第5話 ルームメイトの様子が不穏なんですが

 ピザと、たこ焼きと、あとイナゴのつくだ煮。この世の終わりみたいな食べ合わせだ。それらが共存する食卓を見るのは、後にも先にも無いだろう。


「んー、あまじょっぱーい」


 イナゴのつくだ煮を白米と一緒に掻き込んで、キョウくんは目を輝かせる。俺はそのキョウくんの持ってきたピザを齧って、犬飼は俺の作ったたこ焼きを口いっぱいに詰め込んでいる。ハムスターとかリスみたいだ。


「あひゅい……」

「焼きたてのタコ焼きの食い方じゃないんだよ、それは」


 お手本を見せるようにたこ焼きをふうふうと冷ますと、犬飼は真似るようにして唇を尖らせた。


「かわいー」

「逆にキョウ君は、よくそうムシャムシャタガメを食えるな」

「だって面白いんだもん、これ。未知の味で」

「面白い……」


 それは料理の感想としてはどうなんだ。

 思わず呟くと、キョウくんはニッコリと形の良い笑みを浮かべる。ブカブカの袖のまま頬杖をついて、箸に摘んだイナゴを透かした。


「おもしろい物とかわいい物だいすき!おいしかったらもっと最高!」


 ハスキーボイスをとことん甘く張り上げて、ウキウキと肩を上下させる。

 片目が無いイナゴの節足が、死んでいるはずなのに蠢いたように見えた。


「かわいい……?」


 グロテスクだ。


「ピザとかたこ焼きの方が美味しくない?」

「もう味知ってるからキョーミない」


 犬飼が悲しそうな顔をする。

 ほんとだよ。涙を流しながらたこ焼きを貪る苦学生の前で、よくそんな事を言えたな。キョウくんは反省すべきだ。


「……イナゴは好きじゃないか?」


 反省するべきは俺だったらしい。


「イナゴおいしい!イナゴおいしい!」


 手掴みでイナゴをムシャムシャ食べ始めた俺に、キョウくんが嬉しそうに箸を差し出してくる。ヤケクソでそれを食べると、「かわいい!」と嘲笑われる。頭がおかしい。

 犬飼を振り返って親指を立てると、犬飼がほっとしたように表情を緩めた。


「犬飼くんはさ」


 ピ、と。

 キョウくんが箸の先で犬飼を指す。行儀が悪い。犬飼は黙々とたこ焼きを咀嚼しているが、その指先が何かに反応するようにピクリと跳ねた。焼き串の持ち方が、どう見ても本来の用途の持ち方ではない。わかる。先端向けられるとビクッとしちゃうよね。反応のしかたが怖すぎるけど。


「昔からこう言う物食べてきたの?」

「ひあ」

「おい、そう言うデリケートなことは……」

「でりけぇと?そうなの?」

「熱゛ッ!」


 言葉に詰まる。

 本人が単に昆虫食マニアと言うだけなら話は簡単かもしれないが、このたこ焼きに対する熱量を見ると、そういうわけでもなさそうだ。

 ともすれば、犬飼は虫を食べざるを得ない環境に身を置いていた可能性が高いわけで。そんな複雑な事情に、そう簡単に踏み込んで良いものなのか。

 けれど、相手を可愛そうだと決めつけて過剰に意識するのも、傲慢と呼べるのだろうか。


「…………それが主食だったのは、」


 それ、と指されたのはイナゴである。案外滑らかな滑り口に、少しだけ拍子抜けする。


「すごく昔の話だ。保護者に保護されてからは、食いブチに困ったことはない」

「ああ……趣味で続けてるとこあるんだ……」

「どうだろう。けれど、わからなくなるのは嫌だと思った。食える虫、食えない虫。あと、食える野草」

「…………」

「忘れないようにこうしてる」


 犬飼は、この国ではあまり考えられないような壮絶な苦労をしてきたようだ。そして救われた……と考えて良いのだろう。そうでないと困る。

 それなのに、忘れたくないのだと言う。

 つらくて、ひもじくて、常人なら忘れた方がマシだと思うような過去も。膿んで腐り切った傷口を大事に抱え込む姿は、不自然で、薄気味悪くて。


「犬飼……」


 光を反射しない瞳が、こちらを向く。


「……俺の分もやる」


 ──薄気味悪くて、痛々しいと思った。

 たこ焼きの乗った皿を差し出すと、眉が小さく上下する。わかり辛いが、テンションが上がった時のサインである。

「いいのか」とたこ焼きを頬張る姿に、強張った肩が解れるようだった。

 もっといっぱい美味しい物を食べてほしいと思った。


 ***


 また保護者からの連絡だそうだ。

 犬飼がスマートフォン片手に席を外したので、俺とキョウくんは2人きりである。

 正直2人きりは怖い。いっぱいイナゴを食べていたので、腹ペコボーイに齧られる事は無いと思うが。


「おーきくん」

「美味しくないです!」

「うそ、そんだけ食べて?」

「俺が!」


 意図せず倒置法になってしまったが、意味は伝わったらしい。

「ごめんてー!」と両手を広げる。あの時の恐怖がフラッシュバックして肩が揺れて。それに気付いたのか、キョウくんはしゅんと肩を落とした。


「ごめんね……」

「いや、俺こそごめん。ちょっとビックリしただけだから」


 誤魔化すようにピザを齧って、居住まいを正す。「で、ごめん何?」と尋ねれば、眉根を下げたまま、キョウくんは顎を引いた。


「いや、連絡先交換しよーって言おう思ってぇ……」


 おずおずと取り出されたスマホは最新式の物で、黒のケースによく填まっている。てっきりピンクの綿飴みたいなケースが出てくるかと思っていたが、センスとしては男らしい物を好むようだ。

「ああ。まだしてなかったね、そう言えば」

 言いながら俺もスマホを取り出すと、「いいの!?」と返事が返ってくる。それは、まさか承諾されるとは思っていなかったとでも言いたげな反応である。


「ふふ、自分で言ったのにそんな驚く?」

「だって、おれおきくんに嫌われたかもって」

「嫌わないよ。ちょっとびっくりしたけど」


 薄く笑えば、りんご飴みたいな瞳がうるうると潤んだ。


「おきくんだいすき!」


 今度こそ抱きつかれて、そのままの勢いでひっくり返る。自分の体の大きさに無自覚な大型犬が、飼い主にじゃれる動画を思い出した。


「おれあんまりラインの友達居ないから、ちょー嬉しい」

「意外。いっぱい友達居そうなのに」

「そんな事ないよ。フルフルしよう、フルフル」

「はい、フルフル」

「わーい!よろしくねおきくん」


 俺に伸し掛かったままスマホを掲げるキョウくん。

 元々甘い顔立ちをしているが、今はそのまま溶けてしまいそんな表情で笑っている。

 そこまで喜ばれると、俺だって悪い気はしない。気付けばまた、がぶがぶと首を甘噛みされるが、何故か今回は気にならなかった。


「うわ」


 頬を噛まれ始めた頃である。

 ふと覗き込んだキョウくんの端末画面に、咄嗟に声が漏れてしまう。


「大丈夫?着信履歴とメッセージエグいけど」


 着信履歴3桁、メッセージ3桁。

 膨大な量のそれらに、思わず反応してしまったが。勝手に人のスマホを覗き込んで勝手にドン引くというのも、中々にきまりが悪い。「いや、」と口を抑えると、キョウくんは「ああ、」と間延びした声を上げた。

 その声音は、先刻に比べて1トーンほど下がったようで、少しだけ身構えてしまう。


「実は今日、一応予定あったんだよね」

「ええ?」

「大丈夫、おきくんは気にしないで。そんなに重要な物でもなかったし」


 そう思っているのは、おそらくキョウくんだけではないだろうか。これだけ連絡を入れてくるということは、相手にとってはそこそこ重要な会合だった筈だ。

 俄にざらつく胸中のまま、「それに」なんてキョウくんの声に、耳を澄ませる。


「あそこで逆らったら、おれ犬飼くんに殺されてたかもだし」


 ***


「昼ぶりだな。……?怒ってはいない。そうは思えなかった?あなたがそう言うのなら、そうなのかもしれないな。それを確かめるためだけに連絡してきたのか」

「……ああ、薄々は気付いていた。一介の凡夫でしか無い俺を、あの中から見出したのは余りに不自然だった。あの錚々たる面子に手を回せるのは、俺の知る限りではあなたくらいしか居ないから。何故あんな事をしたのかは、俺なんかには想像も付かないが────」

「利害の一致?俺を生徒会に引き入れる事で、あちらに何か利があっただろうか。……分かっている。これ以上の詮索はしない。思考もしない。俺には必要ないからな」

「心遣い痛み入る。だが、もう心配は不要だ」

「俺はもうきっと、見つけたから。……たしかに、思ったよりもずっと早かった」


 ***


「あそこで逆らったら、おれ犬飼くんに殺されてたかもだし」


 事も無げに落とされた言葉に、俺はどう反応して良いのかわからなくなる。空気に耐えられず、「笑うところ?」と言えば、キョウくんは何処か含みのある笑みでスマホ画面を落とした。


「おれと話してるとき、犬飼くんずっとスマホこうやって持ってた」


 言いながら、キョウくんはスマホの上部を親指で抑え、サイドを握り込む。変な握り方だと思った。


「1番対応力に長けて、力が伝わりやすいのがこの持ち方」


 えいっ、と言いながら、俺の首と助骨辺りを殴るような仕草をする。あざとい仕草だが、同時にキョウくんは割と電波な子なのかもしれない、なんて考えが頭を過って。


「達人にとって、流派とか武器とかあんま関係無いんだよ」

「…………」

「おれがナイフや棍棒を持ってたとしても、この部屋にある物だけで、犬飼くんはおれを300回は殺せる」


 やけにはっきりとした口調で断じて、涼しげな視線を、すい、とテーブルの上へと向ける。犬飼の皿の上に放置されている竹串を見て、そういえばあいつ、これを片時も離さなかったな、なんて感想を抱いた。

 だが、そんなのはフィクションの中だけの話だ。妄想だ。

 そう否定しようとして、犬飼の上裸や、度々見せる圧倒的な暴力性を思い出して言葉に詰まる。


「……殺す、なんて物騒なこと言うなよ」


 結果、絞り出した声は僅かに上擦っていた。


「たしかに格闘技とかしてたかもだけど、それと誰かを殺すのは直結しないでしょ」

「元々格闘技は殺人術に由来する物が多い」

「それは、そうだけど……」


 眉を寄せれば、キョウくんは何処か感情の読めない目で俺を見つめる。やや於いて、「なんてね」とこぼした表情は、元の柔らかい雰囲気を取り戻していた。


「冗談だよ。単に、犬飼くんはおきくんのことずーっと守ろうとしてたよって話」

「俺を?」

「そう!ワンコみたいでいじらしいね」


 犬っぽいのは、どちらかというとキョウくんの方ではないだろうか。そんな感想を抱くが、今口に出す気分にはならなかった。

 俺が何も言わないのに痺れを切らしたのか、キョウくんは半身を起こしてコップに手を伸ばす。


「あっ、」


 嫌な予感と共に振り返ると、案の定、コップが横たわっている。俺は慌ててコップを立て直して、コーラの海が広がるのを阻止。でも俺の股間にはコーラがかかった。どうして。


「コカンコーラっつってな」

「うわ!ごめん!」

「おいおいおいおい、拾ってくれよ、大火傷だよ」


 慌てて立ち上がったキョウくんの背に手を伸ばすが、届かない。


「ねー、タオルってどこ?」

「洗面所!」

「洗面所ってどのドア!?」

「左向け左!」

「ここかぁ」


 扉をスライドして洗面所へ駆け込む。その背を見送りながら、今のやりとりに首を傾げた。

 キョウくんは寮生のはずだけど、何故洗面所の場所を知らないのだろう。朱雀寮の中でも、間取りの違いがあるのだろうか。

 そんな事を考えながら、ズボンを履き替え、机をティッシュで拭く。タオルを持って帰ってきたキョウくんは、のそのそと隣で膝を折った。


「ふー、ごめんね」

「いいよ。ところでキョウくんの家ってさぁ、」

「うーん、ひみつ!」

「え」


 まだ何も言ってないけれども。

 床をゴシゴシ拭きながら、「キョーくんは現在質問を受け付けておりません!」とか念を押してくる。拭き終わったタオルを掲げて指示を仰いでくるので、「そこに置いといて」と答えて。


「でも、おきくん俺のこと知りたがってくれるんだ?」


 そんな言葉に、少しだけ目を見開く。たしかに、自分でも驚く変化だと思った。基本相手が話したがらない事は詮索しないようにしていたから。


「片思いの終わりってさみしいね……」

「いや、なんと言うか……」


 そう、先刻。キョウくんが踏み込まなければ、俺は犬飼の背景を知る事ができなかった。今まで知らなかった事を確かに後悔したし、何より、踏み込む事を過剰に恐れていた所があるのかもしれない、なんて。

 ぐるぐると考え込む俺を、二重幅の広い目が、じいと眺める。「安心して」と、身体に回された長い腕に、相貌を擡げた。


「おきくんには、いつか絶対おれのお家に来てもらうからね」


 薔薇色の唇が弧を描く。覗き込むように首を傾げたので、長い前髪が目元に影を落とす。ぎゅう、と弧を描いた双眸の奥で、瞳孔が収縮したように見えて。

 妙に艶かしい仕草に、背筋が伸びる。唾を嚥下して、わけもなく顔を伏せた。


「……あれ、犬飼くん」


 キョウくんがそんな声を上げたので、倣うように入り扉へと視線を移す。


「優太郎を食べないでくれ」

「あはは」


 そういえば抱きつかれたままだということに気付いて、慌ててキョウくんから身を離す。

 犬飼の表情は相変わらず動かないが、たしかに、いつの間にかスマホの持ち方が変わっている。キョウくんの以外な洞察力に、心中で感嘆の声を上げてしまう。

 音も無く隣に腰を下ろした犬飼の背をさすると、無造作に首を傾げられた。そんな不思議そうな顔するな。

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