閑話 雪三と柊四の兄弟ごっこ

 ひそひそ、くすくす。診察室に小さな話し声が流れ込む。

 隠れて話しているつもりだろうが、雪三の耳にはどんな音だって聞こえている。……ここは針葉ではないというのに、煩わしい声たちが、全て自分に向いているように感じて嫌気がさした。

「雪三~、若干暑いわ」

「……職場に連れてきてやっただけ、感謝してください。全く」

 奥のベッドのカーテンで、影が揺れる。気まぐれに「シャー」と鳴らされた音に、キャッと隣の部屋で声が上がった。看護師の内誰かの「蛇?」という言葉と共に、鬱陶しい話し声は、中断されたようだった。

「まだ戻っていないんですか」

 柊四の能力は特徴的だ。第六感を使いすぎれば、シックス素粒子が体に付着したまま取れなくなってしまう。始めは、これで彼が危険な仕事から離れられると喜んだものだが、針葉は、彼が死んでも構わないとばかりに使い潰すだけだった。そして彼も、それに逆らわない。

「しっかし……この手も、喉も。段々戻るまでの間隔が長くなってる気がすんだよな。お医者さんの見解はどうだ?」

「……体に馴染んでいる、とでも言いましょうか。蛇の方が『正しい』と体が誤認しつつあるようです」

 柊四はそれを聞いても動じることなく、「そうか」とだけ告げた。これまでと同じ、いつ自分がそうなろうと構わないという態度。

 だが、今日は少しだけ違った。

「じゃ、暇な時にでも解除方法探しといてくれ。礼は……俺に出来ることだったら、何でもしてやるよ」

 その言葉に雪三がどれほど驚いたか、彼は想像すらしないのだろう。柊四は雪三になど注意を払ったりしない。虐げる針葉にも、柊四をありがたがる護衛対象にも――この世の全てがどうでもいいのだ。ただ一人の例外を除き。

 青葉緑以外に彼が心を砕く人間を、雪三は知らなかった。

 だが――彼の変化の原因は緑とも思えない。彼が緑と共に在ったこれまでの間、一度も生きたがる素振りなど見せなかった。つい最近、突然に、彼に何かがあったのだ。

「……。変なものでも食べたんですか。お前が愚かな人間に誑かされたりしないよう、僕が品定めしてやりましょうか」

「俺はもう四……二十一だっての。お前には世話になってるけど、人間関係に口出しされるのは本家だけで十分だわ」

 悪戯心からか、ギシャーッと激しい威嚇音と共に、カーテンの向こうで寝返りを打つ音がする。背中を向けられ、雪三は目を細めた。

(危険な仕事を辞める気がないのなら、いつか僕が柊四を飼わなければならない)

 人であっていて欲しいという雪三の密やかな祈りを余所に、彼は仕事を熟し続けた。進行度合いは既に終期に至っている。今更蛇化を止める第六感や薬を探したところで、もう間に合わない。

 だから、雪三が守ってやらなければならない。雪三の脳裏には、いつまでも幼いままの柊四の姿があるのだ。強くて自信に満ち、何でも知っている。雪三が欲しいものをすべて持っている少年。

 針葉の広い屋敷の隅、柊四は狭い部屋の中で何もかもを持っていた。そして同時に、多くのものを奪われてもいた。針葉が彼から奪ったたくさんのものたち。雪三はそれを自分が補ってやろうと、ずっと考えていたのだ。

 爬虫類は嫌いではない。それに――彼が居ると、辺りは酷く静かで、快いから。



***



 雪三は雑音が嫌いだった。

 優秀であれ。本家に見初められるよう努力しろ。この国の礎となれ。

――『アレ』に、近づくな。

 大人たちは、幼い雪三に何度も言った。本家の当主は実力至上主義で決まる。だから父母を筆頭に分家の者たちは、雪三の第六感が護衛向きだと確信するなり、幼い身にはそぐわない重い期待をかけていた。

 それが毎日毎日毎日毎日繰り返される。学校で付き合う人間は両親の手で選定され、休日のスケジュールは管理され、その間ずっと同じ雑音を囁かれる。吐き気がするほど煩わしかった。

 恐らくは、久方ぶりに生まれた子供だからこそだろう。針葉には滅多に子供が生まれないのだ。長い年月を一族間の交配に費やした弊害か、いつの間にかそれが当たり前となっていた。

 大和国のためだけに研鑽された機構、生きた盾を作り出す工場。

 濃い血がそうさせるのか、一族の誰もそれを忌避することはない。雪三でさえそうだ。一族の総意とでも言うべきか、針葉は思考の根を同じくする。みな根底に同じ心を持っているのだ。

――ここへ引き取られてきた『柊四』だけが、例外だった。

 幼少期、雪三が屋敷の一室で稽古をつけられていた際、突然部屋の中の喧しい口たちが、一斉に黙った。視線を不自然に、何かから逸らしているようだった。

 目を瞬かせた雪三が、その原因に目をやると、障子の向こうを小さな人影が通るのが見えた。

 そう言えば、外様の人間を一人引き取ったと聞いた。『アレ』と形容される少年。それが、あの子供だろうか。

 彼が居ると、部屋は静かだった。高揚していく気分に任せ、雪三はばっと立ち上がり、その障子を引いた。悲鳴のようなさざめきが起こったが、ほんの僅かな時間で、気づかれてはならないとばかりに止んだ。

「ねえ!」

「? ああ……雪三、だっけ」

「どこ行くの?」

「厨房。飯なくなったから貰いに行く」

 大きな寿司桶のようなものを持ち、静寂を連れてきた子供が歩き続ける。軽々と持つそれを奪おうとしたが、あまりに重くて雪三はへたり込んでしまった。

「やめとけって。俺もう行くぞ」

「待って! ねえ、いつもはどこにいる? 遊びに行きたい!」

「ええ……。来んなよ」

「お願い!! 静かにするから。僕も静かなところがいい!」

 そう言うと、彼は眉を寄せた。

(マジか……確か雪三って、キレると第六感が暴走するんだよな? 屋敷の人間氷漬けにして殺しかけて、当主候補から外されたってストーリーだった気が……)

 何事かを考えているようだったが、ややもあって彼は庭にある離れを指さした。

「あっちに住んでる。じゃあ、俺もう行くからな」



 柊四と名乗った子供の傍は、居心地がよかった。

 柊四は雪三の屋敷に住む全ての人間に畏怖されている。一族の中で異質な、“同じ”でない彼は誰とも分かり合えない。彼だけが“違う”。その第六感の内容も相まって、彼は化け物として扱われているようだった。

 雪三が小屋に行くと、彼はいつもそこに居る。暇そうに書庫からくすねたという本を読み、護衛候補として課された訓練を行っているらしい。雪三が来ると、本当に退屈な時だけトランプやリバーシを紙で作って、一緒に遊んでくれた。

 柊四は雪三の知らないことをなんでも知っていた。自分より年下の小さな子供だというのに、雪三よりも強く頭が良い。雪三は彼をのように思い、慕っていた。

 大人になったら、彼と当主の座を奪い合うライバルになるかもしれない、などと考えては、それに勝てるか不安を覚え、稽古に一層打ち込んだ。

――ある日、いつも通りの日。

 小屋に行くと、柊四は不在だった。紙で作ったお手製のトランプを弄りながら、雪三は彼を待った。学校で、親に出会うのを禁止された友人がこっそりくれたキーホルダーや、キラキラと光る石、雨の日に柊四と作って乾かした泥団子。

 静かな部屋。嫌なものは一つもない。この場所には雪三の大好きなものばかりだ。

 目を閉じて耳を澄ます。部屋に近づく足音が待ち遠しい。柊四がここへ来れば、この場所は完璧になる。音を待ち望むのは、初めてのことだった。

 ……すり足の音がする。いつもと違う音だった。雪三は驚き立ち上がる。ゆっくりと近づいてきた足音に、扉を開けて迎えると、そこに立っていた柊四は血だらけで、今も口元から血を吐いていた。

「柊四!?」

「ヘ~キだから。おい、ちょっと、俺よりでかいのに走り回るな。ここ狭いんだぞ」

「でも、怪我……何で、治療は? お医者さん……針葉の救護班の人のとこ行こう!?」

 雪三が言っても、柊四は部屋に座り込んで動かない。痛みがそんなに酷いのかと泣きそうになると、柊四は首を振った。

「第六感を使えばすぐ治る。ちょっとあばら折れて変なとこ刺さっただけだし……。あ、俺じゃなかったら重症だから、他人がこうなってたら、ゴホッ、救急車呼べよ……」

 柊四はまた血を吐いて、苦しそうに顔を歪めた。

「お前、どっか行ってろ」

「な、なんで? 大丈夫?」

「いいからどっか行け、俺の毒食らったら死んじまうぞ……」

 そう言うと、彼は蹲り第六感を使ったようだった。全身が蛇に変わっていき、四肢を失い、蜷局を巻いている。

 雪三がおずおずと触ろうとすると、シャーッと威嚇の音を立てる。

「柊四。僕、僕……痛み止めもらってくるから!」

 どうしても何かしてやりたくて、雪三は屋敷に常駐している医者の元へ向かった。薬を欲しいと言うと、「あの化け物に与える必要はない」と拒絶された。雪三はカッと頭が熱くなり、部屋の中の薬という薬を、第六感で沸騰させてやった。

 医者が怒声を上げるのを背に、悔し涙を浮かべながら走る。柊四に何もしてやれない自分が情けなかった。手ぶらのまま帰るのが嫌で、一生懸命に頭を働かせて、厨房へ向かった。

 使用人が今日の夕食の仕込みをしている。柊四のために、と言おうとして、医者と同じ結末を迎えることが容易に想像できて、言葉を切った。

「おやつ……欲しい。明日いっぱい稽古するから。フルーツとか、ゆで卵とか頂戴」

 たどたどしく柊四の好物を言うと、使用人たちは手ごろな皿に綺麗に盛りつけて渡してくれた。

 離れに戻る途中、雪三はずっと考えていた。

 柊四は何でも知っていて何でもできると思っていた。だけど、違うのだ。何でも一人で出来ないと、生きていけないから、出来るようになったのだ。

 大人は雪三が考えているよりずっと、柊四のことが嫌いなのだ。死んでもなんとも思わないのだ。

 ご飯は大きな桶に纏めて詰められているのを見たことがあった。雪三が頼んだように飾られたりしない。取りに行くまで貰えないし、身の回りのことも全部自分でしないといけない。彼には親も保護者も居ない。

 もしかすると、小屋にずっといるのも、外に出ることを許されていないのかもしれない。それが静寂の代償だというのなら、それは、なんて……。

 雪三がフルーツを持って戻ると、柊四はまだ蛇のままだった。ぐったりした様子だったが、口元にフルーツを持っていくと、毒液を床にこぼしながらもそれを食べた。食べ物は人間と同じで良いらしい。

 蛇は寒さに弱いことを思い出して、部屋の温度を上げてやる。雪三は静かな部屋で、柊四の傍で眠った。

 雪三はこの静けさを好いている。彼が傍にいると静かだ。この静寂を分けてもらうのなら、その代わりに――雪三が、彼を守ってあげないといけない。

 当主になど、元から興味がない。どうせなら彼を守れるような大人に……お兄ちゃんになってあげたい。

「守るから。だから……僕の傍に居てね」

 彼の傍だけが、静かだった。

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