第7話「それはとても静かに」

 とりあえず、なし崩し的に僕の部屋に戻ることになった。

 ちなみに、今まで壱夜いよ以外の女子を入れたことはない。その壱夜は気絶しっぱなしで、とりあえず僕のベッドへ寝せておくことにした。

 で、改めて室内を振り返ると。


「む! こ、これは……戦国ワルキューレの特装版! す、凄い……欲しい」

「説明を、神凪冥沙かんなぎめいさ。この紙媒体はなにを記録したものでしょうか」

「うん? ええと、花未はなみ君だったね。これは……!」

「ライト……ノベル? 軽い、小説。意味がわかりません」

「大丈夫だ、わからなくても感じろ! さあ、読むんだ!」


 あのー、うちの本棚の前で盛り上がらないでくれますか?

 っていうか、セーラー服の女子高生と巫女みこさんがキャッキャウフフ? している……この光景はもしかしたら、今後の作品のヒントになるかもしれない。

 ……そんな訳ないか。

 現実的リアルじゃないしな。

 でも、今の僕には現実だ。

 それを無言で主張する物騒な物が、僕の机に立てかけられてる。


「ゴクリ! ……ほ、本物、だよなあ」


 それは、先程冥沙先輩が振るっていたつるぎだ。

 真っ直な両刃の剣で、そっと鯉口三寸10cmくらいほど抜いてみる……白刃はくじんに映る自分の顔が、緊張に強張こわばっているのが見えた。刃渡りは意外に長く、80cm程だ。女子にしては長身の冥沙先輩でも、ちょっと扱いには慣れが必要じゃないだろうか。

 チン! と鍔鳴つばなりと共にもとに戻して、そっと手を放す。

 瞬間、僕を即死レベルの攻撃が襲った!


「……ああ、駄目よヨルン。私は大丈夫、行って。なにを言う、デフィール。俺はお前を決して――」

「やめろおおおおおおお! ってか、なにしてくれてるんです!」


 振り向くと、花未が僕の作品を読んでいた。

 

 殺す気か!

 ってか、冥沙先輩もなに訳知り顔でウンウンうなずいているんです?


「意味がわからない。この場合、このヨルンという男が介入しても状況は好転しないのでは」

「フッフッフ、甘いぞ花未君。ヨルンはデフィールとは恋人同士、見捨てて逃げるなどありえんさ」

「理解不能」

「ちゃんと一巻から読むんだ。これは狂言時ヨハン先生の初期の傑作なんだからな」


 ええと、確か……冒険者がダンジョン攻略をするファンタジーだったかな。

 そうそう、タイトルは『千年樹せんねんじゅ迷宮めいきゅう』だったかな。

 古き良きダンジョンRPGのあるあるをふんだんに盛り込んだ快作で、結構売上もよかったみたいだ。ただ、もともと中編シリーズを予定してたので、全五巻という手頃なボリュームで完結している。

 その文庫本を開きながら、花未はムムムと眉根みけんにシワを寄せていた。


「えっと、それより……冥沙先輩」

「ああ、なんだい? ヨハン先生」

「……もうやめて、僕のライフはゼロよ」

「っ! す、済まない……ええと、確か……隆良たから君」

「はい。説明してもらってもいいですよね?」


 とりあえず僕は、二人に座布団を出してお湯を沸かす。インスタントだが珈琲コーヒーくらいは出そうと思ったが、あいにくとズボラな男子の一人暮らしなのでカップが足りなかった。

 申し訳ないけど、紙コップでいいかなと思いポットに湯を詰める。

 部屋に戻ると、相変わらず花未がラノベを読んでいる。

 そして、細部を解説したりしている冥沙先輩は凄く楽しそうな顔をしていた。

 いつでもりんましてクールなたたずまい……都牟刈小町つむがりこまちにこんな側面があったなんてな。

 てか、ファン……僕の、ファン……最高の最の高じゃないか!


「えっと、どぞ……インスタントですけど。ミルクと砂糖はこれを。花未も、ほれ」


 紙コップに珈琲の粉末を入れて、湯を注ぐ。

 花未は目を見開いてガン見してきたが、そんなに珍しいもんかな?

 彼女は紙コップを受け取り、一口飲む。


「熱い! ……甘くないぞ、隆良」

「ミルクなり砂糖なり入れればいいだろ。あーもぉ、話が進まない!」


 だが、クスリと笑った冥沙先輩は、ピシッと身を正して正座で僕に向き合った。

 その目はとても澄んで透き通っている。


「済まなかった、ヨハン先生……じゃなかった、隆良君」

「……さっきのあれ、牛鬼ぎゅうきとかいう怪物じゃないですか? 職業柄、僕も日本の古い文献とかで見たことがありますよ」

「そうだな。あのレベルの怪異かいい顕現けんげんするなんて、本来ありえないことだ」

「つ、つまり……この街、ひょっとして……それなりに、出ます?」

「ああ、それなりにはな」


 先程から花未は、ミルクを入れては一口、砂糖を足しては一口と珈琲に夢中である。っていうか、さっきまで缶ジュースをガブ飲みしてたのに、大丈夫かこいつ?

 ただ、そんな花未を見やる冥沙先輩の目元が優しく緩んだ。


「私の家は表向きは神社でね」

「……その裏では?」

凶祓まがばらい、ようするに妖怪退治のようなことをやっている。先祖代々、この街を守るのが私たちの使命なんだ」

「は、はあ」

「秘密の裏稼業だ、できれば口外は控えて欲しい。それと」


 冥沙先輩は静かにこうべを垂れた。

 長く結った髪がさらりと揺れて、額が床につくほどに僕へと謝罪の意を向けてくる。

 慌てて僕は立ち上がって、冥沙先輩の顔をあげさせる。

 ちょっと黒髪からいいニホイが……っていうか、仏壇ぶつだんのお線香せんこうのような匂いがした。


「よ、よしてくださいよ、先輩。幸い、怪我もなかったことですし」

「……だが、妙なえにしが生まれてしまった」

「縁? とは?」

「君や花未君、あとはそっちの……確か、陸上部の」

「壱夜ですか?」

「ああ。君たちは本来、人間の世界を生きる一般人だったはずだ」


 花未ははなはだ疑問だが、僕や壱夜はそうだな。

 モブ中のモブ、いわゆる普通の幼馴染おさななじみ同士だ。

 妖怪ハンターとは無縁な存在だし、そもそも冥沙先輩が夜な夜なこんな危険な仕事をしていたなんて驚きである。


「落ち着いて聞いてくれ、隆良君。君たちは私に巻き込まれて、世界の影の部分に紐付ひもづけられてしまった。今後、気をつけて暮らさねば危険なことになるだろう」


 神妙に冥沙先輩が頷き、髪飾りの鈴がチリンと鳴った。

 どうやら、僕たちは踏み込んではいけない世界に踏み込んでしまったらしい。

 そして、珈琲を飲み干した花未が会話に入ってくる。


「それが特異点だ、隆良」

「……特異点」

「そうだ。特異点の出現によって、その世界線は条理を歪められる。本来、普通の人間には見えないものが見えたり、数多の世界観が入り混じってしまったりするのだ」


 冥沙先輩が口を挟まないということは、花未の言ってることは本当のようだ。

 だが、信じられるか?

 これじゃラノベだ、ちょっと盛り過ぎな小説じゃないか。

 与太話もいいとこだが、僕だって夢だ戯言だと片付けることはできなかった。

 冥沙先輩や花未は、嘘を言ってはいない。

 それだけは信じられるし、美少女の言葉ならとりあえず信じるのがラノベ脳ってやつだ。


「……わかりました。具体的には僕たちは、どうすれば」

「私が式神で君たちを見守り、必要とあらば助けるさ。安心してほしい。勿論もちろん、花未君も」

「いや、私へのフォローは不要だ。むしろ、神凪冥沙……特異点探索の協力を要請する」


 こいつ、先輩相手に呼び捨てだと!? さっきからちょっと、態度がデカくないか?

 だが、冥沙先輩は特に腹を立てた様子を見せない。


「ふむ、特異点とか言ったか。確かにこの日ノ本でも、怪異が多発する時期にはなにかしらの原因があると言われている。……その元凶が、もしや」

「その可能性は否定できない。特異点はあらゆる時間と空間を超え、こうしている今も生まれては消えている」


 うん? 生まれては……消えている?

 え、それって特異点が自動的に消えてくれるってこと?

 驚きをそのまま僕は声に出していたらしい。

 真っ直ぐ僕を見詰めて、花未は頷いた。


「特異点に関する研究はまだ、私の生まれた世界でも解明されていない。それに……」

「それに?」

「特異点の消失や崩壊は、巨大なエントロピーを呼ぶ。近似世界線きんじせかいせん幾億いくおくも巻き込んで、世界そのものが消えてしまう可能性すらあるのだ」


 冗談じゃない。

 妖怪ハンターの美少女が活躍する世界が、SFちっくなクソ設定で破滅してしまうって? しかも、縁ができたとかいう僕たちも、その事件にすでに巻き込まれている?

 誰か説明してくれよぉー!

 ……まあでも、理屈はわかった。

 逆に、冥沙先輩は難しい顔でムムムと唸っている。


「えっと、冥沙先輩。一応、バタフライエフェクトっていう論理があって」

「そ、それくらいは知っている。ちょう羽撃はばたくだけで、違う可能性へと世界線は分岐する。我々の住む世界はそうして、無限に等しい未来を生み出しているのだろう?」

「そ、それです! で、花未が言う特異点になにかあると」

「……全ての可能性の未来を巻き込んで、この世が滅ぶということか」


 こんなでかい話、ラノベにしたら十巻や二十巻で収まらないぞ。一冊を相当ブ厚くして、ヘヴィノベルにしても足りないくらいだ。

 僕はちらりと背後をうかがう。

 壱夜は静かな寝息を響かせ、眠っていた。

 せめて、壱夜だけは巻き込まずに守らなきゃな……そう思っていると。


「そうそう、隆良君。……一番大事なことを忘れるところだったよ」


 不意に冥沙先輩は立ち上がり、僕の机に手を伸ばす。

 そして、サインペンを手に取り満面の笑みで振り返った。


「私に、その、狂言時ヨハン先生の……サッ、ササ、サインをくれないだろうか!」


 こうして僕は、なんだかとても不安な中で日常とサヨナラした。

 残念だけど、編集担当の木崎さんが見たら失神しそうな物語が既に始まっているのだった。

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