第十二話 本当の本当にヤンデレだった

――さて、どうやって妹にこの体を食べさせようか……。

 駄目で元々だ。上手く行けば妹の人生を豊かにしてやれる。失敗してもつまらない人生の幕引きが早まるだけの、分の良い賭けである。……障害は幾つもあるが。

 激しい風が吹きつけた。乱れた頭髪を雑に持ち上げ煩悩する。バルコニーに頬杖を突き、都心の中央、妹の居るだろう邸宅へと視線を放り投げた。

 妹は俺に生きていて欲しいからこそ、危機感を煽ろうとして、桜ノ宮の伝承や原作ゲームの設定を教えてくれたのだろうが――寧ろそれは、俺に緩やかな自害を促す結果となっていた。

 曰く、桜ノ宮王家の先祖は『龍』だったらしい。身の丈は、当時の山々や家屋の記述から推測して20㎞……第六感だけでは説明のつかない存在だ。龍が強力な能力者だったのか、それとも爬虫類の突然変異体だったのかは今となっては分からない。

 それの『こころ』と『肉』を受け取り、桜ノ宮は『結界』の能力と『蛇化』の能力を引き継ぐようになった。

 俺は能力を使えば使うほど、『肉』があるべき姿に戻っていくため、オリジナルには劣るものの、ちょっと大き目の爬虫類になる。『こころ』がないため、俺の自我は保つことが出来ず、正しくただの蛇になるらしいが、肉体それ自体は“正しい”あり方であるため、防ぐ手段は今のところないようだった。

 そして――妹は言わなかったが、彼も俺と同じくらい切羽詰まっていることを、密かに俺は悟っていた。

 緒兎一の結界、『こころ』の能力は、頑強な『肉』があってこその力。

 義務教育ゼロ年の俺だが、妹に借りた金でスマートフォンとWi-Fiルーターを契約できた。便利な時代、軽く調べればどんなことだって触りは分かる。

 歴代の桜ノ宮当主はみな、三十路にたどり着く前に神経が衰弱して死んでいる。

「俺は保って五年……緒兎一は九年か」

「お。シュウジ、ここに、居たカ」

「――いつから居たんだよ……」

 我が物顔でカーテンをかき分けて、俺の部屋からアセビが歩いてくる。

「ハア……おい。今まではまだ、外から入ってきてただろ。当たり前みたいに玄関から入って来るなよ」

「合鍵、作った。それより、コレクション、減ってた。何故?」

 指さす先には、俺を探す過程で荒らされたと思しきコレクションルームがあった。アセビや護衛対象から貰った貴重品を手入れすることで、俺が世話焼き欲求を解消していた部屋だ。

「ああ、金が必要になったから幾つか売った。足が着くから安いの選んでたら、その分減って殺風景になっちまったけど……」

 妹への返金とゲーム資金、それから、歴史や大和国神話の参考書を購入するのに使ったのだ。歴代の桜ノ宮の動きや、政治の中核が今何処にあるのか、現在の政党は王家に対してどんな方針なのか……と、妹に関する情報を集めていたら、結構な額になってしまった。

 図書館も考えたが、仕事によっては返す時間が取れないため諦めた。この仕事、拘束時間ほぼ24時間だからな……。

「そうか。金、いる、なら。アセビの金、いるか?」

「いらん」

「そうか。シュウジは、無欲」

 アセビは、何を考えているのだかいまいち分からない目を俺に向けて笑っていた。リビングへ戻っていき、そのままキッチンに入ったようだった。

 料理か……。と思うと、俺の変化する予定の大蛇の体が頭に浮かび、また自分の死について連想した。

 万事上手くいったとして、一体どうやって俺を食ってもらうんだという話である。俺って全長4mくらいになるし。生肉は寄生虫が怖いし、火を通すという調理工程が必要になるのは間違いないが、妹にそれが出来るだろうか。実の兄を切り刻み、焼くだけの気力が今世の妹にはあるのか?

――そもそも、蛇になった俺を殺すことが出来るのか?

 殺す難易度は無駄に高い。どんなに一瞬で人間の俺を殺害しようが無意識で体が再生を望み、シックス素粒子の不思議パワーにより、俺は絶対に大蛇になる。致死毒を撒き散らし、怪力で暴れまくるはずだ。

 ……理想論通りにいけば、結界に俺をハメて、後から範囲を縮めれば、毒を無効化しつつ、体も圧縮して俺を殺せるのではないだろうか? 結界の第六感だ。伊達に国防を担っちゃいない。

 しかし妹が、俺を殺せるのかと考えると、やはり心理的な障壁が大きいように思える。

 思い切りの良い奴だから、やり切ってくれる気もしなくはないが……。一方で、「兄貴くらい飼える」と呟いた姿は、痛々しいほど、近づく絶望から目を逸らしているように見えた。

 俺と妹の愛は違う。俺が妹の立場なら、まず間違いなく蛇になった兄妹をそのまま飼い続けるが、妹の愛は……対価を求める。彼は不平等を憎んでいるのだ。

「妹を置いていった裏切りの対価か。それとも、肉を残し糧となった献身への対価か」

 彼はどちらを取るのだろうか。どちらも碌でもない未来だが、後者の対価として俺の望み通り長く生き、家族以外の新しい幸せを掴んで欲しかった。

「ま、駄目で元々だ」

 胸ポケットに手を突っ込み、そこが空っぽなことに気付く。前世ではいつも煙草を入れていた場所だ。久々に出た癖に、自分の調子が狂い切っていることを自覚する。

 集中が乱れ、頭が現実に戻って来る。冷たい強風が頬を叩き、室内に入り込む。リビングから肉の焼ける匂いが追い立てられて逃げてきた。匂いの元たるキッチンで、アセビが料理をしている様子が見える。彼は忙しなく両手を動かし、真剣に俺の飯を作っている。今回は何種類の毒を盛られるのだろうか。

 こいつは何を考えて俺に尽くしている(?)のだろうか。これまではどうでも良い世界の、どうでも良い人間の一部として、背景のように捉えていたが、死期の近い今更になって気になり始めた。

 初め、本当に一回目の話。今と同じようにヒョイと忍び込んできた彼を、俺は本気で殺そうとした。敵襲だと思ったのだ。互いに半殺し状態になったところで、アセビが自ら引くことで戦いの幕は閉じたが――この流れはなんと一年近く続いた。

 俺は公私問わず戦闘中は無言のスタイルだったが、遂には「おッ前何なんだよ!! 鬱陶しいんだよ、死ねッ! 休ませろや!!」と怒鳴り散らしブチ切れた。

 こちらとしては仕事でズタボロになって――蛇化したら治るが――帰ってきたら、疲弊した自分を更に痛めつけて去っていく不審者が常に居る状態なのだ。そうして限界を超えて怒りをぶつけた結果、アセビは目を丸くした後、奇妙にも微笑んで「食事、作る、やる」と宣言したのだ。

 そして翌日からマジでご飯を作り、一緒に食べることを強要したり、冷蔵庫に作り置いたりし始めた。これがアセビと俺の現在に至るまでの全てである。

――何もわからんな……こわ……。

 多分俺のことが好きなことは分かる。友愛か情愛かは知らないが。愛してるとか好きとか言うと喜ぶので、もしかすると惚れられているのかもしれない。

 料理を皿に盛る動作が見えて、俺も室内へと戻る。棚から箸とフォークを出して卓に雑に置くと、アセビは料理を持って席に着いた。

「ブタショウガヤキ丼。シュウジ、好き、か?」

「まあ……好き」

「そうか。味わえ。アセビ、料理うまい」

 口に含めばイメージ通りの味がする。生姜の香りと甘辛い醤油とみりんの味。たれが口内に触れるなり刺激と痺れさえこなければ、ただの美味しい料理なのだが。

「アセビぃ……」

「早く、蛇になって。シュウジ、もっと働け、殺し合え」

 アセビは俺の眉間の皺を見て噴出した。出会った当初を思えば随分柔らかい雰囲気になったものだ。

 俺はふと、彼が作中最高クラスの実力者であることを思い出す。彼はいつも自信ありげに、蛇になった俺を飼うと嘯いていた。大蛇となった俺の恐ろしさを知らぬ訳もあるまいに。

「……アセビ、お前は俺のことを殺せるか?」

 彼に依頼をして、骸を妹に届けてもらう……可能であれば、ぶつ切りにして調理しやすい形状にしてもらえれば――それは悪くない案に思えた。

「■■! ■■■――いや!! 絶対、嫌だ。何故? シュウジ、殺される? おれ、逃がす。今すぐ」

 アセビは母国語だろう何かの単語を叫ぶと、俺の胸倉を両手で掴んだ。息苦しさに顔を歪め、その手首を捻り上げ、足を払う。アセビは動揺も露わにバランスを崩し、倒れ込んだ。

「高跳びしたい訳じゃない。聞いただけだろ。……おい、人の胸筋で深呼吸するな」

「深呼吸、じゃない。心音、聞いてる。シュウジ。……シュウジ、強い。死なない。蛇になって、アセビに捕まる、まで、生きろ」

「お前がそれ言うから気になったんだよ。アセビは蛇になった俺に勝てるのか?」

「……勝てる。絶対。シュウジ、手に入れて、シュウジが、好きそうな、熱帯雨林、行く。絶対」

「それは俺じゃなくて蛇が好きそうなとこだろ」

 単なる戯言ではなさそうだ。アセビからは確信が見て取れた。俺の死にあたって、選択肢が増えたことに僅かな手ごたえを感じる。

「シュウジ、何のため、それを聞く?」

「ああ……医者から保って五年で蛇になるって言われてな。俺が蛇になって野生に還ったら、色々と大変だろ。どうやって死ぬか真剣に考えてたんだよ」

「ヤマト国のこと、どうでもいい、癖に。何故、被害気にする? ……いや、前から、少し変。変わった。家族、見つけた、あとから」

 アセビは俺の心臓のある辺りを爪で抉るような素振りを見せた。

「誰と、どうなる。どうでもいい。蛇にさえ、なれば。蛇になった、シュウジ、アセビが、捕まえる。それだけ」

「……お前、何で俺を欲しがる? 蛇コレクターなのか? 蛇になった後の俺は、本当にただのデカい蛇だぞ。使い道もない」

 俺が生成できる程度の毒素など、アセビ自身が何度も俺にぶつけてきた。血清も必要のないアセビが、俺を蛇として捕獲する意味を見出せなかった。

 敵意がないことを示すためか、異様なほどにゆったりとした動作で、鍛え抜かれた鋼のような腕が俺の背に回った。幾度となく殺し合った相手からのそれに、静かに袖に仕込んだナイフを手に握り込む。密着している彼にもその動作は伝わったはずだが、アセビは構わず俺に縋り付いた不安定な姿勢のままだった。

「……ナイショ。秘密。でも、いい加減、理由は、言う」

 わざと潜められた声に耳を傾けようと、アセビの頭部を見下ろす。俺を見上げる彼はどうしてか、これ以上ないほど幸せそうに微笑んでいる。

「アセビは、シュウジが好きだから」

 ちゅ、とリップノイズ付きで、一瞬唇が触れ合った。

「ア、セビ? お前、」

 彼は火照った頬で俺の首に頬ずりした。

「長くて、あと五年。楽しみ。フフッ、ふふふ……」

 アセビが動く度、甘い花の香りがする。どれも毒を含むものだというのに、だからこそなのか、蠱惑的に俺を惹きつけた。

 思わず抱擁に応えようとした手に、自分でも驚く。そうして固まっている間に、するりと彼は立ち上がり、俺の手から抜け出した。

「シュウジを、アセビのもの、にする。好きだから。絶対、逃がさない。怪物同士で、番に、なる。――死ぬの、許さない」

 これまでにないほど冷酷な目で、アセビは俺を睨みつけた。

「……シュウジが、死にたがる、理由。調べる。結果次第、では、人間のまま、攫う」

「マジかよ」

「アセビも、本当は、したくない。手足ちぎる、の、痛い。違和感、残る。シュウジが、可哀想」

「……マジかよ」

 バルコニーの手すりに足をかけ、アセビは俺の右腕、左腕、左足、右足、と順繰りに四肢を舐めるように見つめた。彼が本気であることが嫌というほど伝わってきて、全身に悪寒が走った。

「シュウジ、好きだ。また、ね」

 冷徹な目を収め、最後に柔らかく微笑んだ男は、そう言って地上15階のマンションの一室から飛び降りていったのだった。

「……。……マジ?」

 取り残された俺は額を抑え、深いため息を吐くことしか出来なかった。

 妹を健常にするための計画に、障害が追加されてしまったようだった。

――俺が死ぬためには、アセビを排除する必要がある。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る