Case3 看視症

第十一話 贅沢は言ってないんだけどなあ

 たらんたん、たたん、と軽快なBGMが流れている。カチャカチャとコントローラーを弄り、巨漢二人して身を寄せ合って、小さなテレビ画面に子供のように噛り付く。

「ッな……!? おい緒兎一!? なんだよ今の壁ジャンプ! 前世でもそんなのして来なかっただろ!!」

「フフフ……まさか今世で披露する機会が来るとは思ってなかったけど、一人で鍛えてきた甲斐もあったってもんよ!!」

 甲羅をぶっ飛ばされ、目の前で狙っていたスターが奪われる。前世で不朽の名作と称えられていた(ものに酷似している)ゲームは、全く新しいハードの操作に慣れれば、あっという間に夢中になれた。

「ふーっ……ちょっと休憩ね、タイムタイム。興奮しすぎたわあ。体温が一定越えたら近衛に連絡行っちゃうんだよね~」

「ああ、居たなそういう奴。第六感が対人特化の……破門されてそっちに付いたのか」

 あいつはあいつで強力な第六感のせいで、医者になるという道を閉ざされた……とかで同じ分家出身の雪三に対して、大層屈折した思いを向けていた気がする。そこは針葉家にじゃないんかいと突っ込みたくなった記憶があった。

 それについて言及すると、妹は両手を挙げて床に寝転がってしまった。

「も~~~そればっかか~~~!? 第六感、第六感て!! 大体それ! それさえなきゃさあ!」

「お前にストーリーちゃんと聞いてから、俺も坊ちゃんが異様にモテる理由分かってきた気がするわ……」

 全員が全員、第六感に纏わる不幸を経験している。だというのに、問題となる第六感は通常、不変の体質と同じ。人が生きたまま心臓の形を変えられないように、一生切り離すことは出来ないもの。

 それをなんと坊ちゃんはノーリスクで消し去ることが出来る。彼と一生一緒に居ることさえ出来れば、同じ不幸は二度と――決して起こらなくなるのだ。その安心感と、”第六感を失った自分は過去の自分とは明確に違うのだ”、という一種の健全な自己否定が、こびりついた不安感の解消に繋がるのだろう。

「これまで過去の出来事のせいで、それぞれ方向性は違っても、ずーっと自分を否定してきた奴らが、やっと自己嫌悪から脱出出来る……って考えると、二度と手放したくなくなるんだろうな。そこに愛はあるんか? とは思うけど」

「などと攻略対象本人は供述しており……。てか、兄貴だって他人事じゃないでしょ。不安じゃないの? 前も言ったけど、その第六感使ってたら――最低でも、あと五年以内に大蛇になるよ。緑ちゃんなしでは、二度と人に戻れなくなるんだけど……」

「そう言われてもな……。神とか突然変異とかの話になってくると、寧ろ諦めすらこみ上げてきたぞ」

 妹は複雑そうな顔で口ごもったが、結局何も言わなかった。

「桜ノ宮の祖が、化け物染みた第六感の持ち主なのは知ってたけど……誇張じゃなくてマジだったとは。神だか蛇型ミュータントだか知らねーけど、もう大人しく蛇になるしかねえなこれ……って思ったわ。逆に理由が分かって、えーっと……すっきりしたっていうか」

 言い訳のように長々と続けていく。半分くらいは本心だったが、妹はそれに怒りをあらわにして俺を睨みつけた。

「……あのさあ。気遣ってるのかもしれないけど、全然嬉しくないんだけど」

 緒兎一はそう言うと、ゆらりと起き上がり俺に覆いかぶさった。成人男性によるマウントだ。ずっしりとした筋肉の重みに、密かに撲殺の危機を感じる。

「『原初の龍は“こころ”と“肉”を切り離して桜ノ宮に与えた』……とかいう一文だけのゲームテキストなんか、マジで信じてるわけ?」

「でも前世では言ってただろ。『多分これ柊四ルートの緑の意味深なセリフの伏線で……元々緑の能力は消し去るんじゃなくて吸収、って雪三ルートでは言われてる。それが柊四の第六感を吸った緑が、若いまま柊四と長生きしてるエンディングスチルに繋がるっぽくてさあ』って」

「兄貴、冗談下手すぎ。サムいんだけど。龍なんか居ないし、不老不死とかないし」

「俺は居るじゃん」

「は? 面白くないんだけど」

 胸倉が可愛くない膂力で掴まれる。怒りに歪む男の顔で、妹はどんどん力をこめてきた。こんな馬乗りの姿勢のまま殴られては堪らない。頬を滑る彼の長髪の束を引っ張り、緒兎一の体勢を崩し、上手く起き上がる。

「イッタ……は? 女の髪引っ張るとか終わってるんだけど」

「すまん。……機嫌直せって。別に変なこと言ってないだろ。“こころ”しか持ってないお前が第六感を使った後に疲弊するの、第六感に耐え得る“肉”が無いからなんだろ? じゃあ、」

「考、察、サイトではそう書かれてただけですけど」

「……俺だって雪三に調査頼んどいたし、別に望んで蛇になりたい訳じゃない。けど、もしもの話だよ。遺品整理とか生前にしておくタイプなの知ってるだろ?」

「お陰でスムーズに相続が進んで助かった、わッ」

 息が詰まるほどの力で腹を殴られ咳き込んだ。俺の前世の死について触れたら妹はキレる。俺、覚えた。

「私が死んだときの話も詳細にしてあげようか? お兄ちゃん」

「マジでやめてくれ。ごめん、もう二度としない」

 身をもってその辛さを押し付けられ、すぐに口を閉ざす。だが、俺だって無駄に蛇になって野垂れ死にたくなんかない。そう思わせたのはお前なんだよ。

 家族という存在が俺の在り方を変える。少しぐらい欲張ってもいいだろう、なんて欲が出てしまった。

 死ぬときにまで暗い気分なんて、もう嫌だ。死んでも大丈夫、とか、ここで死んでも満足だなあ、とか思って死にたいんだよ。

「……。……えっと。蛇って、味は鶏肉に似てるらしいし。……ああ、もう。頼むよ、俺が何言いたいか、分かるだろ? お兄ちゃんの言うこと聞いてくれよ。生きてる間はもちろんだけどさ、死んでもお前の足しになりたいんだよ」

「……」

「俺たち、家族だろ」

「それ言ったら何言ってもいいと思ってんの?」

「俺の気持ちも汲んでくれよ。あと五年しかお前の傍に居られないんだろ」

「……デカい蛇になったって、桜ノ宮でなら飼えるし」

「先週教えてくれただろ。蛇になった俺、“こころ”がないから、本物の蛇になるんだって」

「……狡い」

 幼児に戻ったように、妹は愚図った。嗚咽で呼吸が乱れそうになる度、意識して深呼吸を行うさまは憐れみを誘う。彼にとっての今世は、国の奴隷であり、いわれなき罪に問われる囚人なのだろう。看守が異変に気付かぬよう、思うまま泣くことさえ許されない。

「ああ、もう! ……何で、ちょっと泣くのも、駄目なの……」

 これまで言葉にすらできなかった不満を俺にぶつけ、子供時代のように、妹は俺にしがみついた。表情も、呼吸も鼓動のリズムも一切崩れてはいなかったが、静かに彼の頬を伝う涙が俺の肩口を濡らした。

「私は兄貴に何もあげられないのに。兄貴は死んだら私に食われたらいいんだから、楽で狡い。“こころ”ってなんだよ、どうやったら取り出せるワケ? ウザすぎるんだけど。……最悪。ほんと、なんなの。何か悪いことした? 勝手に思い込んで、勝手に殺しやがって……」

 シャツに皺が残るほど、強い力で縋り付かれる。何を言うことも出来ず、俺は妹の背を撫でた。妹の、安心できる人肌は、俺の孤独も温かく癒してくれていた。

――ああ、俺は、一人じゃない。

「兄貴、緑ちゃんのこと落として来てよお……」

「白樺は緑坊ちゃんのこと本気で愛してる。坊ちゃんもだ。あいつ、まだ坊ちゃんの無効化の能力を知らないのに、それでも相思相愛なんだぞ。本物だ。そんな奴らの邪魔出来ない」

「でも、兄貴が一番困ってる。兄貴が一番、緑の傍に居る権利があるのに」

――ああ、俺には、俺を心配してくれる人がいる。

「こうなった今じゃ、お前のどんな我儘でも聞いてやりたいけど、それだけは駄目だ。他のにしてくれよ。……新しいゲームでも買って、持って来てやろうか?」

「しょうもな……。ほんと、兄貴狡い。狡すぎ。じゃあ私、また王族特権で呼び出すから、ここで遊んでけば? ……それしか出来ないし。それも時々だけど」

 妹はずるずると身を離すと、卓上に並べられた小さな和菓子を摘み上げると、俺の口に寄せる。

「食べろよ、ほら。兄貴は私に尽くせて満足かもしれないけど、こんだけゲーム貰って等価交換出来ないと、私側が『尽くせてない』って感じるんだけど」

――ああ、俺には、愛を注ぎ込むことを許可してくれる人がいる!

「俺はお前が居るだけでだいぶ充実してるけどなあ」

「それ私もだから、私の中ではチャラになってる」

 広い緒兎一の自室のベッドの上。結界で隠され、カメラからも覗かれない空間。

 僅かばかりのゲームソフトと、小さなテレビと、大切な家族。抱え込めるほどの幸せに胸がいっぱいになって、少し息苦しくすら思えた。

「ああ、もうすぐ時間切れか……。兄貴、最後何やる?」

「次は協力できるやつにしようぜ」

 前は――二人ともそれぞれ別の、もっと広い場所で、抱えきれないほどの幸福と一緒に生きてたのにな。

 今や互いが居ないとたったの一欠片すら味わえないなんて、“幸せ”は相当な貴重品だったらしい。

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