第十話 互いが生きる理由

 扉が開かれる音に目を開く。後味の悪い夢を見ていた。

 横目で見ると雪三の白衣は椅子にかけられたままで、不在のようだった。冷房が切られているのは彼の気遣いだろう。少し、いやかなり暑いが、俺は十全に動ける。

 雪三でないとなると、消去法的に訪問者は見知らぬ人間か、敵だ。同僚や親戚の殆どを「敵」としか言い表せない切なさよ。

 げんなりしつつ身を起こして顔を向けると、そこに居たのはこの国の王――緒兎一様だった。

「緒兎一様……?」

「……」

「緒兎一様!?」

 青い炎が部屋中を駆け巡り、四隅に小さく灯った。結界を張られたのだと思われる。驚きに二度見すると、彼は厳めしい顔つきを緩め、腕を組んだ。

「音を遮断しました。一つあなたに聞きたいことがあったので」

(何故敬語……?)

 一人で行動できないはずの尊い身分の人間が、突如としてやってきただけでなく、第六感を使ってまで俺と二人きりになろうとしている。しかも敬語。

「あなたは……その、もしかしてですが――兄貴ですよね?」

(兄貴……ではないですかね)

 王族ではない、の意を込めて首を振ると、彼は苛立ったように腕を指で叩いた。

「春人兄ちゃん、だよね? って聞いてるんだけど……人違い?」

「……冬美、か? お前……マジで?」

 自分とほぼ同じ身長の男をベッドから見上げ、まじまじと観察する。春人は前世の自分の名前だ。兄ちゃんと呼ばれているくらいであるし、となると、この男は本当に妹なのか? 外見からはとてもそうとは思えない。……それにこの暫定冬美――妹は、どうやって俺に気づいたのだろう?

 疑問を読み取ったように、緒兎一は頷きながら応える。

「疑うのも分かるっちゃ分かる。私はさあ、攻略対象のこと鏡越しにたまに見てたんだよね。将来自分のことを殺そうとしてくるかもしれない奴らは、特に。そしたら柊四が明らかに緑ちゃんのこと愛してないし、挙動と言動が兄貴っぽくてさあ――確認したらまさかじゃん」

「……へぇ。お前は根拠あって俺だって決め打ちしてるみてえだけど、俺はそうじゃねーんだけど。お前が妹だっていうなら、信じられる証拠でも話してみてくれよ」

 目の前の男は筋骨隆々で、長く艶やかな黒髪までもが過去の妹に似つかない。顔つきは言うまでもなく、声も違うせいで、妹の話しそうなことを話していても、微妙にしっくりこなかった。

 うっかり信じて、実は妹を騙る別人だったら……なんて、考えるだけでも恐ろしい。最悪のオレオレ詐欺だ。

「この桜ノ宮緒兎一にため口を利いておいて、今更だろうに。……えーと、じゃあ兄貴と私の初恋の話する? 双子で同じ子好きになってさ、幼稚園のゆかりちゃん。私はあの子に優しくして、お返しをしてもらうのに夢中になっててさあ、兄貴は……ッフ、兄貴は尽くして尽くして尽くしまくって、ゆかりちゃんに『春人くん、ずっと付いてきてきてやだ……私冬美ちゃんとあそぶ』って言われて失恋――」

「うっ……その話は、止めろ……」

 今世で一番胸が痛んだ。二番目は坊ちゃんに噛みついた時だ。愛が人生の中心、かつ利己的クズで申し訳ない。

 実の妹に想い人を奪われた過去が辛く、舌を噛み千切りたくなっていると、妹は呆れたように笑った。

「兄貴が柊四になるとか……。兄弟揃って転生ガチャ運悪すぎ。この世界、ただでさえ攻略対象が死にやすいのに、兄貴が今いる針葉はトップクラスの魔窟じゃん。攻略対象ほぼ全員いるし」

「ああ……」

 人格破綻予備軍があまりに多すぎる針葉家を思い浮かべ、頷く。

「攻略対象じゃない奴らもちょっと……こう、変わったやつが多いな。なんでだろうな?」

「そりゃ、ウン百年も近親婚を繰り返してるせいでしょ」

 知らない情報に瞬くと、妹はぺらぺらと、俺に宛がわれている婚約者の女性の名前まで当てた。

「久々の外部からの血だし、丁寧に女の子選んだらしいよ。当人の扱いは雑なのにねえ。――しかし、まさか今世でも双子になると思わなかったなあ」

「……双子?」

「あー、兄貴知らないもんね。緒兎一と柊四は双子の兄弟なんだよ。忌子だから兄である柊四だけ、長い繋がりのある針葉に捨てられたって感じの設定」

 ぽかん、と口を開き驚いていると、妹はスタッフルームの救急箱を見て、俺に同情したような目を向けた。

「鏡で見てたわ。そういや兄貴って雪三に変に懐かれてたよね……。針葉家当主の樅二は義理の兄弟として、兄貴にお兄ちゃん風吹かせてるし。挙句の果てに実際の弟兼、前世の妹の私まで居るんだもん。大乱闘ほにゃららブラザーズじゃんね」

「……俺的には、ウォーターエンブレムifみを感じてるけど」

「そのタイトル懐かし~! ていうかゲームタイトルで思い出したわ。兄貴って今世で迫害されてるでしょ? 今度から定期的にこっちの屋敷に呼んであげよっか? うちも中々地獄だけどさあ、十年かけて作った結界の部屋にゲーム貯めこんでるから。電波通らないけど」

「お前が有無を言わさず俺を針葉から奪ってない時点で、ぶっちゃけドングリの背比べだって気づいてるんだぞ……」

「私も転生ガチャ外したからねえ」

 長い髪を物憂げに指で巻きながら、妹は嘆息した。それからスタッフルームのメモを一枚切り取り、電話番号を書き込んだ。

「あんまり私出られないけど、番号交換しとこっか。また会えるとか思ってなかったけど、久々に話せて良かった」

 冷徹な貌がふわりと緩む。切れ長な目も、丸みがない頬も、妹とはかけ離れている。だがそれは俺も同じだ。こうして死んだ後に、互いの正体に気づき、再会出来たことは奇跡だ。

 今世ではもうずっと諦めていたが、親愛が――生きる意味が、体に宿るのを感じる。

 虚ろだった胸に温かな気持ちがこみ上げて、久しぶりに心からの笑みが浮かんだ。

「冬美……」

「なに?」

 とはいえ、俺のお給料は雀の涙ほどしかないので。

「……すまん、金貸してくれ。針葉から支給される携帯しか持ってない」

「……締まんないなあ、いいけど」

 しかし本当に――今日まで頑張って生きてきて、良かったなあ……。



***



 炎天下、雪三に送迎され自宅に荷物を取りに戻る。彼の家に泊めてもらうことになったため、着替えの用意やごみの処理などをしておく必要があった。

 今回は蛇の部位が多いためエアコンをつける訳にもいかず。部屋の中は西日で熱が籠っており、人の部分から汗の雫が落ちるほどに暑かった。

 汗を拭いながら作業を続ける。衣服を纏めようと箪笥を開いた途端――何の前触れもなく、横からプリンを差し出された。

「……アセビ?」

「食べろ。怪我、治る」

 久々に言葉の意味が分からず黙り込むと、アセビも口をつぐみ、皿に乗ったプリンを持ったまま冷蔵庫へ近づく。黙って開かれたそこには、多種多様な料理の皿が入れられていた。

「……蛇、なって、ない。なら、食え。元気、なれ」

「ああ……じゃあ早速食べるか」

 テーブルに食事を並べ、食べ始めると、アセビはそれを横から眺めながら俺の体に付けた傷を指で辿る。

「まだ、蛇じゃ、ない。残念……」

 そう言いながら、低い体温が擦り寄ってくる。

「……シュウジ、元気? 何故。良いこと、あった?」

「内緒だぞ……家族と会えたんだ」

 誰に聞かれてもいないが、密やかに彼の耳に囁く。アセビは琥珀のような目を見開いた後、緩く笑った。

「よかった、な。シュウジ、が、嬉しい、の、アセビ、嬉しい」

(殊勝なこと言ってるように見えるが、内心優越感でいっぱいなんだろうな……)

 彼がヤンデレの端くれでありながら、独占欲を見せないのは、『柊四の毒に耐えられるのは自分だけ』という自負からだろう。彼は何故か俺を好んでいるようなので。

 これまでは命を雑に投げ捨てていたので、彼が仕事先に何度もやって来ることや、果てには家にまで不法侵入してきていることさえも見過ごしていたが、思えば奇妙な関係性だ。

 アセビは俺を殺そうと思えばいつでも殺せる。だというのに、彼はまともな食事を摂っていない俺のために料理を作り、蛇化した部分を摩り撫で……と献身的に尽くしている。

 妹と出会い、彼女と過ごすことが幸福に繋がった今――そして彼女にとっても、多分俺が幸福そのものだ――命を大切にしようという気持ちが湧かないでもないが……。

 初めて出会った時にそうされたように、アセビの頬に触れる。彼は目を閉じて頬を押し付けた。蛇になったままの口を、彼の首に近づけてみる。毒液が皮膚を伝ったが、アセビは俺の頭を抱き寄せた。

「食べる、か? アセビの、こと」

 そうしても構わない、と微笑む彼が、今更俺を傷つけるとは思えなかった。根拠のない信頼に自嘲しながら、頭を放し、毒液を袖で拭ってやる。

「食べねえよ。飯、作ってくれてありがとうな」

 まあどの料理にも毒入ってるんだけど。

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