権力争いに俺を巻き込むな 前編

第9話 フラグ成立!

 無欲たれ。

 兄に与えられた役割が人の上に立つ者としての野心なら、自分に与えられたそれは、補佐役としての人格だった。

 賞賛を求めない、報酬を求めない、個人としての快楽を求めない。ただひたすらに裏方の仕事に徹し、兄の手足として、兄にだけ誠実に生きる。

 そんな教育方針が揺らいだのは、12の誕生日だった。

 『犬をやろう』と、父は言った。

 それは犬ではなく、人だった。主人に忠実で、主人だけに尻尾を振る人間だ。兄がそれを与えられるのを見ていたので知っていた。

 大した迷いもなく、「要りません」と断った。

 主人以外からの寵愛を望まず、また自らも、誰からもの敬愛を望まない。これまでの教育の賜物と言える返答だっただろう。

 けれどその日から頭のどこかでは、選ばなかった『もしも』を絶えず考え続けた。

 誰かに愛されることができたのだろうか。誰かを愛することができるのだろうか。

 本の匂いが充満する自室の窓を見下ろすと、自分と変わらない年齢の子供たちが目につくようになった。

 親に手を引かれて、幸せそうに笑う男児。友人同士で手を繋ぎ、笑い合う女児たち。

 以前までは視界にすら入らなかった光景が、嫌に眩しくて、頁に染み込んだインクみたいに、頭の中にこびり着いて離れなくなって。


「優太郎」


 その光景を、引かれたカーテンが覆い隠す。

 微笑んだ兄が、そこに佇んでいる。


「あれが欲しい?」


 首を傾げたまま吐き出されたその問いへの答えは決まっていた。


「いいえ」


 答えると、兄は笑みを深めて俺の頭を撫でた。

敷地内の南端に位置する寮から中央校舎までは徒歩8分。その8分は、すなわち俺から奪われた睡眠時間でもある。「それ俺の前で二度と言うなよ。次は殴るから」と、以前自宅登校のクラスメイトに殴り倒されながら言われたので、口には出さないが。世の中、地雷がどこに埋まっているか分かったものではない。

 とは言え、何も失ってないのに失ったみたいな気分になるのはどうしようもない。


「もう学校で寝泊まりしようかな……」

「素晴らしい愛校心です!そんなあなたに是非これを!」

「変な人来ちゃった……」


 欠伸を噛み殺しながら校門を潜ったところで、赤い腕章を付けた生徒に絡まれる。屈託のない笑顔でビラを差し出してくる。「未来は希望で満ち溢れている」みたいな顔をしている。あとで階段とかから落ちれば良いのにと思った。シパシパする目元を揉みほぐしながら、ビラを受け取る。

『生徒会の横暴に鉄槌を!』

 煽るような赤文字で描かれた文字に、変な人から変なもの受け取っちゃったなぁ、なんて感想を抱き。これ以上彼と目を合わせないように、自らもまた熱心にビラへと読み耽る体を装った。


「あっ、」


 なんて声が聞こえたかと思えば、バサバサと散らばる紙の束。眼前でビラをぶちまけた少年に、片眉を吊り上げた。始業5分前、いつもよりやけに人通りは多い。にも関わらず、誰1人としてそれを拾うのを手伝おうとしないのだ。この学園の人間は、どこか心が冷たい。


「生徒会云々の前に、どうにかするべき問題は山積みじゃないかね」

「え?」

「ひとりごとです……」


 散らばったビラを拾い集めて、目を丸くする少年へと手渡す。まん丸に見開かれた、特徴的な色の瞳。よくよく見たら、中等部の制服を着ている。


「中等部の校舎まで、ここからきっと徒歩3分」

「あっ、えっ、あの、」

「始業まであと3分。遅刻しない?大丈夫?」

「ほんとだ!いつのまにこんな時間に……」


 少年はピョンと飛び上がり、大慌てで中等部の方へと走っていく。途中でこちらを振り返って、「お礼は必ずしますから!」と叫んで。元気だなぁ、と手を振りながら、俺も清々しい気持ちで教室へと向かう。 

 良い事をした朝は気持ち良い。

 伸びをすると、バキバキと背骨が気持ち良い音を立てた。俺は普通に遅刻した。


***


 私立帝修高校。

 俗に名門校と呼ばれる我が校は、華族や士族などを多く受け入れ、実に230年の歴史の中で、数々の政治家や研究者、経営者などを輩出してきた。故に今でも財閥や政治家、旧家の御子息が入学してくることが多く、彼等は『中央棟』と呼ばれる別校舎で学校生活を送っている。

 そういうわけなので、本来一般棟で過ごす我々一般生徒にとって、中央棟の彼らなど縁遠い存在である。


「おきくん、遅刻?珍しいねぇ」

「…………」


 縁遠い存在であったはずなのに。


「駄目だよ〜。生徒会に口実与えるような真似しちゃあ。どんな難癖つけられるかわかんな……」

「お前が!言うな!」


 とうとう胸ぐらを掴んで叫んだ俺に、へらへらと笑う。

 そいつは本来、中央棟──もっと言うと、中央棟の上澄である生徒会のメンバーであった。

『蛇穴京介』

 政府や日本経済を牛耳り、広く深く根を張る四大財閥が一角、月島グループ。その最高決定機関の代表的な立場である蛇穴(さらぎ)会長の息子。

 生徒会役員にして、大衆の前に姿を見せない。冷血漢の人でなしと囁かれる、『氷の王様』、『都市伝説』『幻の18人目』『妖怪議席無駄遣い男』。

 人を犬扱いした挙句去勢しようとするコパス野郎。

 非凡の三拍子が揃ったような男が、一般校舎に何の用事か。ついでに言うなら、俺を抱え込むような形で背後からもたれかかってくるのも人目を引いている事に気付いているか。


「何の用だ。違うクラスでしょ、お前は」

「ええ、用が無いと会いに来ちゃ駄目なの?」

「うん」

「なにそれ、どんな法律公約校則の効力?誰が決めたルールに縛られてんの?捻じ曲げて良い?俺がルールだから」

「強いて言うならシンプルに俺が嫌。二度と顔を見せないでほしい……」


腹に回された腕を跳ね除けながら言えば、「うぇーん……」という泣き声が上がる。16の男が幼女のようにメソメソ泣かないでほしい。諸々あって俺は蛇穴と険悪な仲にあるのだ。


「おきくんはさ、怒ってるんだよね?でもおれ散々謝ったよね、ごめんね?」

「謝罪は好きにすれば良いけど、謝られたからといって俺に蛇穴を許す義理は無いから」

「前みたいにきょーくんて呼んでよぉ、距離感じちゃう……」

「死ね、きょーくん」


 そこまで来て、思わず顔を上げる。周りを見ると、教室の面々は皿のような目で俺を見ていた。

「誰だあの優男」「『蛇穴』って言った?」「『蛇穴』ってあれか?生徒会の?」「馬鹿、生徒会がこんなとこにいるわけないだろ」「でもあんなやつ他クラにいたか?やっぱマジに蛇穴なんじゃ…」「じゃあなんで興と?どんな関係?」

あちらこちらから聞こえてくる会話に、ザァと血の気が引いていく。

うるせぇ蛇穴に気を取られていたが、あれだ。本来はこう云う扱いをして良い人間では無いのだ。引き攣った愛想笑いを浮かべながら、どう誤魔化そうか考える。

 静かになった俺に、蛇穴の蘇芳色の瞳がすぅと細くなった気がした。彼が一瞬だけ発露させたその悪意に、悪寒がした。


「おきくんひどい!死ねって言った、蛇穴死ねって!仲良しの友達に、ひどい!悲しくて泣いちゃう!」


 ジタバタと大袈裟に騒ぎ立てはじめた蛇穴に、気が気でないのはこちらである。健気な学園の有力者を呼び捨てにし、あまつさえ「死ね」と吐き捨てる。この教室での悪者は俺だった。


「悲しみで涙が止まらない!明日の朝おれの涙でこの街が沈んでいたのなら、それはおきくんがお」

「悪かった、言い過ぎた!謝るから喚くのをやめろ蛇穴!」

「さらぎ?」

「…………キョウくん」


 唇を震わせながら訂正すると、蛇穴は満足そうな表情を浮かべる。ニッコリ人懐こい笑みは、柔らかそうな茶髪も相まって子犬のようだが、コイツがそう可愛らしい性質で無い事を俺はよく知っている。それこそ、身をもって思い知らされた。


「で、本題だけどぉ」


 蛇穴の声が、1トーン下がる。教室の温度は3℃ほど下がる。

 ほらきた。コイツが態とらしい茶番を始めるとき、それ即ち碌でも無い要件を引っ提げているときである。兵法三十六計にも書いてある。『逃げろ』って。


「そんなに身構えないで、おきくん」

「胸に手を当てて己の行いを思い返したら」

「手厳しい!せっかく今日は忠告にきてあげたのに」

「忠告?」


 眉を顰めると、蛇穴の薄い唇が弧を描く。「そう、忠告」と言って小首を傾げた。貼り付けたような笑みが薄寒い。


「『この封筒は大事にとっておいた方が良い』。これは俺からのプレゼント」


俺の手に黒い封筒を差し出してくる蛇穴。封筒を見て、蛇穴を見て。


「どっちがお前からのプレゼント?」

「忠告の方。封筒の方は────言った方が良い?」

「言わなくて良いよ」

「うん。封筒は生徒会か」

「言わなくて良いって言ったよね?」

「もっと言うと、差出人も君の予想通り」


 封筒の裏には、双頭孝臣と書かれている。現生徒会長にして、俺の実兄の名。蛇穴の忠告とやらがなければこの名を見た瞬間、確かに俺は封筒を破り捨てていただろう。

 誰かに差出人を見られる前に、俺は封筒を鞄に押し込む。蛇穴には露見しているが、兄との関係は、わけあって周りには隠しているのだ。


「……相変わらず良い性格してるよね、お前」


 それを知っていながら、わざわざ俺のクラスに出向き、わざわざ衆目を集めてから、『生徒会から』と封筒を渡す。おまけに今はルームメイトもいない。

 相変わらず研ぎ澄まされた悪意だと思った。


「ええ。よくわかんないけど、ごめん?」


とぼけたように慌てて見せる蛇穴。


「でも会えて嬉しかったよ。おれはおきくんが大好きだから」


 人の目が無ければ、その無駄に高ェ鼻っ柱に拳を叩き込んでやる物を。作った握り拳にペッと唾を吐くと、蛇穴は眉根を下げて教室の出口へと向かう。


「愛してるよ、おきくん!また来るね!」


 ウインクに投げキッス。総毛立つようなラブコールを残して帰って行った蛇穴に、額の汗を拭った。


「二度と来るな……」


***


 嵐が去ったあと、俺はクラスの連中に揉みくちゃの質問攻めにされた。質問内容は大分すると2つ。

蛇穴との関係についてと、生徒会との関係についてである。

前者は良い。「ポチと名付けた全裸のガチムチ黒人男性を飼育してる変態と、その変態にロックオンされた被害者の間柄」と吹聴しておいた。困ったのは後者で、「3月前のいざこざで出来た縁」としか説明できず、結局全員の口にジャンボマシュマロを突っ込んで黙らせた。


「…………最悪だ……」


 そして封筒の中から出てきた紙切れに、米神を揉みほぐす。

『生徒会に入れる券』、『生徒会役員特典目録』

 完全にこちらをおちょくっている。ふざけているのかと問いただしたくなるような紙切れ二枚が、机上で粘っこいオーラを放っていた。


「何企んでる、あのクソ兄……」

「3ヶ月経った今か」

「犬飼、気配を消して背後に立たないで」


扉の音すら聞こえなかったぞ。

俺の背後から手元を覗き込んでくるルームメイトは、犬飼春彦。富士額が美しいセンター分けの前髪と、絨毯みたいな睫毛に縁取られた涼しげな目。どちらも燻んだ灰色をしていて、どこか浮世離れした美貌に仕上がっている。


「優太郎、すっかり有名人になったな」


椅子を引き、隣に腰掛けてくる犬飼。ボンヤリと虚な目でボンタン飴のオブラートを剥いている。


「今日だけでお前の噂を3つ聞いた」

「多くない?」

「俺も鼻が高い」

「それもなんで?……え、じゃなくて。変な噂とか流れてないよね?」


 冷や汗を垂らしながら尋ねると、犬飼は鼻を掻きながら遥か右上を見た。俺も倣って天井の隅を眺めるが、何も無かった。「犬飼……?」と呼び掛ければ、少し身じろぎして指を折り数え始める。


「興優太郎は、『生徒会と癒着している』、『蛇穴のお気に入り』、『タマと名付けた全裸の黒人男性を飼育しており、蛇穴を次の標的にしている』」

「まって」

「俺の頼みを断っておきながら、ぽっと出の男を飼うとはどう云った要件だ」


 そう言えばこいつは、犬になりたい男だった。

 ム、と不服そうに眉を寄せる犬飼を悲しい気持ちで宥める。


「3つ目については完全に俺と蛇穴が逆だ」

「そうなのか?あいつにそんな趣味があったとは」

「人間ってわかんないよね」


 言いながら、ボンタン飴を口に放り込む。飴のオブラートを剥きながら、信じられない物を見るような目で俺を見てくる犬飼。その目を神妙に見つめながら飴を飲み込んで、「イタタタタ!」と腹を抑えた。

 犬飼の指が口内に突っ込まれる。嘘嘘嘘。


「吐き出せ。いくらおなかが空いているとは言え、包装を取らずに飲むのは危ない」

「ぅ、が、待っ……ゆる…し、死ッ…オェ!」

「いいぞ、その調子だ。上手だぞ」

「っ、けほ、ぅ……」


 人の口内を掻き回した犬飼は、涙目で飴を吐き出した俺に安堵の表情を浮かべる。良心が痛む。

「ごめんね……」と言いながらオブラートを剥いて飴を食べ始めた俺に、満足そうに頷いて。

「『生徒会との癒着』の方は何かと思ったが、そうか」

 チラと机を一瞥して、犬飼は得心いったように呟いた。


「どうする、生徒会に入るのか?」

「入らない」

「そうか」

「でも」


目を細める。今すぐ八つ裂きにしたい衝動を抑えながら、二枚の紙切れを丁寧に封筒に入れ直す。


「どうにもきな臭い。あの性悪兄、絶対何か仕掛けてくるぞ」


以前、犬飼と俺を生徒会に引き入れようと画策した兄により、俺たちはゴタゴタに巻き込まれた。蛇穴と兄は並び順にそのまま負のMVPと言えるだろう。

故に、あれから3ヶ月経った今になって、兄がこういったムーブメントを起すのだと言う事実が、何よりも薄気味悪い。


「用心しておこう」


犬飼の言葉に頷き、封筒を閉じる。甘いボンタンの味を噛み締めながら、訳もなく目を瞑った。



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