滋晨が少年と話し始めるのを絮飛は信じられない思いで見ていた。彼は随分細々したことを訊ねていた。少年やその家族の家について、神仙について知っていること……滋晨がやりたいことは、すぐにわかった。通訳機のチェックといえば聞こえはいいが、要するに彼は、自分がしたいことと同じことするために訊ねているのだ。絮飛は少年の頭を撫でてやっていたが、内心ひやひやした。危ないことをするのは俺の専売特許だと思っていたのに。

 少年の頭を撫でながら、目の高さを合わせて少年と言葉を交わす滋晨を見ていると、なんだか不思議な気持ちになってくる。

 子供を持つことを随分長いこと話し合っていた。

 その話になると、滋晨はいつもどこか遠い顔つきになった。

 こちら側では同性のカップルが子供を持つことは普通のことだった。すでに同性同士でもお互いの遺伝子で子供を作って「産む」ことも、代理出産も可能で、ただどう選ぶかという問題でしかなかった。〈九洲〉出身の滋晨には、同性同士が結婚することも家族を持つことも、少しずつしか実感できないのだろう。

「「産める」の? 俺か絮飛の体の中に人口子宮を入れて妊娠・出産をするの?」

「それもできる、他のこともできる。もちろん、子供を持たないという選択もできる」

 昨今は「産む」のが流行りだった。

 技術革新が進んで安全性が高まったのもそうだが、人は根源的に「産んで」みるのが自然だと思っているのかもしれない、と皮肉にも考えた。

「子供は持ってみたいけど、ちょっと考えさせて……」

 結婚当初にした話が立ち消えになり、何回か繰り返された。

 あまり「産む」ことに積極的ではないのだろうが、「産む」には生物としての身体的な限界があって、男性の場合は四〇歳以前までとして決められていた。

 もう一回話し合わなければと思っているところに、移民局の知り合いからある男の子を紹介された。〈九洲〉からの不法移民の家庭の男の子で、両親が亡くなったという。六歳で学校に入る歳だが、不法移民のコミュニティの中で生まれて育ったので、こちら側の言葉が全く話せないというのだ。養子縁組ですごく不利なんだ、と知り合いは言った。この前子供が欲しいって言ってたじゃないか、お前は向こう側の言葉が上手だろう、考えてくれないか。

 写真を送ってもらった。つぶらな目をした男の子が不安そうにこちらを見上げていた。知り合いは絮飛の言葉尻に何がしかの希望の片鱗を感じとったか、さっさとアポを取りつけてきて、絮飛は内緒でその子を見に行った。男の子は知らない言語の中で、懸命に遊んでいる時もあれば、ぼんやりとしている時もあり、窓越しに絮飛と目があった。写真と同じ目をしていた。

 そして、その写真を滋晨に見せた。

「養子はどうかな」

 すると滋晨は珍しく怒った。

「こっちだって色々気持ちの整理をつけようとしてるのに、いろんな方向へ勝手に引っ張っていくのやめてくれないかな」

 それはこのフィールドワークにくる少し前のことだった。絮飛は謝った。滋晨は感情的になって悪い、と言った。こちら側は時々いろんな理解がまだ追いつかないことがあるんだ。

 少年との話を終えて、滋晨が立ち上がった。絮飛はそれを利用して、よろけてお互いがぶつかったふりをして、自分と滋晨の管制室と繋がっているイヤーモニターを間違えて弾き飛ばした。

「悪い」

 滋晨が目配せする。意味はわかっているのだろう、二人はさっと袂で口元を隠した。ドローンはそこかしこに飛んでいるし、視界も撮影されているのだから、こうするしかない。ずろずろした服はこんな時に役に立つのか。

 吐息だけで話す。

「医療ユニットはそう簡単には送れないぞ」

「そんなの知ってるよ」

 二人とも、少年の母親に医療ユニットを送ってやりたかった。だが、それはおそらく前例がないし、会議にかけても絶対に却下されるに決まっていた。

 彼らは絶対に言う。悲劇はいくらでも起きている。それを変えることはできない。それは真理だった。

「このまちのフィールドワークはもう数十年分やってる。次の年の調査も確かもうやってる」

「だから来年に飛ぶことはできない。一度飛んだら、かなりの理由がない限りはその年には飛べない」

「飛ばないよ、これが終わったら、このまちの調査はいっぺん休止する。それでデータを洗い直す。音声も映像もできる限りとっている。ドローンがまちの全てを見ている。それは全部使える?」

「使える。アクセスは可能だ」

「今聞き取りは大体した。この子のお母さんが数年後に生きていることがわかれば、医療ユニットは送れる可能性が高い。「長くない」っていう見立てが出てるんだ。今送らないと、歴史が変わるのをそのまま放っておいたことになっちゃう」

「証明できなかったら?」

「証明できないなら、送らない。それは無理だ」

 それから、滋晨はさらに声をひそめた。

「この子のお母さんがもしかしたら来年の灯市にはもう生きていないということも、証明されてしまうかもしれない」

 声のはしが微かに揺れていた。

「その時は受け入れるしかない」

 二人はお互いの目を真っ直ぐ見て頷き合った。

「悪いけど、俺かなり忙しくなるよ。文献資料も全部さらい直すからね」

「知ってる。でも、お前にしかできない。頼んだ」

 頷き合う。お互いの瞳は闇夜に輝くどの星よりも明るかった。

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