第23話 エピローグ 

我が校には、中央校舎を囲むように青龍・朱雀・白虎・玄武の4つの寮がある。中等部が使用するのが北の「玄武寮」、大学生が使用するのは西の「白虎寮」、先日まで俺が収監されていた、所謂vip用の寮が東の「青龍寮」。そして高等部に充てがわれているのは、最も南に位置するこの「朱雀寮」で。

 足取りも軽く、俺は実に数週間ぶりに朱雀寮の自室の戸を叩いた。ちょっとしたサプライズを用意しているので、同居人には連絡を入れていないが。


「犬飼、居るか────って、なに?!」


 部屋の中は血の海──と言うわけでも無いが、目が覚めるような赤色に埋め尽くされていた。仰け反って、目を凝らして。どうやらそれが鉄塊で、さらに言うなら消化器であることは理解するも、それ以上は理解できなかった。


「え、なになになになに、怖い怖い怖い怖い怖い」

「誰か居るのか?」

「犬飼!」


 馴染みのが洗面所から聞こえてきて、安堵感に半泣きになってしまう。俺はてっきり、間違えて猟奇殺人鬼か何かの部屋に迷い込んでしまったのかと。

 やや於いて、洗面所からのそのそと顔を出す犬飼。恐怖心のまま、俺は犬飼に這い寄ってしがみついた。犬飼は散瞳して、手に持っていたタオルをパサと落とした。


「…………優太郎か?」

「偽物じゃないよ、それよりこの消化器は……犬飼?」


 反応が無いので何事かと思えば、毛を逆立てたまま硬直している。フレーメン反応を起こすネコを思い出しながら首を傾げると、やや於いて犬飼の手が俺の顔面の頬に当てられた。


「なに……」

「…………」


 ペタペタ、ペタペタと。輪郭を確認するように、全身を撫で回されながら検分される。四方から至近距離で相貌を覗き込まれるもので、吐息が掛かってくすぐったいし、瞳孔は開ききっていて怖い。瞬きくらいしてくれ。耐えかねて「近い……」と抗議するも、反応はない。表情が真剣そのものである。


「……夢じゃない………」


 漸く落とされた言葉からするに、犬飼は俺のことを幻覚か夢の妖精だと疑っているようだ。連絡くらいはするべきだったかと反省しつつ「ただいま」と言えば、また犬飼の瞳孔が収縮した。



 「そう言うわけで、俺の荷物は明日の午後から運び込まれてくるから──って、」


 言葉を止め、ダイニングテーブルの向かいに座る犬飼を見る。サプライズ……俺が買ってきたいちごのショートケーキにも手をつけていない。「犬飼、どうしたんだ?」と尋ねれば、どこか居心地悪そうに身動いだ。


「……いや、随分な大立ち回りで驚いた。すごいやつだな、お前は」

「そんなことはないよ」


 本当に。ただただ必死だった。化け物みたいな奴らの思惑は、複雑で、途方もなくて。全容も見渡すことができないまま。俺はどうにか、千錯万綜の波に呑まれぬよう必死に手足をばたつかせていただけだ。恐らく本当に、一時凌ぎでしかなったのだろう。

 暗雲立ち込めるような心地のまま、犬飼へと視線を直す。極端に口数が少ないのが気になった。

 「犬飼?」ともう一度呼び掛ければ、ぼうっとした表情のまま僅かに顎を引いて。獣みたいな白銀の髪が、僅かにゆれた。


「…………俺に協力できることは無かったのか」


 たっぷり間を置いて落とされた言葉は、均されたように平坦だった。それでも垣間見えた翳りのような物に、眉を顰める。


「俺が発端なのに、お前は俺の知らないところで全てを終わらせていた」

「ああ……」

「腹の辺りがムズムズする」


 眉間に皺を寄せ、不愉快そうな表情で腹を摩る。恐らく感情に名前をつけられないだけで、本当に不愉快なのだろう。ケーキを食べる気にもならないというのは、中々深刻だと思った。


「ごめんな、犬飼」

「俺はそこまで頼りなかったか」

「そう言うわけじゃないんだ。けど、これは俺一人でどうにかしたいと思った」


 これは決めていた事だ。前回の件で痛感させられだのだ。俺がいくら無関心を貫いても、『双頭の人間』という責任はどこまでも追ってくる。無力では普通は手に入らない、無関心では抗えない潮流がある。


「俺は、犬飼と対等でいたい」

「…………」

「俺は自分の足で立つ必要があった。犬飼に守られるだけじゃなくて、最低限自分で自分を守れるように」

 

 要は完全に俺の内面の問題なのだ。犬飼が何と言おうと、ここで犬飼に頼って仕舞えば、俺は自分と彼を対等な存在であるとは二度と思えなくなっていただろう。片方がもたれ掛かるだけの関係を、友情とは言わない。それは単なる寄生であり、従属であり、依存でしかない。

 あれは俺が犬飼の友人であるために、必要な闘いだった。

 罅割れたガラス玉みたいな目を、正面から見据える。まじまじと相貌を見て気付いたが、薄らと目の下に隈ができている。疲れてはいないか、という旨の言葉を遮って、犬飼は「俺は」と口を開いた。


「俺は、優太郎と対等になれたなどとは、一度も思えたことが無かった。今でも同じだ」

「え、それって」

「……………俺は、施されてばかりだ」


 ケーキを一瞥して、犬飼はか細い声で呟いた。俺は混乱していた。犬飼の言葉の意味が、本気で分からなかった。


「何言ってる?蛇穴との件だって、サークルとの件だって。俺はお前が助けてくれなきゃ、どうなってたか分からない。それを── これか。まさかケーキ『これ』のことを言っているのか。いやいや、まさか。本当に本気でなにを言っている?」


 混乱しすぎて全部言った。犬飼は俺の剣幕に押されて仰け反ったが、すぐにイヤイヤと首を振る。ム、なんだその不満そうな顔は。


「お前は自分が与えたものの大きさに気付いてない」

「俺がお前になにをしてやれたっていうんだよ」

「助けてくれた」

「だからそれは俺の方が────」


 言葉を切る。

 犬飼の双眸が、苦しげに歪められているように感じられた。初めて見る表情だった。感情的になると畳み掛けるように喋ってしまうのは、俺の悪癖である。そもそも犬飼は、自分の内面を言語化するのが苦手なのだ。

 昂る感情を抑えながら、犬飼の言葉を受け止めることだけに専念する。


「初めて会ったとき、優太郎のことを変なやつだと思っていた。俺みたいなのに気を割く人間は珍しかった」


 ぽつぽつと話し始めた犬飼は、確かに俺を見て、俺に対して話している。けれど、その意識が己の記憶や内面に向けられていることは、不思議と理解できた。


「だから、なぜと尋ねた。お前は『これが普通だ』と言った」


 犬飼は黙った。言葉を探しているというよりかは、全てを出し切ったという清々しい表情をしている。


「いや、待って待って。流石に言葉足らずが過ぎるよ」

「…………?」

「綺麗な目で小首を傾げないで。今のところ、俺があげた物なんてないだろ。普通のことしか言ってないし……」

「それだ」


 指を指されて困惑する。どれだ。


「優太郎が言う『普通』は、全部温かい。人間になれたような気分になる」

「犬飼は吸血鬼が何かだったりするの?」

「きゅ……ドラキュラのことか。違う。とにかく、俺は優太郎がいなければ、『普通』を尊重できていたとは思えない」


 ……やはり犬飼は人外の類だったのかもしれない。前々から美しすぎておかしいとは思っていた。

 そんな妙な納得感を覚えながら、俺はずっと気になっていたことを口にした。


「犬飼は、その……どんな『普通』の中で生きてきたの?」


 これは口に出すつもりが無かった問い。

 必要以上に、人に踏み込む必要はない。心地良い距離感のまま、余白は余白のままにしておけば良い。ここまでの人生で得たそんな持論を、初めて覆そうとしていた。ここで踏み込まなければ前に進めない気がしたし、それだけの価値があると思ったから。

 曇天の圧雲みたいな色をした瞳が、ゆっくりと逸らされる。


「……………もっと寒くて、青白くて、グロテスクだった、と思う。今考えると」

「…………」

「でもそれが普通だった。正直に言うと俺は、学生生活という物に全く価値を感じていなかった。精々、その普通に戻るまでの、通過地点という程度の認識だった」


 抽象的な話だ。けれど、犬飼が誠意を持って言葉を選んでいるのは分かった。今できるだけの、精一杯の表現で何かを伝えようとしてくれている。その気持ちだけでも、俺は嬉しかった。


「お前がいなければ、俺は自分がファンタジー小説が好きだと言うことを知らなかったし、甘いパンを食べることも無かったし、ふとした時に自分の過去を思い返すことだってしなかった」

「い、犬飼。ちょっと」

「そしてそれを、惜しい事だと。怖い事だとすら気付かずに死んでいったんだと思う」

「勘弁して……」

「お前は言ったな。俺が、『誰よりも「普通」のために努力している』と。それは、お前がくれた『普通』に焦がれたからだ。お前が施した物の大きさだ」


 終盤の方になると、俺は最早机に突っ伏していた。茹で上がったように熱をもつ顔を覆い、首を振る。「伝わっただろうか」という言葉に、「伝わった……もう充分伝わったから……」と、震える声で命乞いした。


「……優太郎?」


 気遣わしげに伸ばされた指を、全力で回避する。椅子がひっくり返り、スケートリンクに投げ出されたような調子で床の上をのたうち回って。


「ちょ、ちょっと待って、ストップ!」


 声を張り上げる。

 だって、そうだろう。俺と犬飼は、ルームメイトで、友達だ。ルームメイトも友達も初めてだけど、その表情が、声音が。…………まるで、愛でも囁くようなそれが、世間一般の距離感ではない事くらいは理解できた。

 とろんと蕩けるように撓んだ目元。潤んだ瞳に、申し訳程度に赤らんだ頬。

 フローリングに詰まったホコリを凝視しても、それらの光景は脳内から消えてはくれない。


「い、犬飼……」

「ん?」

「…………表情筋が柔らかくなった?」

「?」


 見間違いでなければ、微笑している。顔付きが穏やかになっている。先刻までの妙な熱っぽさは消えていたので、幾分か見れたものではあるけれど。

 どうにか立ち上がって椅子に座り直せば、犬飼も大人しく腰を下ろす。


「取り乱しました……」

「ああ……」


 困惑した様子の犬飼に謝罪して、咳払い。先刻のあれは、こう、白昼夢か何かだと思っておこう。今は取り敢えずそうしておこう。じゃないと話が進まない。


「そんなお前の心も知らず、申し訳ない事をした。ごめんね」

「伝わったのなら、良い」

「次からは相談するから、お前も何かあったら相談するんだぞ」


 こくと素直に頷く犬飼に、妙な笑いが込み上げてくる。子供の仲直りってこんな感じなんだろうか、なんて。高校生の図体をした俺たちが、得られなかった時間を取り戻すように女々しいことをしている。何だかそれが、無性に可笑しくて幸せだった。


「これで良いんだ」


 そう呟いた声は、自分でも驚くほどに満ち足りた物だった。


「少しずつ、積み上げていこう」

…………俺たちにはまだ、時間があるんだから。


 ゆっくりでも、少しずつでも良い。

 たくさん会話をして、お互いを知って、取り戻して。そうやって、俺たちは俺たちのペースで、この関係を大切に育てていければ良い。

 「な、犬飼」と言えば、犬飼はきょとんとした表情で首を傾げる。しばらくして「ああ?そうだな?」と、打ち返された言葉に、俺はとうとう吹き出した。


「ところで犬飼、」


 笑いながら尋ねれば、犬飼は無表情でこちらを見た。前よりはわかりやすくなったと言えど、やはり感情はまだ薄い。

「なんやかんや聞けなかったけど、この大量の消化器って何?」

「ああ……」

「まさかクリスマスの飾り付けだとか言わないよね?」

 

 地味にずっと気になっていたことを尋ねる。先刻床でゴロゴロした時も、頭とか肘にぶつかってとても痛かった。


「ドライアイスを作っていた」

「え?」


 犬飼の言葉に、素っ頓狂な声が漏れる。ドライアイス?


「ドライアイスってあの、ケーキとかに入ってるやつ?」

「そうだ」


 神妙な表情で頷き、犬飼は手袋を嵌めて立ち上がる。冷蔵庫を開けて、中を探りながら朴訥と言う。


「最近知り合った先輩に勧められた本が面白かったから、実践してみようと思った」

「へぇー、趣味が合う先輩ができて良かったな。大事にするんだぞ」


 ドライアイスというなら、空想科学読本みたいな物だろうか。ひょっとすると未来はすごい科学者とかになるのかもしれない。情操教育……とは言わないが、良い影響を及ぼすコミュニティができて俺は安心だぞ。

 感慨のような物に腕を組みながら頷いていると、犬飼が冷蔵庫から何かを引き摺り出してくる。ドライアイスだった。冷蔵庫より大きいように見える。どこに入ってたの?


「え。すご、デカ!めちゃくちゃデカい!……ちょっとデカすぎない?」

「ある程度デカくないと意味がない?」


 首を傾げながら言う犬飼に、「触っていい?」と聞けばウンウンと頷かれる。お許しが出た。


「デカくないと意味がない?何に使うんだろう。人とか殴り殺せそうな……なーんちゃって…………」

「…………」

「はは……」

「…………」

「…………犬飼?」

「…………」

「犬飼」


 犬飼の肩を掴む。絶対に目が合わない。

 待て。こっちを見ろ、こっち。俺の目を見ろ。


「せめてなんとか言ってくれ!」

「なんとか」

「犬飼〜〜〜〜!」


 泣き叫ぶと、横を向いたまま犬飼はむにむにと唇を動かす。


「俺も自分にできることを模索していた。……次はしくじらない」


 何をだ。

 余談ではあるが、ドライアイスは昇華とかするらしいな。証拠とかは確かに残らないかもしれない、いや、余談なので本当に深い意味とかはないけれど。

 とにかく、そんな不穏な言葉を求めていたわけではない。


「一体何の本を読んだんだ、お前」

「完全犯罪マニュアルとか」

「今すぐ別れろそんな先輩とは!」


 誰だ良いコミュニティができて安心だとか言った奴は。純粋に犯罪教唆じゃないか。そうでなくても、そんな陰気な本を人に勧められるヤツが、碌な人間性をしているわけがないのだ。

 俺はバリバリ偏見で物を言うぞ。

 どうにか犬飼を宥めながら、先輩の名前を聞き出す。秋谷というらしいが、そんな名前の人間は2年には居ない。蛇穴との一件があって以来、高等部の名簿は一通り頭に入れたので間違いはないはず。

 学内ネットにアクセスして、販売されている2年生の写真を犬飼に見せる。犬飼は4桁近くある写真をじっくり検分するも、中々反応を示さない。集合写真含め、それだけ撮られていて全く写真に写らないとはどういう要件か。


「イマジナリーフレンドとかじゃないよな?」

「いや……む、」


 指し示されたのは、文化祭の一枚。美しいキャメルスクラッチをかける生徒と、馬乗りになられてる生徒。


「加害者は39枚、被害者は56枚写り込んでたよな?」

「いや、その2人じゃない。後ろの鏡に映ってる」

「あ、本当だ。この人は結城先輩だよ。本当に偶然写り込んでるってかんじだなぁ」

「随分特定が早いな。知り合いか?」

「いや、写真に一枚も写ってない2年はこの人入れて5人だけだったから。残りは不登校とか何かじゃない?」


 そんなことより、何の目的で『秋谷』などという微妙な偽名を騙ったのだろうか。相手をおちょくって適当を言っただけか。若しくは、蛇穴みたいに都合の悪い事実を隠すためか。沸き上がる不信感に蓋をして、「とにかく」と言葉を継ぐ。


「今度話してみるかな」

「その時は俺も呼べ。2人だけで会うな」

「え、珍し……」


 除け者にするな的なサムシングだろうか。

 犬飼がこういう事をはっきりと言うのは珍しい気がする。基本他人への関心は薄いし、思う事はあっても、口には出さずにうっすらと寂しそうな表情をするだけである。思わぬ情緒の芽生えに、子供が初めて言葉を発した時の親ってこんな気分なんだろうかとか思う。


「犬飼……」

 しみじみと言って、ケーキの乗った皿を差し出す。

「ケーキ、食えよ。クリスマスはケーキを食べる物だ。流石にこれは知ってた?」

「…………ああ」


 少しだけ目を見開いて、じっとクリスマスケーキを見つめる。


「知っているだけだった」

「………?」

「食べるのは、初めてだ」


 細められた瞳に、掠れた光が宿る。それは妙に感傷的な色をしていて。躊躇いがちにフォークを持った犬飼は、まだ何かを考えているようだった。自分でもなぜだかはわからないが、俺は「何はともあれ!」と声を上げる。


「メリークリスマス!」

 

 叫んで、ケーキを頬張って。

 少しだけ目を丸くした犬飼は、遅れてケーキを口に運んだ。「甘い」という言葉に、どうやら口にあったらしいと胸を撫で下ろして。「ワインじゃなくてこっちにすればよかった」なんで爆弾発言に、俺はまた小一時間犬飼を問い詰めた。

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『普通』の青春が欲しかったのにルームメイトが殺し屋だった件について ペボ山 @dosukoikokoi

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