第十九話 俺ここに骨埋めんの?

 太い尻尾で薙ぎ払われたマフィアたちは吹き飛ばされ、痛みに呻きながら地に伏す。その上に乗り上げられては、肉の潰れる嫌な音を立てて、彼らは血と肉片を吐き出し、痙攣している。

 恐慌の悲鳴と共に放たれる拳銃はその鱗を貫通せず、効果の見込めるショットガンは、人間とは異なる予想のつかない動きで、上手く狙いが定まらないようだ。銃声は怪物にとって耳障りなものらしく、目をつけられた者は毒を吐きかけられ昏倒し、艶めいた鱗に守られた胴で、纏めてきつく締め上げられる。骨が砕ける音を奏でては、異様に細い体躯になって解放された。

 暴力と狂乱の中、その場から誰一人として逃げ出すことは叶わなかった。

 手傷を負わせようが怪物は止まらない。数枚剝げた鱗に憤り、人間を柔らかい玩具のように潰し、捻り、殺しつくした。

 顕と繋は呆然として動けなかった。怯えが遅れてやって来て、指先が震える中、必死で特別な無線に手を伸ばす。

 柊四が蛇になった時のため、常に持たされている特別な無線――針葉樅二に直通のホットラインだ。

「こ、こ、こちら、繋。ほ、報告します。柊四が……針葉柊四が、第六感を用い、大蛇に……」

『そうか。……すぐに向かう。近隣の人払いは済ませてあるが、それでも行政が動いているようであれば仔細を伝えろ』

「あ、の、柊四は……。……しゅ、柊四を、殺すんですか?」

 繋は、血と死体の飛び散る狂宴を作り上げる悍ましい怪物を見ていたというのに、気が付けば聞いていた。

『……ああ』

 一番辛いのは樅二だろうに、彼ははっきりとそう答えた。

 その声が冷淡なものではないことに、何故か繋は安堵した。望みも自我も失い暴れ続ける柊四だが、何もかもを失った訳ではないのだ。少なくとも、その死は残酷なものではなく、悼む者が確かにいてくれる――そう思った矢先。

 びくりと顕が肩を跳ね上げた。樅二との通話に集中していた繋は、遅れて聞こえた鈍い音に眉を潜める。

「顕? 何、この音……」

「今、一瞬ナイフが見えて……多分、飛んできて。そ、それが、柊四に!」

 そんなもので、彼の鱗を貫けるものか。訝っていたのも束の間、人の腕ほどの太さの、杭のような柄の分厚いナイフが何本も、大蛇の体に深々と刺されており、確かに柊四を床に縫い留めていた。

 一体どんな力で投げれば、あんなことが出来る? いいや、それよりも――一体、誰が?

 柊四が身じろぎし、ピアスの角度が変わったらしい。ナイフから視点が外れ、下手人が視界に入る。

 無造作に伸びた白い髪、黒い外套の内側の、影の差した茶色――いや、琥珀の瞳。

「ッ、アセビだ! 樅二様、柊四の元に殺し屋のアセビが!!」

 繋は叫ぶ。どちらにせよ柊四は助からないと分かっているのに、「柊四が殺されちゃう!」と涙声で訴えた。

 身動きの取れない様子の柊四は、僅かに動く尾を無理やりに動かし威嚇音を立てる。アセビはそれに笑みを浮かべながら、柊四の体に跨った。

「ああ――待ってた。ずっと。ずっと、この日を、待ってた。シュウジ……」

 夢見心地の声で、アセビは柊四の頭を抱え込む。柊四は牙を剥き、彼の首に噛みついたようだが、アセビはうめき声一つ漏らさず、熱っぽい吐息を吐くだけだった。

「はあ……シュウジ、っシュウジ、もっと。もっと、噛んで、良い、から」

 甘ったるいアセビの声が柊四を呼び続ける。傷口から毒を流し込まれ、少なくない量の血液を零しながらのそれに、繋はぞっとした。

『……い、おい! 応答しろ、繋!!』

 はっとして共有の第六感を弱める。あまりの出来事に、現実から離れて顕と混ざりすぎていた。大丈夫だ、繋が無理だとしても、顕が見て聞いていてくれる。そのためのバディなのだから。

 繋が今するべきことは、報告だ。

「は、はい、こちら繋! アセビが柊四と戦闘を開始、柊四が身動きの取れない状態で……。……!?」

『どうした、柊四は無事なのか!?』

「ぶ、無事だけど……!」

 顕を通して、弱めた第六感越しに聞こえる声に、思わず繋は無線を取り落とした。

 再び共有の第六感をこれ以上ないほどに強めると、やはり柊四の苦悶の声が聞こえる……――柊四が、人間に戻っている?

「――ぅ、ぐ……!? ッ? あ、つい……? な、んだ? お、れ、俺は……? お、前……アセビ!?」

 状況に混乱した様子の柊四に向けて、アセビは蕩けるような笑みを浮かべたかと思うと、その頬に手を添えようと――いや、これは、ピアスに手を伸ばしている?

「シュウジ。これで、ずっと、一緒」

 ガラスの砕けるような高音と共に、顕の第六感の縁が切られる。繋はすぐに我に返り、無線に報告した。

「は、針葉柊四が――アセビに攫われましたッ!」



***



 夢か現か、曖昧な意識の中で、自身に触れる手の暖かさだけが鮮明だった。

 背を撫で、首筋を戯れに擽り、時折確かめるように口内に指を差し入れられる。

「――ジ。……シュウジ」

 甘えた声の主が、俺にじゃれつく。足を絡められ、抱きしめられた後、誰かの頭が胸元に摺り寄ってきた。頭髪からは甘い独特な香りが漂い、触れた皮膚がジンと痺れるのを感じる。ひきつったむず痒い痛みが皮膚に走り、俺は眉を寄せた。

 皮膚が爛れる感覚が煩わしい。何の毒に触れたのかは分からないが、こんなもの蛇になれば効かない。無意識に慣れ切った感覚で、第六感を発動して――あれ?

――体が蛇に変わる感覚があった。

 俺はもう、蛇のはずなのに?

 気怠い体に力を籠めると、自身の腕が拘束されていることに気付いた。足は動いたが――なんだか、妙な動きだった。

 身じろぎ程度にしか動けない。それでも、俺を抱きしめる男はすぐに意識の覚醒を察したらしい。喜色満面が伺える声で――アセビが、俺を呼ぶ。

「シュウジ!」

「ア……セビ?」

 微睡んでいた意識が現世に浮かび上がる。むにゃついた声を出し名前を呼ぶと、より鮮明に意識の輪郭を掴めた。

 瞼を開き、腕を封じられているので、腹筋で起き上がる……。

「……ハ?」

「シュウジ、食べろ。元気に、なる」

「え? ……ハ? なん、だこれ。どう、なってんだ?」

 起き上がった俺がまず目にしたのは、アセビの顔。

 その次に見たものは、俺自身の体? だった。足を動かせば、思う通りとはいかないが、似たような動きで――俺の胴が、尾が動く。これは、確かに、俺の体なのだ。

 俺の体は、胸の辺りから下が滑らかな鱗に覆われていた。黒く艶々とした鱗が生え揃っており、更には、まるで元からそうでしたと言わんばかりの自然さで俺の足は失われ、そこには純然たる蛇の長い尾が伸びていた。

 腕は拘束などされていなかった。俺の腕は胴体に癒着しており、肩口まで鱗が浸食している。目測、およそ4m。俺は今、酷く歪な、成りそこないの蛇になっているようだった。

「ご飯。野菜、いっぱいの、カレーライス。食べろ」

 アセビは一切の説明をする気もなさそうで、俺に大盛りのカレーライスを差し出し、スプーンで掬いあげて俺の口元に寄せる。炊き立ての白米が輝き、食欲を誘う香りが俺の前に漂った。腹の虫が大声で鳴く。

――異常なほどの空腹を感じていた。餓死はしたことがないが、それ寸前の予感すらあるほど。

 俺は疑問も道理も何もかもをさておき、カレーライスを貪った。具は全て小さく、蛇になったままの口でも、殆ど嚙み砕かずに済んで呑み込みやすかった。アセビは喜悦に満ちた様子で、俺の口に匙を何度も運んだ。おかわりの要求も通った。

「美味い、か?」

「うまい」

 トマトやナスの入ったカレーを給餌されながら、俺は辺りに視線を遣った。窓、一つ。遮光カーテンによって光は無い。炊飯器と寸動鍋がここにあるので、電気ガス水道は通っている。都心部……にしては、聞き捨てならない肉食動物っぽい雄たけびが、窓の向こうから響いている。

――いや、何処だよここ。

 空腹が落ち着き、食事を終える。アセビは終始幸せそうで、俺が食事を終えるなり、我ながら柔らかそうな腹板や、すべすべしていそうな鱗を撫でまわし始めた。ぬるい人の体温が俺の体を這っている。

「ふふ、ふ……。シュウジ、シュウジ。アセビの、シュウジ」

「……素直に返事しにくくなる修飾語やめろ」

 俺がこんなに困惑しているというのに、彼があまりに平常運転なので、最早俺がおかしいのかと思い始めた。何もわからん。いや、俺の全ての計画がご破算になったことだけは確かだ。

 ちゃんとマフィア共は殺せたのか? ここは何処だ? マジで俺のこと攫ってきちゃったのか? 何で俺意識まだあんの? 妹の余命あと九年なんだがそれまでにここから脱出して、樅二に接触して殺してもらうことって可能? 無理そう……。

 もうどうすればいいか分からん。蛇になった俺に勝って、生きたまま拉致出来るアセビ相手に逆らうことなど、無意味である。諦めたくはないが、もう、本当に、何もかもが分からないし……。俺寝起きだし、死の覚悟キメてたから今とか余韻で茫然自失状態だし……。

――ええと。……せめて、現在地くらいは把握しとくか……。

 脱出出来る気はまるでしないが、一応。

 身を捩りうつ伏せに胴を横たえる。俺を撫でていたアセビは巻き込まれてころんと転がった。不慣れな体でベッドシーツの上を這ってみる。かなりの筋力が必要だが、低姿勢であれば、安定して進むことが出来ることが分かった。

 アセビは俺が窓に近づいているのに気づくと、地べたに身を摺り寄せている俺の上からカーテンを開けた。嫌な素直さに、しかしありがたく窓の向こうの景色を覗き込む――。

「いや、おい……嘘だろ?」

 窓の向こう側には大和国ではありえない植生が広がっている。並び立つ巨木が日差しを遮り、その幹には蔓と苔が生い茂っていた。

 蒸し暑い気温と湿度、動物特番でしか見たことのないような、彩度の高い嘴を持った鳥が飛びあがっていく様を目撃して、俺は思わず叫ぶ。

「な、なん……ハア!? ッマジで何処だよ、ここ――!?」

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ヤンデレBLゲームの世界で主人公の護衛を任されている件について さっくん柵 @sakkunnsaku

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