第8話 探知

 動悸がする。体中に嫌な汗が噴き出る。息が詰まる――。


 五十嵐の説明を聞いているが、ふらついて立っているのもやっとだった。

 五十嵐も他の奴も怪我を負っていた。彼も司祭らしいのに自分の怪我も治せていない。


「お前、篠崎さんが好きだったんだろ……どうして一人でここに居るの」


「そ、それはオレだってよ……」


「生きて帰んねえと死体を回収して蘇生もできねえだろうが」


 別のパーティメンバーが言う。の感覚ではこれが普通なのか。



「――死体だって? 勝手に殺すなよ。ふざけんな。あの子を何だと思ってるんだ」


「先輩よ、こいつらの判断は間違っちゃいないッスよ。こいつら儲けてるから蘇生は難しく――」


「だまれ三島! お前だって同じクラスの同級生だろ。何とも思わないのかよ!」


 僕は声を荒げた。普段、怒ったことがあまりなくて上手く言葉が選べない。


「そうは言うけどよ……」


「すぐに……今すぐに助けに行こう。誰か一緒に来てくれないか?」


 周りを見るけれど応えてくれるものは居ない。五十嵐のパーティは満身創痍でそれどころじゃないのはわかる。だけど他の大勢居る者も誰も応えない。


「無茶言うなよ。聞いてただろ? 七階だぜ? オレらまだ四階に着いたばかりじゃんか」


 宮下、お前まだどこも怪我してないだろ……。


「悪いがこれはこいつらのパーティの問題だからな。こいつらだって回復すればまたその子を迎えに行けるだろう」


 白木はいつもドライなやつだ。だけど――。


「悪いね。僕はパーティを抜けるよ。死体は回収しなくていい。元の世界に帰れるか試してみるから」


 僕は今まで作った地図の束を荷物から出すと、さやっちさんに手渡す。


「これ、さやっちなら読めるでしょ。僕は篠崎さんを迎えに行く。真剣に彼女のと事を考えるって約束したからね」


「――無茶だよ、絶対死んじゃうよ。あの人らに任せよ?」


「僕もいい加減、ここにイラついてたんだ。こんな場所の常識に慣れたくない。――くそくらえだよ!」


 最後の言葉は誰にでもなく、この教会――いや、ここの全てに対して叫んだ。



 ◇◇◇◇◇



 僕はいくらかの携行食と水を持ち、単身、南のカタコンベへと入った。南は微妙に球の照明の色が違う。

 入るときに五十嵐が自分の地図を僕にくれた。彼はあの子をお願いしますと頭を下げた。ただ、あまりに無謀なことだ。餞別のようなものかもしれない。


 僕はただひとつ使える魔法、探知を使う。

 複雑な経路を描いて地下七階への道が示される。


 地図と照らし合わせると、必ずしも階段へは直行していない。僕にとっての危険を避けてくれているのだろう。ただ、怪物も移動する。このままの経路がいつまでも有効とは限らない。


 なるべく手早く道を確認し移動する。普段からスニーカーを履いていてよかったと、この時程思ったことは無かった。走っても比較的静かに移動できる。おまけに僕の装備はかなりの軽装だ。いつもなら皆の鎧やブーツが音を立てるため、気にもしていなかった。


 静かだと言うことは逆に怪物の動きを知ることもできる。さやっちさんのように目がいいわけではないが、怪物によっては明らかに音を立てている奴らが居る。クロウキンの集団がこれほど五月蠅いとは思ってもみなかった。



 ◇◇◇◇◇



 地下四階――ここまでは上手く怪物どもをやり過ごせた。西とは違った怪物も居たけれど、接触せずに済んだ。そして南のカタコンベにもあの文字があった。女神――断片と言っていた。断片は回収されていない。逃げる途中で失ったらしい。だが今はいい。


 探知の魔法の経路は、四階の中央の巨大なホールを大きく迂回するようになっている。ホールをまっすぐ進めば次の階段だが、ホール内には壁がないため中央部は球の照明が届かず、暗いらしい。周囲の通路からはホールにいくつもの場所で繋がっており、何本かある通路自体もホールを取り巻くようにカーブを描いている。


 経路はさながら阿弥陀くじのように進んでいた。何が居るのかわからないが、とにかくこの長い通路で怪物に遭遇したら、容易にはやり過ごせないだろう。こちらはなるべく静かに歩き、通路の先から反響してくる音が無いか、探りつつ進んでいった。



 ◇◇◇◇◇



 地下五階――ここからは篠崎さんのパーティも未踏の地が多い。いくつかの通路の先は探索されていない。そしてここは部屋の数が多い。通路も複雑で探知の魔法が無ければ迷う可能性が高い。ただ、幸いなことに次の階段自体は近かった。


 左右に扉のある通路を進む。扉を開いて怪物が出てくる可能性もあるが、いくつかの怪物は扉を開けることができないらしい。特に、内開きなのもあって、部屋から出ることは難しいそうだ。そのため、怪物が突然出てくる可能性は低いと言う。


 ただ、それも知性のある人型の生き物となると話は別だ。そう、目の前に出てきたこの黄色い炎を纏った人型のように――。



 扉を開けて出てきたは僕らと似た格好をしていた。杖を持ち、クロークを纏っていてブーツを履いているが、下に着ているのはどこかの学校の制服だ。


 ――だから僕はうっかり普通に接してしまった。


「こ、こんにちは」


 しかしフードを上げたの顔は青白く、瞳が白かった。尋常ならざる存在であることがわかると、――しまった――と、僕は後退りを始めていた。


『こ……こポォ……ちは』


「えっ、話せるの?」


『め……が……さめ……た』


「目が覚めた?」


 どういう意味だろう。単純に起き掛けなのか、そもそもは眠るのだろうか。

 彼はそれ以上答えることなく、よたよたと通路を歩いて行ってしまった。


 好奇心に勝てず、彼の出てきた部屋を覗いてみてしまった。やはりがらんどうの部屋に見えたが、壁の一か所に四角い穴が開いていることに気が付いた。高さは50cmもない。幅は2mくらい。奥行きもそれほどあるようには見えない。そしてその近くの球の照明。あの触るとビリっとくると言われてるアレが割れていた。



 ◇◇◇◇◇



 地下六階――ここはさらに未踏の地が多い。しかも階段までの経路が地図に記されていない場所を通る。今回、地形をあらかじめ把握してない場所を通るのは初めてだ。慎重に進んでいく。ここは扉も多いが広い部屋も多い。そしてあまり広い部屋の場合、部屋の中央へは十分な光が届かず、闇が生まれる。


 闇の中の存在は、黒く何かが蠢いているようにしか見えない。逆に向こうからはこちらがよく見えるのではないだろうか。経路はその広い部屋を避けるように進んでいる。だが――。



 通路の先に明らかに何かが居る。探知の魔法はこのまま通路を進むように指示しているが、最初に使ってからずいぶんと時間が経った。回数は限られる。生きて帰るつもりなら帰りの分も必要だ。仕方なくもう一度、探知の魔法を使う。


 ――迂回する経路が示された。ただ、示された経路も複雑だ。間違えないよう、そしてできるだけ速足で進む。



 再び経路の先に何かを見つけた。ウサギだ。白いウサギがいる。杖の一振りで死にそうな普通のウサギだ。無視をして進――いや、よく考えろ。ここはどこだ。地下六階だぞ。僕もあのウサギも変わらないひ弱な存在だと思えるなら、何故あのウサギはここに居るのか。意を決してここまで入ってきたわけではあるまい。


 ウサギが去るのを待つ。探知を使ってから短時間で経路上に現れただけあって、去っていくのも早かった。



 階段は目の前の所まで来ている。しかし経路は大きく迂回している。この目の前の僅か十数メートルの通路に何があるのか。何故ここを通ってはいけないのか。以前にもあった。けれどあれは通路の端を通ればいいというようなものだった。今回は違う。


 早く彼女の元へ行きたい、しかし――しばらく立ち止まって悩んでいたけれど、僕は迂回することにした。



『ろ……ろ……ろろ…ろ……ろろ……』


 猛獣の唸り声にも似た何かの声が聞こえる。いくつかの通路が交わる部屋の手前で僕は進みあぐねていた。この不気味な声がどちらから聞こえてきているのか。反響でよくわからない。このまま進んで良いものか……。まだ階段への道のりは遠い。


 部屋の様子を覗き見る。中には居ない。耳を澄ます――。


『ろろ…ろ……ろろ……』


 声は大きくなってくる。やがて――。


 姿を現したは、最初ライオンか何かかと思った。頭から胸、前足まではライオンだったからだ。しかし、下半身は昆虫のそれ。ハチかアリか、とにかく黒くて巨大な昆虫。それが通路から出てくる。


 息をのむ。あんなのが居るんだ。今までの人型の生き物どころじゃない。怪物との形容は、ああいう生き物にするんだ。篠崎はあんなのとやり合ってたのか?


 は低く唸り声を上げながらゆっくりと部屋を横切り、反対側の通路へと消えていく。僕はホッとして先を急いだ。



 ――違った。ホッとするべきじゃなかった――そう考えたときには遅かった。あの生き物が出てきた通路からは、その跡を付けるようにもう一体の同じ生き物が付いてきていたのだ。声を出していたのは囮か? 理由はわからない。とにかく、そのもう一体の生き物の視線を感じた僕は走り出す。


 ある程度の速さで徘徊する怪物相手に探知の魔法の経路はあまり有効ではない。わかってはいた。わかってはいたが――。


『ぐろろっ……ぐろろろっ……ぐろろろっ……』


 不気味な唸り声を上げながら追ってくる。幸いか、ライオンほどは足が速くないが、僕も特別足が速いわけじゃない。そしてむやみに走り回るわけにはいかない。ここは地下六階。ああいうのがゴロゴロいるはずだ。それなら――。



 ――危険を承知であの階段前のショートカットを目指す。


 通路にはやはり何もいない。僕はあの時のことも思い出し、通路の端を走り抜けた。


 その瞬間、通路の床、壁、天井に蛇行するムカデのようなを見た。この通路に潜むそれラーカーは通路の壁や床に擬態していた。そしてから飛び出したたくさんの細い槍、ヤマアラシの棘のような。全力で走っていたため胴は無傷だったが、太腿と脛を棘が貫く。


 勢いのまま僕は硬い石の床に倒れ込んだ。両足が痛い。棘が貫いている。だがここで喚いている暇はない。痛みよりもまず離れないと。ライオン蟻はどうした? 僕は体を横に転がしながら、少しでも離れようとする。ライオン蟻は立ち止まっている。棘ムカデは? 擬態を解いてこちらに近づいている!?


 カチカチと顎を鳴らす棘ムカデは僕に近づいてくる。立ち上がらないと……。壁に寄りかかって身を起こす。右の太腿に一本、両足の脛から脹脛にかけて一本ずつ、棘が貫いている。正気に戻ったら気絶しそうだ――そう思いながら立ち上がって走り始める。走ると言うほど早くない。軽いスキップみたいなおかしな状態。笑えない。だけどここで食べられたらもっと笑えない。


 開けた部屋に入る。中央には下りの階段が。棘ムカデは? 見えない。追ってきていない? 擬態しているのかも……。わからないが階段を降りよう。進む以外に選択肢は無い。



 ◇◇◇◇◇



 地下七階――ここはもう地図が無い。おそらく、この地図は写しなのだろう。そして彼女までの位置。そこまで距離は無い。道もまっすぐに近い。棘ムカデは追ってきているかもしれないけれど、興奮状態のうちにこの棘を抜いてしまおう。


 棘は側面のうち二方向にギザギザの鋸のような刃を備えていた。先端には返しがある。凶悪な棘だ。迂闊に触れられないので布で巻いて押し抜く。――意外と痛みには耐えられた。興奮しているからか、或いは僕の体も何かしら変わってしまったのか。――棘はあと二本だ……。


 太腿の棘は抜くのに難儀したけれど、おそらくちゃんと抜けたと思う。毒なんかがあったら手の打ちようがないな。傷を洗うと、応急手当のキットから薬と包帯を出し手当てする。ここでの怪我の治りは異常に早いが、今すぐなんとかするのは難しい。せめて一晩眠らないと何ともならないだろう。

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