第6話 婚約
ドルフィネ辺境伯領へ着いてから五日が経った六月の初旬のある朝。
わたしの元にアカデミーから辺境伯領への弔辞と、そろそろ出席を再開しなければ、七月の卒業パーティーに間にあわなくなるという旨の手紙が届いた。
アカデミーへは社交というよりも勉強のために通っているわたしは、必要最低限の社交しか行うつもりはないのだが、その必要最低限の中にアカデミー主催の卒業パーティーへの参加が含まれる。
いくらボレアリス王立アカデミーが貴族子女の健全な社交を目的として設立された学園であるとしても、十四歳から十八歳までただ何もせずに通えば無事に卒業できるというそんな激甘システムで運営はされていない。
開設されている講義の中にも必修科目がいくつかあるし、どれだけ社交を避けていても参加必須のパーティーや茶会が存在する。それらは出席日数から中身まで厳しく採点されてキチンと評価が出され、この必修科目をクリアしなければ、アカデミーを卒業することは不可能である。
そのため参加必須科目である卒業パーティーへ参加するためにもわたしは一度、ドルフィネ辺境伯領からアカデミーのある首都へ絶対に帰らなければならなくなってしまった、のだが。
「……」
「ロッタお姉様。どうかなさいましたか? もう馬車に酔いましたか?」
「ううん。大丈夫。大丈夫だから、そのハッカ飴はしまっておいてちょうだい」
今、わたし、リーデロッタ・シリウスは、ドルフィネ辺境伯家の所有する高級な馬車に、従兄弟であるヴィッセル・ドルフィネと一緒に乗って、首都を目指しています。
(き、気まずい。気まずすぎるっ!)
わたしがヴィッセルと一緒にいるのが気まずい理由はいろいろあるわけだが、一つは祖父の残したとんでもない遺言状の件について。
そしてもう一つは、祖母の口から出た爆弾発言のせいである。
〇
「リーデロッタ。貴女、ヴィッセルと婚約なさい」
祖母の言葉にその場の全員が言葉を失う。
突然降って湧いた辺境伯の継承権という大荷物を、自らの身から降ろそうとしたわたしに対して、祖母エスメラルダ・カシオペイアの発言は、もはや過積載を通り越して、爆弾のような衝撃をわたしに与えた。
「は?」
彼女の発言に対する疑問、理解したくないという感情、「余計なことを言ってくれたなこのババア」という怒り、といった全てがないまぜになって、ようやくわたしの喉からでた音はこれだけだった。
「丁度いいではありませんか。元々、リーデロッタにはわたくしが婚約者を探そうと思っていたところです」
(初耳やが?!)
「ですが、リーデロッタとヴィッセルは仲睦まじいようですし、辺境伯の継承権は二人に与えられるという遺言もあります。継承権を持つ二人が共にいれば、争いも起こらないでしょう。二人の年回りだって悪くないではありませんか。それに二人とも婚約者はまだ決まっていないのでしょう?」
祖母の中では、自分の発言が大変合理的かつ、全ての問題を解決する良い案だと思っているようなのだが。
(火に油を注ぐって言葉を知らんのがけ?!)
こんな無茶苦茶な発言、あのクソジジイのとんでも遺言並みに叔母の神経を逆撫でするに決まっている。
今すぐにこの考えを改めさせなければ!
「お婆様! わたくしとヴィッセルが婚約だなんて、いくらなんでも無茶苦茶すぎる話ですわ!」
「どこが無茶苦茶なのです?」
「そもそもわたくしとヴィッセルはいと」
「従兄弟との婚約程度、貴族の間ではよくあることですよ」
「これまでの慣習に従えば、正当な後継者はヴィッセ」
「遺言状に二人と書かれているではありませんか」
「わたくしは二つも歳」
「十や二十離れた婚姻だって珍しくはないでしょう」
「ヴィッセルの婚約者はこれか」
「辺境伯の後継者に群がる有象無象から、相応しい女を簡単にあてがえると思っているのですか?」
「子爵家のわたくしが相応しいとはおも」
「貴女の血筋は調べるまでもなく、キチンとしているではありませんか。それに、亡き辺境伯の遺言によって貴女にも後継者として資格があると証明されていますよ」
わたしが何かを言い切るよりも前に、祖母が的確に反論してそれを封じ込める。あまりにも簡単に封じ込められてしまい、まさか祖母がこれを全て仕組んだのかと思ってしまうほどに。
「リーデロッタ・シリウス。何が不満なのです」
(全てやが?!)
「貴族であっても、女が辺境伯の後継者などになれば、周囲からの風当たりは強くなります。その上貴女は今、末端貴族の娘です。そんな娘が辺境伯の後継者であることが知れれば、命を狙われる程度ではすみませんよ」
(命を狙われること以上に危険なこととは一体なんながけ! 是非とも教えていただきたいんやが?!)
「ヴィッセルはドルフィネ辺境伯の直系血族の男児です。正当な後継者として完璧な素質を備えていますし、貴族令息としての教育も施されています。秋にはアカデミーへ入学もします。これからの貴女を守り、そして互いに支え合い、共に生きていくのにこれほど相応しい相手はいないではありませんか」
祖母が力説せずとも、ヴィッセルが貴族男性として大変優秀であることは知っている。
わたしだってよちよち歩きの時から彼の成長を見ていたのだから。
だが今大切なのは、如何にヴィッセルが婚約者として優秀であるかではない。
「お婆様、本当にわたくしとヴィッセルが婚約するとしたら大事です。そんな重要なことを、今ここで決めるわけには参りません。それにわたくしは、辺境伯の継承権を簡単に頂く訳にも参りません」
「え、どうしてロッタ? こんな素晴らしい機会が巡ってくることなんて、そうない事よ」
母よ、貴女がそれを言ってしまってはならないのだ。
「お母様、落ち着いて考えてください。わたくしは、リーデロッタ・シリウスです。今、シリウス家にいる跡取りはわたくしなのですよ」
そう。お忘れかもしれないが、わたしは今、リーデロッタ・シリウス。シリウス家の娘なのである。
たとえシリウス家がわたしの養育費も出せなくて、新しい執事を雇うわけにはいかないからカーネルお爺さんに無理をさせていて、木造三階建ての幽霊屋敷と言われているような屋敷に住んでいる貧乏貴族だとしても、わたしはシリウスの名の元に生まれたのだから、シリウス家を優先すべきなのである。
「お婆様、お母様、それにここにいる皆様方、わたくしはシリウスです。ドルフィネの血を引いていても、生まれはシリウスなのです。星が決められた場所で瞬くことを忘れれば、“船頭”は道を見失うでしょう。わたくしが瞬く場所を変えることを、わたくしだけで良しと言うことはできません」
ボレアリス王国貴族にとって、星は尊ばれるものの象徴。特に古くからの貴族であり、その教育がしっかりと染み込んでいる祖母であれば、わたしのこの言葉で引き下がらない訳にはいかなくなる。
予想通り、祖母はバツが悪そうに手に持っていた扇子を開いて口元を隠すと、わたしに告げた。
「そうね。では“船頭”に聞いてから、もう一度星のありかをハッキリさせましょう」
〇
こうして遺言状に記されたわたしの継承権についても、祖母の投げ入れた爆弾のような婚約についても、ハッキリとした答えを出さないまま、アカデミーからの知らせを藁のように縋って、逃げるように出立の準備をした。
本当は来た時と同じだけの荷物を持って、街から出ている箱馬車を使って帰ろうと思ったのだが、まず祖母の手によってわたしの荷物はトランク一つから、三つに増えたところで不可能になった。
なんでも、ドレスがドレスと言えないだとか、装飾品がなさすぎるだとか、ドロワーズの質が悪すぎとか、コルセットがないだとかなんだとかで、気が付けば、祖母と母が娘時代に使っていて仕舞い込まれていた上等な品を、わたしの「道中夜盗にでも襲われたらどうするのか」という言葉も、「急にシリウス家の羽振りが良くなったように見えて悪目立ちする」と言う言葉も全て、暖簾に腕押しの状態で、次から次へと荷物がトランクへ詰め込まれ、あれよあれよと街の箱馬車屋に頼める量の荷物ではなくなってしまった。ちなみにわたしが元々持っていたドレス三着は、全て祖母の手によって処分された。
馬車の手配に迷っている間に、今度はアイリス叔母様にアカデミーで出席するパーティーのパートナーはどうするのかと聞かれる。普通、こういう時は婚約者か、もしくは親族の男性をパートナーとして伴い、出席するのが習わしなのだが、わたしには婚約者もいなければ、親族であるドルフィネ家の祖父は辺境伯領に駐在する身であるためそう簡単に頼むことはできなかった。そして父は、お世辞にもダンスが得意とは言えない。
ここでアカデミー内の他の学生に頼むことができるだけの社交能力を持っていれば、わたしの社交の成績も満点であっただろうが、残念ながら名の知れた元悪役令嬢を祖母に持ち、反面教師として教えられる落ちぶれ令嬢が母であるわたしに近づきたいと思う貴族男性はいない。
そのためアカデミーにいる時は、セクハラ必須のモノケロース伯爵にパートナーをお願いするのがいつもなのだが、それを聞いた叔母が顔をしかめた。モノケロース伯爵の悪癖は、どうやら社交界内でも周知の事実らしい。
あんなことがあったというのに、叔母はわたしのために、ヴィッセルを今回のパーティーのパートナーとして連れていくようにと言ってくれた。ヴィッセルにとっても、秋に始まる新学期から通うアカデミーと首都について、下見ができていい機会だからと言って。
ヴィッセルがわたしに付いてくるのであれば、馬車はドルフィネ家から出せる。というより、出さざるを得ないとも言える。
何せ、ヴィッセルはドルフィネ辺境伯の唯一の直系血族男児である。あのとんでもない遺言状の存在が公表されていようが、いまいが、彼は正当なドルフィネ辺境伯の後継者なのである。
彼は、ドルフィネ辺境伯領が守るべき後継者。
そんな彼が首都へ向かうならば、それ相応の乗り物に、護衛も付けられる。
結果としてわたしはドルフィネ辺境伯の後継者のおまけで、その守護のおこぼれをもらって、ドルフィネ辺境伯領へついてから一週間経った今朝、首都へ向けて出立したのだが。
だが、
(き、気まずい。気まずすぎるっ!)
ヴィッセルに加えて、これまで護衛などというものが付いていなかったわたしというおまけまで守らなければならなくなった結果、護衛対象は一ヶ所にまとまってくれる方がいいという理由で、わたしとヴィッセルは同じ馬車に乗って移動している。
仕方のないことなのだが、遺言状の事もあるし、何よりわたしと婚約させられてしまうかもしれない状態で、ヴィッセルはわたしと一緒に馬車に乗って、その上、他の貴族の目もあるアカデミーのパーティーへ、わたしのパートナーとして参加してもらわなければならないのだ。
こんなにも気まずいことが他にあるだろうか。
わたしは向かい側に座っているヴィッセルをちらりと見る。
ヴィッセルはわたしの方をずっと見ていたのか、ちらりと見ただけなのに、彼の紫の瞳と目が合った。わたしと目が合ったヴィッセルはニコリと笑ってみせた。
その笑顔は、幼い頃から変わらない。
(あーーー、こういうところがダメながちゃ)
おそらく、幼い頃からの彼を知らなければ、彼の笑顔に心奪われる乙女心がわたしにだってあるはずなのだ。
光に当たれば輝く銀髪に、透けるような白い肌、ドルフィネ家特有の紫色の瞳は紫水晶のように澄み切っている。
ヴィッセルは美少年だ。
それも成長著しい美少年である。これからどんどん成長していけば、艶っぽさも出てくるかもしれない。
だけれど、わたしにとってヴィッセルは、よちよち歩きの頃から知っている弟のような存在なのだ。
血の繋がりがそこそこに薄い血族であり、法的にも婚約が許されている従兄弟である。という考えに対して頭で理解ができても、弟のような存在と結婚するという状況に心が違和感を覚えるのだ。
つまりは、“嫌だ”という感情の方が、理解よりも先に出てしまうのだ。
思わず大きなため息が出てしまう。
「ロッタお姉様?」
「大丈夫よ。まだ出発したばかりだもの、酔っていないわ。それに、ドルフィネが持っている馬車はしっかりしているのね、あんまり揺れないみたい。来る時より随分と楽よ」
「それはよかったです。ロッタお姉様は昔から馬車が苦手でしたから、お爺様ができるだけ揺れない馬車を作れと命じられて、それ以来ドルフィネの馬車はあまり揺れない作りになっているのですよ」
「そうなの?!」
「えぇ。おかげで母上も……僕も随分と楽をさせてもらっています」
馬車の中はわたしとヴィッセルの二人だけ。そこまで気を張ることもないだろうとヴィッセルは
ヴィッセルなりのわたしに対する気遣いなのかもしれないけれど、今それは逆効果とも言える。
(この際やちゃ、もう素直に聞いとこ)
「ヴィッセル。あの話、どう思っているの?」
「あの話?」
「ほらあの、遺言のこととか、あと、お婆様のとんでも発言のこととか、さ」
「……もしかして、ロッタお姉様がなかなか僕と目を合わせてくださらないのは、遺言状と婚約のお話のせいですか?」
「んぐぅ……そうです」
ヴィッセルは案外直球で返してきた
「ロッタお姉様は、あの遺言状と婚約のお話の何が気になるのでしょうか」
「何って、全部としか言いようがないと思うけれど?」
「全部、ですか」
「本来ならばヴィッセル、貴方だけが辺境伯の後継者であったはずなのよ。それがあの遺言状一枚で覆された。……アイリス叔母様を怒らせてしまったわ。その上、お婆様が余計なことを言ったせいで、貴方は従姉妹と婚約させられそうになって……その全部が気にならないわけないでしょう」
わたしは、彼がこの先の人生で受けとるべき地位も、その身を立てる名声も、恋心に浮き立つような瞬間も、愛に溺れるような感覚も、全てを奪いかねない存在だ。
殺されたって文句は言えない。
心の底からそう思えるから、そしてそれが本当だと知りたくなかったから、これまでヴィッセルにこの話を聞こうともしなかったし、そして逃げるようにアカデミーへ帰ろうとした。
それなのに、わたしは彼と一緒に馬車に乗っている。話をしようとすれば、たくさんできるほどの時間と一緒に。
気まずい。とだけしか思えないわたしは、案外図太いのかもしれない。
「僕は、あの遺言状が発表されたことで、随分と楽になりましたよ」
「……え?」
「ドルフィネ辺境伯領という広大な領地に、辺境伯という大役を背負わなければならない。そう、幼い頃から教育されていました。毎日、怖いと思いながら」
怖い。
わたしは、どうして気がついてあげられなかったのだろう。
ヴィッセルは生まれた時から辺境伯の後継者だけれど、生まれた時からそれをずっと期待される目に囲まれながら、勉強して、礼儀作法を覚えて、剣術も体術も身に付けて、こうして護衛されながら生きてこなければならなかった。
十六歳のわたしが降ろそうとしていた大荷物を、生まれた時から嫌でも背負って来たヴィッセル。失敗は許さないと言ってもいいような環境で育ったヴィッセル。
そんなヴィッセルを一番近くで見ていたのに、二歳も歳が上で、なんなら前世の分も加えて十八歳も年上なはずのわたしが、そんなことにも気がついてあげられなかっただなんて。
「……ごめん」
「何故謝るのですか?」
「だって、わたし。ヴィッセルがそんな風に思っているだなんて、気がついてあげられなかったもの。わたしの方が、お姉さんなのに……」
「いえ、たとえ身内であったとしても、そのような感情に気がつかれては、ぼくは貴族として不適格でしょう。だからそんなことはいいのです。今、大事なのは僕の過去の気持ちではありません。今、大事なのは、ロッタお姉様。いえ、リーデロッタ・シリウス様。貴女と僕の二人で、その役を担うことができることなのですよ」
「二人で?」
「えぇそうです。遺言状には、二人に継承権があると書かれていました。ですが、どちらかだけにしか与えられないとは書いてありませんでした」
たしかに、あの後少し落ち着いた状態で読ませてもらった遺言状には、『二人にあるとする』とは書いてあったけれど、どちらかにしか与えられないとは、どこにも一切言及されていなかった。
「僕と貴女は後継者争いをしなくてもよいのです。むしろ、お互いを支え合って、共にドルフィネ辺境伯領を治めて行くことができる。エスメラルダ様のお言葉で、僕はそう気づかされました」
(ん?)
何故、そこで、祖母の爆弾発言に繋がるのだ?
「僕と貴女が婚約すれば、僕は怖がりながら辺境伯の席に座らなくてもいい。貴女は、女辺境伯領主として僕の隣に立っても、非難されることはない。辺境伯の妻となれば、何も問題がないのですよ、リーデロッタ様」
「ヴィッ、セル、さん?」
ヴィッセルは戸惑うわたしの手を取ると、それを額に当てて、それから澄み切った紫水晶の瞳でわたしに語りかける。ヴィッセルの顔は真剣そのものだった。
「だからリーデロッタ・シリウス様。どうか、どうか真剣にわたくし、ヴィッセル・ドルフィネとの婚約を考えていただけませんか?」
「……え」
(えぇーーーーーー?!)
リーデロッタ・シリウス、十六歳。
馬車の中で、弟のような二歳下の従兄弟からプロポーズをされました。
ご都合主義の神様よ、一体全体これはどういうことなのでしょうか?!
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