第20話 それぞれの思い

 竜之進は二回ほど舞の首筋の血を吸い出した後、彼女の顔を見つめた。

 目と目が合い、舞の鼓動は再び跳ね上がる。


「……この暗がりでも分かるぐらい顔が赤いぞ……やはり毒が回っているのか?」


 竜之進が平然と舞に問いかけた。


「い、いえ、毒では……ないと思います……」

「舞、すまないな……こいつはそういう事柄に疎いのだ」


 なぜ彼女が顔を赤くしているのか理解している虎次郎が、ため息交じりにそう話した。


「いえ、そういうのでもないというか……あ、私のことより、その子の方が心配です……坊や、大丈夫?」


 舞が慌てて話を逸らした。

 男の子は既に桃によって縄を解かれ、猿ぐつわも外されて自由になっている。

 かなり疲れた様子だったが、泣くこともなく、名前を問われると「竹吉」と答えた。

 あちこち痛むと答え、また、視点も定まっていないように見える。


「……たしかに、すぐに医者に診せた方が良さそうだな」


「はい、私が仙界……三百年後の世界に連れて行って、そちらでしっかり診てもらいます」


 竜之進の言葉に反応した舞が、自分の役目だとばかりに声を上げた。


「そうだったな、そなたはそれができるのだったな……そなたも念のため、仙界で毒を受けていないか診てもらうと良い」


「あ、はい、そうですね……でも、そうするとすぐには戻れません。私たちが乗ってきた船は壊されていますが……」


「それは心配ないだろう。こやつらが乗ってきた船が、どこかに隠されているはずだ。あの元漁師二人を締め上げてそのありかを吐かせ、俺たちはそれで帰る。取り急ぎ、帰り着いたらハヤトをそなたの屋敷に使いに出しておく。逢えなくとも、誰かに伝言を残しておけば大丈夫だろう。明日の朝までにハヤトが屋敷に行っていないようであれば、こちらで何かあったと思ってくれ。そしてここであったことを俺の父、つまり藩主に報告してくれれば助かる。そなたなら目通りできるはずだ」


「あ、はい、承知しました」


 舞は、竜之進の的確な指示に、さすがに上に立つ人は違うものだと感心した。

 そしてすぐに竹吉と自分自身の身体が離れないように紐で右手、左手を結び、令和の時代での出現ポイントを指定の上、


「マロール!」


 と小さく唱えてその姿をかき消した。

 竜之進、虎次郎も、その御業を見るのは二回目なので、それほど大きくは驚かない。

 それでも、相変わらず理解不能のとてつもない仙術だと実感した。

 竜之進は、舞と竹吉が消えた辺りを、しばらく見つめていた。


「……足りないな……俺の力が……」


 ぼそり、とそう呟いた。


『時空の仙人』の娘で、虎次郎曰く、自分の嫁候補なのだという。

 もしそうだとするならば、今の自分はふさわしくない。

 三百年も未来の仙術道具を使いこなせる、という点を除いても、だ。


 舞が、「自分が男の子の身代わりになる」という案を言い出したときは、その胆力に驚いた。

 そして「着ている服を脱げ」と言われて、躊躇せず襦袢一枚だけの姿になった。

 臆することなく、一人で盗賊に向かって歩みを進めた。

 いくら『時空の腕輪』によっていつでも離脱できるとはいえ、相当恐ろしかったはずなのに、そんな様子を見せなかった。


 さらに、子供の指を切ると脅されたときに、襦袢までも脱ぐ、と言い放ったのは、彼女の機転だ。

 そうすることにより、竹吉の身に危害が及ぶのを防ぐと同時に、盗賊たちを自分に注目するよう仕向け、さらには仲間の視線をそらせる口実まで作った。


 元々、「滅び」という単語を口にしたとき、その直後にあの腕輪から閃光を放つ、という段取りはできていた。

 それを、あの状況で、「自分が裸になる」と口にすることで、最も効果的に準備を整えたのだ。

 状況によっては、本当に裸になることさえ厭わなかっただろう。


 それに引き換え、自分はどうだったか。ただ、見守っていただけではないか。

『時空の腕輪』で安全に離脱できる、という思い込みだったが、実際には飛び道具を防げず、僅かにではあるが怪我を負わせてしまった。

 それどころか、ほんの少し逸れていれば、彼女は命を失っていた。

 自分が舞の護衛を務める、と作戦を立てていたにもかかわらず、だ。


 今回、無事盗賊たちを退治できたのは、彼女の仙術と機転、そして運の良さだ。

 自分はほとんど役に立てていない……そのことに、ふがいない思いでいっぱいだった。

 数年前に、城の中庭で舞う姿を見初めてから、気にかけていた少女。

 美しく成長し、その際立つ才覚を目の当たりにした彼が感じたことは、自分自身の未熟さだった。

 

 虎次郎は、竜之進のつぶやきを聞き逃していなかった。

 そして彼の思いを、ほぼ正確に把握した。

 いつもなら、舞の首筋から血を吸い出したことをからかうところだったが、今の竜之進を見て、そんな気にはならなかった。


 そして従兄弟である彼が、今回の事件をきっかけに藩主候補として成長し、そして今後もそれを続けていくであろうことを確信した。

 さらに竜之進が、武芸、教養、判断力、行動力、人心把握、それら全てを、既に自分自身より数段高みにあることも承知していた。


 ハヤトは、先ほど見た舞と竜之進の姿に、愕然としていた。


 幼なじみで、密かに想いを寄せていた舞と、藩主の実の息子である竜之進。

 毒を吸い出す竜之進、顔を赤らめながらそれを受け入れる彼女の姿……。

 住む世界が違う、とまで感じた。


 埋めようのない身分差、それ以前に、人間としての器の大きさのようなもの、二人と自分とでは、それが余りに違いすぎているように感じた。


 舞は、間違いなく竜之進の嫁になる……それを直感し、だからこそ、打ちひしがれた。

 ふと、誰かが腕を組んできた……少し驚いてそちらを見ると、桃だった。


 少し顔が熱くなるのを感じた。

 俺の思いを、感じ取られてしまったのか。

 桃は、俺を慰めようとしてくれているのか、と。

 しかし、そうではなかった。


「ハヤト……ごめんね……私のせいで、みんなを危ない目に遭わせてしまって……」


 桃は、震えていた。

 今回、桃は鳴子の罠に引っかかるという、致命的な失敗をしてしまっていた。

 彼女は彼女で、今までぎりぎりの精神状態だったのだ。


「……大丈夫だよ、無事終わった。それに、おまえは竹吉を助け出す、という最初に決めた役割を、無事果たしたじゃないか。それで十分、役に立った」


「……うん、ありがとう……ハヤト、大好きだよ……」


 桃はそう言って、しがみついた腕に力を込めてきた。

 その言葉と行動に、ハヤトは、また顔が熱くなるのを感じた。 

 

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