第十八話 もう意識ない
転がっている死体を適当に選び、再び階段の踊り場に戻る。狭いところで戦う方が、俺にとっては有利だ。銃を撃てば仲間に当たる状況。大勢居ても、狭すぎて向こうは碌に動けまい。
向こうもそんな風にダース単位で撃破されているので、今度は俺の行動を窺っているらしい。上の踊り場から人の気配がするが、降りてくる様子はなかった。
三階フロアのエレベータからのメンツと挟まれるとキツい。毒をまき散らしてはいるが、移動しながら連戦していたから、ここは一階ほどの濃度ではない。即死は期待できなかった。水風船は残念ながら乱戦中に全部割れたし、毒瓶も――というか無事なものがスーツのポケットに入れていたものしかない。
便利な道具はカバンごと二階でハチの巣にされてしまっていた。なんなら俺自身も撃たれて掠っているし、今構えているナイフは血と油で切れ味は最悪。最後の予備に持ち替えて、古いものを捨てた。
少し考えた後に、ジャケットを脱いだ。抱えていた死体に自身のジャケットを着せて、階段の上階へと放り投げ――それに反応した銃声が聞こえるや否や、壁に飛びつき、手足をめり込ませながら、階段の手すりと、その反対の壁を交互に蹴りつけて、上階へ飛び上がる。
呆気に取られた様子の男たちの照準がこちらに合う前に、発煙手榴弾を落とす。蛇化した俺にはピット膜がある。スモークの中でも、サーモグラフィのように男たちが浮き上がって見えた。マフィアが銃を構えている腕よりも低い姿勢を取れば、余程運が悪くない限りまず当たらない。大ぶりなナイフで足の肉を切り裂いていった。
出来得る限り最速で動いたつもりだったが、下階から銃声がしたかと思えば、背中の肉が弾け、痛みが通り抜けていく。銃弾の衝撃で前方に倒れ込み手を突くと、それを好機と見てか、殆ど同時に四度ほど発砲音がした。
「……っ、すぅー、ハア……!」
深く息を吐き出し、積み上げた死体の裏、遮蔽物に身を隠し体勢を整える。毒は空気よりも重く、下に流れていく。小さな騒めきと共に、何人かが駆け上ってくる音がしたが、それも途中で途絶えた。死んではいないだろうが、深刻なショック状態にはなっているはずだ。その内三階フロアから流れる分も相まって、呼吸困難とかで死ぬだろう。
「……ハア」
今度のは、本物のため息だ。
貫通した弾が鎖骨の下あたりを飛び出していったのか、見覚えのない小さい穴が俺の体に空いていた。他にも数度撃たれたのは確かだが、それがどの辺りなのか服の上からは分からないし――分かる必要もなかった。
足取りも危うく立ち上がり、荒い息を整える。問題ない。狙い通りだ。上手く行っている。
――めちゃくちゃ痛ぇ。でも、上々だ。
俺は上手くやれた。この建物は四階建て。構成員は……あと五十人くらいいるはずだから、上でボスと一緒に待ってくれているはずだ。……逃げてないよな? 避難用滑り台とかあったら困るな……。
「ぅ、ううう……痛ぇぇえ……」
銃弾で骨折したのか、内臓が衝撃でちょっとグチャったのか。理由は定かではないが、体が勝手に蛇化を始めようとしているようで、悪寒が頻繁に襲い掛かって来る。あとちょっとだから、踏ん張れ俺……。
上階にたどり着くまでの道のりが永遠に思えた。一歩一歩階段を踏みしめる度、体が軋むような痛みと共に、かつてないほどぎこちなく筋肉が動く。
たどり着きさえすればいい。まさかマフィアの支部長の部屋に暖房が効いていないことはあるまい。そこで自爆的に蛇になってしまえば……完璧だ。
危険な任務をこなし、樅二に恩を返せる。
緑坊ちゃんは俺が死んで気がかりもなくなって、恵五と身軽に海外に行く。
樅二は……もしかしたら逃げなかった俺に悲しむかもしれないが、一か月で死ぬ(ことになってる)弟の死期が早まっても、ほんの僅か、数十日程度の違いに、諦めもつくだろう。
それから、蛇になった俺は、樅二に殺されて……妹が、俺を食べて、長く長く幸せになる。取り巻く環境はえげつないが、生きてりゃなんとかなる。結界を上手く使えば、逃げられるはずだ。俺の血肉があれば、制限なくチート級の第六感を使える。……俺の血肉さえあれば。
問題は、妹だ……。階段を登り切り、四階フロア廊下の柔らかなカーペットに足を沈める。最上階に扉は一つしかなかった。分かりやすくて助かる。
あいつ、俺のことちゃんと食えるかな……。……食ってくれるか?
実のところ、妹のことがよく分からないのだ。
緒兎一のことは、もっと分からない。
妹の性格上――自殺していないのが、おかしい。見返り無しに身を捧げ尽くすなんて、彼女ならば絶対にありえない。十年そこらで「こんなんやってられっか」と見切りをつけるはずだった。
俺の存在を知っていたからって、俺の愛があったからって、そんなもの全く釣り合わない。理由は分からないが、彼は自ら苦痛を受け入れているのだ。早死にしたがっている様子もないのに、何のために? 分からない。
だが、現状に甘んじる何かしらの「目的」があるはずなのだ。「それ」から解放するという俺の提案を、彼は受け入れてくれるだろうか? ……。
血を失いすぎたのか、頭が回らない。貫通した鎖骨から垂れた血が気持ち悪い。ぬめつく血で湿ったシャツが鬱陶しい。荒い息のまま扉に手をかけて――
「っ、ぁ……」
声もなく倒れ込む。鼓膜が破れるほどの連続した爆音。人間に向けるべきじゃないサイズの口径から硝煙があがっている。多分五人くらいから同時にショットガン食らったわ。
待ち伏せ、されてたか。まあ、そうなるわな。単独犯だってバレてるんだし。
体が倒れる。受け身は取れない。ていうか死ぬ。
視界が黒く染まっていく。
意識を失うより早く、体がどんどん変わっていく。
「しあ、わせ、に、ぁれ、よ……」
――緒兎一。
陳腐なもんだが、俺の祈りはそれくらいだった。
最期の言葉を遺して、そうして俺は大蛇の怪物に成り果てた。
***
いつもの任務だったはずなのに。顕と繋と、それからよく組む柊四。違うのは、いつもよりも大切な仕事だという、その一点だけだったのに。
柊四が桜ノ宮に惚れ込んで、その異動を認めるための通過試験じゃなかったのか。青葉緑を殺さない不真面目な態度を、これで帳消しにするって――大人たちはこれをクリアしたら、あいつのこと見直すって言ってたのに。
「――ぁ、う、うそ」
顕が零した言葉はあまりに小さくて、すぐ隣に居る繋にしか聞こえなかった。
繋は顕の手を握りながら、すぐに無線を引っ掴み紅葉府に潜伏している針葉全員に叫んだ。
「っ、こちら繋! 追加動員を提言します! 針葉柊四が撃たれた! ピアスの角度からは見えないため、負傷の程度は不明。しかし銃声の回数からして重症だと思われます!!」
顕がピアスから覗き見る視覚と聴覚が、繋の目と耳に共有されている。繋には、柊四が異常な呼吸で階段を上っているのが分かる。視界も揺らいで、体幹も定まっていないにも関わらず、歩みを止める様子がない。このまま最上階へ行けば、ボスを守る精鋭と手負いのままぶつかることになる。
それは柊四も分かっているはずなのに、どうしてか彼は立ち止まらずに進んでいる。
繋が中継し、顕の覗く世界を、傍に待機する大人にも共有する。繋が嘘を言っている訳ではないと分かった針葉の男は目を見開き、何処かの無線に声をかけた。
そうする間にも柊四の歩みは止まらない。首のあたりを撃たれたのか、激しい出血でシャツの色が変わり始めており、半身を庇うような歩き方も不自然で、酷く嫌な予感がした。
繋がりっぱなしの針葉の無線の向こうで、驚いたような騒めきが聞こえる。
「まさか」「こんなことが」「あの男が失敗する?」「そんな」「いや、しかしこれは」「何故増援を待たない」「死ぬ気か!?」「死ぬ?」「あの男が?」「あいつは不死身だぞ」「ありえない」「死ぬなど」「そんなはずが……」
混乱の中、繋と顕は互いの動揺を収めようと、縋るように手を握り合っていた。あの男が死ぬなんて信じられなかった。どんな時も飄々として、どんな悲惨な目に遭っても顔色を変えず生きて帰ってきたというのに。どうして、願いが叶えられる今になって? あと少しで、彼は初めて自身の望みを遂げられたのに!
無線の向こう側で、大人たちがガスマスクや防護服に着替えて、件の事務所に向かっているようだった。増援を待つよう柊四に伝えようにも、彼の無線は、ついさっき頬を掠めた弾丸で破壊されてしまっている。
「ねえ、待ってよ」
それでも繋は思わず声を出した。柊四は階段を上っている。
「初めてやりたいことが出来たんでしょ」
柊四は止まらない。
「強いからってこれまでいっぱい頑張ってたじゃん」
柊四が最上階に着く。
「僕らと一緒で……っ、仕方なく頑張ってただけの癖に」
柊四が、扉に手をかけた。
柊四は、顕と繋に最も似ている人間だった。針葉に恩があるけど好きじゃなくて、大和国のことなんかどうでも良くて、第六感が特別な人間。柊四は二人にとって自分の将来みたいなもので、彼は目標で、前例で、先達で――少しだけの憧れだった。
彼の背中を追って、思想を真似て耐えてきた。ここで彼が死んだら、心が折れてしまいそうだった。
自分たちも、いずれこうなるんだと言われているようだった。こうして、興味もない大和国の礎として殺されるのだ、と。
どうか死なないでと祈る。報われて欲しかった。柊四の望みが叶い、幸せになる姿が見られれば、自分たちもそうなれる気がしていた。
扉が開く。耳が壊れそうな大きな破裂音がする。
「しあ、わせ、に、ぁれ、よ……」
それから先、彼の声は一つも聞こえなくなってしまった。
――そして、恐れていた体の変化が始まる。
顕が息を呑んで、繋にしがみ付いた。繋も震えながらそれに応えた。顕から共有した視界は、絨毯に埋まっている。顕の第六感の宿った、柊四のピアスはどうなった? まだ壊れてはいないが……。
柊四が――大蛇が身を起こす。擡げた首が大きく口を開き牙を覗かせているのが、ピアス越しの視界の端に映る。聞いたことのない激しい威嚇音と共に、驚くべき跳躍力で再装填されたショットガンの弾を避けて、彼は――怪物のような殺戮を始めた。
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