第39話 幕間5

 日が開けて翌日。

 用意された食事で軽く腹を満たした蓮は狭い部屋の中で壁沿いを歩いていた。

 何周か分からないほど歩いた末に、


「困ったな」


『あなたでも困るということがあるんですね』


 ぽつりと呟いただけの声を拾い、返答があった。

 おかしなことを言うな……

 人間困らずに生きていけるものなのだろうか。悩み、考え、追究して人は成長する。今ですら随時困ることばかりでそれを口にしていた。その状況を見ていたはずの彼から出てくる言葉とは思えなかった。

 それとも、今までの事は全てパフォーマンスに過ぎないと思っているのだろうか。必死になって頭を働かせている方からすればその評価は薄ら寒いもので悲しくなる。

 蓮は定位置に座ると足と腕を組んで分かりやすく困っているという表情をする。

 

「当たり前だろう。そんなことしょっちゅうさ」


『それで、何について困っていたんですか?』


 まるで用意して置いた答えのように間髪置かずに尋ねられ、扱いが雑になってきていないかと蓮は目を細めてカメラを見ていた。

 返答がない。当然だ、聞いているのは向こうなのだから。

 しばらくの間黙っていた蓮は嘆息すると、


「話す話題がなくなってしまったのさ」


 嘆かわしいとばかりに肩をすくめて見せた。


『……黙っていればいいのでは?』


「そうもいかんだろう。ここは娯楽提供の場なのだから、役に徹するべきと考えるがね」


『いや、それはゲームの方の話であなたに求められていることでは無いのですが』


「つまらないことを言う。人を楽しませる苦労を知らないようだ」


 最近の若い子はこれだからいけない。上昇志向が足りないのだ。

 蓮が軽く頭を振っていると、


『何故私が憐れみを受けなければならないのでしょうか』


 スピーカーからは若干苛立ちの混じった音声が流れてきていた。


「君の発言から生じたことだろう、仕方がないね」


『……話題がなければ大人しくしていてください』


「おや、感情的になる理由は無いはずだが?」


 その言葉を最後にスピーカーからは声が途絶える。

 理由はわからないが怒らせてしまったのだろうか。短気は損気だと伝えるべきか否かで蓮は悩んでいた。


「だんまりはよくないな」


 よく沈黙は金というが、あれは謝罪の時の場合だ。基本的に黙っていればいるほど損することが多い。

 と、言うほどのことでもないと処理していた記憶の中から一つのワードが浮かんできて、


「そうだ。だんまりで思い出したよ」


 それを声に出していた。


『何をですか?』


「今日が何日かかだよ」


『……何日だと思いますか?』


 ずいぶんと溜めてスピーカーから聞こえた声には喜色がはっきりと見て取れた。


「ふむ、やけに楽しそうにするね。当てられないとでも思っているのかな?」


『どうでしょう?』


 やけに挑戦的な物言いについ蓮の口角も上がっていた。

 自信があるということなのだろう。それを打ち破るというのはひどく快感を覚える。

 蓮は頭にカレンダーを思い浮かべながら話始める。


「ちなみにだがご存知の通り私の記憶は六月の十日で終わっている。普通ならそこから一日二日と想像するだろう」


 三百六十五日のうち一日を当てるということは難しい。しかし気温や天候などである程度は簡単に絞り込める。一パーセントもなかったところから一月まで絞り込めば確率は十二倍。もちろんその推測があっていればだが、勝算なくそんなことを言うはずもなかった。

 冬ということはない。夜でも快適に過ごせることから初夏、ないしは晩夏の可能性が高い。

 さてそこからどれだけ絞り込めるだろうか。その考えを妨害するようにスピーカーが鳴る。


『そうでは無い、と?』


「そうでは無いのだろう?」


 だとしたら普通過ぎてつまらないし時期も合わない。今年は夏が遅いというニュースがあったので六月中旬ではまだ肌寒く感じることだろう。

 それよりも後でなおかつ暑くもなく寒くもない、そんなちょうどいい日となると……

 

「予測だが今日は七月八日、開始日は七夕だったのではないかな?」


『根拠は?』


 否定はない。それよりも理由を求められたことに蓮は笑みを浮かべて答える。


「ゾロ目は気分がいいから」


 それは本心から出た言葉だった。

 どれだけ憶測を重ねたとしても最終的には二週間ほどの範囲でしか絞ることができなかった。であるならば適当に選んだというよりかはゾロ目のほうがまだしっかりとした理由になる。

 だから多分不正解なのだろうと予想していた。

 それでいい。なぜなら―― 


『ふざけています?』


 案の定不機嫌さを表に出した声に蓮は思わず吹き出してしまう。

 そうではないさ、と前置きしてから、


「大事なのは日付ではないからだよ。親族など親しい者に売られ、ひと月近く薬物により昏迷させられてようやく中途半端な自由を手に入れた。そちらの方が主題という訳だ」


 本当に話したかったのはそちらのほうだった。

 人を誘拐しておいて問題がないはずがない。いっそそのまま海外にでも籍を移したほうが楽なくらいだが、そう何人も別々の理由を考えるのは手間だ。

 なら一番楽なのが口裏を合わせてくれる協力者を用意することだ。

 もはや推理でも何でもない。当然のことすぎて話すことすら忘れていた。

 誰からも恨まれず、邪険に思われずに生きていられるものなどいない。自分の手を汚さずにわずかばかりの報酬があれば遊び感覚で協力するものもいるだろう。

 もっとも、

 ……私の場合は積極的に売られたのだろうけれどね。

 頭に浮かんだ二人の顔が過去見たことないほどの笑顔でいることを確信出来て、蓮はため息をついていた。

 スピーカーからは明らかに狼狽えているとわかるほど震えた声で、


『記憶があるはずない』


「ないさ。ご丁寧に髪や爪まで整え時間の経過を感じさせないようにしたのに、そんな詰めを誤るようなことはしていないよ」


『では何故?』


「外ではなく中の問題さ」


 そういうと蓮は自分の胸に拳をとんとんと押し当てて見せた。


『……体調が悪いのですか?』


「心臓がね。類を見ないほどの難病で余命はとっくに過ぎているが何故か生きている、医者からは匙を投げられたよ」


 苦笑しながら、蓮は嘘偽りなく答えていた。

 突発性心不全。原因はわかっておらず、時折強い動悸に襲われ、それ以外の時は全く問題ない。幼少期からその症状があったが大人になるにつれその感覚がひどく短くなっていつかは心臓が止まるとされていた。

 脳か神経か、心臓自体に問題があるのかすらわかっていない。ただ頻繁に悲鳴を上げる心臓のせいで正常な生活を送ることが困難ということだけは確かだった。


『そのような報告は上がっていませんが』


「誰にも告げていないからね。それに通常の検査では滅多に判明しないらしい。せいぜい不整脈くらいでね。死後検体として利用されることが決まっているのだよ」


『それでどうしてひと月と?』


「いつも飲んでいる薬が相性が良いらしくてね。飲んでいる間は調子がいいのさ。ただ以前にも一度薬を飲むことをやめたことがあって、その限界がひと月というわけさ」


 服薬中でも動悸はあるが、程度も頻度も抑えられる。耐えられないほどになるのがひと月で、今がちょうどその時と同じような感覚だった。

 いや、あの時よりもよりひどい。もはや薬で抑えることもできないだろうと、蓮は経験から感じていた。

 ……もってあと二、三日か。

 なるべく無駄な体力を使わないようにと睡眠を多くとっていたのはこのためだった。ゲームとは関係ないところで死ぬわけにはいかない。今はそれだけで十分だった。


『そういうことは早く言いなさい』


 スピーカーからは叱咤する声に混じって、ガチャガチャと雑音が混じっていた。

 それが意味することは分からないが、忙しいのだろうなと蓮は思って口を開く。


「なに、治したい訳では無いさ。むしろ最後にこのような大きな舞台を用意してくれただけ感謝したいくらいだよ」


『飲んでいた薬の種類は? 用意できるものもあるはずです』


「いらんよ。心配しなくてもゲームの最後までは生きていられるはずだ」


 たぶんね、と口には出さずに心の中で答える。


『賞金はどうするつもりですか? そのためにあんな賭けにまで出たのでしょう』


「賞金か。すっかり忘れていたよ。そうだな、君が使うといい。死に体の私よりも有意義な使い道が思いつくだろう」


『いりません』


 即答だった。

 少なくない金であるはずなのに断られると思っておらず、蓮は目を伏せる。


「受け取ってくれなければ困るのだがね。棚ぼたであの親共に金がいくのも愉快では無いし」


『自分で使えばいいことでしょう』


「価値観の違いだろうね。死に場所を選べることは私にとってとても幸福なことであるのだよ」


『そんなことは聞いていません』


 ……困ったな。

 話は平行線を辿っていた。何を言っても彼が引く様子がないとわかってしまい、


「なぜだね?」


 疑問をぶつける。


「なぜ、私の死をそれほどまでに疎んでくれるのかな」


『なぜって……そんな不思議なことですか?』


「そうだね。普通ならば不思議でもないさ。しかし君たちは殺し合いをさせたいのだろう。そのうちの一人が病気によって死ぬというだけの話だ。ゲームに大きく影響するわけでもない」


『それは……』


 言葉は続かない。

 ……あぁ、そうか。

 申し訳ないことをしたな、と考える。だからそれ以上は言ってはいけないと蓮は考えて、


「双方納得の上。むしろ好ましい状況と言えるだろう。気に病む必要はないのだよ」


『私は――』


 駄目だよ、それは言ってはいけない。

 蓮の願いは軽々と踏みにじられる。


『――私はあなたに生きていてほしい』


「……そうか」


 ふう、と大きく息を吐く。

 そして目を閉じた蓮は、


「私は少し眠らせてもらうよ」


『……はい』


スピーカーはそこで完全に沈黙した。

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