第7話 変な美形の家にはホイホイ1人で行かないように

「じゃあ、俺のおうちにおいで」


 俺の言葉を聞いて、キョウくんは人好きの良い笑みのまま笑った。何がどうなればそうなるんだとか思うが、彼なりの親切心らしいから無碍にはできない。


「俺は犬飼の誕生祝いの相談をしたはずなんだけど」


 けれどやんわり抵抗はしておく。


「キョウくんはおうちで遊びたいだけだよね?」


 さらに強めに追撃しておく。


「おきくんひどいよ!おれは真剣におきくんのこと考えて言ったのに。仲良くなれたと思ってたのは俺だけだったんだ。こんなに信頼されてなかったとは思わなかったよ!」


 ハスキーなカスカス声で怒りだす犬飼に、思わずたじろいでしまう。そんなプリプリ怒らなくても良くないか?

 仰反ると、同じだけ顔を近づけてくる。高い鷲鼻を擦り付けるような距離で、普段から潤っている瞳が、さらにうるうると潤んだ。


「犬飼くんはホームパーティ大好きでしょ?」

「まあ……」

「だからたぶん、パーティーとかのが喜ぶよ」

「そうかなぁ」

「そうそう。だからおれのおうちで、打ち合わせと飾り付けしようよ」


 たしかにホームパーティとなれば、同室の俺ではサプライズができない。家を貸してくれると言う申し出は、中々有難いと思った。


「ありがとうね、キョウくん」


 疑ってごめんな。

 肩をポンと叩くと、そのまま首をガブガブと食べられた。助けてくれ。



 空いた口が塞がらない、とはこの事だろうか。

 聳立する後期ルネサンス様式の建築物に、刺々しい大きな門。そんな西洋かぶれの建物は、俺がつい半年前に仰ぎ見た物である。

 選ばれた生徒のみに許された最高品質の宿。生徒会選抜要件の一つであり、かつ入場は、寮生若しくは寮生から招待を受けた人間にしか許可されていない。この学園の生徒の羨望の的であり、未開の聖域と呼ばれる伝説的な建物。

 キョウくんについてきて辿り着いたここは、散々倦厭して、嫌悪してきた『青龍寮』だった。


「な、で……」

「んー、なにが?」

「だってここ」

「言ったでしょ。おきくんには、おれのお家に来てもらうって」


 茫然自失だ。要領を得ない問答を続けるうちに、引き摺られるようにして青龍寮へと足を踏み入れる。

 あの時十数人がかりで俺を押さえつけた警備員は、キョウくんに軽く会釈をしただけだった。

 俺の腕を掴む骨張った手から、キョウくんの横顔へと視線を移す。鳶色の横髪に隠れて、その表情は窺えなかった。


 後期ルネサンスを彷彿とさせる外観だが、中はロココとバロックが共存したような造りをしていた。繊細な装飾が施された支柱に、磨き抜かれた床が反射する、目が痛くなるような天井絵画。

 人の気配は薄くて、小綺麗なだけの廃墟にでも来たような気分になる。

 木製の扉の前で立ち止まって、キョウくんは金色のノブを回す。間髪入れずに部屋へと引き摺り込まれるが、その一瞬だけネームプレートへと視線が吸い寄せられる。

 彫られた文字に、眩暈がした。


「キョウくん、君は」

「いらっしゃい、おきくん」

「……手、ちょっと痛いかも」


 言葉を絞り出せば、きょと、と目を丸くする。よく見る挙動で、どことなく抜けた印象を抱かせる。

 けれど今は、そのどれもが酷く空々しいポーズにしか見えなかった。

 ベッドとクローゼット。必要最低限の家具だけの殺風景な部屋が、やけにしっくりくる。


「ごめんね」


 首を傾げながら、俺の腕から手を離す。両手を上げながら、赤い手形のついた手首に目を細めて。貼り付けられたような笑みに、ぞわぞわと足元から冷気が這い寄ってくるみたいだった。


「立ってないで座ってよ」

「うん、でもその前に君のことがちゃんと知りたい」

「おれと仲良くなりたいの?」

「そう思ってる」


 カチリ、と鍵が閉まる音がした。相貌を伏せたまま、後ろ手に部屋を施錠して。長い前髪の隙間から、仄暗い赤銅色の目を覗かせる。そんな得も言われぬ威圧感に怯みながら、どうにか「なぁ」と声を掛ける。


「蛇穴キョウくん」


 四大財閥が一柱月島グループ。その代表的な立ち位置に身を置く、蛇穴(さらぎ)の跡継ぎ。

 生徒会役員にして、大衆の前に姿を見せない。冷血漢の人でなしと囁かれる、『氷の王様』。

 学園だけでなく、私生活でも彼の情報には堅いガードが敷かれていたが。

 ……まさか、こんなに近くに居ただなんて。

 身構えるように後退れば、蛇穴は耐えられない、と言った風に笑み聲を上げる。


「キョウじゃないよ。キョウスケ。京都の京で、キョウスケ」


 頑是ない子どもに諭すように言いながら、背後で腕を組み、長い脚をこちらに伸ばして距離を詰めてくる。


「蛇穴京介。ちゃんと呼んでね、おれの名前」


 目も口も、声も朗らかな物なのに、全く笑っている気がしないのは何故だろう。

 薄寒い笑み顔に、口元が強張る。

 骨張った長い指が、俺の頬を撫でて、そのまま唇を這った。

 今までとは違う蠱惑的な手付きに、肌が泡立つような感覚を覚える。


「そんなに怖がらないで、おきくん」

「最初から素性を話してくれてれば、こうはならなかったよ」

「いやだよ。そしたらおきくん、おれのおうちに来てくれなかったでしょ?」


 ぎゅうぎゅうと俺の身体を抱きしめながら、拗ねたように言う。いつもより低く、静かな囁きが耳に掛かって、肩が揺れてしまう。


「……何のつもりで家に俺を呼んだの」


 この妙に湿っぽくて張り詰めた空気は、少なくともホームパーティの打ち合わせをするそれでは無かった。

 耳元で、京介が笑う気配がした。


「ここでお世話しようと思って」

「は?」

「おきくんはね、毎日おれと遊んで、俺だけに尻尾を振って、俺にギュッとされて眠るんだよ。女の子の方がふわふわもちもちしてて抱き心地良いけど、おきくんは誰よりも温かいから」

「…………京介は男が好きなの?」

「別に?おれ飼い犬の性別とかあんま気にならないんだよね」

「飼い犬って、お前それは……」

「でもあれは知ってるよ。無闇に種をばら撒かないように、雄は去勢しなきゃなんでしょ」


 あっけらかんと放たれた言葉に、全身の産毛が逆立つような感覚を覚える。絶句した俺の顔を覗き込んで、蛇穴は俺を安心させるように微笑む。永遠に噛み合わない歯車でも見せられているような不快感だ。


「おきくん、怖がらないでね。おきくんはおれの物になるだけだからね、大丈夫だよ」


 甘えるような、諭すような。そんな声音に、とうとう耐えられなくなって身体が跳ねる。それを押さえつけるように、さらに強く俺を抱き締めて「でも」と残念そうに声を上げた。


「それは無理そうだよね。だっておきくんも飼う側だから」

「飼う側……?」

「おきくんは『おきくん』じゃないよね?きみの家の分家の名前だ。どうして名前を変えてるの?おれ、最初はおきくんを飼う気満々だったんだよ」


 心臓を握り込まれたような。そんな感じ。

 ムスクの香りと一緒に振り返って、京介は涼しげに目元を細める。それは平生とは違い、いやに酷薄な笑みだった。しっかりと俺の目を見詰めながら、試すようにうなじをなぞる。


「だから今はとりあえず、おきくんを側に置いておこうと思って」

「飼えないなら?」

「そう。きみは青龍寮に入るといいよ、おきくん」

「…………」

「生徒会に入って、一般のクラスはやめて。おれたちと一緒に授業をうけなよ」


 ここで「俺にはそんな権利無いよ」などと惚けても、無駄なのだろう。性質上言葉遊びには喜んで興じるだろうが、それはこいつにとって檻の中の小動物と戯れるような物だ。

 どういうわけか、京介には俺の素性を把握されているらしいから。

 結果、「いやだ」とだけ言った俺に、京介は困ったように眉を下げる。その表情に、自分が癇癪を起こしている子供になってしまったような錯覚を覚えた。


「よそのおうちの事情は知らないけど。みんなにバレちゃうと困るから、お兄さんとの接点を隠してるんだよね?」


 その通り。俺──『双頭優太郎』と、兄である生徒会長『双頭孝臣』との関係は、学園はおろか、生徒会内部にすら秘匿されている事実である。諸々の事情を加味しても、あの暗君の弟であるなど墓まで隠し通すべき汚点であると思うが。

 要は、『秘密をバラされたくなければ言う通りにしろ』なんて至極単純な恫喝である。

 誰だ。この男を、犬だの小動物だのと散々形容したのは。お門違いにも程がある。狡猾に這い寄り、的確に急所を突く。全く、蛇の名に相応しい男だと思った。


「…………」


 蕩けるように笑って、恍惚を滲ませて。少女のように笑う京介を、精一杯睥睨する。


「おきくん、かわいい!」


 堪らないとでも言いたげな声と一緒に、また身体が締め付けられる。首筋に噛み付いたかと思えば、今度は耳たぶに歯を立てられる。身体の末端から捕食されるような感覚に、嫌な汗が背中を伝った。


「…………あれ」


 ふと、低く落とされた声が、生温い吐息と共に湿った耳に吹き込まれる。

 同時だった。

 大気を震わすような轟音。

 蝶番ごともげた扉が、紙細工みたいに簡単に吹っ飛んだ。しかし、入口から10メートルは離れた壁に突き刺さった扉は、人骨を砕く程の重量を伴っている事を悟らせる。

 ……何者が扉をぶち破って侵入してきたのだ。

 明らかな異常事態であるにも関わらず、不自然なほどに静かな空間が逆に恐怖心を煽る。


「こわいねぇ」


 汗一つ流さず、微動だにせず。間延びした声で言う京介に、侵入者が緩慢な所作で近付く。


「……おまえ」


 立ち込める土煙の向こうから現れたのは、犬飼だった。吹き荒ぶ銀髪が砂に汚れるが、相変わらずその相貌に色はない。

 ただただ、他意と言う物の一切が排斥された灰色の目が、鈍い光沢を放っている。

 それでも犬飼が歩を進めるごとに、肌がひりつくような圧が押し寄せる。俗に言う殺気を放ちながら、犬飼は悠然とその左手を差し出した。


「夕飯の時間だ。帰るぞ、優太郎」

「……犬飼くん、ちゃんと警備員さんの許可取って入館した?」

「皆眠っていたから、書き置きだけ残して勝手にお邪魔した」

「あれ全部昏倒させたの?すごい!」


 興奮気味に目を見開いて、竹を割ったような笑い声を響かせる。腰を折り腹を抱え、目に涙まで浮かべて。


「鼻が効くね、おきくんの犬は」


 そう、押し殺したような声でせせら笑う。嗜虐的な笑みは、『冷血漢の人でなし』の呼び名に説得力を持たせる。


「犬じゃない」


 そんな凄みをものともせず、犬飼は朴訥と否定する。また一歩間合いを詰めて、俺の目を真っ直ぐに見据えた。


「俺は、優太郎の友達だ」

「…………」

「ルームメイトや友達が助け合うのは常識だと聞いた」


 その瞳の奥に過ぎった暖かさに、どうしてか泣きたくて堪らない気持ちになる。伸ばされた手を取って、「ありがとう」と何度何度も言いたくなるような。


「だめだよ、おきくん」


 わけもなく開いた唇を、冷たい指先が滑る。白い蛇が、シュウシュウと耳元で鳴いているみたいだった。


「おれはきみのことを沢山知ってるよ。頑なにお兄さんからの生徒会勧誘を断ってる事も、本当の名前も、大事な物も、誰に殴られたのかも」

「殴られた、ってまさか」

「うん。おきくんが学校から逃げたら困るから、あっちに辞めてもらったよ」


 その言葉に、ズンと胸が重くなる。冷たい雪が、どんどん肺に降り積もって行くみたいだ。

 ……俺を殴って、犬飼に裏拳を食らわされて。

 俺たちへの嫌がらせをした彼らを学校に居られなくしたのは、この男だと言う。

 京介にとって、一般生徒の数人を辞めさせることなど、花を手折るよりも容易いことなのだと知る。

 うっそりと微笑む男に、抵抗するための手足も、気力もすっかりと削がれてしまったようだった。


「俺が──」


 平坦に落とされた言葉に、やおら犬飼へと視線を向ける。


「俺がここであなたを黙らせたら、優太郎は迷わなくて済むか」

「なるほどぉ!俺が余計なことしちゃう前に、ここで全部終わらせちゃえってこと。…………おれを殺すんだ?」

「必要なら」

「けど、きっと君はおきくんと一緒に居られなくなるだろうね」

「……必要とあらば受け入れるだけだ。結局は、優太郎が決めることだから」


 すい、と向けられた双眸には、ある種の覚悟と諦観が横たわっているようだった。

 昔に戻ったみたいだと思った。

 あらゆる物への期待を捨て、あらゆる人間らしい感情が死滅しきった。

 入学式で見た、あの伽藍洞の目と同じだった。


「……犬飼」

「優太郎」


 同時に口を開いて、俺は口を噤む。

 何を言おうかなんて、しっかりと考えていなかったからだ。


「助けてほしい時は助けてほしいって言え。俺にできる範囲で、お前を助ける」


 目を見開く。


「────────たすけて」


 気付いたら口を開いていて、そんな言葉が転がり出ていた。

 刹那。

 身体が軽くなったかと思えば、破砕音が響く。

 先刻までの位置に犬飼の姿は無く、ただただ、軽く抉れた床が残るだけだった。


「……っ、これ腕取れてない、おれ」

「…………」


 振り返る。

 犬飼と京介が、何処かヒリついた空気のまま相対していた。トントンと、爪先で軽く床を弾く犬飼。

 今の一瞬でなにがあったのかは分からないが、犬飼が京介に襲いかかったのだと言う事だけは理解できた。

 犬飼の打撃をガードした姿勢のまま、京介が引き攣った笑みを浮かべる。その表情に先刻までの余裕は無く、いつか聞いた『武器を持っていてもおれを300回は殺せる』と言う言葉に、臓腑が冷えるようだった。

 風を切る音。

 予備動作もなく。犬飼の繰り出した回し蹴りは、しなやかでありながら凄まじい重量を伴っていた。直撃すれば確実に首が飛ぶ。

 京介はそれを仰け反りながら躱し、直後に横凪に払われたナイフの刃先に足を掛ける。

 跳躍。重心を頭に。

 大きく宙返りしたその足を、犬飼は事も無げに掴んでそのまま地面に引き倒した。

 5秒にも満たない、ほぼ一瞬の攻防だった。

 幼児でもあしらうかのように京介を押さえつけ、その喉元にナイフを突きつけて。

 驚くほどに静かだった。

 人の命を握っていると言うのに、全くと言っていいほどに感情の機微がない。

 たこ焼きを頬張っていた時。

 連絡先を交換した時。

 その時と全く同じ温度感で。スカスカのガラス玉みたいな目で、人を殺そうとしているのだ。


「犬飼!」


 ようやっと声が出た。

 ナイフを引こうとした姿勢のまま、犬飼は視線だけを俺に向けた。


「殺すな」

「…………」

「『優太郎が決める事』だ。そうだろ?」

「…………」

「誰よりも普通に生きたがってたのは、お前だろ」


 灰色の目が、僅かに揺れる。

 京介の顔を見て、もう一度、俺の目を見て。


「頼むよ…………」


 悲鳴じみた懇願に、長い睫毛が伏せられる。目を瞑り、天を仰ぐ。ナイフを持つ指が、一本一本開かれて行く。

 カン、と大理石を跳ねた鉄が、硬質な音を立てた。


「あーあ」


 間延びした声が上がる。

 大の字に倒れたまま、京介がどこか皮肉めいた笑みを浮かべていた。乱れた前髪に、赤い擦り傷の刻まれた真っ白な肌。薄らとナイフの傷が残る首は、血塗れで真っ赤になっている。


「ありがとう、おきくん」


 ただでさえハスキーな声なのに、死に体なぶん、それは喘鳴のようでもあった。


「でもここで見逃したら、おれはまたおきくんを欲しがるよ」


 赤い唇を吊り上げて笑う。へらりとしたその表情は、直前まで死の淵に立っていた人間のそれには見えなかった。

 無性に腹が立ってしまって、ズンズンと京介へと近付いていく。

 無邪気に「おきくんだ!」と喜ぶその額を、人差し指で弾いた。


「でこぴん……」

「バラしたければバラせば良い」

「どういう心境の変化?」

「そのかわり俺は、一生君のことを嫌いなまま、好きになる事はないから」


 終始気だるげだった瞳が、ここにきて初めて見開かれる。


「………………嫌いって言った?」

「当たり前だろ。俺はお前が大嫌いになったよ、蛇穴」

「いやだ!急に苗字呼びしないで」


 りんごみたいな目から、ぽろぽろと涙が溢れる。えんえんと目を擦りながら「いやだ!おきくん嫌わないで!」と泣きじゃくる姿に、先刻までの尖るような悪意は無かった。

 弛緩した空気に、うえーんと情けない嗚咽が響き渡る。犬飼が困ったような目をして俺を見るので、かぶりを振っておく。

 京介は反省するべきだ。


「……迷惑かけて悪かった、犬飼。助けてくれてありがとう」

「良い。優太郎は友達だからな」


 自然と綻ぶ口元を隠すように、顔を伏せ、早足に風通しの良くなった部屋を出る。

 なんだか無性にお腹が空いてしまって、今ならどんな珍味でも美味しく頂けそうだと思った。


「イナゴでも探して帰るか」


 言えば、犬飼は口元をムズムズとさせた。

 喜んでくれたようで何よりだ。

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