第3話 『ルームメイト』と云ふものは
普段から血色の悪い肌は、今は青を通り越して蒼白になっている。凛々しい顔のまま、ヨロヨロと室内の支柱に凭れ掛かって。
「俺に普通の学校生活は無理なのかもしれない」
ポソと呟かれた弱音に、俺は天井を仰ぐ。まだ熱い頬を氷嚢で冷やしながら、溜息を吐いた。
昨日、ヨロヨロと青龍寮から出てきたと思えば、全然大丈夫そうじゃない顔で「大丈夫だ……」と呻いた犬飼。
「全然大丈夫なツラじゃないよねそれは」
「大丈夫だ。最後に『辛くなったらいつでも頼ってね』と言われたし……」
「ぜ、絶句ぅ……」
驚くほど悪徳であからさまなマッチポンプ。執着しすぎだ。
パカの犬飼くんは気付いていないが。アイツら和製イギリス人の言葉を額面通りに受け取る事ほど、馬鹿なことはない。それはつまり、『生徒会に入るまでお前をいじめ抜くぞ』と言う恫喝なのだろう。
そんな嫌な予感は的中し、今朝から、犬飼は学年からなんらかの嫌がらせを受けていたようで。
「会長様の具合はどうだった、犬飼クン」
そんな罵言を吐き出したクラスメイトを、俺は殴った。右ストレート、右フック、左ボディ右ビンタ。左半身を執拗に狙って、最後に金的を思い切り蹴っ飛ばした。
「興ィ、テメェなにす……」
「お前こそ理事長の具合はどうだったよ」
「ハァ?」
「いや、俺にはそんな発想なかったからさ。あー、なるほど。あの噂ホントだったんだ。理事長が、好みの生徒に手ェ出すクソペドおじさんだって」
起きあがろうとするソイツの金的を踏み躙って、「これ要らないよなぁ?」と首を傾げる。
「だってもう使わないもんな?やっと謎解けたわ。俺ずーっと疑問だったんだよね。お前みたいなヴァカがこのガッコ受かったの」
「金もねェ学もねェ。そんなナイナイ君でもケツ差し出しゃ入れてくれんだ。優しいねぇ、ウチの学校は」
「え、なにその顔。先にそう云う事言ったのはお前なんだからさ。文句言うなよ、なぁ。そして俺はそれを免罪符に気に入らない奴をボロクソに叩くぞ。ィヒョ〜〜きもてィ〜〜!」
刹那の静寂。次の瞬間には、教室中から俺を非難する声が噴出した。今度は俺が押さえつけられ、「恥を知れ!」とタコ殴りにされて。まあ妥当だろう。
後悔は特にないが、ルームメイトにこんなこんな顔をさせるならもっと穏便にコトを済ませれば良かった。
「別にお前が気にすることは無いよ。悪いのは無駄に挑発した俺と、テキトーな言いがかりつけたアイツらなんだから」
こいつに猫みたいに尻尾と耳があったのなら、どっちもシュンと垂れ下がっているのでは無いだろうか。
未だにしょぼくれている犬飼をフォローすれば、前髪に翳った灰色の目が、どろりとこちらを向く。
「テキトー、と言うわけでもない」
「え……」
素直で常識が無いのを良い事に、何か変なことを吹き込まれたのではあるまいな。はたまた、おそらく過酷な家庭環境に身を置く苦学生犬飼くんの、足元見るようなアレソレを……?心配になって尋ねれば、「ええと……」と朴訥とした返事が返ってくる。
「副会長?様が気に入ったらしい」
「なにを」
「俺の容姿を」
「はぁ?」
生徒会副会長とは、あの双頭孝臣(そうず たかおみ)だろうか。
いかんせん男子校なので、そう言った血迷った趣向に目覚める輩も一定数存在する。だが、トップがそれではこの学校はもう終わりである。
それにしても適当言いやがって。職権濫用も甚だしい。というか、あいつ。ブルジョワの我儘も程々にした方が良いと思うけれど。
「やっぱお前が反省する要素一個もないじゃんね」
呆れてしまって思わず顔を顰めると、犬飼は何処かシュンとした様子で俯いた。
「その……俺に常識は無いが、なんとなくわかる。お前も酷い目に合うんじゃないか。俺と居ると」
「本当だよ。お前マジに常識無いのね」
「すまない」
「違うって。ルームメイトとは助け合うのが常識ってもんだぞ」
氷の溶けてしまった氷嚢を弄りながら、片眉を吊り上げる。保健室に行って氷か湿布をもらおうか、なんて考えるけれど、今保健室には俺を殴ったクラスメイトたちがいることを思い出し考え直す。
あれはえげつない裏拳だった。
視線を感じて、犬飼── 仲裁の裏拳でクラスメイト5人を保健室送りにした犬飼春彦の顔を見る。平生はピクリとも動かない目が、少しだけ見開かれているみたいだった。
「…………そう言う物なのか?」
「そうだよ。お前だって昨日、俺のために警備員ちぎって投げただろ?大事だよ、助け合い」
「そうか」
平坦に頷いたその表情は、既にいつも通りの飄々とした物に戻っていた。
やっぱり犬飼は、自分がいじめられることより、俺に迷惑がかかる事を気に病んでいたようだ。あの腕っ節があれば、究極誰だって蹴散らすことができるのだから。
律儀な奴だと思った。
「…………鉄面皮も損だな」
「なに?」
「いや、何でもない。それより、どーせ生徒会役員決まったら風化するんだ。人の醜さと弱さを学んどくんだな」
「ああ」
これは分かってない返事だ。肩をすくめて、氷嚢の中の水を捨てる。寮に氷を取りに戻りたくなったので、「そろそろ行くぞ」なんて声をかけて。
「『普通』に生きるのは、難しいな」
そんな言葉に、まったくその通りだと頷いた。
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