第6話「怪異奇譚、キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!」

 真夜中の路地を、走る。

 あっという間にあごが出て、息が上がってしまった。

 文系なので、身体を使うことは苦手なのだ。それに比べて花未はなみはどうだ? オリンピック選手も真っ青なフォームで、夜を切り裂くように消えた。

 そして、二度目の悲鳴。

 その時にはもう、その声のぬしが誰かまで僕にはしっかりわかった。


「って、壱夜いよか!? アイツ、なんでこんな時間に出歩いてんだ!」


 そう、幼馴染おさななじみ千夜壱夜せんやいよの声だった。

 そして、思い出す。

 あの馬鹿、眠れない夜に一人でロードワークをこなすくせがあるのだ。最近は物騒だからととがめても、ちっとも言うことを聞きゃしない。

 因みに壱夜は陸上部、長距離走の選手だ。

 あのむっちむちに太い脚で蹴られると、凄く痛い。


隆良たから、こっちだ!」

「花未、壱夜は無事か! ……って、なんだ? なんだんだよ、おい……」


 かどを曲がってすぐの通りで、花未が振り返る。

 その腕が、ぐったりとした壱夜を抱えていた。

 どうやら気を失ってるだけらしく、胸が小さく上下しているのがここからでもわかった。

 だが、そんな二人の前に怪異があった。

 そう、怪異……この世の常識からかけ離れた光景が広がっていたのだ。

 一歩下がった花未は、姫君を守る騎士のように壱夜を抱き上げる。


「前言を撤回する、隆良。この時代の治安は、決してよくはないのだとわかった」

「ちっ、ちげーよっ! これ、ナシ! 例外! っていうか、なんだよもう!」


 ――だ。

 そう、筋骨隆々きんこつりゅうりゅうたる巨大な鬼が立っていた。

 顔は牛のようで、鋭く尖った二本の角が生えている。見上げる巨体は人間の倍以上もあった。まるで小さな山である。その鬼が、グルルと唸っていた。

 ああ、わかった。

 これは夢だ。


「これは、夢だ!」


 声に出して、自分に言い聞かせる。

 だが、平坦な花未の言葉は容赦がなかった。


「現実を直視しろ、隆良。夢ではない」

「あのなあ、花未! そりゃ、僕だってわかるよ! ただ、なんでだよ!」


 僕のラノベ脳をフル回転させると、つまりこういうことだ。

 あれは、牛鬼ぎゅうきと呼ばれるタイプの鬼だ。ようするに妖怪、もののけである。都内の小さな街は今、妖気うごめく平安京の時代にタイムスリップしてしまったのだ。

 いや、なにがあったかわからないが、目の前の牛鬼は現実である。

 そして、その両手に持った巨大な金槌ハンマーを振り上げた。


「む、避けろ隆良!」

「どうやって!」

「ええい、世話が焼ける」


 花未はぐったりしてしまった壱夜を肩にかつぐや、僕へと迫ってきた。僅か一瞬で僕に密着して、そのまま僕を小脇に抱えてジャンプする。

 ちょっと信じられない身体能力だった。

 そして、一秒前まで僕が立っていた場所がクレーターになる。

 花未に助けられてなければ、あの中心で僕は肉塊にくかいになっていた。

 花未は僕と壱夜を抱えたまま、一気に数十メートルほど離れる。

 どういう脚力してんだ、まったく!


「ふむ、特異点係数とくいてんけいすうが増加……フッ、見つけたようだな」


 花未の腕時計が光り出していた。

 女の子に似合わぬゴツいものを持っているが、その腕時計から光が無数のウィンドウとなって浮かび上がる。どれも異国の言葉がスクロールしていて、数字もグラフもよく読み取れない。

 だが、花未は納得したように頷いた。


「あ、あの、とりあえず降ろしてくれるか、花未」

「駄目だ。まだ来るぞ。……特異点係数、なおも増大……そうか、やつがそうなのか」


 花未が時々口にする、特異点という言葉。

 それが恐らく、この異変の正体なのだろう。

 、そんな言葉が僕の脳裏をかすめた。

 そして、牛鬼は地響きとともに此方へ歩んでくる。吐き出すけものの呼気が荒げられれば、再び僕たちの前で凶器が翻る。

 だが、その鉄槌てっついは僕たちを襲ってこなかった。

 ぴたりと止まった牛鬼が、びくりと身を震わせて振り返る。

 そして……通りの奥で、鈴の音が静かに響いた。


「なんと、牛鬼か……ふむ。何処より迷い出たものやら」


 月の光に照らされて、一人の少女が歩み出た。

 白と紅の巫女装束を身にまとい、腰に剣を帯びた乙女だ。そして、長い黒髪を総髪に結ったその顔に、僕は見覚えがあった。

 リンと鳴る鈴は、巫女の髪飾りである。

 突然現れたのは、あの都牟刈小町つむがりこまち……神凪冥沙かんなぎめいさだ。

 彼女は少し驚いたように目を丸くしていたが、すぐに表情を引き締めた。

 そして、腰のつるぎを抜き放つ。


「――急急如律令きゅうきゅうにょりつりょう、失せよわざわい。闇へとかえるべし」


 透き通る声と共に、冥沙先輩は剣を構えた。

 そう、反りのある日本刀ではない。もっと古い、直刀タイプの宝剣だ。翡翠ひすいおぼしき宝玉がつかに光る、左右対称の長剣だった。

 その切っ先を向けられ、牛鬼も絶叫と共に地を蹴る。


「あっ、あぶない! 冥沙先輩っ!」


 僕は花未に抱えられながらジタバタと手を伸ばした。

 冥沙先輩は剣道の達人と聞いている。だが、相手は防具を着込んだ人間ではない。

 見るもおぞましい怪物、太古の昔話から出てきたような牛鬼なのだ。

 だが、花未は先程から特異点がどうとか言って動かない。

 そして、耳をつんざく悲鳴が響いた。


「ゴアアアアアアアアアッ!」


 ビシャリ! とアスファルトに真っ赤な鮮血が叩きつけられた。

 同時に、片腕を失った牛鬼が巨大な金槌を地面に落とす。

 刃で一閃した冥沙先輩は、静かに青眼せいがんに構えて踏み込んだ。

 次の一撃が静かに、まるでコマ送りのようにゆっくりと牛鬼に吸い込まれる。だが、牛鬼は動かないし、動けない。僕も同じで、時間が引き伸ばされたような感覚に凍っていた。

 そして、光の筋が線と走る。

 断末魔の絶叫すら許されずに、牛鬼の首がねられ宙を舞った。

 血飛沫ちしぶきを上げてその巨体は崩れ落ち、まるで雲かかすみのように薄れてゆく。


「命拾いしたようだな、たしか……一ノ瀬隆良いちのせたから君。いやて……」


 冥沙先輩は剣を振るって血糊ちのりぬぐうと、刃をさやに納める。

 そして、いつものすずやかな微笑びしょうで近付いてきた。

 ようやく花未の馬鹿力から解放された僕は、自分の足で立って身を正す。

 その頃にはもう、大量の流血も首も死体も、嘘のように消えていた。

 じっと僕を見詰めて、うっすらと冥沙先輩はほおを桜色に染めた。


「いや、えてこう呼ばせてくれ……

「アッー! やめて、それ以上いけない」

「知らなかったよ、あの新進気鋭しんしんきえいのラノベ作家が、まさか私の学園の生徒だなんて」

「いいから! そういうのいいですから! 僕、一ノ瀬隆良です! そっちで呼んでください! 名前で、呼び捨てでいいですから!」


 少し驚いたような顔をしたが、冥沙先輩は俯き真っ赤になってしまった。

 そして、先程の大立ち回りが嘘のように細い声を絞り出す。


「じゃ、じゃあ……その、ヨハン先生」

「だっー! だからー、その名を、呼ばないでええええええええ!」

「とにかく、先生たちが無事でよかった。……先生の作品、新作が読めなくなると悲しいからな。泣いてしまう」


 突然しおらしいことを言い出したかと思うと、冥沙先輩は「本当によかった」とはにかむ。その美貌たるや、闇夜に星を見出したような輝きだった。

 だが、花未はいつもの無表情を静かに凍らせている。

 彼女は壱夜を肩に担いだまま、冥沙羅先輩の前に一歩踏み出した。


「確か、神凪冥沙だったな」

「いかにも。そういう君は?」

「一年B組、山田花未。それ以上でもそれ以下でもない」

「……それ以外でもないと、言えるかい? 花未君」


 鋭い言葉の刃だった。

 花未は無言で迎え撃つ。

 バチバチと二人の視線が火花を散らす。

 だが、すぐに冥沙先輩は微笑みを取り戻した。


「見てしまった以上は、ヨハン先生にも説明する必要があるな。少し時間をもらえるかい?」

「……だから、その名を、ちょっと、その……いいです、いつでも大丈夫です」

「よかった。花未君も、そっちの伸びてしまってるも、巻き込んでしまってすまない。私の落ち度だ」


 とりあえず、周囲の家々に明かりがともり始めた。

 人目を気にしているのか、冥沙先輩が歩き出す。

 その背を追う花未は、思い出したように壱夜を僕に預けてきた。


「ちょ、ちょっと待てよ、って……重っ!」

「54kgキロ、プラスマイナス0.5だ。平均的な男子の腕力なら十分に抱えられる」

「僕にそういうとこを求められても……うん?」


 ふと、視線を感じた。

 それで振り返ると……月をバックに屹立きつりつする電柱の上に、人影があった。

 帽子ぼうしを被ってマント姿で、シルエットしか見えない。

 だが、その人物は小さな笑みを残して、手にしたほうきで飛び去っていったのだった。

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