第13話 強襲

 前世でも経験したことのある感覚。

 胃から胃酸が逆流して、酸っぱいものがせり上がってくる不快感。

 前世では治療の副作用で否応なくやって来た吐き気が、極度の緊張と目の前にいる人物からの圧迫感からも併発させられることを、今世で初めて知った。

 顔が青白くなっているだろうわたしを見つめるのは、エメラルドのような緑色の瞳。

 ドルフィネ辺境伯領にいるはずの今世における祖母が、何故首都のドルフィネ辺境伯領別邸にいて、今わたしを見下ろしているのか。全く理解が出来ない。


「ど、どうして、ここに?」

「挨拶はどうしたのですか、リーデロッタ・シリウス。貴女はそれでも貴族令嬢なのですか?」


 挨拶をしなければわたしの質問へは一切応えるつもりがないらしい。祖母のわたしを咎めるために鋭く光る目線が、全身に突き刺さる。

 わたしは実家の錆び付いた門のようなぎこちない動きで腰を降ろして、祖母へ挨拶をする。


「ご、ごきげんよう、お婆様。リーデロッタ・シリウス、久方ぶりにお目にかかれて嬉しく思います」

「動きも挨拶もぎこちないですね。貴女はアカデミーで何を学んで来たのですか?」


 祖母はパンっと、手のひらで扇を叩く。ひとまず、挨拶を受け入れたということなのだろう。


「……あの、ところで、何故首都にいらっしゃるのですか?」

「つい先日の事も覚えていないのですか?」

(つい先日ちゃ、一体いつのことを指すんがけ)

「“船頭”に星のありかを聞いて、ハッキリさせると言ったではありませんか」


 それは祖父の葬儀の後、あのとんでもない遺言状が開示された時の話だ。

 強引にヴィッセルとの婚約を進めようとする祖母を止めるために、シリウス家の“船頭”、つまり当主に確認を取れと言ったあの時の事をハッキリさせるとために来たと言うのだ。

 祖父の葬儀から早二週間以上経とうとしているという現状に、時の流れの残酷さを感じつつも、約二週間前の事を先日と言う祖母に「そっちゃ先日なんて話じゃなかろうて!」と言いそうになるのをこらえる方が大変だった。

 それにしても、この約二週間の間でわたしの身には、元悪役令嬢の孫娘で、落ちぶれ令嬢の娘、凶つ星に魅入られたリーデロッタ・シリウスとしての人生でも考えられないくらいの事件が発生している。と、改めて感じてしまった。


(そっだらこんだけ事が立て続けに起きたら、二週間前のことなんか忘れるわ……)

「……リーデロッタ! 聞いているのですか?!」

「は、はぃい?!」


 祖母の張りのある怒声が耳をつんざく。

 ここ最近に起きたことを思い出してつい意識を現実から離してしまった結果、どうやら祖母がわたしに何やら話していたのに聞いていなかったらしい。

 祖母は扇子を開いて、その向こう側で大きくため息を吐くと、このドルフィネ辺境伯別邸へ到着した時よりも怒りがこもっている燃え盛るような目でわたしをねめつける。


「全く貴女という娘は! わたくしは今、貴女の近況について聞いていたのです。それなのに、貴女と来たら返事の一つもしない所か、ぼんやりとした顔で立っているばかり。もっとしっかりなさい! そんな事では、王家に嫁がせる事が出来ませんよ!」

「はい。申し訳ございま……待って、王家に嫁がせる?」

「第三王子から求婚をされたのでしょう?」

「なっ?! どうしてそれを?!」

「リーデロッタ・シリウス。言葉使いが乱れていますよ。正しなさい」

「……何故。いえ、いつ、わたくしが第三王子に求婚されたと言う話をお知りになられたのですか」

「昨晩、この別邸に着いた時です。正確には、途中立ち寄らせて頂いた各所の邸宅でもですが」


 ドルフィネ辺境伯領から首都までは最短でも三日は掛かる。日中、陽が出ている間移動し続ける事はできても、夜間も通して移動するのはよほど急いでいるか、もしくは夜盗が出ることすら知らない愚か者だけだと言ってもいい。そのため日が暮れたら停止し、どこかで夜を明かさなければならない。

 わたしはその旅程をヴィッセルに同行してもらっていても、庶民が使うような宿泊施設を利用して首都へと帰って来たが、祖母は昔ながらの貴族だ。

 昔ながらの貴族が夜を明かす場所として選ぶのは、各地に点在する貴族の屋敷だ。


 祖母はたしかに昔、辺境伯であった祖父と結婚することで社交界の中心地である首都から離れざるを得なかったが、だがしかし、それは中心地から離れただけであって、社交界そのものから切り離された訳ではない。

 母から聞いた話によれば、母がアカデミーに在籍していた時には、この首都にあるドルフィネ別邸で過ごしていたらしいし、夏至の建国記念の祝祭の期間には、祖父に伴われて何度か首都へ訪れた事もあるらしい。

 首都への旅程で昔馴染みの貴族の家を訪ねていてもおかしくはない。

 おかしくは、ないのだが、


「社交界でも三日前頃から話題になっていますよ」


 首都の貴族たちの間には既に広まっているだろうと、さすがのわたしも思ったが、まさかドルフィネ辺境伯領から首都までの道中、正直田舎とも言える所まで広まっているとは思っていなかった。


(“人の口に戸は立てられぬ”、け)

「冠の星々の一つ、カムイ殿下が、シリウス子爵家の令嬢へ求婚したと。そして、求婚された娘は不遜にも、その求婚を断ったとか」

「お待ちください! 不遜だなんて、そんな態度は決しってと」

「お黙りなさい! 貴女がその場で取った態度などは関係ないのです。取るに足らない子爵家の娘が、誉れ高い冠の星である殿下の求婚を断るなど、不遜と言わずになんと言うのです!」

(あえて言わせてもらうがなら、身分差を弁えて、慎み控えたんやけど?!)

「それなのに貴女は昨日、アカデミーの人間が集まるダンスホールで、第三王子にダンスを申し込んだと言うではありませんか」

(どうして昨日の事まで知ってとるんがけ)

「ジェダ。詳細な報告書をありがとう」


 祖母が小脇から取り出したのは、簡単な白い封筒。ジェダは祖母が掲げるその封筒をみると少しだけ表示を歪ませていた。


「これからは私がこれを受け取ります。よろしいですね」

「……はい。かしこまりました」


 この瞬間から、首都にあるドルフィネ辺境領別邸の主は、俯いて後ろに控えているヴィッセル・ドルフィネから、エスメラルダ・カシオペイアになった。


「ジェダからの報告書によると、リーデロッタの方からカムイ殿下へダンスを申し込まれたと。一度断ったというのに、何故そのような行動を取ったのです?」


 ここで俯いては、緑色の瞳を持つ女王に負けてしまう。

 わたしは祖母から目を離さないように注意しながら、口を開く。


「わたしは……いえ、わたくしはシリウスの星なのです。船頭も、シリウスという船に乗る民も、星が無くなったことで迷わせる訳にはまいりません」

「そのことについては、これから私が確認へと参ります。貴女は事あるごとに自身がシリウスの星であることを主張しますが、船頭というものは星を見失っても、探す力を持っていなければ務まらないものです。貴女という星を見失った程度で迷う船ならば、その舵を別の者に任せる方がこの王国のためになります」

「……わたしにシリウスを捨てろと言うのですか?」

「捨てる事はできないでしょう。貴女は今のところシリウス子爵家の生まれで、その名を背負っていますから」


 ボレアリス王国の貴族の家名は王家が持つ星々の冠から分け与えられた星の名であり、その星の名は“星声の乙女”が伝えた尊ばれるべき名である。

 その星の元に生まれる子どもは尊い星に見守られていることを示し、そしてその名を残し、伝えるために、生まれた家の家名を名乗るのが、ボレアリス王国貴族の慣習だ。

 この慣習に則る限り、わたしがシリウスの名を捨てる事はできないとも言える。

 そしてわたしが生まれ、名乗っているシリウス家は今現在、子爵家の地位に就いている。


「お婆様。お婆様もわかっていらっしゃるかと思いますが、わたくしは子爵家の生まれです。尊い星の名は頂いておりますが、貴族としての位置は下級です。そんな娘が王族の婚約者になるなど、普通ならば考えられない事です。ですから何故、冠の星々の一つ、カムイ殿下がわたくしのような下級貴族の娘に求婚をしたのか、シリウス家をどうなさるおつもりなのか、わたくしには理由を知る必要があると考え……」


 祖母はわたしの話をさえ切るように、大きく深いため息を開いた扇の向こう側で吐いてから、扇を叩き付けるようにパシリと閉じて、わたしに冷たい視線を送る。


「リーデロッタ・シリウス。貴女は一体何を言っているのですか?」

「何、とは。どういう意味ですか」

「何故理由を知る必要があると思ったのですか?」


 わたしは一瞬祖母が何を言っているのか、本当にわからなかった。

 だって今の今まで、その何故について説明していたのに、それを聞かずに遮ったのは祖母だ。

 この時までわたしは祖母がまた、必殺、“聞きたくない事は耳に入れない”をしているのではないかと思っていた。この必殺技の攻略法は根気強く、繰り返し同じことを言い聞かせる事で、ひとまず少しでも耳に残るようにするしかないため、わたしはまた同じ話を繰り返す。


「ですから、何故王族であるカムイ殿下がわたくしのような下級貴族の娘に、求婚をしたのかという理由を……」

「そのように理由を聞く必要はありません」

「……はい?」

(必要がない? どういうことやちゃ?)


 わたしは判別するためには情報が必要だと考え、ある意味決死の覚悟でダンスホールへと向かい、カムイ殿下と直接話し、脅迫まがいの意思表示を受け取り、ヴィッセルの、ひいてはドルフィネ辺境伯領を守るために、わたしなりに必死に動いたというのに。

 “必要がない”と、目の前にいる老婦人はわたしに向かって断言した。


「……シリウス家の唯一の跡継ぎ。子爵家令嬢。ドルフィネ辺境伯領主の継承権を所有している。貴女は今たくさんの立場を持っており、それに責任があると考えているようですが。それ以前に、貴女は“女”です」


 わたしは、“女”である。

 

 それはあまりにも当たり前すぎる事柄であるが故に、ここ最近のあれやこれやに頭を悩ませていたせいですっかりとわたしの頭から抜け落ちていた情報。

 ボレアリス王国では足枷になるとも言える条件の一つ。

 ボレアリス王国は異世界だからなのか、それとも王家ですら王冠を戴き、国を導く存在は最初に生まれた男児に任せると建国の時から決めているからなのか、どこへ行っても男性優先。所謂、男尊女卑とも言える慣習が未だ残る国だ。

 後継者としての優先度も、発言のした言葉の力も、行動による功績を称えられるのも、学問を深めることを許されているのも、仕事に就くことすら、優先されるべき存在は、

 

 全て、“男性”だ。


「女は、男の言うことを大人しく聞く。それが基本です。これは貴族であろうと、庶民であろうと関係ありません。妻ならば夫の、娘ならば父親の、そして貴族の女であれば、貴族の男の言うことに従うものなのです」


 ようやく、祖母が何故わたしに行動する必要がないと断言したのか、嫌でも理解ができた。

 そして、わたしが取った行動に祖母が何故怒っているのかも。


「貴女は貴族男性の中でも最上位に位置する王族の求婚を断り、あろうことかその後に何故求婚をしたのかと問うたのです。これがどれほど恥ずべき行いか……不敬罪に問われないことが不思議な程です」


 祖母の言い方は少々、いやだいぶ大袈裟に聞こえるが、まだまだ政治と社交界の根幹には、祖母のような昔ながらの貴族が牛耳っているという事実と照らし合わせれば、大袈裟すぎるとは言い切れない。

 わたしは押し黙るしかなかった。


「リーデロッタ・シリウス。貴女はカムイ殿下から求婚された時点で、何も言わずに粛々とその求婚を受け入れ、婚約し、そして嫁ぐために準備をするべきなのです。それがたとえ子爵家であっても、貴族令嬢として生まれた者の定めです」


 ボレアリス王国の女ならば、そうするべきなのだろう。

 だけれど、祖母の言うことの全てが全て正しいと納得することは、前世で日本人として生きていたわたしにとっては難しい。

 何より、今、気になるのは。


「……お婆様、先日はヴィッセルと婚約せよと言っていたではありませんか。ヴィッセルにもその気があるとわたくしは聞いて」

「リーデロッタ、まだわからないのですか? ヴィッセルと殿下。優先すべきは、カムイ殿下でしょう」

「ですが!」

「貴女に求婚をした男性は次期辺境伯領主候補と王族です。当然ですが、王族はこのボレアリス王国の一等星。次期辺境伯領主のヴィッセルでは、カムイ殿下の輝きには達せないでしょう。ヴィッセルだってそのくらいの事は理解していますよ」


 わたしは思わず祖母の後ろに控えているヴィッセルを見つめる。

 ヴィッセルは一瞬わたしと目を合わせたかと思ったが、すぐに目を逸らしてまた綺麗に磨かれた床を見つめている。

 あの様子からして、昨晩到着した祖母から懇々とわたしの事は諦めるようにと説得、いや言い聞かされ、そして祖母の圧力に負けてそれを承諾したのだろう。


 こうなってしまったら、もうこのドルフィネ辺境伯別邸にわたしの味方は誰もいない。


 わたしは本当に口つぐむしかなくなった。

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