第43話 幕間6

『――起きたか』


 その声で蓮は目を覚ます。

 起きてはいなかったが深い睡眠の最中でもなかった。

 ……バイタルチェックでもしているのだろうね。

 薄く開いた目で蓮は周囲を見る。相変わらずの何もない部屋だけがただ映っていた。

 それよりも気がかりなのが、


「そちらは……確かゲームマスターだったかな」


 スピーカーから聞こえてくる声は加工されたものではなく、人の、男性の物だった。

 聞き覚えのある声は初日に聞いたものだ。それがなぜ今、また聞こえるのか。その事実に思い当たるものがわかって蓮は内心でため息をつく。

 最悪なことになっていなければいいがと、思っていると、

 

『覚えられて光栄だよ』


「で、どうしてかな?」


 余分な会話はする気はないと、単刀直入に告げる。

 質問はひどく曖昧だ。それでもスピーカーからは溜める様子もなく返事が戻ってくる。


『少し彼には不適切な言動、行動が見られたのでね。ちょうど休憩の時間でもあるから休ませているところだよ』


「不適切、か」


 その言葉を聞いて、胸につっかえていたものを吐息とともにに吐き出す。

 ゲームマスターの言葉を信じるのであれば、今まで応対してくれていた彼はまだ生きているということになる。その言葉を信用できるかどうかは別だが、そんな小さな嘘をつく必要は無いかと思っていた。

 それよりも、


「つまらない男なのだね」


『どういう意味かな?』


 蓮が吐露した言葉に疑問が返ってくる。

 取り繕う必要も無いと、蓮は同じことを繰り返す子供を見るような目で、


「好きに話をさせた時点でこうなることも想定の内だったはずだ。それなのに不適切などという言葉を使うとは、想像以上にだらしのない組織運営をしているのだね」


『そう言われてしまうと赤面せざるを得ないな。確かにある程度は想像していたさ。だが彼が一線を越えようとするとは思わなかったよ』


「一線?」


 その言葉に眉を持ち上げる。

 

『管理者用のパスコード、ゲームクリアの裏技さ。ある意味では君の求めていたものではあるね』


「それは──」


 蓮はそこで一度言葉を区切る。

 ……困ったな。

 内心で呟く。一瞬で沸いた激情が身体を駆け巡り、欠陥品の心臓が強く脈打つ。

 同時に襲ってくる激痛と、息苦しさに奥歯を噛み締めて、


「それは酷く愚弄された気分だ」


 その全てを表情に出さず、蓮は淡々と答えていた。


『ほう?』


「彼には伝わらなかったのかな。私が命を燃やす最後の舞台だというのにそんなことをされたら後悔しか残らないのだがね」


『なるほど』


 直後に響き渡る鐘の音のような笑い声がしばらく続く。

 ……それほど面白いことは言っていないのだけれどね。

 人の笑いのツボはそれぞれかと、納得する他ない。笑われること自体にもあまり経験のない事だったが不愉快に思うこともなかった。

 いつ終わるかと待っていると、数十秒続いたそれは余韻を残しつつもどうにか途切れ、

 

『失礼。長いことゲームマスターをしているがこのゲームに矜恃を見出したものなど一人としていなかったのでね。なるほど、彼が君に惹かれるというのも分かる』


「人たらしのように言うのは心外ではあるかな」


『大した違いはないだろう』


「理解し合えないようだね」


 そう言うと蓮は両手を肩の位置まで掲げてみせた。

 言葉をまじ合わせれば相互に理解が深まるということは幻想だったことが悲しくて、


「あ、あぁ。そうだ」


『どうかしたのかね?』


「彼から賭けに勝った報酬を貰い忘れていたんだよ」


『ああ……そういえばそんなログがあるね』


 スピーカーからは急に冷めた声が聞こえていた。

 雑談の中で出たことだ。些事に過ぎないがあえてそのことを蒸し返したのは、


「ひとつ、聞きたいことがあってね。答えて貰えないだろうか?」


『私にかい?』


「部下のことで責任を取るのも上司の役目と認識しているがね」


『ふむ……なるほど。確かにそうだね。まあ話せることと話せないことがあるからなんでもとはいかないが話してみるといい』


 高圧的な言動にも柔和な表情で返す。

 話すことは決まっている。大事なことではなく、されど自分の中では重要な、知識欲を満たすもの。


「私が聞きたいのは埋め込まれた薬のことだよ」


 気軽に、友人を遊びに誘うような明るさで蓮は尋ねる。

 その返答はなく、十秒、二十秒と経ってから、


『薬の……なんの事だね?』


 警戒を前面に押し出した声に、揶揄するような笑みが零れる。


「ああ、そうだね。言葉足らずだった。薬の埋め込まれている場所や種類などは聞いても答えてくれないだろう。ひとつ、どんな症状が出るかだけ知りたいのさ」


『っ……』


 小さく鳴った喉の音以外は、風の音も無い。

 ……あまり深読みしないでもらいたいね。

 そこに聞いた以上の意味は含まれていない。無駄に警戒されていることの意味がわからず、しかし答えて貰うためには理由を告げる必要を感じていた。

 仕方ないかと、蓮は口の端を下げると、


「毛を逆立ないでおくれよ。もし時間ギリギリになった際に死因が持病か薬の影響か分からなくなるのを避けるためなのだから」


『……君の病のことは本当かね?』


「あぁ、気になるのであれば私のかかりつけの町医者に聞くといい。保険適用内でよくやってくれた方だよ」


『治療に専念するという手もあったはずだが? 大学病院に通うよう医者からも言われただろうに』


「あぁ。ただ両親が私に金を使うのがもったいないと感じる人種だったようでね。通うにも金がかかるし原因も症状も例がない。この病が見つかったのですら三日間医師が付き添ってようやくといったもので、処方箋すら書くのに難儀するものだったよ」


 懐かしく、そして苦しい思い出を見つめて、蓮は胸に触れる。

 両親とはろくな思い出がないがそれ以外の人間関係には恵まれていたと思う。いや、幼少期から原因不明の夜泣きを繰り返すだけの子供を何年も相手していたのだ、今生きているだけ温厚な親だったのかもしれない。

 私を売った金でそこそこいい物でも食べられたらしこりもなくなる、蓮がそんなことを思っていると、


『両親を恨んでいるのかね』


 あまりに場違いな質問に蓮はむせていた。

 ……殺す気かな?

 胸を叩き、何度も大きく咳をする。心臓の痛みだけでなく肺まで痛くなってクラクラと頭が酸欠を訴えていた。

 それをどうにか落ち着けて、


「はあ……意外と俗物的なのだね」


『というと?』


「個人としてお互い不干渉でいると決めたのだ。恨む憎むという感情すら沸かないよ。子供の時分に食べさせてくれた分は感謝してもいいがいまさらなにかしようということもないね」


『そうか』


「歪だと思うかね?」


 蓮が尋ねると間髪おかずに否定の言葉が帰ってくる。

 

『あいにく他人の家庭環境に口出しはしない主義なのでね』


「いい心がけだよ。私に子供がいたら伝えたいくらいには」


『我々としてもゲームが終わるまで死なないでいてくれたら問題はない。その後賞金で治療するのであれば協力するし検体になるというならば私達が責任をもって最後までやり遂げよう』


「ふむ、まるで私が殺されることがないと断定しているかのような口ぶりだね」


『断定ではないが死ぬ気はないのだろう?』


「当然」


 そう言うと蓮は顔に強く笑みを作る。

 方法も手段も確立はしていない。というかできるはずもないが自信だけはある。

 それを象徴するような顔に、


『ふふ、楽しみにしているよ。さて、先程の質問だが目に見えて分かる症状は吐血だね。流石に何処が悪くなるという答えは言えないよ』


「十分さ」


 吐血か、都合がいいね。

 筋弛緩剤のような症状だと倒れるように死んでしまうため、悪くないと思っていた。もちろん死ぬ気など無いが。

 聞きたいことは聞き終えたと蓮は目を閉じる。が、すぐに目を開き、


「あぁ一つ。彼についてなのだが」


『どうかしたのかな?』


「ゲームが終わったらきっと金が必要になると思うのだよ。だから私が得た賞金は彼に全部渡すよう確約してほしい」


『断られていたと記憶しているが?』


 スピーカーからは茶化すような声が流れていた。

 確かにそう言われた。それは正しく記憶している。

 だから、


「だから君に頼んでいるのさ」


 上司からの命令という形ならば否定出来ない。そういう性格だと把握していた。

 微かな笑い声が漏れていた。なぜ笑うと、首を傾げていると、


『……承知した。必ず受け取るように命令する。が、なぜ彼に金が必要になると思うのかね?』


 探るような声質に蓮はただ目を細めて、


「それは、その時になったらわかるさ」


『食えない人だな』


「ありがとう。誉め言葉にしては上品すぎるね」


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