第12話 後輩ができました

「でも、嬉しいです。まさか先輩と一緒に活動できるだなんて!」

「しー!しー!声が大きいよ」

「何か不都合がありましたか?」

「いや、その……ほら。俺たちの活動を良く思ってない人は多いしさ。誰がどこで何聞いてるかわかんないし……」


 隣をてちてちと歩く少年に、人差し指を立てて首を振る。少年は「それもそうですね!」と、飛び上がって、両手で自らの口を塞いだ。

 獅子堂先輩──あの悪魔の七三に内密に呼び出され、成果はまだかと突き回されていた俺。それを助けてくれたのが、偶然通りかかったこの少年だった。


「ありがとう、梟木(きょうぼく)くん。君がいなかったら俺、」

「いえ!僕こそ、お礼の機会を頂けて良かったです」


 アンバーの瞳を細めて笑う彼は、梟木くん。先日校門前でビラ配りをしていた中等部の子だ。聡明そうな喋り方に、ビスクドールみたいに整った容貌。くるくると表情を変える毎に、細くて艶やかな黒髪がサラサラと揺れた。


「でも、獅子堂先輩と何を話されていたんですか?先輩はこう、嗜虐的な方ではありますが、仲間ににあのような扱いをするのは珍しくて」

「えっ、そうなの?あれがデフォだと……俺嫌われてるのかなぁ」

「いえ、寧ろすごく楽しんでる様に見えましたが……」

 

 めちゃくちゃ嫌だな、それ。完全に捕虜の扱いだ。加虐欲求の捌け口にされている。

 とは言え獅子堂先輩と何人かのメンバー以外には、俺の本当の目的は明かさない事になっている。秘密を知る人間は少ない方が良いというのは、双方の共通認識であるからして。故に、俺は恩人の前でも『シンプルに獅子堂先輩に嫌われてる可哀想な新入り』の仮面を被らなければならないわけだ。胸が痛む。

 話を変えようと、「そう言えば」と切り出せば、梟木くんは俺の隣を歩きながら、こてと首を傾げた。


「中等部なのにこのサークルに所属してるの、珍しいよね?それとも俺が知らないだけで、他にも居るのかな」

「ああ。先輩の仰る通り、中等部のメンバーは僕だけです」

「へぇ」


 感嘆の声を漏らす。それ以上何も言わなかった梟木くんに、眉を吊り上げた。なぜ、と言外に尋ねられている事に気付いたのだろう。少しだけ逡巡するような素振りを見せて、梟木くんは長い睫毛を伏せた。


「明日は我が身ですから」

「高等部に内部進学するんだ?」

「はい、来年。その時になって動き出すのも悪くはないけれど、やれる事は今のうちからやっておきたいのです」

「梟木くんは一般校舎に通うんだねぇ」


 俺の言葉に、きょとりとアンバーの瞳が瞬く。


「勿論、そうですよ」


 俺の質問の意味がよくわからないと言った表情だった。微笑んだまま、「そっか」と言って足を止める。目的地に着いたからだ。

 この時間帯は日当たりも良く、この時期でも比較的温かい。薄灰色の空を覆い隠すように犇く百枝は、夏には瑞々しい深緑のカーテンに変貌する。落葉が済んだ現在は、どことなく寒々しい印象を受ける空間だった。

 4ヶ月前に見つけたここは、人の手で整備された形跡があるが、人気は全くない。静かで居心地が良いが、しかし、のちにあの蛇穴の巣穴であることが発覚した。

 戸惑いを残したまま、梟木くんが「ここは?」と尋ねてくる。俺は正直に、「穴場の休憩スポット」と答えた。蛇穴云々は答える必要は無かろう。


「ここで何するんですか?」

「本を読みます」

「こんなに寒いのに?」

「背中とおなかにカイロを貼ってるから温かいよ」

「教室や図書室で読むのではいけないんですか?」

「ム、良い質問ですね……」


 ぽつねんと置かれた白亜の椅子には、ところどころ翠色の苔がむしていた。答えながら椅子に腰掛けて、右隣をトントンと叩く。梟木くんは、少し躊躇いがちに腰を落とす。潔癖なのだろうか。


「飯は家とか店で食えるけど、ピクニックは特別楽しいでしょ」

「ぴくにっく」

「え、うそ。ピクニック知らない?まぁとりあえず、こういう余分は気分的に盛り上がるんだよね。楽しいのです」


言いながら本を開くと、興味深そうに隣から覗き込んでくる。


「歴史書ですか?」

「大層なものじゃないよ。歴史小説」

「面白いですか?」

「まだなんとも。読み始めたばっかだから」


パラパラとページを捲ると、古い紙の匂いが鼻腔を撫でる。隣でプチュン!とクシャミの音がする。梟木くんは僅かに双眸を潤ませながら、鼻を啜る。ティッシュでチン!と鼻をかむのを見届けて、俺はバッグからおにぎりを取り出した。


「食べる?」

「へ?」

「ラップで握ったやつだから、手はつけてないよ。ツナマヨ味」

「でもこれ、先輩のじゃ……」

「お腹いっぱいだからいいや。それにあれ、ほら、ピクニックじゃん、ピクニック」


 恐る恐るとおにぎりを突いた指に、無理やりそれを握らせる。というか、できれば静かに読書に耽らせてほしいというのが本音だった。ページを捲るごとに「面白いですか?」とか聞かれてたら堪らない。

 小説に視線を移し、おとなしくページを捲る。20ページほど進んだところで、視界の端で梟木くんがおにぎりのラップを剥いた。

 もそもそと控えめな咀嚼音と、ページを捲る音。あとは、よくわからない鳥が鳴く音に、木枯らしが枝を揺らす音。決して静かというわけでは無いけれど、悪くは無い雰囲気だと思った。


「おいしかった?」

「はい。ごちそうさまでした」

「そりゃよかった」

「ぴくにっく、ですか。これが」

「うん」


 視線を上げると、梟木くんは大きな目でどこか遠くを見ていた。前髪を攫って吹き抜ける霜風。凛然たる気象も手伝ってか、幼さの残る横顔が、一瞬だけ妙に大人びて見えた。


「僕には、室内で食べた時との違いがよくわかりませんでした」


 次にこちらを振り返った相貌は、年相応に無邪気なもので。反して素直な感想は、中々に鋭利な物だった。


「言うねぇ」

「あっ、あ、すみません、僕……」

「謝らないで。よくよく考えたらアレ、飯とか室内で食うに越した事はないよね。外とか気温すぐ変わるし、虫寄ってくるし」

「ええ……」

「ピクニックの本懐ってのは、友達とお喋りしてワイワイする事だしん」

「さらなる余分が必要だったと?」

「…………そうだねぇ」


 友人との会話を、ごく当然のように『余分』であると形容する。少年が垣間見せた価値観に、僅かに心がざわついた。本の背表紙を擦り、わけもなく空を仰ぎ見て。


「…………?」


 手に触れた冷たさに、再び梟木くんを見た。


「また来ても良いですか?その、ここは先輩の穴場だってことはわかってるんですけど」

「全然いいよ、会えたらお話ししような」

「やったぁ!あと、」


 俺の手を握りながら、梟木くんは視線を揺らす。冷たい手に汗が滲んでいて、なんだかアンバランスだと思った。


「今度、ちゃんとしたぴくにっくを教えてください」

「俺とおしゃべりしてくれるの?」

「先輩が良いなら……」

「同級生とかとの方が楽しくない?」

「せ、先輩が良いんです、僕は先輩とお話ししたい」


へにゃ、と眉を下げながら不器用に笑う。わけもなく胸がキュッとなって、その頭を撫でた。


「俺、そんなに君に好かれるような事をしたかな」


 言えば、梟木くんはアンバーの瞳を撓ませた。


「ええ、はい。それはもう。あの時助けてくれて、僕はとても嬉しかったんですよ」

「当たり前のことをしただけだよ。ビラを拾っただけ」

「見返りを求めない親切心とは、素敵な物です。同時に稀有なものでもあります。それを『当たり前』と言い切れるあなたの精神性を、僕は尊いと思います」


 真っ直ぐな賛辞は、時にどんな罵詈雑言よりも胸を締め付ける。こちらを真っ直ぐに見つめてくる曇りのない眼が、あまりにも眩しかった。思わず目を細め、「あ、ありがとう……」とどうにか返答を絞り出す。


「だからこそ、僕はあなたが我々に賛同してくれた事が嬉しい」

「…………っ、」

「先輩が所属を明らかにしたがらないのは、きっと僕らの活動に、先輩が懐疑的だからだ。あなたが胸を張って我々の一員であると言えるようになった時こそが、僕らの努力の一つが実った時なのでしょう」


 目を見張る。

 その言葉に温度は無く、澱みはない。不思議な気分だ。妙な浮遊感。まるで自分が、2つ下の少年ではなく、幾千年の時を生きた超人とでも対話しているような錯覚に陥る。

 ひた、と。何かをなぞるように、二の腕あたりに触れられて、意識を引き戻す。

 眼前の少年の相貌を見て、そしてすぐに後悔する。


「きっとあなたには、赤い腕章がよく似合う」


 慈愛に満ちた笑みだった。自らの柔いところを……思考すらをも差し出し、委ね、縋りつきたくなるような笑みだ。

 弧を描いた彼の瞳の色を、俺はこの先しばらくは忘れられないのだろうと思った。

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