第40話 依頼②

那澄が依頼主とSNSのチャットを通して話し合った結果、納期は一か月となった。

納期までの間、那澄は空いた時間はずっとテーブルの上にかじりついて絵を描くほどの熱中ぶりだった。ラフ画、着色、完成まで、僕は一日に何度も那澄の相談に乗った。那澄の姿を見ながら、僕も一時期イラストレーターを目指していたこともあったなと、しみじみする。

完成品を依頼主に納品すると、これ以上のない称賛とお礼の長文が送られてきた。その喜びようを見て、僕と那澄はつい笑ってしまう。でも、明らかに報酬と見合わない時間を注いで描き上げた那澄の絵を見ると、依頼主の反応は決してオーバーなものでもないと思った。現に、依頼主は報酬の値を一桁増やすと言ってきたほどだ。

那澄は、その提案を丁重にお断りする返信を送ると、スマホを雑にクッションの上に放り投げ、自身は布団の上にダイブした。

「ふうー......」

一か月の疲労を吐き出すように、那澄が大きく息を吐く音が聞こえる。

僕は「お疲れ」と言って、湯気だったマグカップをテーブルの上に置いた。

「何淹れてくれたの?紅茶?」

そう言って、那澄はモソモソと布団の上から降りる。

「......これ、ココア?」

「うん、ココア。子供の頃、テストで良い点取ったり、何か賞を取ったりしたときは、決まってお母さんがココアを淹れてくれたんだ。那澄も頑張ったご褒美にどうぞ」

「......そっか、ご褒美か、ありがと」

那澄はンフフっと嬉しそうに笑う。

僕は純粋に、那澄を尊敬していた。人や社会と関わらずに生きてきた人間が、他者からの依頼を責任を持ってやり遂げるのは、決して当たり前のことじゃないはずだ。人一倍、他者を気遣えて、努力家な那澄だからこそできたことだと思う。本当に、僕にはもったいないと思えるくらいの彼女だ。

だからこそ、なおさら、彼女の人生に世界の不条理を感じてしまう。彼女の笑い声が、たまらなく愛おしくて、悲しかった。





依頼を終えた、三日後。

窓から入り込んだ朝日に顔を焼かれ、目を覚ました。

「あっつ......」と愚痴をこぼしながら、スマホで時間を確認すると、六時を少し過ぎたくらいだった。

少し早いかなと思いながらも、隣で寝ている那澄を揺する。

「起きて、動物園行くよ」

「......うう、うーん......んん」

言葉にならない声を出しながら、那澄も体を起こす。

ネットニュースによると、今日は今年一番の暑さになるらしい。それならきっと、外に出る人も少ないだろうと、僕は淡い期待を抱く。

トーストにバターを塗っただけの簡単な朝食を済ませた僕らは、さっそく準備に取り掛かった。






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