第12話 人はそれを脅迫と言う。

 午前のダンスの講義を終えたわたしは、詮索してくるような視線から逃れるために一度宿舎棟の自室へと避難しにきた。

 丁度よく昼食の時間でもあったし、わたしはカムイ殿下に合わせて着飾ったドレスと装飾品を脱がせてもらって、自室に隠し持っていたコルセットの必要がない楽なドレスへ着替える。

 ジェダはそんなわたしを咎めるように睨んだけれど、午前の事があったからか口には出さずに、わたしの昼食を厨房まで取りに行ってくれた。

 窓際にある椅子に腰掛けて、ぼんやりと外を眺めながら、つい先程の出来事だったカムイ殿下とのダンスと最後の言葉を思い出す。


『貴女の答えは週末まで待とう。だが私は、十四の小僧に、私の一番星を渡すつもりはない。それだけは覚えておいてくれ』


 わたしの従兄弟、ヴィッセルは今年十四歳。

 つまりカムイ殿下の言う“十四歳の小僧”は、確実にヴィッセルの事だ。

 おそらく、わたしが図書館でキャリバンだったカムイ殿下相手に本音を溢してしまったが故に、ヴィッセルは王族に目をつけられてしまったのだ。


 方や次期辺境伯領主予定の十四歳。

 方や王国の第三王子で十六歳。

 

 地位的にも、年齢的にも、カムイ殿下がヴィッセルに負けるわけがないのに、カムイ殿下は去り際にわざわざわたしの耳元で、わたしをヴィッセルには渡さないと告げたのだ。

 これが恋愛小説か、もしくは前世で言うところの少女漫画のワンシーンならば、読者はカムイ殿下の発言にドキドキして、次の展開を楽しみに待てただろう。

 だがしかし、残念ながらわたしにとってあれは現実であり、わたしは当事者であり、あのように囁かれて正直ゾッとしたとすら言える。


 “絶対に逃がさない”。


 そう言われたと思うし、逃げたら王族がヴィッセルへ何かするのではないかと思わされた。

 執着心。と、いうか、


「人はそれを、脅迫と言うのでないけ」

「誰かに脅されたのですか?」


 いつの間にか帰ってきていたジェダに気がついて居なかったわたしは、また誰かに独り言を拾われてしまい、飛び上がりそうなほどびっくりする事になった。


「……ジェダ、いつからそこに?」

「リーデロッタ様がずっとぼんやりとされている間に、です。昼食のご用意をしてもよろしいでしょうか?」

「えっ、えぇ。ありがとう。お願いね」


 ジェダはワゴンに乗せて運んできた昼食を、何事もなかったかのようにわたしの前のテーブルへ並べていく。


「それで、カムイ殿下に脅されたのですか?」

「王族に対してそんなことを言ったら不敬よね……って、待って、わたし殿下の名前を言っていた?!」

「いいえ。ですが、本日リーデロッタ様が誰かに脅かされたと、うっかりと、そして不用意に口にするほど言葉を交わしていたのは、カムイ殿下だけですので。ところで、そのように口を大きく開けたまま人を見つめるのは、淑女としていかがなものかと」

「うぐっ……はい。気をつけます」

「冷め切らないうちに昼食も召し上がってください。あぁ、それと。王族から脅かされていても、きちんと食前のお祈りはしてくださいね」

「……我らに豊穣なる糧を与えてくださる宇宙の星々とその冠へ感謝して、この食事をいただきます」


 ボレアリス王国では、食物を与えてくれたのも、それを育てる力をくれたのも、宇宙に輝く星々とその冠を戴いた王族である。という教えがある。

 そして前世の日本のように“いただきます”だけで感謝を伝えるのは、王家に仕える貴族としては失格なのだそうだ。

 わたしは長ったらしい祈り文句を唱えてから、パンに手を伸ばして、ちょっと苛立っている心のままにそれを引きちぎって、具沢山のスープの中へと浮かべる。

 パンはすぐにスープを吸い込んで、その色を変えると、やがてその身へ染み込んでいくスープの重さに耐えられなくなって、皿の底へと沈んで行く。


 王族は星の力を持ってして、わたしたちに何でも与えてくれる。

 パンを作るための恵みも。

 パンを浸して皿の底へと引き摺り込む恐れも。


 今日の昼食には夏が近いからだろう。トマトと水牛チーズの東南風サラダが出てきている。前世で言うところのカプレーゼだけれど、ここは異世界で、カプリ島はない。水牛を育てている地域が東南部にあるため、今ここに出てきているカプレーゼは、東南風サラダという名前だ。


(そういえば、ヴィッセル、これ好きやったな)


 北西端に位置するドルフィネ辺境伯領は、大きく開かれたスアキロン湾のおかげで、他国の珍しい食べ物や、首都や内陸部では珍しい新鮮な魚介類などを庶民ですら食べることができるのだが、逆に山を越えなければ手に入らない首都や内陸部で流通している物はなかなか手に入らなくて、こちらの方が珍品のような扱いをされる。

 首都では少し珍しいかなくらいの扱いをされている東南部の水牛の乳を使ったチーズが、ドルフィネ辺境伯領ではなかなかお目にかかれない幻の食材かのように扱われて夜の晩餐に出される。

 港から入ってくるスパイスをふんだんに使っている辛味を感じやすい料理が特徴的なドルフィネ辺境伯領で、トマトと水牛チーズを交互に挟んだだけのさっぱりとした東南風サラダは子ども受けが大変よく、ドルフィネ城ではヴィッセルのためだけにこの料理を毎食出していた時期もあったほどだ。


(あんなにしょっちゅう出てきたがに、人の分まで欲しがるんやもんなぁ)


 幼い頃のつぶらな紫水晶のような瞳をツヤツヤと輝かせて、ジッとわたしの皿に乗っているチーズを見つめるものだから、ついついヴィッセルの皿へ自分のチーズを移してあげたものだ。

 まぁ、わたしからチーズを貰ったヴィッセルは『お礼です』と言いながら、本人がそれほど得意ではないトマトをどっさりとわたしの皿へ避けていたのだけれど。


「ヴィッセルにもこの水牛チーズ、食べさせてあげたいなぁ……」

「ヴィッセル様ならば、昨晩もドルフィネ辺境伯領別邸で水牛チーズを使った東南風サラダを召し上がっていたそうですよ」


 ジェダの何気ない補足説明に、わたしの手が止まる。


「待ってジェダ、どうして昨晩のヴィッセルの事を知っているの?」


 この世界、前世のように電話もなければメールもない。そして残念ながら魔法も今は存在していないらしい。

 そんな世界で誰かの近況を知る方法は手紙か、人伝の伝言だけはずだ。

 わたしが聞くと、ジェダは何てことはないという態度で返事を返す。


「リーデロッタ様がアカデミーへお戻りになった日から、毎日、ドルフィネ辺境伯領別邸に駐在している者とは連絡を取り合っておりますので」

「毎日?!」

「はい。入学当初よりリーデロッタ様のご様子を報告することも、亡きドルフィネ辺境伯から与えられた私の職務ですので」

「え、入学当初から……?」

「はい。リーデロッタ様が健やかに過ごされているのか。を、亡き辺境伯様は気になされておりましたので。入学してから毎日、お嬢様が午前の講義へと出向かれた後に、別邸の者へ報告書を渡しております。最近は報告書を取りに来るものが、別邸で待たれているヴィッセル様のご様子をお耳にするようになりました」

「へ、へぇ……そうなんだぁ……」


 入学したばかりの時に図書館ではしゃいだ挙句に王族に不敬とも取れる行いを取ったことも、狩猟用の森に実っているキイチゴをほぼ根こそぎ採ってきたことも、つい二ヶ月ほど前にハドリウムが起こした“トリカブト事件”も、凶つ星に魅入られているという噂話も、第三王子に求婚された話も、全部が全部ドルフィネ辺境伯領側には伝わっていたという事だ。


(何ちゅう赤っ恥や)


 一気に食欲がなくなった状態で、わたしは再び別邸で待たされているヴィッセルの好物と対面する。真っ白なチーズがヴィッセルのサラサラな銀髪のようだな、などと現実逃避をしていたところで、わたしはハタと気がつく。


(ん? ヴィッセルが別邸で、待っとる?)


 ここ数日間のごたごたに加えて、第三王子からの求婚、さらに午前に聞いたカムイ殿下直々の脅し文句のせいですっかり頭から抜け落ちていたが、今、ヴィッセルは卒業パーティーへわたしのパートナーとして出席するために、ドルフィネ辺境伯領の別邸で待機中なのだった!!


 最後にわたしとヴィッセルと顔を合わせたのは、アカデミーへ帰って来た時だから、ほぼ十日前。

 その十日間程度、もちろん弟のように思っていた従兄弟から求婚されたという気まずさもあったわけだが、わたしから彼へ連絡は一切取っていない。前世風に言うなら既読無視みたいな状態だ。それなのに、辺境伯領別邸へはわたしの近況が毎日報告されている。

 つまりヴィッセルはわたしから何も知らされないまま、わたしが第三王子から求婚されて、卒業パーティーのパートナーをどちらにするか決めていないことを聞かされている可能性がある。

 そして困ったことに、本日そこへ恐ろしい情報が追加されることとなる。

 ヴィッセルは今、この首都どころか、王国全体を治める一族から目を付けられている。わたしの卒業パーティーのパートナーとして、婚約を検討されている相手として。


よわった困った。これはよわった困ったちゃ)


 危害を加えるようなことはしないだろうとは思いたいのだが、もしカムイ殿下が何か行動に移そうとすれば、そのほぼ目と鼻の先にヴィッセルはいる。

 簡単に、何でもされてしまうかもしれない状況に置かせていて、そう仕向けるような事を口走ったのはわたしだ。


(たしかに、辺境伯夫人は嫌だとも、従兄弟と婚約したくないとも言ったけんども!!)


 だからと言ってヴィッセルを危険に晒したいわけではなかったのだ。

 わたしはジェダに「食事が進んでおりませんよ」と注意されたので、無理やりにでも手を動かして、目の前の料理を消費しようと努力する。

 

 もし、わたしが図書館でキャリバン、もといカムイ殿下に愚直を漏らさなければ。

 もし、ヴィッセルからの求婚をその場で受けていれば。

 もし、ドルフィネ辺境伯領でお婆様の言う通りに、婚約の話を唯々諾々と受けていれば。


 わたしが取ってこなかった選択肢が頭に浮かんでは、それを選ばなかったせいで現状を引き起こしているのだと、そしてその結果起こるかもしれない嫌な想像たちがわたしを雁字搦めに捉えて離さない。


 真っ白なチーズに添えられた、真っ赤なトマト。

 白銀の星の隣に、真っ赤な凶つ星。


 今世は一人っ子のわたしにとって、ヴィッセルは大事な、大事な、弟のような従兄弟だ。

 彼はただでさえ、次期辺境伯領主という重荷を否が応でも背負わなければならないのだ。

 これ以上、彼の行き先に、試練も悪い出来事も呼び寄せたくない。


 ヴィッセルからのプロポーズは、断るべきだ。


 元々、わたし自身も乗り気ではなかった話だ。発言の勢いと押しの強い祖母に対してはあのように返すだけで精一杯だったし、その後ヴィッセル本人からもプロポーズされて、思わず混乱してしまったせいで道中の三日間ですら断ることが出来なかったけれど、最初からわたしはヴィッセルの生涯の伴侶になる気も、辺境伯夫人になるつもりも、辺境伯領の後継者になるつもりもなかったのだから。


 断ろう。


 せっかくわざわざドルフィネ辺境伯領から、三日も馬車に揺られて首都までやって来てもらったのに、申し訳ないけれど。ヴィッセルを守るためだ。水牛チーズの東南風サラダを好きなだけ食べられたことに免じて許してもらおう。

 そうと決めたら、まずは本人に会わなければ。

 プロポーズを断っても、ヴィッセルとは今後も良き従姉弟いとことして是非とも仲良くしたい。そのためには、直接本人と会ってしっかり話し合いをして、今後のわだかまりになりそうな所を解決しておくべきだろう。


「ジェダ。至急、ドルフィネ辺境伯別邸へ連絡を取って頂戴。ヴィッセルの予定を確認して、面会の予約を取って欲しいの。出来る限り早い日程で」

「かしこまりました。昼食の下膳後、すぐに連絡を。……リーデロッタ様、本日の午後は?」

「この部屋から一歩も出ないわ。外へ出てもいい事はないでしょうから」

「そうなさった方がよろしいかと。なにせ厨房ですら、今はカムイ殿下とリーデロッタ様の話題で持ち切りですので」


 貴族が一人も居ないはずのアカデミーの厨房にすら、わたしと殿下の話が降りて行っているとは、わたしも驚きを隠せない。


「料理長は特にお嬢様の事を心配されておりましたよ。『キイチゴジャムと乾燥ヨモギをどうしたらいいのか、聞いといてくれ』と言われました」


 厨房でも真偽が定かではない噂話が飛び交っているのだろうと予想していたわたしは、“心配されていた”という思いがけない優しい言葉に、心が少しだけ軽くなった。


(料理長のおっちゃんとは、地味に仲良くさせてもらっとったからなぁ)


 初めて大量のヨモギを持って行って、鍋を貸してくれと頼んだ時には、『食い物じゃないものを持って来るな』と怒られたものだ。よもぎ蒸しパンを作ったらとても感動されて、それ以来、キイチゴジャムなんかを作る時にはよくお世話になったものだけれど。


「……落ち着いたら直接取りに行きたいけれど。きっとこの先それは難しくなるでしょうね」


 このままカムイ殿下と婚約する方向に進むとしたら、わたしは気さくな子爵家のご令嬢リーデロッタ・シリウスから、第三王子の婚約者リーデロッタ・シリウスになってしまう。

 間違いなくコルセットなしのドレスを着て、森へ出向いて手ずからヨモギやらキイチゴやらを調理するなんてことは許されなくなるだろうし、今厨房で保管してもらっている物を取りに行ったところで、それを持参することなど許されないのではないだろうか。


「ジェダ、用事が増えてしまって申し訳ないのだけれど、下膳したついでにおっちゃ……コホン。料理長に、ジャムも乾燥ヨモギもそちらで使って構いませんとお伝えして頂戴」

「かしこまりました。それでは行ってまいりますね」


 ジェダがワゴンを押して部屋から出ていく。

 扉が閉じられればこの部屋は、ジェダがドルフィネ辺境伯別邸との連絡が取れて帰って来るまでの間、わたし一人きりだ。

 普段ならば、一人きりで居るという事は気にならないし、なんなら煩わしい全てから解放されて嬉しくもなるのに。


「……今ちゃ、そんな気分になれんなぁ」


 ひとり呟いても、何も返ってこない。

 当たり前のことが、何故だか悲しかった。


 〇


 ジェダはおやつ時の少し前に、蒸かしたてで温かいよもぎ蒸しパンの入ったカゴを手に帰って来た。

 ジェダに頼んだ言伝を聞いた料理長が、ジェダがドルフィネ辺境伯別邸へ連絡を付けに行っている間に作っておいてくれたらしい。


「ヴィッセル様との面会の予約はすぐに取れました。明日の午前にでも是非にとのことです」

「そう。よかったわ。それじゃあ明日、朝食を終えたらドルフィネ辺境伯別邸へ向かいましょう。ジェダ、悪いのだけれど」

「欠席の連絡と外出届の申請ですね。お任せください」

「ありがとう。お願いね」

「リーデロッタ様。リーデロッタ様の代わりに様々な雑務をこなすこと、それも私の本来の仕事です。申し訳ないと思わなくてよろしいのですよ」

「そうなのかもしれないけれど……」

「こちらの蒸しパン? ですか。料理長が私を厨房に留め置いてでも、リーデロッタ様へ差し上げたかった物だそうです。冷めないうちに召し上がってはいかがですか? 私はお茶の用意をいたしますので」

「えぇ、そうさせてもらうわ。ありがとう」


 カゴから取り出したよもぎ蒸しパンは、ほんのりと温かくわたしの手に温もりを分けてくれた。

 貴族令嬢としてはお行儀が悪い食べ方だけれど、わたしは大きな口を開けて、蒸しパンにかぶりついた。

 よもぎ蒸しパンはわたしが作るものより少し苦いように感じた。


 〇


 翌朝、キイチゴジャムが添えられた朝食を程々に取ったわたしは、ジェダの手によってコルセットを締め上げられ、ヴィッセルへ会うために薄紫色のドレスを身に纏って、ドルフィネ辺境伯別邸へと向かった。

 アカデミーから馬車でたったの三十分といったところだろうか、それ程馬車に酔うこともなくたどり着いた首都の中心から少し外れた場所にある白い石造りの大邸宅でわたしを待っていたのは、ヴィッセルだけではなかった。


「ど、どうして、ここに?」


 驚きのあまり、それまで落ち着いていたはずの胃がひっくり返ったかのような衝撃を受けるわたしを出迎えたのは、緑色に燃え盛る厳格な瞳。


「挨拶はどうしたのですか、リーデロッタ・シリウス。貴女はそれでも貴族令嬢なのですか?」


 エスメラルダ・カシオペイア。

 北西端のドルフィネ辺境伯領にいるはずの祖母が、わたしの前に高い壁のように立っていた。

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