第22話 答え合わせ2 クリームマシマシ期間限定苺パンケーキ
呼び出しを受けて生徒会長室へと赴いた鷲尾は、「新作パンケーキを食べに行こう!」と拳を突き上げた双頭を蹴り倒した。
「定時ですので帰らせて頂きます」
「学校前のカフェ、女性客が多いじゃない。男1人じゃ心細いんだよぅ」
「男が1人から2人に増えたところで、むさ苦しさが増すだけだろうが」
「こういうのって心の問題だからさ……。仕方ないな、ウーバーイーツで頼もう」
「学校で出前を取るな………………」
「住所って帝修高校生徒会長室で良いかな……」
何も言う気になれなかった。鷲尾は眉間を摘みながら下を向く。暫くして「本当に帰るからな」と踵を返した鷲尾の背を、「ボンゴレパスタがあと10分で来るよ」と言う声が呼び止めた。
知らん、勝手に頼むな。
平生の彼ならばそう言って窓からこの男を投げ捨てていただろう。ちなみに会長室は4階である。
それでも、鷲尾は双頭孝臣という男の性質を嫌というほどに理解していたので、諦めて天を仰いだ。この男がここまで執拗に引き留めてくるということは、逃げる策を講じるだけ無駄なのだろう。窓から投げ捨てても壁を這い登って追ってくる。
壁際から埃を被った椅子を引き摺ってきて腰掛ける。満足そうに微笑んだ双頭へと、「姦計の化け物が」と手持ち無沙汰に小言を漏らした。
「ひどい言われようだな。友達に、放課後デートしようって言っただけなのに」
「次デートと形容したら本当に帰るからな」
「じゃあ、祝勝会だ。一仕事終えたんだから、喜びを分かち合おう」
「…………………」
涼しげな目元を僅かに痙攣させて、鷲尾は双頭へと視線を向けた。2、3秒ほど何かを考えて、足を組み直した。
「上手くやるもんだな」
他意の無い視線を受けて、双頭は戸惑ったように首を傾げて見せる。「なにが?」という問いかけに、鷲尾の相貌が心底面倒臭げに歪んだ。
「そんな顔されても。俺はエスパーじゃないんだから、順序立てて話してもらわないと」
「上手く踏み倒した物だなと言ったんだ。役員議席を一般生徒にも与えるというのは、『元々決まっていたこと』だろう」
「ああ……」
合点が行ったように膝を打つ。確かに、『一般生徒への役員議席の確保』は、サークルとの仲裁と引き換えに、興優太郎が提示した条件の一つである。しかしそれは、公に知られていないだけで、双頭と鷲尾の間では前々から決定していたことであった。吹いて飛ばせるような軽薄な笑みで、双頭は「だって」と笑う。
「早々に是正されるべきだもんね?誰が見たって埃臭い体制なんて」
「『公平っぽく見せる努力くらいはするべきだ』?」
肯定するように笑みを深める男に、鷲尾は呆れたように腕時計を一瞥する。
「おまけに、『交換条件の一つとしてやむなく』、『役員を守るため』という大義名分の元、想定されていた内部不満も反発も回避。お前の寒い芝居を横で見せられる僕の気持ちがわかるか」
「心揺さぶられる名演に涙を禁じ得ない」
「『興優太郎が気の毒でならない』だ」
神妙な言葉だった。そこには、同胞を心の底から憐れむような重みがあった。この男に普段から襤褸雑巾が如く振り回されている人間として、その苦労は手に取るように理解できる。
そんな密かな同胞意識に浸る鷲尾に対して、双頭の反応ばどこまでも乾いた物だった。
「えー、優太郎はそれで納得してくれたから良いじゃない」
「全てをおっ被せられ、挙句実質のタダ働き。そうやってお前は、散々弟を利用してしたわけだ。嫌われて当たり前だ」
「優太郎は俺のこと嫌ってないよ?」
「はァ?」
「照れてるだけ。反抗期でかわいいよね」
本気で言っているのかと。『嫌っていない』『反抗期』という言葉について、早急に価値観を擦り合わせたい気分だったが、双頭の表情に言葉を呑む。
慈愛すら感じさせるような笑みだった。平生男が見せる空々しい仮面とは、明らかに違なる物である。端的に言えば、『本気で物を言っている』。
これは価値観がどうと言う問題では無い。もっと深刻で、根本的な物が自分とは違うのだと思った。文化圏も、生きている時代も全く違う何かと会話をしているような物なのだ。
一連の思考から諦めを1秒にも満たない時間で行った鷲崎は、沈痛な面持ちで被りを振る。
「…………もういい。僕は帰る、忙しいからな」
訳もなく吐き気に襲われて、鷲尾は本格的に帰宅の準備を始める。双頭は双頭で、鷲尾の本気を感じ取ったのか、初めて慌てたように「本当に待ってよ?」と、椅子から半身を浮かせた。
「そもそも忙しいって何だい?反生徒会運動は終わったのに?」
「内部資料の流出元がまだ特定できていない」
「え、良いよそんな物。君が仕事中毒者なら止めはしないけど、それなら、そんなことよりもっと有意義なタスクをあげる。俺と放課後デート」
「要らん。まだ不穏分子の正体が掴めてない以上──」
「だから、不穏分子なんて居ないんだって」
遮るように断言する。あっけらかんと言い放った男に、再び鷲尾は怪訝な目を向けた。
「お前は何を──」
「あの資料を流出させたのは優太郎だよ」
「は?」
鷲尾の叫びと、ノックの音が同時に響く。「ウーバーイーツです」という呼びかけに、鷲尾はとうとう頭を抱える。頭痛が酷い。
ビニール袋を持ってスキップで帰ってきた双頭。鼻歌を歌いながら、パンケーキを鷲尾へと差し出した。微笑みながらパスタを引き寄せる双頭に、「待て」と鷲尾は声を漏らす。流麗な所作で巻き取られ、その口内にパスタが消えていくのを、信じられない物を見るような目で見送って。
「お前が食うのか」
「ふ?ひひほはほっひ」
「は?」
「君のはこっち」
ご機嫌に差し出されたのは、ホイップの山にイチゴが埋もれた何かで。そのホイップとイチゴの下にパンケーキが隠れていることに、2秒ほど観察してようやく気付いた。
「新作パンケーキだよ」
「見たらわかる。いや、は?」
「?」
「?、じゃない。なぜそれを俺が食う流れになってる。逆だったろうが」
「俺は最初から、これを食べるゆきなりを見るのだけが楽しみだったんだけど?」
「こ、ころすぞ…………」
戸惑いと怒りと殺意が、一斉に溢れて止まらない。「貴様……」ともう一度低い声で唸った口に、フォークに刺さったパンケーキが詰め込まれた。吐き出すわけにもいかず、胸焼けするような甘さの塊を咀嚼する。『いますぐお前を殺す』という表情でパンケーキを咀嚼する鷲尾を、双頭は幸福そうに眺めていた。
「それで?なんだっけ。聞きたいことがあったんでしょう、ゆきなり」
「ほふ、ひはは、ひゃへほ!」
「良いよ、俺は機嫌が良いからね。聞きたいこと全部教えてあげるよ」
歌うように言いながら、上機嫌に鷲尾の口へとパンケーキを詰め込み続ける。
「流出元が優太郎だとは信じられない?」
鷲尾は窒息して喉を抑えた。どうにかフォークを奪い取り、死に体で執務机に突っ伏す。「そうだ」と絞り出された声は、衰弱しきった物だった。
「そんな、ことをしたところで───」
「『そんな事をしたところで彼に益があるのか』?」
鷲尾の言葉を継ぎ、双頭は微笑む。
「あるよ。何故なら、彼が生徒会に頼るよう仕向けたのは俺だから」
「どういう、事だ」
「言葉の通りだよ。サークルと優太郎を対立させるのは決定事項だった。結果的に起爆剤が上手く機能してくれたけれど、それが無くても、聖域がわかっている以上、やりようはいくらでもあったからね。厳密には違うけれど、元凶が俺であることを、優太郎だけが理解してた」
聖域──犬飼に手を出した事で、興優太郎は異常なまでの敵愾心をサークルへと向けた。そこまでは、鷲尾も把握していた。
しかし糸を引いていたのは自らであると、この男は言った。さらにサークルが動かずとも、弱みを突いて興優太郎を手駒にサークルを牽制するつもりだったと。
「優太郎は理解してたんだ。ここで静観しようと、俺の思惑にある程度乗らない限り、俺から犬飼くんへの攻撃は止まない。だから動いた。直接俺と約束をして、根を断つ必要があったから」
「………………」
「奥ゆかしいところも最高に可愛いけれど、こういう時に腰が重いから一手間が要るんだよね」
この横暴とすら呼べる所業を、悪意と言う一言で片付けて良い物か。
鷲尾の緊張を知ってか知らずか、双頭は稚気とも取れる所作で人差し指を立てた。
「つまり優太郎は、俺たちにも怒っていたんだよ」
「…………『目的』は復讐か」
「そう。サークルからお友達を守り通した時点では、彼の目的は半分も達成されていなかった。生徒会に対しての復讐がまだ済んでいなかったから」
「生徒会?お前個人への復讐の間違いだろうが」
「はは。まあそう言うわけで、優太郎の目的は2つ。『復讐』と『牽制』だ。不正の証拠をバラ撒いて復讐しつつ、こちらの勢力を削ぐ形で、不干渉の盟約を突きつけたわけだね」
全てを理解する頃には、鷲尾は言葉を継げなくなっていた。あの男が、本当にそんな事を考えながら立ち回っていたのか。俄には信じ難かったからだ。
第一印象は、『平凡』の項目を丁寧に辞書から切り取ってきたような男。犬飼と言う、一見でわかるような異端が、なぜあの人間に執着するのかが理解できなかった。しかしその評価は、サークルに対する報復を以て後に覆される事となった。
そういった多少の印象の変化はあった物の、あの怯懦な男が乾坤一擲の立ち回りを見せた事が、未だに飲み込めずにいた。草臥れたワイシャツのようにパッとしない男でも、あれは間違い無く双頭孝臣の弟なのである。
その沈黙をどう受け取ったのか、双頭は気遣わしげに「……落ち込まないでゆきなり」と鷲尾の肩を叩く。
「文脈を知らない人間なら、そう考えるのが普通だ。優太郎には一見、生徒会に反抗する理由なんかないからね。益のない人間・不利益を被る人間が犯人であるはずがない。非常に理にかなってる。仕方の無い事だ。全役員の前で、的外れな推理を自信満々に披露したからと言って恥じる事は───」
「黙れ、ドン引いてるだけだ。何なんだお前たち兄弟は、邪悪すぎる……」
手を払い除けながら吐き捨てて、鷲尾は納得する。冷酷非道、冷血漢、人でなし。似通った言葉は数あれど、『邪悪』と。その一言が、彼らを形容する上で最も適切な表現である気がしたからだ。
海千河千の奸智は元より。目的達成のためなら、平気で倫理や他人を裏切り足蹴にできるその精神構造は、邪悪と呼ばれて然るべきだ。
「何の目的でそんな事をした」
戦々恐々とした内面とは打って変わって、転がり出た声音は硬く鋭い。
「目的は2つ。1つ目はサークルの牽制だ」
「議席の確保を約束すれば、生徒会内部からの内部反発はあれどサークルは黙る。興優太郎を介す必要はなかっただろう」
「素直だねぇ、ゆきなりは。そう言うところが好きだよ」
「茶化すな、今僕は貴様の冗談に笑えるような状態じゃない。わかっているのか、興優太郎を巻き込んだせいで、生徒会は一時的とは言え維新を失った」
「それが2つ目の目的に関係してくる」
「つまらん理由だったら本当に吊し上げるからな」
低い声で凄む鷲尾に、双頭もまた神妙な面持ちで頷く。フォークを置き、居住まいを正して鷲尾を見据えた。
「弟が可愛くて構って欲しかった♡」
鷲尾は双頭の身体を縄で締め上げた。
「というのは冗談で……あの、本当に冗談だから柱に吊し上げようとするのをやめて……」
簀巻き状態で逆さ吊りにされたまま、双頭は命乞いする。全く聴こえていないように、鷲尾は縄の端を引いていく。双頭の身体が、どんどん天井へと近付いて行く。今ロープが切られたら、室内で転落死することは必至だった。
「人事整理だよ!」
とうとう叫んだ男に、鷲尾の手が止まる。「人事整理?」と怪訝に眉を吊り上げて、「説明してみろ」と言った。鷲尾は完全に双頭の命を握っていた。
「狐坂君。彼は不合格だった。従順なのは良いけど、横領はダメだよね。でもほら、僕らのお父さん同士は仲良しだからさ。堂々と首を切るわけにもいかないわけで」
「…………ああ、」
日本四大財閥が一つ、栄花グループ。双頭家と言えば、その最高決定機関の代表格である。そして狐坂家もまた、双頭家に比肩する立ち位置であって。友好関係にあるこの2家の仲に亀裂が入る事は、グループの趨勢に直結する。
双頭家の息子が狐坂家の息子をリストラしたなどといった事実は、存在してはならない。轍鮒の急というわけでも無い限りは。
「だから、弟の怒りを利用してリストラか?」
「『組織の信用を守るためにやむを得ず』ね」
「…………」
「大変な世の中だよ。良くない物を手放すってだけでも、一手間がいる」
和やかに笑う様子は、鷲尾の気分一つで頭が割れる事などすっかりと忘れているようだった。
鷲尾は、「もう、いい」と片手で顔を覆った。「もう、結構だ」と、憔悴した様子で縄を持つ手を緩めた。
「ゆっくり下ろして!ゆっくりと!」と叫びながら下降してきた双頭は、縄を検分しながら「それに」と言葉を継ぐ。
「『要件を満たせば相手が黙る』という考えを持つ人間は、往々にして馬鹿を見る。特にあのサークルのトップは、見るに議席の確保が本当の目的ではないようだし」
「なら、何が目的だ」
「さぁ、俺はその人を知らないからね。けど敢えて所感で物を言うなら──」
視線を巡らせ、顎先に指を添える。何かを考える素振りをして、双頭は目を細めた。
「過程の中に生まれる混沌」
「はぁ?何だそれは」
「正義っぽい理由を振り翳して、人が人をボコボコにするところをたくさん見たいってこと」
「だから何だそれは」
ジットリとした平べったい目で見つめ合う。互いが互いに相容れない事を悟ったのか、双頭は、「とにかく」と話題を切り上げるように言った。
「『だろう』、『常識的に考えて〜』なんて、相手の善意を信じるような真似はしない。一つ譲歩したところで、次から次に要求をエスカレートさせてくるのは目に見えてるからね。利害を擦り合わせて、約束事と、それを破った場合の罰を明文化する必要がある。それも末端ではなく、組織の代表者同士が。これも後から、『部下が勝手に合意しただけだ。組織の総意ではない』とでも言われればケチがついてしまうから」
「……こちらは興優太郎をお前の代理人として交渉の席に着かせた。代表者がわからずとも、あちらも代理人を──」
「望み薄だと思うよ。何せこちらの交渉に応じるメリットが無い。あちらの代表者は、強硬手段を想定に入れていた──と言うより、寧ろ望んでいる節があっただろうし。幹部を通して代表者にかけあったとしても、跳ね除けられて終わりだ」
渋い顔をして、鷲尾が空を睨む。八方塞がりの状況を、自分ならどう打破するのかを考えあぐねていた。
「最低条件は、『どうにかして』代表者に直接接触すること」
答えを待たずして出された回答に、不機嫌な視線が注がれる。それ面白そうに受け止めながら、双頭は言葉を続けた。
「そしてさらに、『どうにかして』その代表者が交渉に応じざるを得ない状況を作り出さなければならない」
「……時間と手間がかかりすぎる」
「優太郎が失敗していたならと思うと、ゾッとするでしょう?でもほら、俺の弟は優秀だから」
誇らしげに胸を張る。鷲尾はその様子を、白けた目で見ていた。
「『兄はていの良い手駒がほしいだけだ』と。確かに興は言っていたな……こう言うことか」
「え、なに。優太郎が俺の話をしてたの?」
「これで喜ぶのか、お前は。だが残念だったな。不干渉の盟約がある以上、あいつを手駒とする事は最早不可能だ」
双頭は答えない。代わりに、白々しい笑みで小首を傾げるだけだった。そのままフォークを持ち上げ、パスタを巻き取る。「不可能だろうが……」と青い顔をする鷲尾に、「パスタ冷めてる!」と、元気よく不適切な返答をした。
「機嫌が良いから何でも話すと言ったな」
「冷たいパスタを食べる羽目になって悲しい。ああ、宙吊りでグルグルしてたあの時間さえあれば、温かいうちに食べ切れたはずなのに……」
「…………僕のと交換してやるから機嫌を直せ」
「冷めたパスタが冷めたパンケーキに変わるだけじゃない?」
ああ言えばこう言う。悄然と銀縁眼鏡を拭き始めた鷲尾に、双頭は噛んで含めるように「じゃあヒント」と言った。
「先刻言ったね。『約束を破った時の罰を決めなければならない』と。どうかな、俺が優太郎との盟約を破ったとして、誰がどのように俺を罰するのかな」
ヒントの範疇を超えている。答えは『そんな口約束を遵守するつもりはない』である。鷲尾は今度こそ、目の前の男への嫌悪やら、興優太郎への同情心やらに自分の胸を押さえた。
「そんな辛そうな顔しないで。俺だって信頼は大事にしたい。当分は━━余程のことがない限り、約束を反故にはしないよ」
「……お前の口から出る『信頼』という言葉が哀れでならんな……」
「とにかく、結果的に怖い組織とは和解できて、人事整理も完了した。大団円だよ」
満足気に微笑んだ男に、「人でなしが……」と言う罵言が投げられた。
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