第30話 送別会③

送別会の帰り道を藤沢さんと二人で歩く。

「結構遅くなっちゃったね。早く帰らないと那澄ちゃん心配しちゃうなあ」

藤沢さんは酔いが覚めていないのか、ぼんやりとした目つきだ。

「東京、行きたくないんですね」

「ふふ、言わないでよ」

藤沢さんは困ったように笑う。

「私だってこう見えて、色々悩みがあるんだよ」

「そうですよね」

「ほんとに、大変なんだから」

「それなら僕に相談してくれても良いんですよ」

「...言わない」

「そうですか」

酔っていても、やっぱり悩みの内容だけは頑なに教えてくれないようだ。急に口を紡いだ藤沢さんが可笑しくて、鼻から笑いが漏れる。

「何笑ってんの」

「別に、なんでもないです」

「なんか、馬鹿にしてない?」

藤沢さんはムッとした顔をこちらへ向ける。

「してないですよ」

目を合わせると、また笑ってしまいそうだったので、前を見ながら返事をした。


いくつかのビルやお店にはまだ明かりが灯っており、夜の街の安らぎを生み出している。

僕はかじかんだ手をズボンのポケットに突っ込み、息を吐く。

息はまだ透明だった。


藤沢さんが抱える悩みというのは、主に那澄のことだろう。

まだしっかりと話し合っていないが、藤沢さんが東京に旅立てば、那澄は僕と同棲することになる。少なくとも、今の藤沢さんはそう考えているようだ。

藤沢さんには、那澄と離れる寂しさもあるだろうが、それ以上に那澄のそばにいられない不安、もっと言えば、那澄の将来に対する不安がとてつもない重圧としてあるはずだ。

年上としての、あるいは那澄の姉のような存在としての責任を感じているのだろう。でも、この問題の当事者は藤沢さん一人ではない。

那澄はもちろんのこと、その彼氏の僕だってもう他人事ではないのだ。那澄の告白に応じたあの日から、僕の中ではその覚悟ができている。

でも確かに、那澄のこと、ひいては僕らの今後のことを考えると目をそむけたくなるほどの不安が襲ってくるし、藤沢さんや那澄にとっては僕なんかの比じゃないだろう。藤沢さんは僕に、気楽に付き合えばいいと言っていたけれど、それはある意味、僕の逃げ道を用意してくれていたのかもしれない。


僕はまだ、引き返せるところにいるということだろうか。


ポケットから温もりを帯びた両手を取り出し、顔を覆うように強く押し当てると、凍えた顔の肌を溶かすようにじんわり熱がしみこんでいった。

そのまま、ぎゅっと目をつむって、両手で顔をパチンと叩く。

乾いた音が、夜の空気に小さく響いた。

「何してるの」

目を開けると、藤沢さんがクスッと笑ってこちらを見ていた。

「なんでもないです」

僕はそう言って、また街明かりをぼんやりと見つめる。


「僕ね、車の免許取ったんですよ」

「そうなんだ、おめでとう!」

「...今思いついたんですけど、今度三人でドライブ行きませんか?」

「三人って?」

「那澄を含めた三人です」

「那澄ちゃん?でも、外は...」

「車の中なら、カーテンをすれば大丈夫だと思います」

「...」

藤沢さんが視線を落として黙る。

「心配ですか」

「...心配だよ。...でも、那澄ちゃん喜ぶだろうなあ」

「そうですよ。東京に行く前に、三人の思い出つくりましょうよ」

「ふふ、...わかった、那澄ちゃんにも話して見るね」

そう言って、藤沢さんは顔を上げる。

「なんか、いろいろとありがとう、三浦君」

「なんですか改まって。一応僕だって那澄の彼氏なんですよ」

「...そうだよね」

藤沢さんと顔を見合わせて笑った。



きっと、現状を少しでも変える何かが、今の僕らには必要だ。

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