閑話 針葉樅二は柊四の兄である

 本家に弟がやって来る。樅二は喜びと共に、柊四の行動を訝った。

 弟が針葉に虐げられていることは知っている。少しでも軽減するため、念入りに釘を刺し、雪三を遣わせ気を付けていたつもりだが――今日こうしてやって来るということは、何ぞ手に負えないことでも起こったのだろうか。もっとしっかり、注視しておくべきだったな……。

 ことが起こってしまったことは残念だが、弟が自分に会いに来ることは嬉しかった。頼るべき人間として、柊四の中に在れることを、兄として誇らしく思う。

 畳んだ扇子で軽く頤を叩きながら、樅二は目を閉じる。第六感で風を操れば、弟の微かな足音が風に乗って小さく聞こえた。無数にあるのではないかと思うほどの襖を挟んだその先に、柊四が居る。見事な和紙の使われた薄い障壁は、一枚一枚に特別な第六感がかけられた侵入者対策のものだ。

 柊四が一歩を踏み出すと、第六感に許された使用人たちが次々と襖に触れて、樅二までの道が開けていく。すり足で進んできた彼の足音が、最後の一枚の前で跪座をし、礼をする。

「失礼いたします」

 声が聞こえた段階で第六感を切った。閉じていた目を開き、樅二は弟へと笑いかけた。

「久しぶりだな、柊四」

 樅二は姿勢を崩してあぐらをかき、そこに頬杖を突いた。

「兄のことを忘れているのかと思ったぞ。雪三や桜ノ宮の元には通う癖に、ここには全く来ない」

「ハハ……針の筵はごめんだからな」

「五十歩百歩だろう。……真剣な話だ、桜ノ宮にはあまり近づくな。緒兎一様は人格者だが、傍流の者どもは国益を損ね、私腹を肥やす者が多いぞ」

 樅二の言葉に、柊四は曖昧に微笑むだけで返事をしなかった。従う気はないようで、嘆息する。

「お前の第六感について知りたいのだろう。桜ノ宮は確かに、国中の第六感について最も詳しい場所だが。……お前の第六感は特殊だと分かっている……それでも、お前が求めるのなら、俺が別の手段で」

「いいよ、俺も好きで緒兎一様に会いに行ってるんだ」

 その時柊四から零れた笑みは、樅二が見たことがないほどに温かく、あからさまな親愛を含んでいた。

(……やはり、実の兄弟だからか。それとも、双子だからか)

 樅二では引き出せぬ表情に、常から胸中に燻っていた気持ちが、注がれた油を舐めるように轟々と燃え広がっていく。苦々しい嫉妬と怒りを噛みしめ、そうとは悟られぬよう扇子を握りしめた。

「――世間話はここまでにするか。さて、出不精のお前が、今日はどういう風の吹き回しだ?」

「はは、分かってるだろ。兄貴に頼みたいことがあってさ」

「言ってみろ。……とはいえ、お前も知っての通り、あまり我儘は聞いてやれないぞ。緑様の件もあって、お前は少し危ない立ち位置だ。俺が居る限りは、生かし続けてやるが」

 柊四は数秒黙り、鋭いほどの視線で樅二を射抜いた。樅二はそれに応え、浮かべていた親愛の笑みを消し、握る扇子に力を籠める。

 彼が今回、簡単なお願いのために来た訳ではないのだと、察せられた。

「兄貴には、感謝してる。俺が赤ん坊の時に殺されず、今の今まで生きてこれたのは、兄貴が居たからだ」

「……」

 なんだ、それは。

「柊四って名前もそうだ。俺赤ん坊の時の記憶もあんだけど、兄貴がつけてくれたよな。名無しで分家に放られなくて済んだのも、兄貴のお陰だ」

 まるで――遺言みたいじゃないか。

「先立っての桐山ホールの実験から、緒兎一様に興味を持ってもらえて、何度か第六感について話して……。その時、俺の蛇化についての資料を見せてもらって、分かったんだ」

「おい、柊四!」

「俺はこのままじゃ――もう一か月も保たない」

 樅二の制止の意を含んだ呼びかけに、柊四は応えなかった。

 ぽとりと扇子が落ちる音がした。酷いストレスからか、耳鳴りすら聞こえる。浅く息を吐き、額を抑えた。

「……そんなに、短いのか」

「ああ」

「緒兎一様は……なんと」

「あの方はまだ知らない」

 黙り込む樅二を気遣わし気に見つつも、柊四は続けた。

「俺が兄貴に頼みたいのは、俺が死んだ後のことだ」

「ハァッ!? 馬鹿が。蛇になったとしても、お前は俺の弟だぞ。むざむざと殺させるか!」

「……いや。……え? 飼う気か? 4m越えの蛇になった成人男性を?」

「当たり前だッ!! 選ばせてやる、前々から雪三からの打診もあった。俺と雪三、どちらか好きな方を選べ」

 想定していなかった、とばかりの口ぶりに樅二の額の血管が脈打つ。柊四は参ったように髪をかき上げ、深いため息を吐いている。

「頼むから、素直に殺してくれ。……えぇと、アレだ。蛇になってまで生きたくないんだよ」

「……」

「それに……詳しくは言えないけど、俺の死体がどうしても必要なんだよ。これは、大和国のためでもある」

 片眉を跳ね上げると、柊四は辺りを気にする素振りを見せた。樅二が第六感を使い、ノイズや心音がしないことを確認し、人目がないことを教えてやると、彼は桜ノ宮で見た資料――国防の要について、述べた。

「――だから、俺の『肉』を緒兎一様が食べれば、緒兎一様は完璧になる。リスクなしに第六感を行使できるはずだ」

「……何故だ。何故、お前は……」

 柊四の緒兎一への献身は、なんだ。大和国も、家族も、仕事も、何もかもをどうでも良いと、自身の命すら軽んじた彼が、何故そこまで緒兎一に入れ込む?

 樅二は一体、柊四の何を見逃したというのだ。

「兄貴は知ってるんだろ。緒兎一様は、俺の双子の兄弟だ」

「――ああ。……知ってしまったのか」

 樅二は、それからしばらく言葉を紡ぐことが出来なかった。

 緒兎一が兄弟と知って、柊四はどう思っただろうか? 何不自由のない緒兎一の生活と、自分の悍ましいほどの殺意に満ちた生活。双子だというだけで、第六感が違っただけで、自身は人を殺め、同胞からは憎まれ、愛してもらえず……。

 双子の兄弟であること。それは簡単に呑み込める事実ではないだろう。それでも――それでも、緒兎一を選ぶのか。

「……。……分かった。兄として、この針葉樅二が、お前の最期の願いを聞こう」

「ありがとう、兄貴」

 幼い頃からずっと、ずっと、樅二なりに愛を注いできたつもりだった。

 何をしたがることもない。どんな目に遭わされようと兄に殆ど頼らない。それでも、希少な本や菓子を渡せば、その顔が綻ぶこともあったのだ。

 周囲の大人の手によって、寝食を共にすることは一度としてなかったが、そんなやり取りの積み重ねからか、時たま柊四は、樅二を頼るようになった。何にも関心を持たない弟が「兄貴」と呼びかけ、樅二を信頼してくれることが、どんなにいとおしかったか。


 この目で弟を見るのは、これが最後なのかもしれない。


 人の姿の柊四は、相変わらず樅二とは似ても似つかない。黒い髪、鋭い眦。赤子の頃から変わらぬ、艶々とした黒く底のない瞳に、胸がつかえるような思いだった。

「頼む。俺を殺して――その『肉』を必ず、桜ノ宮緒兎一の元へ。俺を殺せる兄貴にしか、頼めない」

「……ああ、必ず」

 伸ばした手で、柊四の乾いた頬に触れる。この目が涙に濡れるところを、樅二は赤子の柊四を見て以来、ついぞ目の当たりにすることはなかった。

「俺では兄に成り得なかった、か。……柊四、残り僅かな期間だ。最後くらい、好きなように生きろ」

「何言ってるんだよ。緑坊ちゃんの護衛とか、引き継ぎとか、色々あるだろ」

 この期に及んで命を軽々しく浪費する弟に、頭痛さえする。樅二はその輪郭を忘れぬよう慎重になぞりながら、断腸の思いで告げる。

「柊四、針葉を辞めろ。ここは――お前に良い場所じゃなかっただろう」

「……樅二お前、何するつもりだ? 俺にも監視が付いてるはずだろ」

「お前を長期の任務へ送り出す。その準備という名目で、何処か――お前のことを大切にする人の元へ行け」

 触れていた手を放し、立ち上がる。これ以上柊四の顔を見ていたら、無理にでも引き留めてしまいそうだった。

「任務については、追って通達する。……何処へでも、何処までも。好きな所へ行け。お前が蛇になったと聞けばすぐに、約束を果たしてやる」

「……。……ごめん、兄貴。……俺は、逃げないよ」

 どんな姿でも生きて欲しい、何処でもいいから逃げ延びて欲しい。生まれて初めて、自分の目の届かないところへ行ってくれと――そう願った。

 最後の言葉は、聞こえなかったふりをした。

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