第十五話 俺の一族はみんなヤンデレだったのか

 肌寒さと共に目を覚ます。カーテンを開いて光を取り入れ、暖房の電源を入れる。

「さっむ……」

 もしやと思い天気予報を検索すると、今日は午後から雪が降るらしい。現在気温は3℃。恐ろしい低温に身震いする。

 こんな気温で水に浸かっての禊など、桜ノ宮の死因は第六感だけとも思えなくなってしまう。

 洗面台で顔を濡らし、シェービングクリームを使って髭を剃る。顔を洗い、軽く髪を梳いてから、歯を磨きながらリビングの扉を開く。

 ダイニングの調理器具の位置が変わっている気がして、冷蔵庫を開けると、作り置きの料理が足されており、“調査中”のアセビが合間を縫って不在の間に不法侵入していたことが分かる。

「……まあいいか。あっためて食お」

 アセビの食事は漏れなく毒入り。仕事の内容によっては、毒を食らう必要がない日もあるので、こういった作り置きが残されている場合は、料理を別日に纏めて食べてしまうことで、蛇化を乱用しないよう心掛けていた。今日はどうせこのあと蛇化を控えているだろうし、食べても構わないだろう。

――今日は緑坊ちゃんの護衛は休みだ。そして別の予定があり、多分毒を飲み食いさせられる日である。

 作り置きのタッパーから菜箸で料理を小皿に分けて、電子レンジに具の豊富な肉じゃがを入れる。糸こんにゃくやニンジンが、味のしみていそうなじゃがいもと牛肉に彩を添えている。

 買った覚えはないが、いつからか部屋に鎮座していた炊飯器を開き、茶碗に艶々の白米を盛る。電子レンジの音と共に、温かいだしの匂いが微かに漏れ出た。

「いただきます」

 箸で解れるほど柔らかなジャガイモに、むず痒いものが胸中に広がる。俺のために手間暇かけて作られた料理。俺を思って学ばれた大和国の料理レパートリー。

「……うま」

 舌先が痺れたかと思うと、麻痺により一切の感覚がなくなる。すぐさま第六感を使い、ちろちろと細い舌で、口内の鋭い牙を確認するように舐めた。触覚と味覚が無事復活している。久々にキツいのをもらったので、少し焦ってしまった。

 ……柔らかくなるまで煮込んであるのは、蛇化した後の俺の口内から臼歯がなくなるからかもしれないな。

――やはり毒入りなのである。



◆◆◆



 仕事着のスーツを身に纏い、髪を整える。鏡で身だしなみに問題がないか確認した後にマンションを降りると、既に迎えの車がやって来ていた。

 家の前に回された車に乗り込む。腕時計を確認しても余裕のある時間だったが、俺が乗車するなり、車内の運転手は苛立ったようにハンドルを指先で叩いていた。

 今日は、本家からの呼び出しがある。

 頬杖を突き窓の景色を流し見る。呼び出し人は樅二だから、今日が即処刑の日、とはならないだろう。あいつは俺の兄を自負していて、彼なりに可愛がってくれているから、例え俺の死亡が決定したのだとしても「やり残したことをしておけ」と事前に教えてくれるはずだ。かつては「俺の権力で握り潰す。ことが終わるまで雲隠れしていろ」とまで言われた経験もあるくらいである。

――運転手の苛立ちも、それに端を発したものだろう。

 樅二は緑坊ちゃんに対し『何もかも緑の好みの通りのものを用意するけど絶ッ対外に出さないんだよね。外は危ないって言って自分の目が届かないところには行かせないし、自分が世話焼いて支配したいタイプだから!』といった風な、過保護と束縛交じりの愛情を向けるらしい。若干だがその片鱗は俺も感じている。

 運転手は恐らく「まかり間違っても事故など起こすなよ。俺の弟を快適に、これ以上ないほど丁重に運べ」とでも言われたのだろう。次期当主に目をかけられているのがよりによって俺だ。彼がどんな気持ちになるのか、これまでの経験から想像だに容易い。

「――ああ、しかし。私の何がそんなに気に入らないのですか」

「……」

「これでも、気にしているんですよ。お仕事は勿論、私生活でも針葉にはご迷惑をおかけしないよう、努めているつもりだったのですが」

 長年の疑問を遂にぶつける。坊ちゃんと恵五が高跳びすれば、自動的に俺は処罰を食らい、殺されるか蛇になるかする。

――つまるところ、俺は来週辺りに死ぬのだ。

 針葉もまさか、来週に怪物退治をすることになるとは思っていないだろうが、俺を近い内始末するつもりなのは間違いないだろう。ということで、俺も疑問をぶちまけるので君らも是非とも胸の内を吐き出して欲しい。どうせ死ぬしいいだろって感じで。

「ハッ……貴様はいつもそうだな。自身が如何に愚昧な人間か、ただの一度すら気づかない」

 初動からかっ飛ばすな……。

「それは……どういう?」

「分からないか? それ故にお前は憎まれる。針葉は守護の役目を担うもの。大和国の盾。そのために生まれ、そのために生き、そして死ぬ。骨の髄まで、我らは国のために誇りを以て尽くすのだ」

「へえ、言うじゃん。俺だって命懸けで頑張ってきたつもりだけど?」

 運転手は激しい舌打ちと共に、ミラー越しに俺を睨みつける。

「命懸け? どんな仕事でも貴様は死なないだろう! 針葉の屍がそれまでに幾ら積み上がろうと、貴様に代わればたったの一人で全てを熟す。貴様が針葉に拾われ二十一年、その間に何人の針葉が散った!? 悠々と生き、死力を尽くすこともなく――何が命懸けだ!!」

 ……? え、どゆこと?

 何度か瞬き首を捻り、真剣に考えても「はよ死ねや」しか読み取れない。

「針葉に名を連ねる資格があるのは、死人だけって話か?」

「黙れェ!! 我らを侮辱するかッ!!」

 わからん……何も……。

「ならさ、出来る範囲で俺に押し付けとけばいい話だろ。実際俺が十五になった辺りでそうなったじゃねーか。じゃあ今もいびられてる理由ってなんなんだ?」

 ぶるぶると震える手でハンドルを握る男は、それでも丁寧な運転を止めなかった。彼にとって次期当主からの命令は絶対であり、これも針葉の者の特徴の一つだった。

「外様が蔓延るだけならば、我らも耐えられた。それが……誰を守る気もなく、大和国に欠片の忠誠もなく――己が命すら無関心な化け物が生き残り、同胞ばかりが死んでいく。いずれ大蛇となり死ぬ分際で……ッ生まれついての死に損ないが!!」

 そんな言うことある……?

 思わず頬杖を崩し、驚きを表情に出してしまう。生まれついての死に損ないて。

 針葉の人間はどうも、異常なほどに思考回路を同じくする傾向にある。この運転手の考えは、針葉一族およそ六百人ほどの総意と思っても問題ないほどだ。俺六百人にこのレベルの殺意向けられて二十一まで生きてきたの? 奇跡?

 男の言葉は色々と理解不能な固定観念に塗れていて、共感は難しかった。しかし、要は「忠誠心も生きたい気持ちもない癖に、ノーミスで仕事達成して毎日生きてるのがムカつく」という話だろう。

 忠誠、という言葉に引っ掛かるものがあり、俺は腕を組んで運転手の反応を窺う。

「忠誠ねえ……。……俺、緒兎一様のためなら死んでもいいけどなァ?」

 出来るだけ本心が伝わるよう、妹の姿を思い描きながら告げる。すると、想像以上に温かい声が出て、俺自身驚いてしまった。

 今世で初めて出た類の声である。俺の声を聞いた運転手は目を見開き、狼狽えたように視線を泳がせてから、確認するようにミラーに映る俺を食い入るように見た。

「か、怪物の分際で、い、今更彼のお方の素晴らしさが分かったか? 桜ノ宮は本家の管轄だ。き、貴様が立ち入る隙は、ない……」

「知ってる。だから、個人的に――まあ、緒兎一様のためにやりたいことがあって……それが出来るか確認したくてな。今日の呼び出しに応えたし、アンタにこんな話振って、“針葉”ならどんな反応するか確認してんだよ」

 樅二からの本家への呼び出し自体は、俺の休日の度に毎度かかっている。今日まで殆どガン無視していたが。

「……。……桜ノ宮への忠誠は、大和国への忠誠そのもの。……本家の管轄とはいえ、貴様の言葉が真であれば、樅二様は受け入れるだろう。精々、尽きぬ命を大和へ注げ」

「エ……『受け入れる』って、緒兎一様の護衛部門に、って話か……?」

「それ以外に、貴様に何が出来るというのだ」

 彼の強張っていた手は、今やゆったりとハンドルを握っており、漲っていた怒りは見る影もない。多少の悪感情は見えるが、これまでに比べれば“凪”と言っても過言ではなかった。無関心に近いというか、ニュートラルというか、とにかく――俺への悪意や殺意がない。

 そんな“針葉”を見るのは初めてで、俺は悪寒に震える。

――忠誠の有無でこんなに変わるのか? どんだけ大和国に命捧げてんだよ……。

 崇拝者、狂信者、カルト……頭に物騒な言葉が浮かんでは消え、呆然とする俺を他所に、運転手が車を止め、到着を告げる。

「おい……早く降りろ。樅二様がお待ちだ」

 俺にとっては天地がひっくり返ったくらいには衝撃だったが、そういえば、今日の狙いはこれではなかった。緩めていたネクタイを整え、俺は建前上の実家――狂うほどの愛国者たちの巣窟へと踏み入ったのである。

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