第10話 着飾る身分証

「リーデロッタお嬢様。今後、どうなさるおつもりですか?」


 ジェダの突然の問いかけに、絶妙なバランスでフォークに乗せた朝食のスクランブルエッグがポトリと皿に落ちた。


「えーと、どうするつもりかって言うのは、今日はきちんと講義に出席するのかとか、この後どのドレスを着るかとか、そういう確認かしら?」

「いいえ、違います。今学年の終わり、夏の卒業パーティーへヴィッセル様とカムイ殿下、どちらの殿方と出席されるつもりなのかをお伺いしたいのです」

(デスヨネー)


 わたしはひとまず落ちたスクランブルエッグを拾い上げて口へ運ぶことで、回答する意思がないことを遠回しにジェダに示して見たけれど、ジェダはそんなわたしが考えている事などお見通しなのだろう、わたしの口が物を咀嚼するために動いていてもお構いなしにこれからのことを聞いてくる。


「リーデロッタ様。ここ数日出席を控えていらっしゃる講義へ出向くことや、日参していた図書館での用向き、そしてリーデロッタ様が楽をしたいがために選ばれているドレスや装飾品とは、今回の選択は訳が違うのです。リーデロッタ様の将来に関わる事柄であり、ドルフィネ辺境伯領の未来をも左右し、そして最も問題であることは……」


 ジェダはいつも通り、流れるような手順で食後のお茶を用意して、ふわりと軽い香りを漂わせるティーカップをわたしの前に置いたけれど、ジェダから伝わってくる気迫は、ドルフィネ辺境伯領で祖母から待たされたドレスをわたしに着せる時以上に重たく、そしてわたしを圧迫していた。


「リーデロッタ様がお待ちのドレスと装飾品の古さと少なさです」

(結局ドレスのことながけー)


 とは、思っても口にはしないのだ。

 何故ならば、今世のわたしは貴族令嬢。

 元悪役令嬢としての歴史がある祖母が居ても、落ちぶれ令嬢の代表のように言われる淑女が生母であっても、前世が闘病の末、十七歳を目前に死んでしまったただの女の子だったとしても、貴族令嬢たるもの常に平静を保ち、優雅にお茶を飲むべし。

 わたしは何事もないかのように出されたお茶に口をつけて、ゆっくりと口に含み飲み込んでからジェダに問う。


「ジェダ。ドルフィネのお婆様からドレスも装飾品も沢山持たされたじゃない。どこに不足があるのかしら?」

「何をおっしゃるのですか、全てが不足しておりますよ。エスメラルダ様とヴァイオレット様がリーデロッタ様と同じ年頃で着ていたドレスは、全て流行遅れのデザインですし、貸していただいている装飾品もリーデロッタ様が旅路の邪魔になるからと、必要最低限の数しか持ってきておりません」

「必要最低限の物が揃っているのならば、それでいいのではなくって?」


 貧乏貴族のシリウス家で育ったわたしは否応なしに節約を第一に考えて生活してきた。

 とはいえ、貴族の生活で節約出来る所は正直多くない。

 邸宅の手入れと掃除、人を招いた時に出す料理や茶菓子の数々に、生粋の貴族令嬢育ちである母の身の回りの世話。これらに関してはあまり節約を意識しすぎて、いざという時事足らないとなってしまうと、シリウス子爵家という家門への不審に繋がってしまう。


(まぁ、庭はジャングルになりつつあるんやけど)


 結果としてわたしが辿り着いた節約先は、衣食住のうちの衣である。ドレスはサイズが合わなくならない限り新調しない。衣装タンスに収まるだけの数しか手元には置かない。装飾品は必要最低限の数だけを持つ。

 全ての生活において必要最低限、という単語を軸に行動してきたため、正直ドルフィネ領で祖母から持たされたドレスと装飾品たちは、わたしにとっての必要最低限の領域を遥かに超えている。そのためこれ以上何を用意する必要があるのか純粋に疑問でしかないのだが、ジェダはそんな疑問を問いかけた一応は主人であるわたしに向かって深い深い溜息を吐いた。


「リーデロッタ様。私は今、その必要最低限では事足りないと申し上げていたつもりなのですが、ご理解いただけていないようですね」

「わたしとジェダは全く違う人間だもの。ジェダが考えている事の全てを、わたしが何でも理解するのは到底無理な話だと思わなくって?」

「全く、そのような屁理屈ばかり……。いいですかリーデロッタ様。たしかにエスメラルダ様からドレスと装飾品を融通していただきましたが、それはあくまで普段使いに適した物でしかないのです。卒業パーティーとアカデミーでは呼称しておりますが、元々このパーティーは初代ボレアリス王が星々から力を与えられたことを祝う催しの中の一つなのですよ」


 ジェダの言うことは嘘ではない。

 初代ボレアリス王は夏至の夕暮れ頃に星々へ祈り、そして日が暮れた頃に星々ボレアリス王の願いに応えるために、星の冠と星声を聞く乙女を使わせたという伝承がボレアリス城の中庭にある石碑にきっちりと刻まれているらしい。

 ボレアリス王国では七月の中旬に夏至の日がやって来る。その七月の夏至の日を建国記念日として、そして夏至の日の前後一週間の間を祝祭の期間として扱い、身分の分け隔てなく王国民皆が祝う慣習がある。

 卒業パーティーはその祝祭の期間の中にある貴族の社交行事の一つであるため、パーティーへの出席が貴族子女である学生の卒業の必須条件とされているのだ。


「祝祭に参加するのです。講義や図書館へ日参される際に身に付けられているドレスと装飾品では、祝い事に適しているとはとても言えません」

「シリウスの家に合わせて用意したドレスと装飾品では足りないと言うならば、それはジェダの言う通りだとわたしも思うけれど、今回はドルフィネのお婆様からの借り物があるじゃない。ドレスだって、装飾品だって、元々わたしが持っていた物と比べたら明らかに良い質の物が手元にあるのに、これ以上何が必要なの?」

「たしかにリーデロッタ様が元々お持ちの物よりエスメラルダ様からお借りした物は、どれを取っても品質が上です。リーデロッタ様がただのシリウス子爵家の御令嬢として、あのモノケロース伯爵にパートナーの代理を求めて参加されるならば十分すぎる品々でしょう。ですが今現在、リーデロッタ様はシリウス子爵家の御息女である他に、ドルフィネ辺境伯の後継者の資格を持ち、またパートナーは同じく辺境伯後継者のヴィッセル様です。この時点で、リーデロッタ様には辺境伯の地位に見合った質のドレスに装飾品、そして化粧や髪を整える為の侍女が必要となっていることはご理解いただけますか?」


 貴族というものは大変面倒な生活を強いられる存在である。

 と、いうことをわたしはこの世界に転生して嫌というほど知ることとなった。

 ヒラヒラしたレースで飾られたドレスやキラキラした宝飾品の数々。どうセットしたらそうなるのかわからない複雑な髪型に、綺麗に整えられた容姿。前世で貴族という物が出てくる作品を読んだ時、そういう物は読者の目を引くために登場人物が身に付けているのだと思ったし、貴族というキャラクターなのだから、キラキラしているものなのだと思っていた。

 けれど実際に貴族になってみると、あのヒラヒラもキラキラも、複雑な髪型も、綺麗に整えられた容姿も、キャラクターを目立たせるために身につけている物ではないし、貴族だからと言ってみんながみんなそれらを十二分に身に付けている訳でもないとわからされた。


 貴族が着飾るのは、自分達が平民とは異なる身分であると一目見ただけで他者へわからせるための一種の身分証。そしてその着飾る身分証も、貴族の中の立場や序列、持っている財産や力によって、求められる物が異なってくる。

 わたしはこれまで、下級貴族のシリウス子爵家の令嬢としての身分証を求められていたため、平民とは違う地位である貴族としての最低限、貴族として失礼に当たらない程度のドレスと装飾品を手に、それほど複雑ではない身支度で許されていたが、ドルフィネ辺境伯であった祖父の死とそれに伴う遺書の開示によって、わたしの立場はガラリと変わってしまった。

 今のわたしはドルフィネ辺境伯領の後継者のうちの一人。

 たとえ生家が没落寸前の貧乏貴族であろうと関係なく、わたしに求められる身支度の身分証は、辺境伯のレベルまで上がってしまったのである。

 そしてジェダ曰く、わたしが今、手元に持っている物だけでは、辺境伯レベルの身分証に満たないというのが、目を背けたくてもわたしが対面せざる得ない現実らしい。

 そうなってくると、ジェダの言う通りに足りない分を補うしかないのだが、生憎とわたしにはどんなドレスと装飾品を用意すれば、事足りるのかがわからない。何せ生まれてこの方、貧乏貴族のシリウス家で育ってきたのだ。高価なドレスも装飾品も、流行もわたしには追いかけられる力も資金もなかったのだ。わからなくて当然だと思って欲しい。


(まぁ、本ばかりを読んでいたわたしも悪いのかもしれんけど)


 わたしは軽くため息を吐いて、ジェダにお願いするしかない。


「わかったわ。不足していると言うのであれば、補いましょう。わたしだけでは必要なものがわからないから、ジェダが全てを用意してくれないかしら? 出来れば、ドルフィネのお婆様から頂いたお小遣いの範囲内に収まる様に用意してもらえると助かるのだけど」


 わたしとしては、ジェダの申し出にほぼ満点で答えたと思ったのだけれど、ジェダは額に手を当てて軽く頭を抱えていた。


「リーデロッタ様。百歩譲って、ドレスと装飾品の手配は私一人で致しましょう。ですが、その用意のためにもう一つ決めていただかなければならない事があるのをお忘れですか?」


 本当のことを言うと、忘れてはいない。わたしだってそこまで馬鹿ではないのだから、朝一番にジェダから言われたことくらい覚えてはいる。

 だけどそれを忘れたフリをしてでも、今、最も触れたくない問題なのだ。

 けれどジェダはそう都合良く忘れてくれなければ、なんならそれが一番気がかりなのだろう。わたしの答えを待つよりも先にその問題について話し出していた。


「ドレスも装飾品も、ある程度はお相手に合わせて決めるものなのです。ヴィッセル様と並ばれるのであれば、ヴィッセル様の瞳や御髪の色に合わせたドレスと宝石を選ばなければなりませんし、もしカムイ殿下をお選びになられた場合はカムイ殿下に合わせたお色のドレスを新しく用意しなければなりませんし、そもそもカムイ殿下は王族ですので、リーデロッタ様の装いも王族の方に見合う質のドレスを仕立て、宝石の数もそれなりに揃えなければなりません。そうなればエスメラルダ様からお預かりしている金額では絶対に足りませんし、私一人でご用意するのにも限界がございます」


 ボレアリス王国には、ルクス、カンデラ、ルーメンと、三つのお金の単位がある。

 それぞれ千ごとに一つ単位が上がっていく仕組みなので、千ルクスで一カンデラ、千カンデラで一ルーメンとなる。

 平民が日常的に食べているパン二つで小銅貨しょうどうか一枚の十ルクス。これが前世で言うところの百円だとして、アカデミーの図書館で借りることができる読書用のランタンは一時間中銅貨ちゅうどうか一枚の五十ルクス、つまり五百円だとわたしは換算している。

 わたしがデューク男爵へ心付けで手渡した小銀貨しょうぎんか一枚、一カンデラは一万円。そしてわたしがドルフィネの祖母から持たされたお小遣いは、中銀貨ちゅうぎんかを飛ばして、大銀貨だいぎんかである百カンデラが十枚。この世界では金貨きんかに当たる一ルーメン。前世の感覚でいうところの一千万円である。

 よく辺境伯領からアカデミーまで戻る道中に、盗賊などに襲われなかったものだと、ここのところ問題ばかりが起きている自分にも多少は幸運なところもあったのだと思ってしまう。


 さて、前世感覚ではあるが、そんな大金を持っていると言うのにジェダ曰く、もし仮にカムイ殿下という王族と並んで立とうとした場合、その一ルーメンでも足りないと言うのだから、一体いくらかかるのやら、全く想像もつかない。

 貧乏貴族として育ったリーデロッタとしても、そんなとんでもない額のドレスに袖を通すと考えるだけでも手が震えるし、一体、金貨を何枚詰んだ宝飾品を身に付けさせられるのかと考えるだけでも十分胃が痛くなる。


「……それじゃあ、ひとまずヴィッセルをパートナーにすると仮定して準備をしてもらうのでは、ダメなのかしら?」


 ヴィッセルならば辺境伯の後継者ではあっても、王族ではない。婚約云々のややこしい事情はあるけれど、それはあくまでわたしの感情の問題であって、お金の問題ではない。

 今持っている予算内で収まるのならば、ヴィッセルをパートナーと仮定して用意してもらう方が懐にも、胃にも優しい。ジェダだって動きやすくなる。そう思ってジェダへ提案したのだが。


「リーデロッタ様、今エスメラルダ様からお預かりした額の範囲で収まるだろうからと、ヴィッセル様のお名前を出されましたね?」


 図星でしかなかった。


「いいですか、リーデロッタ様。リーデロッタ様はもう十六歳。普通ならば婚約者が居てもおかしくない年頃なのです。今までは、明らかに代理であるモノケロース伯爵と出席されていたため、リーデロッタ様には婚約者がいらっしゃらない事も明らかでした。ですが、今回はエスメラルダ様とアイリス様からのご推薦でヴィッセル様、そしてカムイ殿下より直々にお誘いを受けていらっしゃいます。どちらの殿方とパーティーに出席されても、リーデロッタ様の将来を卒業パーティーで多くの方々に披露されることになります。これまでのお育ちで、限りある資金を意識されてしまう癖があるのは承知しておりますが、それを理由にパーティーのパートナーを決めようとするのはお止めください」


 文句なしの正論である。

 しかしそうなってくると、わたしは今現在、どちらとも婚約、結婚する気がないという問題が再び浮上してしまい、結局回答できない、というのが一番の答えとなってしまう。

 わたしとて貴族令嬢。その上シリウス家の一人娘だ。たとえ実家が没落寸前の子爵家だとしても受け継ぐ者は必要だし、そのためにはいずれ結婚しなければならない。そのくらいの常識はある。

 だけどそれはシリウス子爵家に合う家格でお婿さんに来てもらう。という条件がまず大前提であり、間違っても次期辺境伯候補の従兄弟や、王位継承権第三位の王族の元へ嫁ぐという話ではないのだ。


「……ジェダ。もしどちらかに決めなければならないとして、どちらに決めてもきっとドレスは新調するでしょうし、装飾品も増やすことになるとは思うのだけど、その準備が絶対に間に合わないという期限はいつかしら?」


 今朝のわたしにどちらと将来添い遂げるか、などと言う人生の選択はまだ出来ない。出来ることは、その選択をする期間を出来る限り伸ばして、その間に何とかなるように動くことだけだ。


「正直な事を申し上げますと、本日中とお伝えしたいところですが、これからドルフィネ辺境領の皆様とも連絡を取り合わなければなりませんので……五日以内には決めていただきたいと思います」

(期限短っ!?)


 本音を言うならば一週間くらい猶予が欲しかったのだが、こちらの世界、ドレスには流行の型はあれど、前世の日本にあるファストファッションの店のように、その型通りの既製品と言うものは売っていないのだ。

 そのため、ドレスを新調するとなればほぼほぼ一から仕立て上げてもらわなければならない。しかも前世の世界のようにミシンなどといった機械もなければ、この世界は意外にも魔法がない世界だ。下着一つを取っても衣服を仕立ててくれるのは仕立て屋さんに勤めるお針子さん。つまり人力でしかドレスは作れない。


 卒業パーティーの開かれる夏至の日の前日は、今から約一ヶ月後。


 一から人の手だけで仕立てなければならない舞踏会用の豪華なドレスの準備をするための猶予に、五日ももらえただけで万々歳だと思うべきなのだろう。


「……わかったわ。五日以内にはきちんと答えを出すと約束します。だからジェダは今日から五日間、わたしの答えを待っていて頂戴」

「かしこまりました。リーデロッタお嬢様」


 ジェダが承知したので、今朝の話し合いはこれで終わりだ。

 後はこれからの五日間でわたしがどうするべきかを模索していくだけだ。


(本当は、すごく行きたくないんやが)


 ジェダと約束をしてしまったからには仕方がない。それに人目を避け続けていても何も始まらないし、姿を見せない方が、勝手な噂話はどんどん広まって行く。

 わたしはすっかり冷めてしまったお茶を一気に飲み干して、ジェダへ今度は指示を出す。


「ジェダ。今日の午前はダンスの講義へ出席するわ。……もしカムイ殿下と講義をご一緒しても恥ずかしくないように、支度をお願い」


 兎にも角にも、情報を集めなければ。

 本以外から得る情報を。

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