ニコラの危機


 女性は無事に逃げたかな…

 あまり働かない頭で、ニコラはそう願った。



 窓も無く、外の光が一切届かないこの場所に来て…何日経ったのだろう。




 あの日…歩きながら段々と冷静になり、明日もう1度双子に謝ろう…と決めていた。

 もうステランに会うつもりは無い。ダスティンの言葉に甘えて丸投げするつもりだった。


「(しかし双子の違いも分からないとは。でも…殿下と違って嫌じゃなかっ……だからビッチかっての!!)」


 途中、足を止めて塀に頭をガンガン打つける。通行人はドン引きしていた。

 ハントを襲ってしまった申し訳なさはあるが、嫌悪感は無かった。自分って浮気性なのかな…が父親だもんな…と自己嫌悪。




「あっ!」

「ん?」


 あと数分で馬車の停留所、というところで。すれ違った女性と肩がぶつかり、相手の持っていた飲み物が、ニコラの胸元に掛かってしまった。


「ご、ごめんなさいっ!」

「(あちゃあ…)いえ、大丈夫です」


 もう着る気も無い服だけれど。女性は青い顔で必死に謝罪をする。

 私の家がすぐそこなので、どうかお着替えを!と震える声で言われては。邪険にもできず…ついて行くことにした。


 相手が若い女性で。昼間で人通りもそこそこだから…不用心に動いてしまったのだ。

 この周辺では普段から痴情のもつれや、喧騒が多く。誰もこの時…2人のやり取りを、特別変に思いもしなかった。




 すぐそこ、と言われたのに。どんどん大通りを離れて、人気の無い場所に進んで行く。


「あの…こちらに人家があるのですか?」

「はい!あとちょっとです〜」


 女性は振り返ることなく言い放つ。ニコラは少々恐ろしくなり、そっと離脱を試みたが…



 ガァンッ!!


「っ!?」


 後頭部に衝撃が走り、その場に倒れた。それからの記憶は、曖昧だった。







「………………」


 ニコラは今、下着姿にされて台の上に横たわり。薄暗い部屋で…手首から血を流している。それは受け皿へと溜まっていて、一定の量になると男が回収する。

 部屋には同じような女性が多くいた。皆虚な目で、口の端から唾液を垂らしている人もいる。



 この部屋に来てすぐは、抵抗する元気もあった。けれど縛り付けられているうちに…大気中に充満する、この煙が。彼女の全てを鈍らせる。長時間吸うと効果が出るタイプの麻薬だった。

 そのお陰で、見張りが四六時中いるわけではないのだが。



 血を抜かれた後は、しっかりと手当をされて、食事も出されている。簡単に食べられるよう、サンドイッチで。


 どうして、目的は、犯人は…と考えても纏まらず。

 日々奪われていく思考の中…「絶対に、生きて帰る」という1つだけは、手放さなかった。





 ある日。治療の終わったニコラは、見張りの男に運ばれた。部屋の外で綺麗な服を着せられ、向かった先は高価な家具の揃った広い部屋。



「奥様。47番をお持ちしました」

「ありがとう。こちらへ連れてきてちょうだい」


 47番…ニコラのことか。男は指定の場所にニコラを置き、部屋を出て行く。


「ふふ、可愛い子ね」


 奥様、と呼ばれた美しい女は、ソファーの上でニコラを膝枕した。まるで愛しい我が子のように、髪を撫でる。

 部屋にはもう1人、メイド服の若い女性がいる。ニコラにジュースを掛けた女性だ。



「はあ…最近は治安が良くてやあね。先王の頃はよかったわぁ…」


 ニコラに聞かれても大丈夫だと思っているのだろう、女は言葉を続ける。

 数年前は、平民なんて殺し放題だったのに…と悲しげに目を伏せた。


「領地の税金を上げるしかないかしら。そうしたら、生活が苦しくなった家は娘をどんどん売るわよね。

 でも、あの若造に目を付けられたら面倒だわあ」


 若造とは、国王を指している。メイドは何も発言せず、壁に控えているのみ。


「(…どうして奥様は、この家畜をお部屋に呼んだのだろう。初めてだわ…)」

「あらあら、何か考えているわね。どうしてこの子が特別なのか、かしら?」

「!失礼致しました…」

「いいのよ。私ねぇ、この子の目が、気に入ったのよ」


 女は手招きして、メイドを寄せた。


「ほら、見なさい。ただの青い瞳じゃないわ」

「では失礼して…まあ、本当ですわ」


 ニコラの目は、よく見ると…宝石のように、光に反射して輝きを放っていた。


「まるで大昔に滅んだ妖精が持つという、宝石眼のようだわ。この子はすぐに殺すのは惜しいわねえ。

 そうだわ。何人か子供を産ませてみましょう。あなた、適当に男を用意して。美しい子を成すには、うんと美しい男じゃないと駄目よ」

「はい、かしこまりました」


 メイドは頭を下げて、静かに退室する。



「うふふ。2〜3人の子供に目が遺伝したら、全身の血を抜いて殺してあげる。その目は丁寧に抉り出して、大切に保管しておくから安心してね」



 ニコラは会話よりも…この女に見覚えがある、というのが気がかりだった。



「(あ…そうだ。わたし…このオバさんを、見たことある…)」



 それを、どうにか外に伝えないと。


 死にたくない。もっと、生きたい。

 絶対に…生きて帰る。その為にどう動くべきか…麻薬の効いていないこの部屋で、少しでも頭を動かした。





 それから少しして、新しい女性が来た。同時に運良く、死体袋が部屋にあった。


 あれからニコラは、何度か女の部屋に連れて行かれていた。そこで…女は若く美しい娘の血を欲していると知った。

 血を抜き過ぎて、いよいよ命が危うくなってきたら…首を落として、最後の1滴まで搾り取っている、らしい。


「(そうだ…わたしは動けないけど。彼女なら…)ね、え。あな…た…」

「え…?」


 完全に声も発せなくなる、その前に。この女性に全てを託すと決めた。


「そこ…ランプ。火…つけて。腕の、ロープ…燃やす、の」

「ぐす…っ、無理よぉ、わかんないわよぅ…!」


 女性は静かに泣いていた。ニコラは苛立った。



「……死にたく、なければ。動け。どうせ、死ぬなら。足掻いてから…うご…け…!」

「……!う…ううぅ…!」

 

 女性はニコラの言葉に、涙を拭い。指示されるがままに行動した。

 逃げるにはどうするか…時間を掛けて、考えた方法。


 後ろ手でなんとか火をつけて。熱さに耐えながら、ロープを燃やし切り。

 袋から死体を出して。部屋の隅…ロッカーの陰に隠して、中に入る。

 女性は何度も弱音を吐き、その度にニコラに喝を入れられて…耐えた。



「この、先は。わたしにも…わから、ない。どうにか…逃げ、て。

 わたしは、ニコラ。外に…伝えて。犯人は…森の…魔女、と…あ…」

「ひっく…わかった、わ…」


 彼女が保護されたら。ニコラの名前を出せば…ロット達が必ず反応するだろう。

 森の魔女、というキーワードは…には通じるはず。

 だがもうニコラは、声も出ない、伝えられない。最後の力を使い切ったのだ…



 最後の会話を終えて、数秒後。下男が2人入ってきた。いつも採血や治療をする男達だ。


「…ん?さっき連れてきた女は?」

「は?知らねえよ。あー…メイドが連れてったんじゃねえ?最近奥様、あの家畜を部屋に呼ぶじゃん」

「かもな」


 逃げた、などという発想は無いようだ。それもいつまで保つかは、分からないけれど。

 1人が2つの死体袋を抱えて外に出て。もう1人が血の回収を始めた。





 それからどのくらい経ったか、ニコラは再び運ばれた。ただし行き先は女の部屋ではなく、薄汚いベッドがあるのみの質素な部屋。

 少しして…整った顔立ちの男が入ってきた。ニコラを確認すると、醜く口角を上げる。


「おっ、可愛いじゃん。でも全身傷だらけ、痩せっぽっちのヤク漬けかー。まあ、それもアリかな」


 男はニコラが身に付けていた僅かな布を剥ぎ取り、自分も脱ぎ始めた。


「(あ…わたし。今からこの男に、犯されるのか…)」


 路地裏で生活していた時は。女性としての尊厳を失ったとしても…生きてさえいれば、どうにかなると思っていたけど。


「(やだ…なあ。家畜のように飼われるのは、まだいいけど。

 これは…死んだ方が…マシだなあ…)」


 けれど舌を噛む力も無く。男の手が、舌が、全てが気持ち悪い…もう嫌だ…と目に涙を浮かべた。



「(わたしの人生って…なんなんだろうな。

 ……せめて。初めては、やっぱり。ロットに…してもらえば…よかっ…)」



 涙が肌を伝い落ちた、その時。


「んー?なんだ…?」


 廊下が騒がしくなってきて…大きな足音が、確実に近付いていた。

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