第15話 お婆様の言う通り?

 細工師さんはその日、他の仕事が入っていたため、午後になってもドルフィネ辺境伯領別邸へ来ることはなかった。

 そのせいで祖母の居ぬ間にこっそりヴィッセルと面会したことについて、午後は懇々とお説教を喰らうこととなった。


「全く。本当に貴女という娘は! いいですか、貴女は第三王子の求婚を受け入れたのです。まだ正式な発表はされておりませんが、それでも貴女は第三王子の婚約者なのですよ! 年頃の男性と二人きりになるだなんて、もし第三者に知られたら、不貞を疑ってくれと言わんばかりの行動です!! 軽薄な行動を取るのはおやめなさい!!!」


 この調子で晩餐の前の着替えの時間までの約四時間、ずっと祖母の甲高い怒鳴り声を聞いていたわたしは、本当に耳の聞こえが悪くなった気がしながら、祖母が付けたいけ好かない側仕えにイブニングドレスへと着替えさせられていた。

 明らかにコルセットの締め付けがいつもよりキツい状態で、わたしを粛々と案内しているようで、実は少しいい気味だと取れるような笑顔を浮かべているシェダル夫人を睨み付けてやりたかったが、睨み付ければまた面倒な𠮟責が飛んでくるだけなので、コルセットで締め上げられているお腹の中に仕舞い込んでおいた。

 惜しげもなく蠟燭を使って煌々と輝いている食堂に到着した時には、既に祖母もヴィッセルも席に付いていて、そして今日のアカデミーでの用事を終えたジェダがわたしの席の後ろに控えていた。


ちょっこし少しでも、このっさんこの人から離れられるだけでありがたいことやちゃ)


 わたしがジェダの引いた椅子に腰掛けると、まずは前菜でヴィッセルの好物であるトマトと水牛チーズを使った東南風サラダが給仕される。

 チラッとヴィッセルの方を見ると、ヴィッセルは嬉しそうにわたしに笑い返してくれた。

 ヴィッセルの気分も少しは晴れたようだ。よかった。


「――我らに豊穣なる糧を与えてくださる宇宙の星々とその冠へ感謝して、この食事をいただきます」


 祖母の食前の祈りの声が辛うじて耳に入ってきたわたしは、慌てて同様の祈りを復唱する。

 残念ながら午前中の密会のせいで警戒した祖母の手によって、ヴィッセルとは席をだいぶ離されてしまっているから、チーズを分けてあげることは出来ないが、幼い頃のように同じ食卓に着いてこの水牛チーズを使った東南風サラダを食べることが出来ることに、懐かしい気持ち思い出を思い出して浸っていた時だった。


「聞いているのですが、リーデロッタ!」

「ぅえ?」

「全く。貴女はどうしていつも人の話を聞いていないのですか? アカデミーでもその調子なのですか?」

「……失礼いたしました。どうにも呼吸が上手く出来なくて、気が遠くなりやすいようですわ。コルセットが、いつもよりもキツいからかしら?」


 チラリと今は祖母の後ろに控えているシェダル夫人を見る。シェダル夫人もこちらの視線と嫌味に気が付いたようで、目線が少し揺らぐ。だが祖母の後ろに控えているので、祖母はシェダル夫人の変化には気が付ない。


「これまでキチンとコルセットを着けて来なかったからですよ。十二歳の時から常にコルセットを着けなさいと教えてきたのに貴女ときたら、アカデミーへ入学する年頃になってもコルセットを着けない、平民が身に付けるようなドレスばかりに袖を通して、みっともないたらありゃしませんでしたよ」


 たしかにわたしはコルセットが大嫌いで、ボレアリス王国貴族の社交界で着用を推奨される十二歳の頃からわざとあれを身に付けないドレスを選んで、憎っくきあの下着の事を避けてきたし、着け慣れていないという点においては否定できないが。


(成長期の子どもの健やかな発育を阻害するちゅうこと知らんのか)


 こちらは長生きをするためという目的の元、あの補正下着もどきを着けなかったという理由があるのだ。

 ちゃんとした理由も聞かずに、かつ、現在本当に祖母の後ろに控えているシェダル夫人の手によって、いつもよりもキツく締め上げられている状態に苦しんでいるという事実も無視して、ただただコルセットを着けることが貴族令嬢の嗜みであり、常識であるということを強要してくる祖母のこういうところが、本当に、


(嫌いだ)


「とにかく話を聞いていなかったようですから、もう一度だけ話しましょう。今度はきちんと聞きなさい。いいですね?」

(あんたのせいでこっちゃ耳もおかしいなっとるがに)

「はい」

「明日の予定についてです。注文していたドレスの仮縫いができたそうですので、本縫いの前の最終確認が来ます。その時に布の色味と飾り刺繡、レース、リボンなどの確認もしますから、今夜中に注文書をもう一度確認しておきなさい」

(あんたが作った注文書を、な)

「承知いたしました」

「それから、午後には今日来る予定だった細工師がやって来ます。午前中に確認したドレスと合うように注文をなさい」

(結局それも、あんたが良いように直すんやけどな)

「かしこまりました」

「明日は忙しくなります。今日はこれ以上何か問題を起こすようなことをせずに、晩餐が終わり次第、自室で注文書を確認してから休みなさい。いいですね」

「わかりました」


 キツいコルセットのせいで、前菜の東南風サラダを半分も食べられないで残さざるを得なかった。

 無慈悲にも下膳されていく水牛チーズにヴィッセルの目が釘付けになっているのを横目で見ながら、次に運ばれてくるコーンポタージュすらも、苦しい腹部のせいでほとんど匙が進まないまま、コース料理になっている晩餐は進んで行く。

 わたしが全ての料理に二口、三口しか手を付けられないのに、晩餐は時間通りに終わり、晩餐が終わったわたしは、またシェダル夫人の監視下の元、別邸に用意された自室へと事実上軟禁されることになった。


 幸いだったのは、就寝の時間までの約二時間のわたしの世話をジェダが申し出て、強引にもシェダル夫人からその権利をもぎ取ってくれたことだ。

 自室に戻ったわたしは「後は長年わたしに仕えてくれているジェダが、夫人の仕事を引き継いでくれますので、夫人はお婆様のお相手をなさってはいかが?」と言って、シェダル夫人をそそくさと部屋から追い出した。

 シェダル夫人がドアの向こうで去って行く音をジェダと一緒に、扉に耳を付けてまで確認してから、ようやく肩の力を抜くことができた。


「や、やっと解放された……」

「リーデロッタ様、あまり大きな声を出されますと、シェダル夫人に気づかれますよ」

「それは困るわ。これ以上姿勢を正して動いていたら、明日のわたしは仕立て屋のトルソーと間違えられるかもしれない」


 ジェダはそんなわたしの冗談を聞いてクスクスと笑う。わたしは初めてジェダがこんな風に笑うのを見た気がした。


「……ジェダ。別邸とアカデミーを往復して疲れているかもしれないし、本当は貴族令嬢らしからぬことだって事もわかっているのだけれど、お願いがあるの。シェダル夫人が締め上げたこのコルセットを脱がせてくれないかしら?」

「よろしいですよ。こちらへどうぞ」

「……いいの?」

「はい。リーデロッタ様の晩餐での食の進みがいつも以上に悪かった様子からしても、シェダル夫人のコルセットの締め方は異常だとわかりましたので」


 ジェダは手早くイブニングドレスを脱がせると、ギチギチに締まっているコルセットの紐を少しずつ、少しずつ緩めて外してくれた。


「こんなに固く締めて、紐が結ばれているなんて……リーデロッタ様、シェダル夫人に何かされたのですか?」

「何かはしてないわよ。ただヴィッセルと話すためにちょっと言い返しただけよ」

「また屁理屈を申し上げたのでしょう」

「そうだったかもしれないわ。……でも、今日、あの時にシェダル夫人を言い負かしてでも、ヴィッセルと話をしなければ、この先絶対にできないだろうと思ったから。まぁ、名誉の負傷よね」

「コルセットの締め付けを名誉の負傷と言わないでくださいまし」


 ジェダの聞き慣れた呆れ混じりのため息を聞いても、嬉しいと思うくらいには、わたしは祖母とシェダル夫人によって追い詰められていたらしいと、改めて感じた。


「本日はこのまま入浴されて、寝間着へ着替えられてから、エスメラルダ様の仰っていた注文書を確認されてはいかがですか?」

「どうしたの、ジェダ。いつも以上に優しいじゃない」

「厳しい方がお好みですか? シェダル夫人を見習って」

「冗談でも止めて頂戴」

「ではリーデロッタ様も軽口を叩いていないで、浴室へ向かってくださいませ」

「うん。……ありがとうね、ジェダ」


 わたしは開放感を全身で味わいながら、浴室へとスキップでもできそうな気持ちで歩いて行った。


「……全くもう。側仕えにそんなに礼を尽くさなくともいいというのに」


 そんなジェダの独り言など露知らず、わたしは肩まで浸かれる浴槽を堪能したのだった。


 〇


 翌朝もシェダル夫人が部屋にやって来る前に、ジェダの手によって支度を終えたわたしは、昨晩とは全く異なる程よい締め付けのコルセットと、夏らしい明るい黄色のドレスを身に纏ってしっかりと朝食を取ることが出来た。

 五日間も毎日アカデミーへ行っていれば細かい用事もなくなるわけで、当日の着付けも任せるだろうから、という理由も付けて、今日はシェダル夫人の隣にジェダも着いている。

 昨日よりは少しばかり明るい気分で、わたしはこのドルフィネ辺境伯領別邸で一番大きい応接室で待機している仕立て屋の方々と対面した。


 今日は仮縫い前の確認ということもあり、布とカタログを持って来た時よりも多い人数に一斉に囲まれて、最近の首都での流行りの型だという、コルセットで腰を絞る事を前提にした仮縫いの状態のドレスを着せられる。

 卒業パーティーが開かれる夏至の前日に間に合わせなければならないドレスは、特急発注を掛けたとは思えないほど綺麗に仕立てられていて、これが仮縫いだと言うのが信じられない出来だった。


(と、いうか。こんなに肌触りが良い布なんて初めて身に着けるわ……)


 カムイ殿下の瞳の色に合わせた濃紺の布は、真夏に着る事を想定されているため、風通しを良くするために薄い布を使っている。正直、どこかに引っ掛ければ確実に布が裂けるだろうし、ちょっとでも動いたらそれだけで布が破ける気がして、動きたくない。


(本当にこんな薄っすい布で作ったドレスを着てダンスするんがけ?!)


 今から恐ろしくてたまらない。

 それなのに、仕立て屋は向こうを向け、次はこちらを向け、ターンしてみろと、注文を着けてくる。

 わたしは仮縫いのドレスが破けてしまわないように、最新の注意を払いながら、仕立て屋の指示に従って動く。


「ふむ……少し、腰回りがキツいようですね」


 ジトっとこちらを見る仕立て屋のおじさんに向かって、わたしは笑顔で答える。


「えぇ、どうやら遅れて成長期が来たようなのです。本縫いの時は少し余裕を持った作りにしていただけますかしら? せっかくこんなに良い薄い布を使って仕立てていただいているのです。誤ってドレスが破けてしまわないように、仕立てていただけるかしら?」


 職人としては、きっちりと身体に合わせた物を作りたいのだろうが、彼が今相手にしているのは、仮とはいえ、第三王子の婚約者。下手に逆らうことはしたくないのだろう。


「かしこまりました。お嬢様のご要望通りに仕立てさせて頂きます」


 その後、丈や、袖の長さなどを細かく調整して、無事に仮縫いドレスの調整が終わる。

 わたしはひやひやしながら濃紺のドレスを脱いで、すぐに元々着ていたドレスに着替える。このドレスもドルフィネからの借り物であるが、今さっき袖を通した仮縫いのドレスよりは幾分か肌触りが荒く、布が厚くて安心する。

 そもそもこんな事になる前は木綿のドレスを普段使いとして着ていたわたしに、あんな高級な恐らくシルクを使ったドレスなんて、


(サイズだけ合わせても、身の丈には合わんちゃ……)


 ドレスの試着だけで気疲れしたわたしを待っていたのは、飾り刺繡のために使われる金糸の束に、腰や袖口をさらに飾り立てるためのレースやチュールの布、そしてギラギラと輝くビーズの数々だった。


「冠の星々のお隣に立たれる事を想定し、全て最高品質の物を集めさせていただきました。そうですね。ではまずドレス全体に入れることになる飾り刺繡のための金糸をお選び頂ければと思います。お嬢様、どの糸がお好みですか?」

(全部同じに見えるんやが?!)


 仕立て屋のおじさんは大変楽しそうに金糸の束を二十程わたしの前に並べるが、どれだけ見比べても違いがわからない。だがここでわたしが何かを選ばなければ、いつまで経ってもその後ろに控えている、レースにもチュールにも、ビーズにも行きつけない。


(仕方がない、ここは適当に。いっちゃん金色っぽいやつを選ぼう)

「ではこの右からの三つ目の」

「ダメですね」


 もちろんというか、やはりというか、わたしの選択を阻止したのは隣にいる祖母だった。


「この金色は品がありません。右から七番目の金糸の方がいいでしょう」

「……ではそちらに」

「金一色だけの金糸にするのですか? 飾り刺繡の糸が金色なのはもちろん、冠の星々一つであるカムイ殿下の御髪の色に合わせるためですが、宇宙そらに輝く星々を表すためにも使うのですよ。星々の光は金だけではありません。少し銀が混ざっている糸の方がより良いと思わないのですか?」

「……思います」

「ではもう一度、選んでごらんなさい」


 だがこの後、わたしは祖母に三回もやり直しを命じられて金糸を選ぶ羽目になる。

 そしてこの選び直し合戦は、袖口に着けるレースを選ぶ時にも、腰回りのボリュームを増やすためのチュールを選ぶ時にも、ドレス全体に散りばめる形で縫い付けることで星々を表現するガラスビーズを選ぶ時にも、同じことを繰り返した。

 ようやくドレスに関する全てを選び切った頃には、もうとっくに昼食の時間などは過ぎ去っていて、ゲッソリと神経を摩耗させられたわたしは、まだ少し納得しきれていない祖母のお叱りを受けていた。


「リーデロッタ、しっかりなさい。まだ装飾品の細工を選んでいないのですよ」

「は、はひ」

「全く、若いというのに情けない。アカデミーでもドルフィネ城にいた時と同じように、図書館にばかり籠っていて、動いていなかったのでしょう」


 否定はできない。

 狩猟用の森へ有用な食料がないか探すために、時折散策しに行くこともあるけれど、そんなことを言おうものなら今度は別のお𠮟りが飛んで来ること間違いなしなので、わたしは大人しく祖母の話を聞くことだけに徹した。


(これ以上、余計に神経をすり減らす必要もないちゃ)


 わたしたちは昼食の代わりの軽食をわざわざ食堂へ食べに行ってから、再び同じ応接室へ、今度は気難しいと噂の細工師さんに会い行く。


 〇


 夏の午後の日差しが差し込む応接室でしばらく待っていると、メイドに連れられて一人の細工師の男がやってきた。

 彼は貴族への型通りの挨拶をこなすと、早速サンプルとなる装飾品の数々を取り出して、わたしの前に並べていく。

 全てが金で出来た細工物で、意外なことに飾りとして付いている宝石は全て小振りで、デザインも華美というよりは、シンプルで精細さが見受けられるものだった。

 正直、デザインはだいぶ好みだ。


 だが一つだけ、どうしても理解ができないところがある。


 わたしは現行のデザインで問題ないと細工師に告げると、すぐにこの屋敷から下がらせた。

 そして応接室に腰掛け優雅にお茶を飲んでいる祖母に向き合う。


「お婆様、何故全ての装飾品に付いている宝石が緑色……エメラルドが使用されているのですか?」


 ボレアリス王国の貴族にとって、身に着ける宝石は重要な意味を持つ。

 星々の力を分け与えられたボレアリス王国の民にとって、それが目に見える形で現れる髪の色や、瞳の色は重要なアイデンティティだ。特に瞳の色が前世的に言えば遺伝しやすい要素のようで、瞳の色を見ればどこの貴族の家名を持つかがわかるとまで言われている。


 ドルフィネ辺境伯家であれば、紫色の瞳。

 シリウス子爵家であれば、琥珀色の瞳。

 

 カシオペイア伯爵家であれば、エメラルドとも見紛うほどの緑色の瞳。

 

 わたしの瞳の色は何故か赤いが、生まれはシリウス子爵家だ。

 だからわたしが身に付けるべき宝石は琥珀のはずなのに。


「お婆様、お答えください。何故、琥珀を使った装飾品が見当たらないのですか」

「私が正式に貴女の保護者であり、後見人となることを示すために決まっているではありませんか」


 祖母はなんてことはないと言わんばかりの口調でそう告げた。


「……お婆様がわたくしの後見人になるだなんて、初めてお耳にしました。一体いつ、そのようなことを決められたのですか」

「ジオード様の遺言状が開示された時に言ったはずですよ。『リーデロッタにはわたくしが婚約者を探そうと思っていた』と」


 たしかに、祖母がそんなことを言って、その時も初耳だと思った記憶がわたしの中にある。

 けれど、


(そんな言葉だけで後見人?!)


 わたしが愕然としている間にも、祖母の話は続く。


「シリウスの家に任せていては、いつまで経っても決まらないと、貴女がアカデミーで一年を過ごした後に確信しました。シリウスには貴女の婚約者を探すどころか、家を運営していく力すらもないではありませんか。現に、貴女はジオード様のご厚意で王立アカデミーへ通っている始末です。あの家に任せていては、今回の王族からの婚約にだって対応出来なかったことでしょう」

「ですが……だからって、何故エメラルドなのですか?! わたしの後援をしてくださったのは、お爺様、前ドルフィネ辺境伯領主様です!! ドルフィネが後援ならば身に着けるべき色は紫色のはずでしょう!!」

「たしかに、アカデミーへ通うための貴女を後押ししてきたのはジオード様でしょう。でもだからと言って紫色の宝石を身に付けていけば、第三王子ではなくドルフィネ辺境伯領、ひいてはヴィッセルに合わせた物ではないかと、勘繰られてもおかしくないのですよ」


 祖母の手の中でパシリと扇を閉じる音がした。


「目に見える貴女の後見人として相応しいのは、辺境伯領であるドルフィネでも、取るに足らないシリウスでもありません。貴女と血の繋がった祖母であり、カシオペイア伯爵家に渡りをつけることが出来る存在。わたくし、エスメラルダ・カシオペイアこそが、貴女の後見人に相応しい。だからそれを示すためにも全ての石をエメラルドにしたのです」

「ですが、エメラルドはお婆様だけではなく、カシオペイア伯爵家の特徴でもあります。これまでわたしと交流のなかった家との関係を、突然ほのめかすような真似は……」

「あぁ、それならば。リーデロッタ、貴女カシオペイアと養子縁組をなさい」


 何を、


「……何を言っているのか、意味がわかりません」

「嫌だわリーデロッタ。言葉を解することもできなくなったのですか」


 祖母は開いた扇の裏でほくそ笑んでいる。


「丁度よいではありませんか。シリウスには貴女を支える力がない。かといって、ドルフィネが前面に出れば、他の辺境伯領に示しが付きません。その点、カシオペイアであれば、貴女を支えるだけの財力も、爵位もありますし、王族からの覚えめでたき家柄であるため、カムイ殿下の後ろ盾としての利もあります。貴女がカシオペイアと養子縁組をすれば、子爵令嬢ではなく、伯爵令嬢としてカムイ殿下の隣に立つこともできる。全てが丸く収まるのですよ」


 祖母の言い分は、たしかにこれ以上ないほどに理にかなっているように聞こえる。

 が、聞こえを良くしただけだ。


「お婆様は、シリウスの光を消すおつもりなのですか?」


 わたしがいなくなれば、シリウス子爵家には跡継ぎがいなくなる。貧乏貴族のシリウス子爵家へ養子に出そうだなんて酔狂な他の貴族はいないだろうし、母だってもう歳だ。もう一人後継者を産むなんてことは望めない。


 継ぐものがいなくなれば、星は輝きを失い、その名は消える。


「冠が与えた名を、お婆様は潰すおつもりなのですか」


 わたしが怒り心頭と言った様子なの対して、祖母は涼しい顔で手に持った扇で自らをあおぐ。


「私ごとき星々の一つが、尊い星の光を消すだなんて、出来ませんよ」

「ならばっ!」

「『貴女という星を見失った程度で迷う船ならば、その舵を別の者に任せる方がこの王国のためになります』。私はそう考えているだけです」


 パチンと扇が閉じられると、その先がわたしに向く。


「シリウスの名を残したいだけならば、貴女が尽力すればいいだけです。カシオペイアと縁組をしても、生家の名前を名乗り続ければいいだけ。簡単な方法でしょう」

「ですがそのやり方では、現在のシリウス子爵家は」

「何度も同じことを言わせないでください。船頭が道を追えないのならば、その舵を別の者に任せる方が尊い星の名を頂いた家の、ひいてはこの国のためになります。星の光を冠へ帰すことも、立派な貴族の、王族に嫁ぐ者の役目です。よく覚えておきなさい」


 祖母はそれだけ伝えると、応接室から出ていった。


 残されたのは真っ赤なわたしと、鈍く輝くエメラルドの装飾品たちだけだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る