第8話 兄弟喧嘩と答え合わせ

「はい、確かに」


 艶やかな黒髪を耳に掛けて、男は足を組み替える。

 レポート用紙の束をトントンと整えて、元生徒会副会長、そして現生徒会長である双頭孝臣はたおやかに微笑んだ。

 あれだけの大騒動を起こした俺が、反省文と始末書だけで済んだのは、癪ではあるがこのクソ兄のおかげだった。

 金と親の権力に物を言わせて圧政を敷く兄に散々唾を吐き掛けておきながら、結局俺を助けたのは金と権力だったのだ。惨めさと自己嫌悪で涙が出てくる。本来なら自主退学と言う手段で一思いに腹を掻っ捌いてしまいたかったが、俺にはこの学校から離れられない理由ができてしまった。ままならない。


「……では、会長。俺はこの辺で失礼します」


 そんな苛立ちを悟られぬように身を翻せば、「優太郎」と穏やかな声が肩を叩く。


「最近、面白い犬を飼い始めたようだね」


 渋々振り返った俺に、兄は穏やかな笑みのまま言う。今すぐに出口に向きかけた爪先を押し留め、深呼吸した。


「目を掛けていたのはあなたも同じでしょう、会長」


 犬飼は言った。『副会長に容姿を気に入られたのが、生徒会への勧誘理由だ』と。

 少なくとも、兄が副会長の時点で犬飼に目をつけ、唾をつけようとしていたことは確かなのだ。ただ、兄にそう言う趣味嗜好はない。男を侍らせる趣味もなければ、美術品の収集癖もない。何を企んでいるのかわからなくて、気持ち悪くて仕方がなかった。

 案の定兄は少しだけ目を見開いて、「ああ」と間抜けな声を上げた。本当に今しがた思い出したのだろう。


「それはもう良いよ。先方は満足されたようだから」

「先方?」

「そう、犬飼くんの保護者さん。大事な取引先でもあるんだよね」


 危うく叫びそうになったが、その不毛な衝動を、唇を引き結んで押し込める。ウチと取引をしていると言うのは、犬飼の保護者も経営者だと言うことだろうか。

 直感的に、違うと思った。


「良くわからないけれど凄いんだろう、彼。だから先方も犬飼くんと言う人材を持て余していたようでね」


 兄の笑みには、程よい無関心と処世が滲み出ていた。


「だから頼まれたんだ。犬飼くんの『飼い主』を見つけてやってくれって」

「飼い主」

「そう。彼の手綱を完全に握り、うまく飼える人間。抜き身の刀を懐に入れておくわけにはいかないからね」

「だから、生徒会に?」

「そう。飼い犬の面倒を見れるだけの金を持っていて、狂犬を手懐けるだけの器のある人間。そう言う人間は、生徒会で探す方が手っ取り早いよね?」


 自分たちの優位性を疑いもせず、一般校舎の生徒たちを『金』も『器』も持ち合わせない愚者であると見下す。この兄の傲慢にも慣れたものであるが、それを許容できるかと言えば全くの別問題だ。

 顔を顰める俺と正反対に、兄は満足げに笑みを深める。


「どうなることかと思ったけれど、うん。良い鞘──飼い主が見つかったと、先方も大喜びだ」


 黒曜石みたいな目に、理知的で冷たい光が宿る。そんな目で俺を見て、深長な笑みを浮かべて。


「…………俺、ですか?」


 いやでも気付かされてしまう。

 彼奴が──犬飼が見出した飼い主とは、俺自身の事なのだ。

 そして同時に直面する思惑に、俺は地団駄を踏みたくなる。

 倫理や道徳とは対局の位置に居るような男である。

 利益と合理性だけを徹底的に追求し、その行動の根幹にあるのは非人間的な計算だけ。

 そんな男が、いくら重要な取引先であるとは言え、全く益のない商談に応じるわけがない。


「…………あの犬が生徒会に入れば、お前もついてくると思ったんだけどね」


 失敗だよ、と言いつつ、試すように首を傾げて見せる。

『双頭家の人間なら頂点でなければならないし、頂点でないなら双頭を名乗る資格はない』

 それは父の言葉であり、兄の辿り着いた持論でもある。だからお望み通り俺は双頭を名乗るのを辞めたのに、兄は俺を生徒会に入れる事に執着する。

「優秀なお前が右腕だったら心強い」、なんて、耳障りの良い言葉を適当に並べながら、根幹には、『双頭』としての虚栄心しかない。

 双頭が居ながら、その組織の頂点が双頭でないこと。双頭でありながら役を降りることが、ただただ許せないだけである。


「飼った犬はちゃんと、お前だけで世話をするんだよ」

「……言われるまでもない」

「お前が双頭なら、俺たち家族は全力でサポートするんだけどね。餌もあげるし、散歩にも連れて行ってあげる」


 双頭でない俺には、犬飼を飼うだけの『器』も『金』も何も無い。

 その事実を婉曲的に突きつけてくる悪辣さは、昔のままだと思った。


「……結構です」


 声を絞り出せば、それ以上兄は何も言ってこない。

 ただただ悪意を包み隠すように笑うだけである。


「副会長の席は、まだ空いているからね」


 和かに手を振って、「下がって良いよ」と切り捨てる。ここで俺が地面に額を擦り付けて、「生徒会に入れてください」と懇願するのが、兄の目論見なのだろう。そして平生の俺ならきっとその通りになっていた。

 …………半年前の俺ならば、の話だが。


「では、失礼します」


 凛とした声で答えた俺に、兄は少しだけ驚いたような顔をする。俺も驚いてはいるが、何が心の支えになっているのかは明白だった。

 あの優秀な兄は、一つ思い違いをしているからだ。


「一つ、訂正させて下さい」


 扉を開けて、兄をもう一度振り返る。


「俺には飼い犬なんていません。ひとり、友達はできましたが」 


 清々しい気持ちのまま笑う。

 呆気に取られたような兄の表情が、堪らなく爽快だった。

 スキップで廊下を飛び跳ねた俺に、皆がぎょっとしたように道をあけた。


 ***


 興優太郎(おき ゆうたろう)

『普通』と『友情』に執着する地味顔の新入生。

 大財閥「栄花グループ-双頭家」の次男で、現在は一方的に絶縁状態にある。故に一般校舎で過ごしているが、生徒会長である兄は生徒会に入ってほしそう。


 犬飼春彦(いぬかい はるひこ)

 銀髪に灰色の瞳の美丈夫。元々は伝説的な殺し屋だった。上司から与えられた『3年の休業期間』を高校生として過ごすことになった。ルームメイトが優しくて嬉しい。


 蛇穴京介(さらぎ きょうすけ)

 茶色の猫毛に赤銅色の瞳を持つ女顔イケメン。神出鬼没で、優太郎の行く先々に現れては絡みついてくる。

 4大財閥が一つの「月島グループ-蛇穴家」の息子。中央棟の生徒であり、かつ生徒会の一員。非常に狡猾かつ傲慢で、気に入ったものを手に入れるためには手段を選ばない。



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