ。だからこそ、今回の勝負内容もすぐ思いついたんや」

「ふーん、つまり君は、その時、海帝寿司の仕出し弁当を食べたんだ」

「せや。だからこそ、握り寿司には重大な弱点があることも知っとる」

「弱点というのは?」

「ズバリ、時間経過に弱いことやね。握り寿司は完成品をその場ですぐ食べてこそ、真価が味わえるもの。作ってから時間の経った寿司折りなんか、水分が抜けてカピカピやったわ」

「確かに水分が抜けたイカなんて、硬くて食べられたものじゃないね。生魚は空気に触れると酸化するし、シャリもきっとカチカチになるだろう。ほら、冷蔵庫に入れて一晩経った冷や飯はご飯粒が全部くっついているじゃない。あんな感じで。でもそれは大阪寿司だって同じことなんじゃないの? どちらも条件は同じなんだから」

「ところがどっこい。ちゃうねんな。大阪寿司は作ってから一日置いて馴染ませた物が食べ頃なんや」



 大阪寿司こと押し寿司全般は、なんといっても酢飯に保水効果の高い砂糖が含まれているからな。時間を置いても固くならないし、むしろネタのタレやエキスがご飯にじんわり沁み込んで味わいぶかさが増すくらいや。うな丼やカツ丼はご飯だけでもウナギの風味が移って美味しいやろ? あれと同じこと。



「従って、出前弁当やテイクアウトにも最適。それが押し寿司だけの強みや」

「なるほどねぇ、こちらの強みと相手の弱みが上手く噛み合ったベストの対決方法を選んだというわけか」

「せやから勝つのもコッチというワケやね。んっんー♪ 我ながら天才ですやん」

「でも、そう上手くいくかなぁ?」

「なして!?」

「だって、敵もプロの寿司職人だよ。そりゃあ大阪寿司の特徴とか、わかっていると思うんだ」

「……む! むむむ!」

「こちらにだけ都合の良い展開を想定するのは、甘すぎない?」



 厳しいこと言うやんけ。けど、言われてみればその通りや。



「そ、そうかもしれんなぁ。へこむ。ごっつう、へこむわ」

「中山くんも言ってたじゃないか。箱寿司を出すのは大阪の人にとって最高のもてなしだと。最高のもてなしってのはさ、相手の失策につけ込んで勝つことじゃないだろ。これ以上は無いくらいに自分の強みを磨き上げて、お客様への気配りを忘れないことだ」

「……ウチは感動で震えとるわ。まさか大阪寿司の真髄を東京モンの達ちゃんから教わるとは思わんかった」

「へぇ?」

「それいいな、それでいこ! ウチ等が挑戦するのは江戸前寿司やない。会場に来てくれたお客様や。客商売するなら、そうあるべきやね。いやー、目から鱗とはこのことや」

「いやいや、そんな。商品開発部の企画会議でいつも部長に言われていることだよ。単なる人の受け売り。ライバルに勝ちたければ、絶対に手間暇を惜しむなって」

「悔しいけど、江戸っ子団十郎の言う通りやな。全身全霊でぶつかりあってこそ、見えてくることもある。自分の強みと弱み、その両方が。いつの時代も己と真剣に向き合えた者だけが格別な勝利を味わえるんや」



 よっしゃ! 計画変更や。「箱や」に戻ってメニューの練り直し!

 楽観論は、ゴミ箱へポーイや!


 気が早すぎるか? 主体性がなさすぎるか?

 ちゃうで、「君子は豹変す」って昔から言うもんな。


 切れモンは周りの話に耳をちゃーんと傾け、一つの考えに固執したりせず、柔軟な思考を身につけているもんや。機に臨み変化に応じるコト、それが臨機応変やで。


 関西人でなくとも芸の道は厳しい。頭の固い奴では誰かを笑わせることも、自分自身が最後に笑うことも出来へん。そうに決まってる。

 おおきに、達ちゃん。目が覚めたわ。


 しかし、そうなると頭を掠める当然の疑問。それがウチの足取りを重くする。



「せやけど、大阪寿司の長所を更に伸ばすにはどうしたらええやろ? 団十郎の言うように押し寿司の進化したものが握り寿司だとしたら。大阪寿司の行く先は……」

「難問だけど部長はよくこうも言ってるよ。進歩ばかりに気をとられるな。困った時は原点を振り返れ。それも大切だってね。訊きたい事は先人に尋ねれば良いんだ」

「原点。寿司のみなもと……そうか! それがあったな! 向こうが寿司の進化を追求するのなら、こっちは原点回帰! 最古の寿司を出すべきなんや」



 達ちゃん所の部長さんは神さんちゃうか?

 大助かりや。これからは足向けて寝れんな。どこ住んでるか知らんけど。


 ウチのやる気がみなぎってきたわぁ~!

 よぉーし、見てろよ団十郎!

 ガツンと思い知らせてやるからなぁ!

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