第13話 ピーチ姫並みの頻度で拉致られるじゃん……

「優太郎」


 いちごコロネの袋を持った犬飼が、後ろの席から話しかけてくる。振り返ると、「今日もお昼はどこか行くのか」なんて尋ねられて。「そのつもりだったけど」と事実を述べると、犬飼はどこか悄然と視線を下ろした。

 犬飼を見慣れていない人間から見ると、彼の鉄面皮に変化を見つけることはできなかっただろう。ただ、俺は犬飼と約1年苦楽を共にした友達なのである。平生に比べると、かなりしおしおしているのが分かった。


「どうかしたの、何かあった?」

「いや……」


席に座り向き直ると、犬飼はそっと足元に視線を滑らせる。ややおいてこちらに向き直った双眸は、何か、壮絶な決意に濡れているようだった。俺は仰け反った。


「俺たちは今、『喧嘩』しているのか」


 自分の目が点になるのが分かる。

 喧嘩、ケンカ、けんか。

 久しく出会うことのなかった言葉が、ピンボールみたいに狭い脳内を跳ね返って行ったりきたりした。


「ふ、ふふふふふふふふ」

「優太郎?」

「けんか、ケンカか。うふふふふ、そっか、俺たち友達だもんな」


 お腹が痛い。笑いすぎて涙が出てきた。俺の口から出た『友達』と言う言葉に少し表情を緩めた犬飼。それと同時に、彼の真意を少しだけ理解する。

 あの日以来、俺は実に2週間の間、昼休みは別の場所で過ごしていた。今まで犬飼と昼飯を食べていた分、俺に避けられているように感じても仕方がないのだろう。


「あの日はカッとなって、当たるようなマネしちゃったよな。ごめん。でも俺がお前を大事で大好きなのは変わらないよ」

「怒ってないのか?」

「ああ、お前は俺を助けようとしてくれただけ。何も悪いことなんてしてない。怒る理由もない」


 冬の空みたいな色をした目を、真っ直ぐに見据えながら言う。犬飼は少しだけ目を瞠って、口をパクパクと開閉させた。何か言った方が良いことは理解しているが、感情が追いついて来ないのだろう。彼はしばしば、こうして自分の感情を手探りするような仕草を見せる。


「避けられて、いるのかと思った」


 ややおいて吐き出された言葉は、大方想定通りの物だった。


「そしてそれを、このままのするのは嫌だと思った。諦められなくて、本を読んだり、知り合いに教えを乞うたり」

「知り合い?」

「蛇穴に」

「唯一の不正解を叩き出すじゃん、お前」

「唯一の頼みだったんだが。『わかんない!』と断られてしまったので、もう直接優太郎に聞くしか無いと思った」


 ヤツにまともな友達なんざいるはずがないので、『わからない!』はおそらく事実なのだろう。いや単に面倒くさかっただけかもしれないが。どうにしろ、蛇穴に変なことを吹き込まれなくて良かった。

「お前の満足の行く答えが見つけられない俺に、こんな事を言う資格はないのかもしれないけれど……」

 心なしか、言葉が尻すぼみになっている気がする。シュンと耳と尻尾を垂らしたハスキー犬が眼前をチラついて、思わず目を擦った。サブリミナルハスキーは消えた。犬飼は間違いなく人間だった。


「いいや、ありがとう。俺のためにそこまで考えてくれて、嬉しい」


 言えば、犬飼はまじまじと俺の顔を見つめた。元々無機質な顔立ちだ。初めて見る表情から感情を測るのは難しい。


「じゃあ最近、昼飯の時間になるとここを離れてたのは……」


 躊躇いがちに落とされた言葉に、ぐるりと視線をめぐらせる。


「それは全く違う野暮用。他意はないよ」

「……そうか」


 それ以上深く尋ねてくるつもりは無いようだ。黙り込んでしまった友人。俺は中庭へと視線をやって、自分の弁当を広げた。


「今日は良いのか?」

「うーん。えっと、うーん。だってぇ、久しぶりに友達と飯食いたいしぃ……」

「そうか」


 僅かに明るんだ声音に、俺の心も跳ねるようで。ツナマヨおにぎりを齧ったところで、「興!」と声が掛かった。

 振り返る。

 どこか緊張した面持ちのクラスメイトの背後に控えるのは、獅子堂先輩だった。顔に貼り付いた胡散臭い笑みが、とても怖い。


「先輩」

「やあ、興くん。少しよろしいですか?」

「えっと、今は──」

「そう時間はかかりませんから」


 久々の友情チャージタイムをどう守り抜くか。思考を巡らせるも、あの悪魔から逃げ切るビジョンが全く浮かばない。結果引き攣った笑顔のまま固まってしまった俺に、犬飼が気遣わしげに「俺のことは良い」と言った。


「すぐ戻るから」


 言い残して、席を立つ。教室の入り口まで小走りで向かった。


「こちらへ」

「ここで話せば良い」

「構いませんよ、君が良いのなら」


 その口ぶりだと、公然と話すような内容では無いのだろう。俺が渋々頷けば、満足げに笑みを深める。


「あれも持ってくると良い」


 笑みを浮かべたまま顎をしゃくる先輩。倣うように振り返つて、理解する。弁当を持ってこいと言う話である。


「時間はかからないんじゃ……」

「…………」


 先輩の圧に、諦めて弁当を取りに戻る。少しだけ寂しそうな目をした犬飼に、胸が痛む。

 硬い声で「お待たせしました」と言うと、先輩の大きな手が背に回された。


***


「『風紀委員長鷲尾は、マジックテープの財布を使っている』、『蛇穴の愛用シャンプーはいち髪』、『会長は適時開示をオカズに抜く変態』、他25件」


 先輩が笑顔のまま羅列する。俺は小さくなったまま、自分の靴をひたすらに眺める。


「あなたの約1ヶ月間の成果です」


 旧校舎3階。その最も奥に位置する教室には、昼休みはおろか放課後すら人は寄り付かない。すっからかんの教室に、先輩のフゥー……と言う溜息が響いた。


「俺たちはね、生徒会残念図鑑を作りたいわけではないんですよ」

「でも、全部事実ですよ……」

「そうですか。我々はこんな残念集団に良いように支配されていたと。屈辱で手が滑りそう」


 言いながら、ノートパソコンを操作する先輩。所々にしみが滲んだ木造の壁に、大怪獣犬飼の映像が投影される。


「ちょっと!ぶぇ、」

「手が滑ってしまった」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」


 映像を止めようと身を乗り出した俺の顔面を、片手で抑える。

 ちょ、あの、人の顔面をそんなバスケットボールみたいに…!

 顔面を締め付けるのは、その細腕からは凡そ想像のつかない怪力だった。


「歪む!歪んじゃう!頭蓋骨が、ミシッ、ミシッ……!」

「男前にして差し上げます。任せてください」

「医師免許はお持ちですか!やめてください!助けて!」

「あはは」


 心の底から楽しそうに笑って、先輩は俺の顔面を解放する。可憐とも形容できる笑顔だ。この先輩は、たまに5歳の少女みたいな笑い方をする。

 映像が止まった。先輩が止めたからだ。

 映像を止め、放置された椅子に座り、先輩は高慢とも取れる所作で足を組んだ。


「成果が出ないのは、まあこの際目を瞑りましょう」


 促されるまま、俺もまた正面の椅子に腰掛ける。


「ですが、定期報告すら放棄するのは流石に看過できませんね」

「…………」

「昼休みは、俺の元で報告でしょう?」


 虜囚となった俺に課せられた義務である。故にこの一ヶ月、昼食はほぼこの先輩と共に摂る羽目になった。


「その話ですけど、」


 恐る恐る切り出すと、先輩の柳眉が器用に釣り上がる。


「俺たち、こんなに頻繁に会って大丈夫ですかね。生徒会に先輩と俺との関係を怪しまれたら、本末転倒だと思うんですけど……」

「問題ありません。説明した通り、サークルの内部構造は秘匿対象でいて、全体を把握する人間も幹部以上の権限をもつ人間に限られます。俺がサークルの一員であること、増して幹部であることを知っている生徒など20にも満たない」

「っ、……でも、先輩もお忙しいのでは?大事なお時間を俺なんかに割いて頂くのも心苦しいですし……」

「そうですか?期待しているんですよ、我々は君に。それにこうして仲良くランチタイムというのも悪く無い。君はつつき甲斐が……失敬、話し甲斐がありますからね」


 そう言って、綻びのない笑みのまま俺の額をツンとつつく。ご機嫌に鼻歌でも歌い出しそうな朗らかさだった。

 頭が痛くなってくる。人を食ったような返答が、やっぱり苦手だと思った。


「友達居ないんですか」

「勿論、居ますよ。ただ目的よりも優先するほどの物でもない」

「…………どうして」

「何です?」

「どうしてそこまで、必死になるんですか」

「不当だからだ。生徒会が。先日も話したと思いますけど?」

「俺はあなた自身の動機が知りたいんです」


 先輩は、黒い瞳を少しだけ見開く。その双眸に一瞬だけ過った光は、人間味に溢れていた。人間らしい、感傷と呼ばれるそれである。この類の人間には、およそ縁の無いはずの感情。


「…………友人のためですよ」


ややおいて落とされた言葉は、やはり平生からは想像もつかないほどにしおらしい物だった。


「目的を友達より優先させてるって言いましたよね?秒で矛盾してくる……」

「よく細かいって言われませんか?というか、誰にでもあるでしょう、友情、と一言に括っても優先順位というものが」


 言われて真っ先に浮かんだのは、犬飼の顔だった。俺はクラスメイトや先輩とも、一応絆と呼ばれるものを形成できてはいる。それでも、彼らか犬飼か──例えば、その二者が崖から落ちかけていたとして、どちらか一方しか助けられないとしたら、迷わず犬飼の方に走るだろう。天秤の反対側に、犬飼以外の人間全員を乗せても結論は変わらない。

 それを踏まえて、先輩の言葉の意味を考える。この文脈からして、彼の言う『目的』とは、『友人』と等号で結びつけられる関係なのだろう。


「つまり他の友人を蔑ろにしてでも尊重したい友人が居ると?」

「……もうこの学校にはいませんがね」


 ふい、と逸らされた視線には、押さえつけられたような激情が滲んでいる。


「昨年、退学措置が取られました」

「た、退学?……それに、それがどう生徒会と」

「……暴力沙汰を起こしたんですよ。元々正義感の強い男でした。いじめを受けていた生徒を庇い、主犯格を突き飛ばして怪我を負わせた。全治1週間にも満たない軽傷でしたが」

「重すぎる処罰だ。それに、充分酌量の余地だって────、」


 息を呑む。先輩の表情に、なにも言えなくなってしまう。「そう」と短く落とすその口元は、あまりにも重い憎悪に歪んでいた。

 なんとなくではあるが。その重すぎる処罰こそが、この先輩を反生徒会活動に駆り立てる根源なのだと思った。


「いじめの主犯格は、中央棟の生徒でした。生徒会と癒着し、自身の保身と気に食わない生徒への復讐に走った」

「……………」


 言葉が出なかった。

────『特権階級が公然と存在し、その利権は独占され、濫用され、腐敗した政治が敷かれている』

 その言葉を吐いた先輩は、あの時、どのような顔をしていただろうか。


「彼には研究者になる夢がありました。尊敬する物理学者の出身校であるここで学べるのだと喜んでいた。だからこそ、この学園の腐敗に失望し、『反乱サークル』などと言うお遊び学生組織に傾倒した」

「俺は彼を馬鹿らしく思っていました。愚直で、人の善性なんて物を信じ込んでいた。対話で学校を変えられるのだと、本気で思っていた」


 『友人』とまで言い切ったのと同じ口で、ここには居ない人間を罵倒する。


「結果がこれです。彼は夢さえ奪われ追放された。そして俺は散々馬鹿にしていた学生組織で、今こうして滑稽に旗を振っている」


 先輩の表情は、歪な自嘲に濡れていた。見ているこちらが耐えられないほどに痛々しい。


「先輩は、本当にそのご友人が大切だったんですね」


「……別に」無機質な黒目が伏せられる。「ただ、楽ではありました。彼は嘘を吐かない、隠し事をしない。不満も好意も、全て真正面からぶつけてくる。だから俺も、彼とは正面から対話した。俺が理解できた人間は彼だけだったし、俺のことを一番理解していたのも彼だった」

「…………」

「それを、『友人』と呼ぶのでしょう?」


 耳に痛い言葉だった。

 尊い関係だと思った。何なら俺は、先輩が殺したいほどに羨ましかった。

 彼は『友情』を知っている。らしいもの、でも、名ばかりの、でもない。本物の『友情』だ。

 相手がいなくなって尚、相手を想い、そのために魂を燃やすことができる。それはこれ以上なく幸福なことだ。俺がずっとずっと焦がれていた物を、目の前の男は大切そうに抱え込んでいる。

 俺は顔を伏せた。今の自分の顔を、この男に見られたく無かった。


「……なら尚更、あなたは時間をもっと有意義に使うべきだ。俺にあなたが期待するほどの成果は上げられない。この一ヶ月で十分底は知れたでしょう」

「…………」

「俺はあなたが付ききりで監視するような器じゃない」

 

 先輩が肩をすくめる。バスケットから取り出したのはクラブハウスサンドで、期待を裏切らないと思った。 


「話しすぎましたね。どうかしていました」

銀紙を呑気に剥がして、気怠げな目でパンを齧って。次に口を開いたのは、それをすっかりと嚥下してしまってからだった。

「要件を簡潔に述べてください」


 貼り付けた笑みで、自らの胸に手を遣る先輩。胡散臭い所作は、先刻までの真摯さをその場に投げ捨てたような物だった。


「会う回数を減らしたい。3日に1回に。難しいなら、せめて昼休み丸々とかじゃなく、時間を決めたり──、」

「興くん」


 名前を呼ばれ、肩が強張る。

先輩は優しげに目元を撓ませて、サンドイッチを置いた。かと思えば、細い指先が間髪入れずに眼前に迫る。冷たい指が、顎先にかかった。

「もう一度言いなさい」


く、と上向かされる。真っ赤な唇が弧を描いたまま開いて、「声が小さくて聞こえませんでした」と言った。

 真綿のように柔い声なのに、背骨に沿って刃先で撫で上げられたような悪寒が止まらない。

 冷や汗を垂らす俺に一瞬すうと目を細めて、笑みを深める。


「勘違いさせてしまったなら、申し訳ありません」

「…………」

「気分転換に外で食べたいだの、限定パンを買いに行きたいだの。君の我儘がこれまで9回も通ってきたのは、俺が寛容だったからです」

「か、数えてるんですか?」

「君の命は俺の手の中にあります。君には本来、発言権すら無い」


 鼻先まで迫った相貌には、既に色は無かった。色と温度の抜け落ちた黒目が、ただ検分するように俺を見つめている。


「二度と忘れないように、躾けておくべきか」


 低く落とされた言葉に、ヒュ、と音にならない悲鳴が漏れた。

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