第4話 変な美形はみんな神出鬼没で……食われる!助けて!
割れんばかりの拍手が響き渡る。ステージ上でスポットライトを浴びるのは、仰々しいロングケープを身につけた美男美女だ。
生徒会役員任命式。
やっぱり役員選抜要件には顔審査があるのか、なんて考えながら、乾いた拍手を送る。
連中も暇ではないなら、これで面倒臭い小競り合いも終わると思う。犬飼のあの毛がフサフサの強心臓に、奴らのヌルい嫌がらせは全く通用しなかった。何なら犬飼に執拗に絡んでいた奴らは、あの日以来見ていない。裏拳に張り飛ばされて、そのまま知らないところへと転校してしまったらしいから。
これから訪れるであろう平穏に想いを馳せ、腕を組んだままウンウンと頷いた。
「…………あの空席なんだ?」
ふと、そんな誰かの発した言葉に、少しだけ顔を突き出す。確かに、ずらりと並べられた役員用の椅子には、一つ空きがあるようだった。配置的に一年生の役員の椅子なのだろうが。
まさか、と、サァと血の気が引く。
まさか連中、犬飼のために空けているとか言い出さないだろうな。
「サラギだよ。お前知らないのかよ」
「サラギ?サラギってあのサラギ?」
「そー、冷血漢の人でなしで有名な『氷の王様』。こう言う式典っつうか団体行動が嫌いとかで、殆ど人前に顔出さないらしい」
「はー、さすが4大財閥。良い御身分だな」
そんな会話に、杞憂だったかと胸を撫で下ろす。
四大財閥は、政府や日本経済に広く深く根を張る、企業グループである。
中でも総資産、営業規模共にトップであると呼ばれる月島グループ。
その実質的な最高決定機関である白蘭会の代表的な立ち位置に身を置くのが、蛇穴(さらぎ)会長である。
素行不良でも四大財閥の息子なら生徒会に入れるのである。とことん権力に従順な学校だ。
新役員の紹介が始まったが、そんな物に耳を傾ける気分でもなかった。
腐り切った遺物のような価値観に中指を立てて、欠伸を一つ。目を閉じれば、心地良い眠気が押し寄せた。
***
伸び放題の芝に、あまり手入れの行き届いていない花壇。
人気の少ない中庭は、誰にも邪魔されずに好きな物を読むことができる。だからこそ足繁くここに通っていたのだが。
「犬飼?」
見慣れた後ろ姿に、声を掛ける。秘密の場所を知られていたと言う落胆半分、ルームメイトを見つけることができたと言う嬉しさ半分。奇妙に上擦った声に、ソイツは肩を揺らした。
「優太郎」
無表情のままこちらへ早足でやってくる様子は、中々に愉快だ。片手に握られたスマートフォンを二度見して、心中の動揺を悟られぬように「何してるんだ?」と尋ねる。任命式の途中で離席していた記憶があるが、あれからずっとここに居たのだろうか。
「連絡を取っていた」
「随分な長電話だな。実家とかか?」
「…………そんなところだ」
歯切れの悪い返事である。こいつにしては珍しい。なんだかあまり踏み込まれたく無さそうなので、追求はしないが。
「それより犬飼、お前スマホなんて持ってたんだ?」
「ああ」
「全然使ってるところ見た事ないから驚いちゃった」
なんなら糸電話とか使ってるイメージだった。
ちょっと見せてと覗き込めば、快く画面を見せてくれる。透明なスマホケースに、初期アプリだけのホーム画面。スマホからは持ち主の人となりが伺える事が多いが、犬飼のそれは、執拗なまでに個性が削ぎ落とされているようだった。
「ラインとかしないの?」
「らいん?」
「メールとか電話とかより手軽に連絡取れるアプリ。入れてやろうか?」
「む……」
「普通の高校生なら大体入れてるぞ」
『普通の高校生』と言う言葉に犬飼の目の色が変わる。半年ほど苦楽を共にして、大概こいつの扱い方も分かってきた。
「保護者に許可を取ってくる」
犬飼はそれだけ言って、また向こうの方へと駆けて行ってしまう。アプリ一つインストールするのに、保護者の許可が必要とは。やっぱり犬飼の家庭環境は中々に苛烈なようだ。
優しさで包み込んでやろう……そんな事を考えながら、読書の続きを始める。スマホに視線を落として、スイスイとスクロールして。
「なにそれ、『あいあーる』?」
「ギャ!」
背後から耳を撫でた吐息に、思わず飛び上がる。転びそうになったところを逞しい腕に支えられて、どうにか転倒は避けられたが。
「キョウ君か?」
鼻を撫でたムスクの匂いは、よく印象に残っている。
問い掛ければ、どこか嬉しそうな笑み声が返ってくる。
「そう!ひさしぶりおきくん」
「何してるんだこんなところで」
「おきくんこそ何してるの?ここ俺のお昼寝スポットだよ」
バックハグから普通のハグに切り替えながら、キョウくんはこてと首を傾げる。穴場だと思っていた場所は、すでにこいつの巣穴だったらしい。
「起こしたならごめん」
「いや、お腹すいて目が覚めちゃったんだよね」
「なんかずっと腹ペコだな、きみは」
やんわりと距離を取ろうとするけれど、ギュウギュウに抱き締められて離れられない。テディベアじゃねぇんだぞ俺は。デジャヴを感じながらも、あきらめて脱力。俺の潔さに満足したのか、フフン、と人懐こく眦をたわませた。
「育ち盛りだからね、おれは」
「それ以上育つつもりなのかよ」
「んふふ」
気の抜けた笑みを浮かべたかと思えば、相貌がカクンと伏せられる。まさかここで寝ようとしてるのではあるまいな。そんな懸念に慄きつつ身体を咄嗟に支えると、俺の肩口にキョウくんが顔を埋める形になる。サラサラした茶髪が、首筋を撫でる感覚。
くすぐったさに気を取られていると、くぅ、と間抜けな腹の音が鳴った。
「わかった。またチョコをあげるから……」
首筋を食んだふわりとした感触に、言葉が途切れる。恐る恐る、視線を下げて。
なめくじが這うような、生温くて、湿った不快感。
次の瞬間襲ってきたのは、鋭い激痛だった。
「あっ?」
噛まれたのだ。
そう理解するも、急所を捕らえられて迂闊に動けない。
俺は、この男に食われるのだろうか。
そんな言葉と一緒に脳裏を過ったのは、昔見たスプラッタ映画の記憶だ。
女に群がり、首筋に噛みつく何十ものゾンビたち。吹き出す血飛沫に、露出する肉。絶命に震える女のブロンドが、血に汚れて。
その気持ち悪い色彩を思い出してしまえば、本当にどうしようもない。汗が吹き出してきて、ゾクゾクと悪寒が背筋を這い上がってくる。他人に命を握られる感覚なんて、生まれて初めてだ。
「……っ、は、」
首を食んだ唇が、その下へと移動する。皮膚を破って、また犬歯が突き刺さった。がぶがぶ、がぶがぶと首を甘噛みされて、痛みに顔を歪める。
頬を肩に擦り付けるように、キョウくんがこちらを覗き込んだので、視線が嫌でもかち合って。
夢心地に蕩けているのに、妙に爛々と色付く瞳に心臓が縮み上がる。
獣にでも睨まれたみたいだ。
「……なに、どうしたのおきくん」
「…………」
「顔色やばいよ?」
気怠げな声を上げて、上体を起こす。急所が解放され、幾分か体が軽くなる。
だが、気遣わしげに伸ばされた指先に、咄嗟に身体がそれを跳ね除けてしまう。
「あ……」
突き飛ばされ、タタラを踏んで。キョウくんは心底驚いた表情で、叩き落とされた手と俺の顔を見比べる。一瞬だけ伏せられた目が妙に昏い色をしていたので、寒気に表情が強張る。
「あー……」
「ご、ごめん。でも、キョウくんこそ、」
「うん、おれもごめん。噛み癖がひどいんだよね。つい寝ぼけて……びっくりしたよね」
眉を寄せ、しゅんと項垂れる姿に、彼に特筆するほどの悪意がない事を理解する。
先刻まで熱を持っていた首筋を、生温い風が冷す。比例して頭の中も、クリアになっていくようで。
「きらわないで……」と小さくなるキョウくんの肩を、「嫌わないよ……」と摩ってやる。成人目前の男がベソをかかないでほしい。
「優太郎。許可を貰ったので俺にもらいんを……」
のこのこと帰ってきた犬飼が、スマホを持ったまま首を傾げる。微妙に眉根が寄っている。当然ではあるが、いまいち状況が理解できていないようだった。
「や、犬飼。こいつは……」
「これはなんだ」
キョウくんには目もくれず、真っ直ぐに俺の首筋を覗き込んでくる犬飼。自分では分からないが、犬飼の指が半円を描いたので、歯形でも付いてるのだろうか。
「おれがやったの」
「あなたが?」
のっそりと顔を擡げたキョウくんは、どこか弱々しい。叱られるのを待つ犬のようだと思った。
「噛んだのか?」
「噛んだ……」
「なぜ」
「おなか空いてて……」
おい、話が違うぞ。
本当に食おうとしてたんじゃないか、俺のことを。
反射的にキョウくんを見た俺に対して、犬飼は何かを思案するように視線を彷徨わせる。待って犬飼。何を考えているのかは知らないけど、今はとりあえず俺を守って。
「夕飯を食べにくるか?」
おーい、何言ってんのー?
そんな言葉は、犬飼の表情を見てしまえば腹底に転げ落ちる。どこか活き活きとした表情に、読書を始めてすぐの犬飼の姿を思い出したからだ。
『ぐりとケロのホームパーティ』と表紙に書かれた絵本を読む犬飼。イヌからウサギ、ヘビまでが楽しそうにごちそうを平らげるその本を、夢中で読む犬飼。
胸がギュッと締め付けられる気持ちになった。
「えー!いいの?」
「ああ、」
バンザイして跳ね上がるキョウくんを一瞥して、伺うように俺の顔を覗き込んでくる。
「優太郎を食われるわけにはいかない」
トドメの一撃である。真剣な顔して何を言ってるんだ。
だが、悲しいかな犬飼は至極まじめに物を言っているのである。まじめにホームパーティに胸を躍らせているし、真面目に俺をキョウくんの毒牙から庇おうとしている。
それをわかっていながら断ることなんて、俺にはできなかった。
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