第10話 火球

 目が覚める。円盤は消えていた。いつの間にか僕は変わり果てた彼女を抱きしめて眠っていた。ここの灯りは上と違って時間によって明るさが変わったりはしない。常に薄暗い。体中が痛い。足も痛いが昨日ほどでは無い。動かせそう。あれだけの大怪我を負ったのに。



「……そいね……して……もらっちゃった」


「朱莉!?」


 かすかに聞こえた声。彼女の声が聞こえた。体を起こして彼女を見る。瞼は開いていない。口が僅かに開いていて中は艶がある。体も温かい。胸が僅かに上下している。


「朱莉っ、生きてた。よかった……」



「――ごめんね。痛い思いさせた。余計な事をした」


「……なまえ……よんでくれた……いっぱい」


 息を押し出すようにかすかに聞こえる声。


「水はまだ飲めない? 口だけでも湿らせる?」


「……ちゅう」


 そんな状態で何言ってるんだよ。僕は涙目で笑ってしまった。


「虫歯菌がうつるからだめだよ。――飲み込まないでね」


 僕は携行食のパンを小さく千切って水で湿らせ、彼女の頬の中に押し込んだ。



 ◇◇◇◇◇



 朱莉は生きていた。体中が焼けただれ、呼吸も止まっていたのに生きていた。そして今では苦しみ悶えることもなく、静かに横たわり、そしてときどきお話している。この体は朱莉以外の何物でもない。死んでしまったら空っぽになる。そういう絶望――以前なら、医療の発達していた世界なら当然感じられた絶望――それが感じられない不思議さがあった。そして実際に蘇った。



 慎重に行こう。ここでは僕自身も意外と丈夫だ。あの炎に焼かれたのに、棘に貫かれたのに、翌日になれば問題なく活動できている。食料はまだある。朱莉は――わからないが、どこか徐々に回復しているようにも見えた。


 食事を終えた後、まずは魔法の確認をした。第一位階は9回、第二位階は6回、第三位階の魔法は3回使える。一晩眠れば元通りになる。そして願いの魔法。これは0回のまま。こちらはわからないが今はいい。


 先に探知の魔法を使う。今度は経路が示された。今日は部屋を出て右。昨日とは逆方向。


「朱莉、行くよ」


 彼女の頬を撫でて、運搬の魔法と障壁の魔法を使う。

 扉を開ける。左に向かう通路。この扉は通路の最奥だったようだ。

 経路の通り進み右に曲がると、少し広い部屋に出る。


 部屋の奥には祭壇らしきものがあった。いつもの神像は無い。もちろん女神像もない。興味はあったが経路はすぐに右手の通路に続いていた。迂闊に近寄らず、すぐに部屋を出る。


 真っすぐの広く長い通路。まだ探知の魔法を使ってすぐだから大丈夫とは思ったが、念のため幽視の魔法を使う。――瞬間、僕の意識は一息に通路の突き当りまで飛ぶ。途中には何もいなかった。突き当りの近くには上への階段。階段の周囲や横道にも何も居ない。


 問題なさそう。僕は早足で進み、七階を後にした。



 ◇◇◇◇◇



 地下六階――複雑な経路で示される帰還の道程。当然のようにあの短絡路は迂回されていた。ここは構造が複雑な上に徘徊している怪物が多いように感じられる。念のため、一度探知を使いなおすと、案の定経路が変わってしまった。



『ろろ……ろろ……ろろ……』


 あのライオン蟻の声が聞こえる。けれど今は使ったばかりの探知を信じて進む。

 徐々に大きくなっていった声は、やがて再び離れて行った。



 短絡路の反対側に着く。この短絡路は危険だ。地図に印を入れておく。元の地図に印が無いということは、最近居座った怪物だろうか。


 経路はやはり広めのホールを避けて進んでいる。ホールはやはり危険が多いのだろう。近くを通るたびに探知の魔法で経路を確認する。僕はさらに3回の探知と幽視の魔法を消費して地下五階への階段へ辿り着いた。消耗は大きかったが地下六階は正念場だった。



 ◇◇◇◇◇



 地下五階――階段は近い。多くの扉があるが、昨日のならなんとかなりそうな気がした。



 ――そしてやはり居た。あの扉の多い通路に黄色い炎を纏ったクロークの人影が二つ。一つは向こうを向いている、もうひとつはこちらを向いて離れたところにいる。


「こんにちは……」


 昨日と同じように声をかけてみる――。



 ――しかし、振り返った顔は怒りに満ちていた。白い眼を見開いて、唸り声を上げる。制服を着たおさげの女の子で手には小さな杖ワンドを持っていた。そして彼女が上げたのは唸り声ではなかった。


 ――炸裂音が目の前で響く。障壁によって致命傷ではなかったが胸に痛みが走る。油断していた。昨日のような友好的な存在だとばかり思っていた。彼女は再び詠唱キャストを開始する。僕も同じく詠唱を――そう思ったところで周囲が静寂に包まれる。突然のことに耳鳴りが聞こえる気さえした。目の前の彼女も口をぱくぱくさせるだけだ。


 ――ワンドを持った女の子は杖を振りながら何か言っている。僕は朱莉と共にその脇をすり抜け、通路の奥へと進んだ。


 ――奥に居たもう一人。胸当てをつけた男は口を開けて笑っていたように見えた。


「ありがとな」


 よくわからなかった。はっきりしているわけではないが、彼が助けてくれたような気がした。だってそう考えた方がここでは幸せだったから。



 ◇◇◇◇◇



 地下四階――中央の巨大なホールを経路が避ける。来た時と同じだ。長くカーブした通路を進む。ここの怪物にはまだ遭遇したことが無い。進み始めたところで念のためもう一度、探知を行う。すると探知は逆方向を示した。つまり、この先の長い通路が全て、何者かに占拠されていると言うことだろう。


 僕たちは引き返し、逆回りの経路で巨大なホールを迂回する。ホールが広いだけあって通路が余計に長く感じらえる。時々通路を変えながら経路は進んでいった。そしてかなり長い距離を歩いたあと、前方に何かの声を聴いた。


 使える探知はあと2回。幽視は1回。戦闘は避けたい。


 意を決し、探知を使った――。


 ――しかし経路が示されない。つまり、どのルートにも僕では対処しきれない怪物が居ると言うことだろう。音の出どころの確認を――。


 ――幽視で意識を通路の先に飛ばす。正面から猫背の人型の生き物――闇のような黒い眼球、唇のない牙の並んだ口、鋭く大きな爪を持つ――が足早に歩いてくる。そしてはじわじわと姿が背景に同化していく。


 ――後からさらにもう一体歩いてくる。しかし、その先、人が大勢居た。黄色い炎など纏っていない、普通の人間――顔ぶれまで確認する時間は無く、魔法は途切れてしまう。


 五十嵐たちか? 五人よりは多く見えた。パーティ二つ分くらいか? そもそも六人のルールって何だったのかと思う人数。余力は少ないけれど、無理をしてでも合流した方がよさそう。


 障壁の魔法を使う。これでもう残ったのは火球が3回分のみ。しかも相手の位置はよく見えない。カーブの内側に身を隠しながら足早に進む。通路を出て開けた場所。そこに人間の一団が居て円陣を組んでいる。敵の姿が見えない。しかし――。


 ――姿を消していた怪物が、円陣の隙を突くように殴りかかってくる。そして一撃を加えて離脱。再び姿を消す。それを繰り返している。この通路からだけではなく、他からも襲ってきている。何体かの怪物の死体が転がっているが、まだ数が居そうだ。


 僕は円陣を巻き込まないように、少し手前を狙って火球を放った。火球は直径にして10mほどを焼き、その中に居たであろう姿の見えない敵の死体を四つ作った。


『ミナトか!?』


 誰かがそう言ったように聞こえた。僕は杖を振って応えるが、同時に背中から組みつかれる。両肩と首に激痛が走る。


「こなくそォォォ!」


 駆け寄ってきた誰かが背中の怪物を殴りつけ、怪物は剥がされる。彼は更なる一撃を加え、怪物は沈黙した


「ミナトさん、これ……篠崎……?」


 五十嵐だった。


「ああ、まだ生きてる。余力があるなら治癒魔法を頼む」


 五十嵐は治癒魔法をかけた。いくらか肌が再生されるが、負傷が酷すぎるのかあまり効いたようではない。


「聖堂に連れていかないと、オレの魔法じゃ無理だ」


 通路内に怪物が残っていないか警戒しつつ、僕たちは合流した。そしてさらに火球を打ち込んで姿隠しアンシーンと彼らが呼ぶ怪物を倒していくと、やがて残っていた姿隠しも引き上げた様子で静かになった。


「一度下がろう。またホールから姿隠しが押し寄せてくるかもしれない」


 五十嵐たちのリーダーの指示で一団は地下三階への階段まで後退した。



 ◇◇◇◇◇



「ミナトっち! そんなボロボロになって」


 さやっちさんが来てくれていた。他にも三島や佐伯さん、宮下や白木も居た。残りは五十嵐の所属するパーティ。10人で僕らを探しに来てくれたそうだ。


「僕よりも朱莉が……こんな状態にしてしまって……」


 皆の沈黙がつらい。


「……だいじょうぶ……だよ……せんぱい」


「朱莉っ、起きてたの。皆が迎えに来てくれたよ」


 僕は朱莉の頬に触れる。黒く爛れた肌が痛々しいが、彼女は安心したようにほうと息を吐いた。


「こりゃミナトっちの女好きも極まれりだな、死んでも付きまとわれるぜ!」


 ギャハハと笑う佐伯さん。なんだか疲れてしまって彼女にはもう何も言えないが、屈託のなさには助かる部分もあったからか、思わず自嘲してしまった。


「先輩、マジすげぇわ。尊敬するッス」


 そして三島に言われても嬉しくないな。


「そうだこれ」


 僕は女神の断片と言われるミイラの腕を五十嵐のパーティのリーダー、柚月さんに渡そうとするが――。


「持ち帰ったのは君だから、君が持っててよ」


「はぁ。そうですか……」


 正直、こんなものは持っていたくないのだけれど、朱莉が必死に抱きしめていたのを思うと無下に扱うこともできなかった。

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シャーレの中の彼女 あんぜ @anze

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