第9話 身に余る救済

 ボレアリス王国には現在三人の王子がいる。

 第三王子であるカムイ・ボレアリスは、ボレアリス王家の典型的な金髪と宇宙の色そらのいろと称される濃紺の瞳が特徴の見目麗しいかんばせを持つ、わたし、リーデロッタ・シリウスと同じ年頃の青少年である。

 彼は時折、特別に据えられた席でたくさんの護衛と側仕えを伴って、講義に参加することがある。

 正直、没落寸前の子爵家令嬢のわたしからすれば、彼は天上人であり、それこそ宇宙で輝き続ける星と変わらないような存在である。

 彼と関わることはリーデロッタの人生上、一切ないだろうと思っていたのだが。


「私は凶つ星について王家に代々伝わる話を知っているのだが、それを話してもいいだろうか。星教師せいきょうし殿」

「……もちろんでございます。王家とカルデア星教団は元を正せば同じ根から育ったもの。王家に伝わる話は、私どもがお話するものと変わりございません」

「では遠慮なく」


 カムイ殿下は彼のために用意された特別席を立つと、教壇へ真っ直ぐに歩いていく。

 自信に満ち溢れている、なんてものじゃない。彼は堂々と、彼の全てが正しいと思わせるような足取りで教壇に立ち尽くす星教師を押しのけるようにしてそこに立つと、決して少なくない講堂に集まる貴族生徒たちに向かって、まるで演説でもするように話を始めた。


「たしかに、カストス伯爵令息の言う通り。凶つ星と呼ばれる赤い星が、宇宙に存在していることは紛れもない事実である。それは初代の“星声の乙女”が、我らが初代ボレアリス王に伝えた星々の中の一つとして、記録にも残されている」


 カムイ殿下が朗々と語る言葉を一言も聞き漏らしたくない。

 そう思わせているのか、自然と講堂内に溢れていたざわめきの音は綺麗さっぱり消えていて、わたしの耳に入ってくるのは、この国の頂点に連なる者が身につけたであろう尊厳な態度から紡ぎ出される言葉の数々だけだった。


「凶つ星について、王家に代々伝わる話は次の通りだ。『赤き星。人の運命に試練をもたらす輝きを放つ、凶つ星。さりとて恐れる事はなし。試練を乗り越えれば、必ず力はつくだろう』と。さて、ハドリウム・カストスよ。この話の意味がわかるか?」


 急にカムイ殿下から指名されたハドリウムは、先程までの威勢の良さはどこへやら、やけによかった姿勢も今は崩れてしまい、そこに居たのは突然のことに慌てふためくだけの十六歳の青少年だった。


「えぇと……赤い星は凶つ星であって、人の運命に試練を与え……さりとて、いや、しかし? 恐れる事は……」

「恐れる必要はない。試練を乗り越えれば、その者には試練を乗り越えただけの力が必ずつく。――初代の乙女はそう伝え残している。さて、ハドリウム・カストス。私はもう一つ貴君に問おう。凶つ星は本当に『その名の通り、人々に悪影響を与える力を持つ星』なのだろうか?」

「そ、それは……」


 ここまでの話をきちんと聞いて理解したのであれば、ハドリウムは自分の発言を改めざるを得ないだろう。改めなかった場合、ハドリウムはカムイ殿下の、ひいては王家の発言に異を唱えるどころか、叛意を示したとしてなんらかの処罰が与えられてもおかしくないからだ。

 ハドリウムが答えに戸惑っているのに待ちくたびれたのか、カムイ殿下の方が先に口を開いた。


「星は宇宙そらの下に生きる人々の運命に影響を与える。それは凶つ星と呼ばれる赤い星であろうとも、吉星と呼ばれる星々であろうとも、名も無き星々であろうとも、変わらない。故に凶つ星だけが特別人に大きな影響を与える星だとは考えられない。というのが王家の見解である」


 カムイ殿下の発言に再びどよめきが湧き起こる。ハドリウムの語った推測に賛同していた多くの貴族子女達は動揺を隠せないでいた。

 当然だろう、講堂に集まった多くの生徒達は、凶つ星という言葉に囚われ、赤い星とそれを想起させるわたしのような存在は悪であるという考えを持っていたのに、それが突然ぐるりと百八十度反転させられることとなったのだから。

 それに先程、教壇から押し出された星教師はこう宣言していた。『王家とカルデア星教団は元を正せば同じ根から育ったもの。王家に伝わる話は、私どもがお話するものと変わりございません』と。

 カムイ殿下はあくまで王家の見解だと述べた。そして星教師は王家の見解はカルデア星教団の教え説く思想と変わりがないと宣言している。

 つまり今さっきハドリウムが言い張っていた『その名の通り、人々に悪影響を与える力を持つ星』という説よりも、『凶つ星だけが特別人に大きな影響を与える星だとは考えていない』というカムイ殿下の言葉の方が、現状正しいということになったのだ。


「ここからは、私自身の見解を述べよう。凶つ星はたしかに人々に困難と試練を示す星だ。だがその困難を、試練を、乗り越えるために身につけた力は、何物にも代え難い素晴らしい能力となるはずだ。故に赤い星が凶つ星と名指されていようとも、わたしはその星を恐れ、避けるようなことはしない」


 カムイ殿下の張りのある声が講堂中に響いて、聞く者全ての耳にスッと入ってくる。それはわたしも例外ではなく、わたしは彼の語る凶つ星についての見解をしっかりと聞いていた。


 そしてどうしてか、少しだけ救われた気がした。


 きっとこの先、わたしは元悪役令嬢だった祖母譲りの赤い髪と、誰に似たのかわからない真っ赤な瞳を指さされ、「あれが凶つ星の化身、リーデロッタ・シリウスだ」と言われるだろう。

 今以上に、他人がわたしのことを避けて通るかもしれないだろう。

 けれどもそうなっても、大丈夫だと思えた。

 思わせてくれる言葉が、今教壇に立つ、同い年の青少年から与えられた。

 なんなら、彼はこの国の最高権力者に連なる者だ。そんな権力者が、赤い星を恐れ避けるような事はしないと宣言してくれたのだ。それだけでも十分、赤毛、赤髪のリーデロッタ・シリウスは救われたと言えるだろう。

 心に余裕が出来たわたしは、俯いていた顔をようやく上げることができた。

 しかし、顔を上げたわたしは後悔することになる。

 何故なら、教壇に立っていたはずのカムイ殿下が、教壇から降りて、何故かわたしの座っている座席に向かって歩いてきているからだ。

 なんなら今回は気のせいでもなんでもなく、彼の濃紺の瞳とバッチリ目が合っているわけで、正直、蛇に睨まれた蛙よろしく、わたしの表情は困惑で歪んだまま固まっていることだろう。

 そんなわたしの気持ちなど知らないのか、それとも知っていてもそれを無視しているのか、カムイ殿下は真っ直ぐにわたしの方へ向かって来ている。


「仮に凶つ星の力を宿した者が居たとしても、私はその者を悪しき存在だとは思わない。むしろ、我らに試練を与え、それを乗り越えることで力を与えてくれる宇宙そらからの贈り物だと考えたい。そして私は吉星を追う者ではなく、凶つ星の示す試練を乗り越える力を持つ強き者になりたいと願っている」


 カムイ殿下はなんとも輝かしいその顔に、さらに目を細めたくなるほどの眩しい笑顔を浮かべて、どうしてだかわたしの座っている席のすぐ脇にやってくると。


 まさかまさかで、跪いて、驚いて固まっているわたしの左手を取っていた。


「だから私にその機会を与えてくれないだろうか、深紅の令嬢リーデロッタ・シリウス嬢。どうか、この夏の卒業パーティーに共に出席して欲しい。そしてその後も、私の側で輝いていて欲しい」


 “私の側で輝いていて欲しい”。

 これは卒業パーティーにパートナーとして参加して欲しいというお誘い文句でもあり、同時に卒業パーティーが終わったこの先もわたしに側にいて欲しいという口説き文句でもあり。

 とどのつまり、没落寸前の子爵家令嬢であるリーデロッタ・シリウスは、このボレアリス王国の第三王子であるカムイ・ボレアリス殿下から求婚されている状態なのである。


(な、なにを言っとんがけ、この男はー?!)


 ◯


 日が傾き始めてしばらく経った頃。

 わたしは人気がないのを確認して、アカデミーの寮の部屋から抜け出して、図書館へやって来ていた。

 閉館寸前にやってきたわたしに、デューイ男爵は少し呆れたようにため息を吐いたけれど、それでも一時間五十ルクスの読書用ランタンを貸してくれたので、わたしはランタンのレンタル代の五十カンデラとは別に、小さな銀貨を一枚手渡すと、デューイ男爵の顔がだいぶ緩んだように見えた。

 この時ばかりは、本来は装飾品を買い足すためのお小遣いとしていくらかを持たせてくれたドルフィネ辺境領の祖母に感謝せざるを得なかった。


(やからって、全部が全部に感謝は出来んけれど)


 わたしはため息を吐きつつも、人気のない図書館を歩き回る。

 日暮れの図書館は大変暗い。

 本も日焼けをする。日焼けをすると、当然だが傷んでしまうので、貴重な本を守るためにも、最も日の光から遠い場所か、もしくは日の光が最小限に入るように図書館を作るのだと、わたしはドルフィネ辺境伯領の図書館に通うようになってから知った。

 ランタンの仄かな灯りに照らされている本棚の間をゆっくりと歩きながら、自分の食指が動く本がないかと見て回っているのだが、どうにも今日はどの本にも興味を持てない。


(と、いうか。そんなことしとる場合でないちゅうのが、現実やからやけど)


 わたしは本棚の間から出て、いつもの定位置になっている座席に腰をかけて、天井を見上げた。

 もう日の光はほとんど入ってきていない。明かりはわたしの持っているランタンのみ。けれど、そのランタンの明かりを取り込んで、その輝きをわたしの目に突き刺すものが天井にいる。

 わたしは図書館の天井にある天体図の中でも、一際目立つ真っ赤な星を模した宝石を睨みつけるけれど、すぐにやめてため息を吐いた。


(『赤き星。人の運命に試練をもたらす輝きを放つ、凶つ星。さりとて恐れる事はなし。試練を乗り越えれば、必ず力はつくだろう』け?)


 天文学の授業の時にわたしが凶つ星の化身かのようにハドリウムが発言したことも、その発言をひっくり返すような考えをカムイ殿下が述べてくれたことも、そのすぐ後に第三王子である当人から求婚までされたことも。

 ついでに言うならば、祖父の遺書によって突然湧きあがったドルフィネ辺境領の継承権に、祖母の思いつきによる従兄弟との婚約打診。そして従兄弟のヴィッセル本人からの求婚。

 

 これら全ては、凶つ星がわたしにもたらした試練なのだろうか。


「何が本人が凶つ星の化身や。化身なら、自分自身にこんなだら馬鹿みたいな量の試練課したりせんわ」


 天井で輝く赤い宝石を通して、今も宇宙に輝いているであろう真っ赤な星に届くようにと、わたしは声に出して言ってやった。


「ならば貴女は、特別凶つ星に魅入られているのではないかな? リーデロッタ嬢」


 誰もいないと思って姿勢も崩し、少し大きい独り言を呟いたのに、その独り言に返事が返ってきたわたしは、驚きのあまり座っていた椅子から転げ落ちそうになった。

 そんなわたしを急いで受け止めてくれたのは、茶色い髪に濃紺の瞳を持つ、このアカデミーの謎の男子生徒。


「……キャリバン様」

「すまない。まさかそんなに驚くとは思わずに声をかけてしまった」

「本当ですよ。驚きました。でも、助けてくださってありがとうございます」

「このくらい造作もない。それに、リーデロッタ嬢はまるで鳥の羽のように軽い。きちんと食事を摂っているのか?」

「口がお上手ですこと。驚かせたお詫びのつもりですか?」

「本心だよ。貴女は軽いし、そして細い」


 キャリバンはそう言いながらわたしを所謂お姫様抱っこというやつで抱えあげて、わたしが転げ落ちた椅子にわたしを抱えたまま座った。


「……あの、キャリバン様? 何故わたしを抱えたまま椅子に座られたのでしょうか?」

「こうして抱えておかなければ、貴女は逃げ出してしまうだろう。今日の天文学の講義のように」

「あ、あれは逃げたと言うわけでは……」


 天文学の授業中にされた第三王子からの求婚。それは周囲を大混乱させるには十分な出来事で、あの後の講義室は蜂の巣を突いたかのような大騒ぎになった。中には失神した令嬢も数名居たそうな。

 そんなとんでもない求婚をされたわたしも、もちろん混乱したわけだが、けれども混乱しながらもわたしは自分の信条である“目立たず長生きする”を忘れることはなかった。

 第三王子の正妻だろうが、第二夫人だろうが、愛妾だろうが関係ない。王族に連なる身分を得てしまうなんてことは、没落寸前のシリウス子爵家にも、平凡に長生きをすることを目標としているわたしにとっても、分不相応なことだ。

 だからわたしはこう応えた。


『冠の星々の一つ、カムイ殿下。身に余る救済……いえ、光栄をわたくしへ与えてくださったことに感謝の意を伝え、そして恐れながらも申し上げます。わたくしは数多ある星々の中でも、弱く小さな輝きを放つだけの星。貴方様の隣で輝くだけの光を持たないのです』


「『ですのでどうか、殿下に相応しい星をお探しください』か、求婚を程良くていよく断るだけでなく、別の女を探せと言うとはな。その上、天文学以降の授業には参加せず、挙句人気がない時間を見計らってこんな暗い図書館に籠る。どう考えても逃げているではないか」

「程良くとか言わないでくださいましっ! そもそもわたしは子爵家の出! 末席中の末席! そんなわたしが王族に、など……」


 ここまでキャリバンに話をして、わたしははたと違和感に気が付き、話を切り上げ、大変近くにある濃紺の瞳を見つめる。


「どうかしたか?」

「あの、キャリバン様。何故、今日の天文学での出来事をご存知なのですか?」


 わたしはアカデミーにいる全ての貴族子女の容姿を覚えているわけではないが、よく図書館で会うキャリバンのことは覚えている。

 そしてわたしは彼を今日の天文学の講堂で、というか、その他全ての講義でも見かけた覚えがないのだ。

 それなのに、彼は居なかったはずの今日の天文学の講堂で起きた事件について知っている。

 既にわたしが分不相応な求婚をされ、それを断った噂が広まっているとしても、わたしの断り文句までもが一言一句違わずに広まるとも思えない。


 何故この男は全てを知っているのだ。


 キャリバンが手を回している背筋に、嫌な汗が吹き出て来そうだ。

 この男の膝の上から降りたいのに、キャリバンはどうにもわたしを離してくれない。


「ふむ。何故、か。リーデロッタ嬢は案外鈍いのだな。図書館に籠って、本ばかりを読んでいるせいで視野が狭くなっているのではないか?」

「キャリバン様。今はわたしの視野の話より、わたしの質問にお答えいただけませんか?」

「ただ答えるだけではつまらぬだろう。だから、ヒントをくれてやろう」


 キャリバンはそう言うと、わたしの左手を取って、困惑しているわたしの赤い瞳に、夜空のような濃紺の瞳を合わせて、次のように述べた。


「『深紅の令嬢リーデロッタ・シリウス嬢。どうか、この夏の卒業パーティーに共に出席して欲しい。そしてその後も、私の側で輝いていて欲しい』」


 わたしは、キャリバンの、いや彼の言う通り、本ばかり読んでいて視野が狭くなっていたのかもしれない。

 この王国で夜空の様な濃紺の瞳を持つ貴族の一族はごくわずかだというのに、図書館で目を何度も合わせていたのに、一度も気が付けなかっただなんて。


「……髪の色はどうされたのですか」

「昔、貴女も読んでいたではないか。『舞台衣装と化粧の文化史』という奇怪な本を」


 彼はこの国でありふれた茶色の髪の毛かつらを、帽子を脱ぐように取り去った。

 その下から現れたのは、これもまたボレアリス王家特有の眩いばかりの金髪だった。


 あぁ、神様。お星様。それとも凶つ星様でしょうか。

 前世の人生も含めて、わたしが何をしたと言うのでしょうか。

 たしかに前世では親よりも先に死ぬという、逆縁の親不孝はしたかもしれないけれど、それ以外に何か悪いことをした覚えは一切ないし、なんなら今世では精一杯親孝行をしようとしているし、今度こそ平凡に人生を目一杯長生きしようと心に決めているのに。


 何故にわたし、リーデロッタ・シリウスへ、こんなに試練ばかりを与えるのでしょう。


「それで、リーデロッタ嬢。私は本気なのだが、考えてもくれないのか?」


 キャリバン、いや、カムイ殿下か悪戯っ子のようにわたしに微笑んでいた。


「…………考えさせてくださいませ」


 今のわたしにこれ以上の答えは出せない。

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