第9話 朱莉

「来るだけなら何とかなるものだね」


 ゲームなんかだとやり直しが利くのだろう。確率の問題だ。

 現実では――不確定要素を確立にするのは横暴だ。

 それならゲームではなくパズルにするんだ。

 ここの怪物の数はそうは多くない。

 勝てる道を選んで行く。



 しかしそう上手くは行かなかった。


 真っすぐの通路の途中に何か巨大なものが居座っている。五十嵐たちの話では、爪が鋭く、角と蝙蝠の翼が生えた巨大な人型が数体居たらしい。ただ、通路に居るのはまた別のやつだ。小巨人なんかではない、巨人そのもの。通路の高さがそこまで高くないため、巨人は前屈みになって片手をついている。動きは鈍いが、この通路に入ってからそう時間は経っていないはず。だが、これがいつまで居座るつもりか……。


 時間が無い。こうしている間にも篠崎が死んでしまうかもしれない。少なくとも彼女は移動していない。生きているとしたら瀕死の可能性が高い。だが、最後の探知を使ってしまえば後が無い。


 ――無駄だったか。結局、僕のしたことは一時の感情による暴走だった。上のやつらの方が正しい。喩え洗脳されていたとしても。でも――。


 僕は最後の探知を使う。迂回路が示される。足を庇いながらもそちらに急ぐ。部屋をいくつも経由する。怪物は居ない。短時間であれば、こんな複雑な経路でも運よく通り抜けられる。



 ◇◇◇◇◇



 篠崎さんは居た。いくつもある部屋の一室の壁にもたれるようにして。投げ出された彼女の両足は黒く焼け爛れていた。


「篠崎っ! 篠崎っ!」


 僕は駆け寄り声をかける。まじまじと眺めたことは無かったけれど、綺麗だったはずの両足が、昨日まであったはずのものが失われているというだけで悲しくなった。


「――せんぱいだぁ」


 彼女を抱き起すとうつろな目を向けた。乾いた唇でそう喋った。


「――ねがいがかなっちゃった」


「うん、何でも願いは叶えてあげるよ。だから死なないで。お願いだから」



 ぱちん――何かが弾けたような音がした。



 辺りを見回す。がらんどうの部屋。何かが居る様子は無かった。僕は彼女に水を飲ませた。荷物は持っているけれど、水筒を開けた様子は無かった。体がほとんど動かないようだ。そして彼女は棒きれのようなものを力なく抱きしめていた。


「篠崎さん、これ何?」


「――なまえでよんで」


「えっ」


「――なんでもねがい」


「朱莉さん」


「――さんはやだ」


「朱莉」


 彼女は満足げに微笑んだ。


「――めがみさまのだんぺん」


「これが?」


 棒切れのようなものはよく見ると何かの生き物の腕のようにも見える。乾燥したカラカラのミイラのような。


「――おねがいしたの、せんぱいにあいたい」


 ここに来たのは僕の意思だ。無謀で無茶苦茶だったけれど、女神様の力じゃない。辿り着いたのは――もしかしたらそうなのかもしれないけれど、少なくともここに入ろうとしたのは僕の意思だ。けれど――。


「僕も女神様にお願いしていいかな。朱莉とここを出たい。もう探知の魔法を三回使い切っちゃった」


 彼女は女神の断片と呼ぶ棒切れを弱弱しく渡してくれた。

 彼女を横たえると、断片を床に置く。その前に手持ちの金貨を全部出す。

 僕は祈った。彼女の回復とここからの脱出を。


 ――しかし金貨が消えることは無かった。成就されたという声も聞こえない。


「祭壇とは違うみたい。金貨が消えない」


 僕は彼女の手当てを始めた。金貨で治せない以上、他に手は無い。何とか背負って帰る。


 ――だけどそうだろうか。下手に動かず、この場で死体となった方が逆に安全じゃないのか? 今ならまだ体が残っている。怪物に食べられてもしたら……。自分の行動に自信が持てなくなってきた。余計なことばかりしているのではないのか?



 ◇◇◇◇◇



「――さんかい……じゅもんしょ」


 彼女はしばらく目を瞑っていたが、そういい始めた。


「呪文書?」


 僕は自分の呪文書を荷物から引っ張り出す。そういえば最初の頃に見ただけで、あのあと確認していなかった。


「これって――」


 まず目についたのは呪文の種類が増えている。破壊・障壁・灯り・眠り・探知。そして飾り枠に囲われた数字、『6』。第一位階の魔法がまだ6回は使える。


「――増えてる。いつの間に」


 欲しいと思っていた魔法も増えている。そういえば三島の魔法。あれも最近は4回以上使えていた気がする。どうして気が付かなかったのだろう。三島も佐伯さんも教えてくれなかった。いや、あの二人に他人に対する気遣いとか求める方が間違ってるか。


 呪文書を捲っていくと、それぞれの魔法の使い方が示されている。障壁は攻撃を遮る防御の魔法のようだけれど、自分にしか使えない。これでは朱莉を守れない。眠りは集団に効果を及ぼす。だけど相手によっては効かないのは知っている。ここで通用するだろうか。


 いつもの探知まで捲り進めた。が――まだ先がある。白紙のページではなく、その次には第二位階の魔法が記されていた。鈍足・運搬・悪臭・幽視。鈍足はこれ、佐伯さんが使っていた魔法だ。運搬は大きな荷物を運べる。悪臭は集団を行動不能にする。幽視は視界の先、通路の先を見通す――これだ。飾り枠の数は『6』。


 そしてまだある。第三位階。火球。ひとつだけ記されていた。飾り枠の数は『3』。


 第四位階はなかった。パラパラと最後まで捲っていくと、最後の最後のページに、第九位階の魔法が一つ書かれていた。願い。飾り枠の数は『0』。


「えっ……」


 これは何? どうしてひとつだけこんな離れた場所に。最初はこんな後ろのページまで見ていない。いつからあった?


「朱莉? 呪文書の最後に願いって魔法があるの知ってる?」


 彼女はほんの少し首を振る。使える回数がゼロでは意味がないか。いずれにしても、彼女はこのままでは持たない。けれど、手持ちの魔法なら何とかなるかもしれない。



 ◇◇◇◇◇



 僕は運搬の魔法を使う。横になっている朱莉の下に丸い円が描かれると、円は円盤になり淡い光を放つ。円盤は彼女を持ち上げ、30cmほどの高さに浮く。円盤は僕の傍なら自由に動かせるし、移動に合わせてついてくる。


 障壁の魔法を使う。いざというときは彼女の盾になる。上の奴らからしたら無駄なことだろうね。でも僕にとっては大事なことだから。


 探知の魔法で教会を目指す。だけど経路が出ない。何故?

 よく考えろ。こんな状況で焦っているのは確か。だけど理由がわからない。


 扉を開ける。ひとつ前の部屋は三方に扉。ひとつはここ、後の二つはこちらか見て左右。来たのは左から。天井には何もない。


 理由が思い浮かばない。けれど探知なしではここからの脱出は不可能に思える。

 再び探知の魔法を使う。やはり経路は出ない。

 左側の扉を開ける――。



 ――理由が分かった。巨大な人型。朱莉たちを襲ったと言うあれが隣の部屋に居た。


 は既に鋭い爪をもつ長い腕で殴りかかってきていた。扉を開けるなり襲い掛かられた。僕は半身を扉で隠すことで精いっぱいだった。左腕を裂かれ、扉が開いた反動で今いる部屋の中央へと刎ね飛ばされる。


 痛みに耐えながら立ち上がる。障壁が効いてこれ?


 幸いなことにあの巨大さ故、はこちらの部屋へとは入ってこられずにいた。頭と左腕を強引に部屋に突っ込んできていたが、僕たちまで手が届かないでいた。落ち着け――この状態なら魔法で倒せないか? 第三位階の魔法もある。まずは破壊の魔法で――。



 ――甘かった。彼女の火傷を思い出すべきだった。は口から炎を吐いた。灼熱が僕たちを包み込む。攻撃に転じようとしていたおかげで彼女を庇うことさえできない。瀕死の彼女を視界いっぱいの赫い光が飲み込む。悲鳴は聞こえなかった。――このときの僕には後悔しかなかった。



 ◇◇◇◇◇



「朱莉……朱莉……」


 変わり果てた彼女。彼女を死なせないためにここまで来たと言うのに、僕がきっかけを作ってしまった。あのままここでいた方が苦しむことも無かった。朱莉は返事はおろか、息もしていなかった。触れるのも痛々しい。だけど僕は何度も彼女の名前を呼ぶ。


 元の部屋に逃げ込んだ僕は、魔法の円盤に載せられ、浮いたままの彼女の手を取っていた。死んでいるとは思いたくない。


 赤みがかった髪も、柔らかな唇も、生意気そうな眼差しも、今は光をなくした黒に覆われ見る影もない。でも、彼女の存在を感じるのは何故だろう。佐伯さんの復活を見てしまったから? 以前なら、死んだ体はもう何者でもない――そう考えたはず。眠っているだけ――そんなものは残された者の願望だと。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る