第8話「駄目な人、ヤバい人」

 その夜は、ゆっくり寝るどころではなかった。

 冥沙めいさ先輩は細かなことを幾つか確認して、黒服の怖い人たちの迎えで帰っていった。黒塗りベンツで帰っていった。花未はなみも気づいたらいなくなっていたのだった。

 僕は大家さんに電話して、全然起きない壱夜いよを再度抱えて運ぶ。

 そんなこんなで、さよなら日常な夜が明けた。


「アーッハッハッハ! いいねえ! それでこそ作家だよ、少年!」


 僕は早朝、まだ生徒もまばらな学園に登校した。

 今は保健室で、ちゃっかり珈琲コーヒーをごちそうになっている。

 そして、この白衣に眼鏡メガネの保険医は南方北斗みなかたほくと先生。年齢不詳の怪しい女医さんである。伸びた髪はいつもボサボサだし、時々なんだか酒臭い。

 でも、壱夜以外で唯一僕の正体を知って、それで応援してくれてる稀有けうな存在だ。

 もっとも、今では冥沙先輩や花未にまで知られることとなったが。


「笑い事じゃないですよ、先生」

「いやいや、よかったじゃないか、狂言時きょうげんじヨハン先生。……プッ! ククク……お腹痛い」


 僕は勿論もちろん、真夜中の怪異については伏せて話した。

 ただ、昨夜寝付けず編集担当の木崎こざきさんにメールした、その顛末てんまつを話していたのだった。

 まあ、木崎さんも今朝の返信では北斗先生と同じようなリアクションだった。


「で、新作だったね? ええと……文武両道の優等生女子高生が、夜は巫女装束みこしょうぞくで妖怪退治をしてる、だっけか」

「え、ええ」

「私は読む専門だから、実際に読まないとわからないけど……悪くないとは思うよ? あとは少年、キミの書き方次第だ」

「はあ」

「因みに先生の世代だと、セーラー服に日本刀ってのが一つのテンプレだねえ。巫女……そういうのもあるのか! ップ! プププ!」


 そして、また思い出し笑いを込み上げては北斗先生は肩を震わせる。

 駄目な大人の見本市みたいな人だが、どういう訳か僕には優しいんだよなあ。他の生徒にも評判で、いい噂も悪い噂も沢山聴こえてくる。

 僕はちびちびと珈琲を飲みながら、もう一度木崎さんとのやり取りを思い出していた。


「それで少年、編集部の担当さんはなんて言ってるんだい?」

「バッサリですよ。まあ、『プロットが書けたら即出す、そのフットワークの軽さは評価するけど、一度客観的に見直してから出してね』という感じです」

「うんうん、いては事を仕損しそんじるからね。全くもってその通りじゃないか」


 あと、やっぱりプロットの内容に関してもダメ出しを頂戴した。

 リアリティがないそうだ。

 まだまだ細部の詰めが甘く、取ってつけたような設定になってしまっている。設定とは全て、物語の面白さに貢献こうけんするものでなければいけない。

 プロの世界では『』はいらないのだ。


「でも、酷い言われようですよ……『狂言時ヨハン先生、例えば甲子園で大活躍してプロ野球で投打の二刀流を実現、そのままメジャーリーグでMVP選手になる主人公ってありえます?』って言われちゃって」

「はは、ないない。そりゃチートだわ……でも、ありえないとは言い切れないよね」


 不意に北斗先生は、クイと指で眼鏡のブリッジを押し上げる。

 窓から差し込む朝日の光が、レンズに反射して彼女の表情を隠した。


「そもそも、リアリティという基準は……その人間が持つ周囲の現実を比較対象とした評価でしかない。違うかい? 少年」

「はあ、まあ」

「つまり、絶対的な価値観ではないということさ。自分が接する現実が変われば、非日常とも思える異様な世界が現実的になってしまう」


 僕はドキリとした。

 時々北斗先生は鋭いことを言う。

 僕が内緒にしてるのに、まるで昨夜のことを見聞きしてきたかのような雰囲気だった。そして、そのことを口に出さずに僕に釘を刺してくる。

 暗に北斗先生は言っているのだ。

 

 それは今の僕が、一番わかってないといけないことだった。


「さて、少年。そろそろ教室に行きたまえ」

「はーい。……はあ、新作のプロットは書き直しだあ」

「学生の本分も忘れないようにな。ああでも少年、私は好きだよ」

「……は?」

「少年の書く物語は、とても青臭あおくさくて甘ったるくて、新鮮で瑞々みずみずしいからね」


 あービックリした!

 そうだよな、歳だって多分一回り以上違うんだし。


「ん? 私はまだまだピチピチのギャルだぞ?」


 ……ピチピチとかギャルとか、死語じゃないか。ってか、なんで頭の中を読むような言動で先回りしてくるんですかね。

 まあいい、壱夜や摩耶まやも待ってるだろうし、教室に戻ろう。

 そう思って僕が立ち上がった、その時だった。

 不意に背後で、カーテンがレールを走る音が響く。

 振り向くと、そこには意外な人物が微笑ほほえんでいた。


「お話は聞かせてもらいましたわ。とても興味がありましてよ!」


 背景に薔薇ばらが咲いた。

 小鳥のさえずりがファンファーレに聴こえてくる。

 可憐かれんな美貌が輝いて、僕は思わず「うおっ! まぶしっ!」と顔を手で覆った。

 どういう訳か、早朝の保健室にその人はいた。

 生徒会長の林檎林星音りんごばやしせいねだ。


「確か……狂言寺ヨハン君、でしたわね?」

「ア、イエ、別人デス」

「……でした、わよね!」

「ハ、ハイ」


 圧が凄い、っていうかグイグイ来るな。

 星音会長はこの都牟刈学園つむがりがくえんでは超がつくほどの有名人だ。あの冥沙先輩と並んで、この学園の双璧と呼ばれている。

 見ろ、あの豪奢ごうしゃな金髪を!

 クルクルに巻いてツインドリルな髪型を!

 制服でさえドレスのように着こなす彼女は、ジャージを着ていてもまぶしい。あまりに神々しくて、直視さえ難しい。

 毎日何人もの男子が告白しては散ってゆく、それが我が校の風物詩ふうぶつしでもあるのだ。


「っていうか、会長……なにしてるんです?」

「決まってますわ。おサボタージュですわよ!」

「えっ、サボり!?」

「……身体が弱いのが難点ですわね。この星、空気が悪くて」


 表情をかげらせても、星音会長は薄幸はっこうの美少女きわまりない。

 そんな彼女は、楚々そそとした雰囲気はそのままに立ち上がった。ベッドを降りてスリッパをはき、僕へとグイと身を寄せてくる。


「さ、お話になって?」

「え? いや、なにを……」

貴方あなたの物語ですわ。そこにもしかしたら、わたくしの求めているものがあるかもしれませんの」

「も、求めてる、もの……それは」

「ズバリ、お世界征服ですわーっ! オーッホッホッホ! ……ゲウッ! ゲフゲフ、ゲフン!」


 口に手を当て高笑いの星音会長は、激しく咳き込んだ。

 本当に身体弱いんだな……ていうか、なんだよ世界征服って。みんなが憧れる美貌の生徒会長、ひょっとしてやばい人なのでは!?

 だが、星音会長を見てると、なんだか現実的に思えてくるから不思議だ。

 彼女の持つ能力と魅力は、そうした荒唐無稽こうとうむけいな話に現実味を与えている。

 なるほど、北斗先生の言う通りって訳だ。


「はいはい、いいから二人共教室に戻りなさいって。生徒の前じゃ飲めないでしょ」


 は? いやちょっと待って。

 北斗先生、なにを言ってるだぁー!?

 ってか、一升瓶いっしょうびん! 見えちゃってます、一升瓶が!


「校医なんてひま閑職かんしょくだからねえ。読書しながら一杯飲まないと、やってられないよん」

「駄目じゃないですか! 校内で飲酒だなんて! ……あー、それで時々お酒臭いんだ」

「アルコール消毒みたいなもんさ。さ、行った行った。さっさと行かないと」

「行かないと?」

「少年の作品を音読する。校内放送で昼休みに流す」

一ノ瀬隆良いちのせたから、教室に戻らせていただきます!」


 その頃には、もそもそと星音会長も布団に戻っていった。

 どうやら彼女は、本気で授業をサボるつもりだった。

 だが、一度閉められたカーテンがそっとまくりあげられる。その奥から、鋭い視線が僕へと突き刺さった。


「ヨハン君。狂言時ヨハン君……でしたわね」

「ヒ、人違イデスヨー」

「貴方、もし不思議な世界に巻き込まれてるなら……?」

「いやちょっと、僕の話聞いてます?」

「貴方の話に興味がありますの。聞いてましてよ、むしろお聞かせなさいな!」

「あ、えっと……す、すみません、授業があるので」

「お待ちなさい! わたくし、どうしても特異点が……ゲホッ! ゲブゲヴァ!」


 ちょっと、お嬢様キャラとしてどうかと思う咳き込み具合だった。

 僕は思わず、駆け寄りカーテンを押し上げ、背をさすってあげた。酷く華奢きゃしゃな星音会長の肩は、苦しそうに震えている。病弱キャラ、内心イイネ! と思ってしまった。

 いかんいかん、現実は現実、ラノベはラノベだ。


「あの、とりあえず……僕、一ノ瀬隆良です。狂言寺ヨハンっていうのは」

「……ふう、少し楽になりましたわ。ありがとう。フフ、わかってましてよ」

「あ、よかった。じゃあ僕、そろそろ失礼しま――」

「狂言寺ヨハン、これは貴方の……おコードネームですわねっ!」


 なにをドヤ顔で言ってくれてんだ? この人……やばい、本物のヤバい人だったのか? 僕は乾いた笑いを浮かべつつ後ずさって、猛ダッシュで保健室から逃げ出すのだった。

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