第36話 回想


* * *


新幹線に乗り込み、窓際の指定席に座る。一呼吸ついてから、窓の外に目をやると、あわただしい駅のホームが視界に映った。

スマホを見ながら退屈そうに電車を待っている若い女性、ベンチに座りながらふざけあっている高校生、急いで階段を駆け上っていくサラリーマン。なんてことない、日常の風景だ。そして、人々は当たり前のように、その日常の中に生きている。

人それぞれ悩みを抱えているなんて言うけれど、せいぜいネットで検索すればアドバイスやら事例やらが嫌というほど出てくるような、その程度の悩みに違いない。

そんな普通の人たちの見ている景色が、私にはどこか遠くて、羨ましかった。もし私があのとき、那澄ちゃんと出会わなかったら、今頃どんな人生を送っていただろうか。度々そんなことを考えては、罪悪感に苛まれるのだ。

出発の合図とともに、新幹線が動き出した。四年間住んでいた街が、静かに遠ざかっていく。




私が那澄ちゃんと初めて出会ったのは、小学四年生の夏だった。


学校から帰宅途中、ちょっとした好奇心で立ち寄った森の中で、私は倒れている彼女を見つけた。最初は、ただ女の子の服が落ちているだけのように見えた。でも、手で触ってみると、見えない空間に私よりも小さな人型の何かがあって、それが「ううん」と苦しそうな声を出すもんだから、それはもう驚いた。普通なら恐怖を感じるんだろうけど、当時の私は怖いもの知らずだったから、むしろワクワクしていた気がする。

ランドセルを前に担ぎ、後ろに彼女を背負って、私は家に帰った。親にばれないよう、そろりそろりと二階にある自分の部屋に行き、ベッドに彼女を寝かせた。台所からパンと麦茶を持ってきて「食べる?」と聞くと、彼女は苦しそうに息を切らしながらも、それを口にした。名前を聞くと、小さな声で「なずみ」と返ってきた。彼女はどうやら熱があるようだった。

親に見つからないよう、クローゼットの中に隠しながら数日看病をすると、那澄ちゃんは元気になった。でも、ひどくおびえているようで、私とちゃんと話ができるようになるまでにかなりの時間がかかった。那澄ちゃんは人が怖いのだと言う。そして、死んでしまいたいのだと。

私はその理由を聞いた。那澄ちゃんが言葉を詰まらせながら話す内容は、いじめや暴力、親の不倫のことで、平凡に暮らしてきた私にはうまく想像ができなかった。きっと、私が想像できないほど、苦しくて、寂しいのだと思った。私は泣きながら那澄ちゃんを抱きしめ、「死んじゃだめだよ」と言った。そして、「私が守ってあげる」と。

それらの言葉の重みを、当時の私はきっと理解していなかっただろう。大人から教わった綺麗な倫理観を、何の疑いもなしに口に出したに違いなかった。それでも、その時、那澄ちゃんが少し安心したように「うん」と返事をしたのは今でも覚えている。

那澄ちゃんを隠しながらの生活は大変だった。那澄ちゃんの食料を確保するために頻繁に台所を漁り、足りない分は自分のお小遣いで調達した。トイレの処理やお風呂も、家族がいない時を見計らって行なった。両親は私がクローゼットを頑なに開けさせないことについて、何度も問いただしてきた。最終的に、なにか恥ずかしい創作物を隠しているという結論になったようで、それ以降は何も言ってこなかった。

それでも、那澄ちゃんとの生活は楽しくもあった。最初はよそよそしかった那澄ちゃんが、徐々に私を慕ってくれるようになって、「詩乃ちゃん」と呼んでくれた時は嬉しすぎて彼女を抱きしめた。一人っ子だった私に妹ができたみたいだった。

高校三年生で私は自動車の免許を取り始めた。大学進学で一人暮らしをするため、引っ越しをする際、人目につかないように那澄ちゃんを連れて行かなければならないからだ。親からは必要ないと言われ、車は買ってもらえなかったが、最終的にドライブがしたいと嘘をつき、母の車を借りて那澄ちゃんを新居に移した。

それからの大学生活は楽しかった。家に帰ると、那澄ちゃんが夕飯を作って待っていてくれて、毎日二人で食卓を囲んだ。そんな毎日が幸せだった。




私は懐かしい思い出に浸りながら、少し微笑む。


ある日バイトから帰ると那澄ちゃんが泣いていて、「見られちゃった」って言われたときは心臓が止まりかけたなぁ。でも、それが三浦君で本当によかった。







......ごめんね、三浦君。

本当は私、那澄ちゃんのことがあなたにバレたって知ったとき、少し嬉しかったんだ。やっと、那澄ちゃんのことを話せる人ができたって思った。情けないよね、那澄ちゃんを守るって大口を叩いたくせに、一人じゃ不安で仕方なかったんだから。あなたを巻き込んだのは、私が弱いせい。


ごめん、那澄ちゃん。

私、何もしてあげられなかった。那澄ちゃんに生きて欲しいと頼んだのは私なのに、結局、何も解決できなかった。大人になるにつれて不安だけが募って、そんな私を察した那澄ちゃんに気を使わせてばかりだった。



ごめんなさい。


無責任で。


頼りなくて。



どうして私、「守ってあげる」って言ったのに、那澄ちゃんを置いて東京に向かってるんだろう......。


私の目から、大粒の涙があふれ出ていた。

拭っても、拭っても、止まらなくて、私の今までの全部が、こぼれ落ちるようだった。


どうすればよかったんだろう。

この先どうすればいいんだろう。

私には、この涙の止め方すらわからなかった。


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