第10話 恐ろしく速いフラグ回収 この学校、治安が悪すぎる

 ……何が、「用心しておこう」だ。世の中には、用心したって否応なく襲ってくる困難だってある。そうだろう。


「…………情けなくて死にそう……」


 早々に自分を騙せなくなって、俺は泣いた。

 この学校のウソみたいな治安の悪さを、どうして忘れていたのだろう。


「ほらほら、泣き止んでください。泣きたくなる気持ちはわかりますが」


 そう言って、俺の眼前に佇む男──二つ上の先輩は、俺の肩を優しく叩いた。

 シャープな顎に、鼻梁の通った秀麗な顔立ち、きっちり7:3に分けられた濡羽色の前髪。

 俗に七三分けと呼ばれるそれは、人によっては滑稽にも見える高難易度な髪型である。しかしこの先輩に関しては、生まれた時からその姿だったと言われても納得がいくほどに、七三分けが填まっている。


「ゆるしてください、ゆるしてください……」


 そしてそんな七三先輩に、縄でぐるぐる巻きにされた俺は命乞いした。

 柔和な笑みのまま、七三先輩は地面でモゾモゾ動く俺を見下ろす。もう一度「ゆ、ゆる……許……ゆる…」と乞えば、真っ黒な瞳を態とらしく瞬かせた。


「何か謝るような事を?」

「お、俺は何か縛られるような事をしましたか…?」

「…………」

「にこ!じゃなくて。ほどいて…ほどいてください……怖いよぉ……」

「申し訳ありません」

「で、出るとこ出れば勝てるぞ、これ……」


 時は数時間前に遡る。当然と言えば当然だが、昨日の昨日ので俺は注目の的だった。廊下を歩けば蛇穴との関係性を尋ねられ、教室に篭ればクラスメイトから生徒会について探られる。そんなこんなで靴箱から靴を回収し、裏口からの帰宅を図った俺。それを待ち受けていたのは、赤い腕章をした集団だった。

そいつらにあれよあれよと捕縛され、人気の無い雑木林に拉致られ。哀れ、虜囚となった俺は、こうして無駄に顔の良い先輩からの蔑みを受けている。

 回想終わり、現在に戻る。


「おれが何したって言うんだよぉ、出来心だったんだよぉ……」

「やはり、何か心当たりがおありで?」

「ないけどぉ……というか、こう、人をボンレスハムみたいに縛り上げるのに正当な理由なんかないと思います俺は!」

「ふふ、ボン……ボンレス…クックック!」

「何だこの人」

「…………全くその通りだと思います」

「こ、怖ァ……」


 然りと頷く七三先輩には、どうやら正常な倫理観が備わっているようだ。シラフで礼儀正しく、中東のテロ組織みてぇな蛮行に走っている。怖すぎる。

 ンン!と大げさに咳払いして、七三先輩は肩をすくめる。「実は」と精一杯申し訳なさそうな表情をして見せた。


「今日こうしてお越しいただいたのは、君にお願いしたい事がありまして」

「人に物を頼む態度じゃないですよね?」

「君は先輩に物を言う態度がなっていませんね?」


 話にならない。打っても打っても響かないタイプの人だ。一番苦手なタイプの人。この男とまともに話そうとしても、ペースを持ってかれて煙に巻かれるだけである。

 重い気持ちのまま、七三先輩へと胡乱な視線を向けた。


「俺と蛇穴はあなたが思っているほど深い仲じゃない。だから、望みの成果は得られない」


 言えば、七三先輩は片眉を吊り上げた。まるで今初めて、俺の存在に気付いたような反応だった。


「俺はまだ何も言っていませんが?」

「聞くまでもない、正直ウンザリしています。赤い腕章は、最近台頭した反生徒会活動を行うサークルメンバーの物だ。加えて、昨日から出回ったあの噂。大方蛇穴やら生徒会やらの弱みを探れって話でしょうが──、」

「お話が早くて有難いですねぇ!今まで『連絡係』として潜り込ませていた者が内部査察に引っ掛かりまして。……今期の監査委員は優秀らしい。そういうわけで、ご協力いただけますか?」


 話を遮ってまで饒舌に語る七三先輩の顔を、まじまじと見つめる。


「なんで?」


 意図が読めなかった。人を拉致っておいて、コマみたいに縄でグルグル巻きにして。そして、見返りもなしに頼み事を聞いてくれると本気で思っているのだろうかと。


「生徒会が変われば、この学校が良くなる。この学校が良くなれば、君も恩恵を受けることができる」

「あなた達に協力すれば、学校が良くなると?」

「ええ。それは勿論」


言い切った七三先輩に、思わず乾いた笑いが漏れそうになる。それを噛み殺して目を細めれば、「ご不満ですか」と笑った。気味の悪い笑い方だと思った。


「名門私立大学への推薦枠は、生徒会推薦が半数を占めています」

「はい?」

「生徒会予算の3割が本部費に使われています」

「…………」

「それを1割に抑え部活動経費に回すだけで、サッカー部は数少ない擦れた球を奪い合う必要がなくなる。強豪である吹奏楽部に、十分な資材を提供できる」


 言葉を区切り、七三先輩は抑揚のない声で「生徒会の特権を上げればキリがない」と言った。


「穏便かつ正当な手段で彼らを糾弾できるのなら、とっくにこの不平等は糾されているはずですよね?」

「…………」

「ですが、そうなってはいない。何故なら、我々一般校舎の生徒に、生徒会役員の議席が無いからだ。信じ難い事です。この現代日本の教育機関に特権階級が公然と存在し、その利権は独占され、濫用され、腐敗した政治が敷かれている。ご理解いただけますか?形だけでも平民の議席がないと言う点に於いて、我々はアンシャン・レジームにすら劣る前時代的な体制をとっていると言えるのですよ」


 七三先輩の演説に、赤腕章の集団の士気が上がっていくのを感じる。先輩は秀麗な相貌に笑みを浮かべる。魅力的な笑みだ。


「君は、革命を成功させるための立役者となるのです」


 手を差し出し、「さあ」と柔らかな声で俺を促す。

 まるで自分が、この小さな王国を変える革命の重要人物であるような────特別な『何か』になれたような錯覚。高揚感とすら言って良い。ならば赤い腕章は、さながらエンブレムか。正義への所属を象徴する、誇り高きシンボル。

 何となく、この集団はこうして規模を広げてきたのだろうと思った。


「お断りします」


 悪質なカルトみてぇな集団に入るなんてごめんだ。

 七三先輩の相貌が、笑みのまま凍りつく。どこか冷めた気持ちのまま、俺は先輩の相貌を見返す。

 暫しの沈黙。先に口を開いたのは先輩だった。


「理由をお聞きしても?」

「あなたのやり口が気に入らない」

「なるほど」


 口端を吊り上げる笑みからは、最早先刻までの宥和的な態度は消え失せている。ゆみなりにしなる、光の無い黒目。陰惨とすら呼べる笑み声を上げて、俺の傍に膝を折って。


「…………っ、」


 前髪を掴み上げられる。痛い。涙目で睨めば、七三先輩は依然として微笑んだまま、「ときに」と言った。交渉決裂を歯牙にも掛けないような、妙な余裕が気になった。


「俺は暴力が好きではありません」

「に、二重人格ですか。2人いるんですか、あなたの中に」

「だからこれも本意ではないと言っています。客人を……もっと言うなら歳下を、こうも手荒に拘束するのも、ソファではなく、粗土の上に転がすのも」

「……………」


 嫌な予感がした。

 慇懃な皮を取り去った先輩は、どこか犬飼に似ている。他意は無く、嫌味も皮肉も無く、ただ淡々と事実だけを口にする。この工程が『必要だったのだ』と、彼は言っているのだと理解する。

 何のために。


「君は我々の要求を呑む。確実に」

「な、にを」


 七三先輩の口が、三日月型に歪む。


「俺も君も暴力が嫌いだけれど、君のご友人はそうではないでしょう?」


 同時だった。

 くぐもった呻きが聞こえる。見ると、赤い腕章をした生徒が倒れていた。その現実離れした光景に目を奪われているうちに、あちらこちら、視界を阻害する木々の影から、同じような悲鳴が上がる。


「犬飼!」


 反射的に叫んだ。

 木の上から、上半身をコウモリみたいに宙に投げ出したまま、犬飼が動きを止める。俺の声に反応しながらも、その手は赤腕章の首を締め上げていた。宙吊りになった男子生徒の足が、バタバタともがくように虚空を暴れ回っている。

 足音も何もしないと思ったら、何?木の上から奇襲?


「人間らしい動きではありませんね」


 隣で苦笑する七三先輩。非常に不本意だが、全面的に同意だ。どちらかと言えばクリーチャー側の挙動である。

 ゾッとするような虚な目が、俺を見て、先輩を見る。口から泡を吹く生徒を無造作に落とすと、犬飼は首を傾げた。


「帰るぞ、優太郎」

「…………」

「優太郎」


 木から降りてきた犬飼を制し、俺は先輩を見る。揺らぎのない双眸を見て、脳内を占めたのは『してやられた』と言う一言で。


「ああ、そうか、なるほど。やっぱりあなたの遣り口は気に食わない」

「では、交渉決裂ですか?残念だ」


 先輩は肩をすくめる。残念だなんて、欠片も思っていないことがわかる。俺がこの要求を、『呑まざるを得ない』と知っているから。要は勝者の余裕ってやつだ。


「なんの話をしている?」


 怪訝な表情で尋ねてくる犬飼に、心臓が絞られるようだった。俺が不甲斐ないばかりに、またコイツを巻き込んでしまって。


「…………一連の暴行を抑えられた。俺がいじめられていたなら、お前が必ず助けにくると見越して。証拠を提出されれば退学。最悪の場合少年院行き」


 自分の声音が暗く沈んでいくのが分かる。まず殴って判断力を鈍らせ、訳もわからなくなっている相手を懐柔する。それでも思い通りにならないなら、急所を抑えて力尽くで支配下に置く。この先輩は──この一連の罠を貼った人間の手管は、どこか兄に似ていると思った。


「それで、何故優太郎がそんな顔をするんだ」

「なんで、って」

「よくわからないが、お前のしたいようにすれば良い」


 は、と。きょときょとと目を瞬く犬飼に、低い声が漏れる。犬飼の言葉の意味がわからなかった。言葉を失った俺を怪訝そうに一瞥して、犬飼は七三先輩へと顔を向ける。


「先に優太郎に手を出したのはそちらだ」

「ええ。ですが、それを証明する人間がどこに?」

「…あんたと話していると保護者を思い出す」

「褒められていますか?よくわかりませんね。どうにしろ君を人質に取られた今、彼に選択権があるとは思えないけれど」

「人質?俺がか」


 俺の顔を見て、七三先輩の顔を見て。犬飼は、ぐるりと虚な視線を宙に泳がせた。


「中等部3階校舎音楽室に2人」


 その言葉に、先輩の目元が僅かに痙攣するのが分かった。


「俺から見て5時の方向に1人、11時の方向に1人、上空にドローンが1機」


 朴訥と羅列される言葉に、ようやく理解する。それらは、犬飼の暴行の証拠を捉えるための刺客の潜伏場所だ。


「おや、お気付きでしたか?」


 ならば、何故放置しておいたのか。

 先輩の疑問は、俺の疑問でもある。それでも犬飼は、七三先輩の言葉に答えず、ただただどこを見ているのかわからない目で「俺は」と言った。


「優太郎が大事だ、友達だから。いち早く友達を助けたいと思った」

「泣ける自己犠牲ですね。君は友人の身の安全を最優先に、自分を犠牲にしたわけだ」

「そうだろうか」


 犬飼は考え込むように顎先を擦る。その所作はあどけなく、こちらを怖がらせようだとか言う意図は一切感じられない。しかし得体の知れない緊張感に、俺は口を開くことができなかった。きっと、この場の皆が同じ心地なのだ。


「自己犠牲、と言う認識はしていなかった」


 淡々と落とされた言葉は、やはり事実以上の意味を持たない。


「一番大事なものを優先したいと思うのは当たり前ではないのか。───他は、あとからどうにでもなるのだから」


『他はあとからどうにでもなる』

 その言葉の意味がわからないほど、犬飼と俺の付き合いは短くない。七三先輩は、また苦笑する。けれどその相貌には、先刻のような余裕はない。目の前の不発弾に手を伸ばすような緊張感が、確かに見て取れた。


「彼を助けて。その後で、俺たち全員を黙らせれば問題ないと。そう仰りたいので?」

「間違っているか?」

「いえ……」


 心底不思議そうな表情で答える犬飼に、腕を組み、先輩は渋い表情で眉を寄せる。


「法や理の外で生きてきたので?失礼ながら、出身はどちらですか?中東のスラム街とか、塹壕の真後ろとか」

「九州の北方という事になっている」

「なるほど修羅の国、やはり海外ですか。納得しました。青龍寮の一件から思ってはいましたが、君の暴力性はちょっと常軌を逸している」

「青龍寮?あの時も居たのか。それは気付かなかった、俺も必死だったから」


 素なのか故意なのかよくわからない挑発をする七三先輩。どこかピントのズレたコメントを残す犬飼。

 その応酬を見せられる側の立場になってほしい。七三先輩は、狼狽したようにかぶりを振る。


「居たと言うか、又聞きというか。……俺たち現場の人間に何かあった場合、証拠は問答無用で他のメンバーが然るべき機関に提出することになっています。君の価値基準が我々と違うことは、まあ想定できたことなので」

「そうか。残念だが、仕方ないな」

「それだけですか?」


 鼻白んだように顔を顰める七三先輩。

 犬飼は返事の代わりに、その鳩尾を蹴り上げた。 

 紙風船でも蹴っ飛ばすような気軽さだった。くぐもった呻き声を上げ、血の混じった唾液を吐き出す七三先輩。


「無意味な、暴力、だ」

「見せしめは抑止力として有意義だと思うが」


 靴底で踏みつけた先輩の手から抜き取った何かを、逃げまどう生徒の後頭部へと投擲した。鈍い音を最後に、生徒が前のめりに倒れて動かなくなる。砲丸か何かかと思ったらまさかのスマートフォンだった。人のスマートフォンをこうも躊躇いなく投擲できる精神性も稀だろう。


「……もういい」


 響き渡る悲鳴の中から、耳ざとくも俺の声を拾ったらしい。犬飼は先輩の首を締め上げたまま、視線をこちらに向ける。ガラス玉にでも睨まれたような視線が気色悪かった。


「先輩、俺はその要求を呑みます」

「優太郎」

「今お前には話してない。聞こえていますよね、先輩」

 

 呼びかければ、先輩の口角が僅かに吊り上がる。解放された喉を抑え、痛々しく咳き込んで。どこか定まらない焦点を俺に向けて、「助かりました」と言った。


「俺が要求を呑めば、証拠の提出は無しでしょう」

「連絡用のスマートフォンが無い」

「俺のを使えば良い」


先輩が連絡を取るのを見届けると、犬飼は戸惑ったように「なぜ?」と俺に尋ねた。

 ぐつぐつと、熱い何かが腹底から湧き上がってくるようだった。本気でわからないのかと。感情のままに胸倉を掴み、怒鳴り散らすことができたのならどんなに良かっただろう。

 けれどそうしない。今ひとたび口を開けば、取り返しのつかない罵言を吐いてしまうのは分かりきっていたからだ。

 息を、吸って、吐いて。答えない俺の代わりに先輩が、「ああ、なるほど」と掠れた声でせせら笑った。


「……致命的に抜けていますね。これが、『友情』?」

「…………」

「相互理解が不十分。なにより信頼関係が全く築かれていない。友人と言いながら、対話すら碌に行われていないとお見受けします」


 七三先輩の言葉の一つ一つが、鋭く胸を突くようだった。薄笑みを浮かべる先輩を睨みつけて、犬飼の手を取る。


「ありがとう、帰ろう」


 絞り出した声は震えた。問題の本質もわからず、ただ『俺が怒っている』と言う事実に狼狽する犬飼に、唇を噛み締める。

 悔しくて悔しくて仕方がなかった。冷静な話し合いなどできる気がしないが、それでも俺は犬飼と話さなければならないと思った。

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