第九話 キュンとするには大人目線すぎた

 現場で今か今かとその時を待っていると、樅二に守られた緑坊ちゃんが遂に倉庫に入ってきた。上方からそれを目で追いながら、いつでも飛び降りられるよう力を込める。俺はカイロを幾つも貼り付けた手足を蛇化させて、屋根の骨組みの一つに巻き付きながら、倉庫の入口を監視していたのだ。累計六時間前からずっとここで待機だ。ひび割れた窓から雪は吹き込んでくるし、凍死するところだった。

 十数名居る犯人グループの人相はみな大和人離れしていた。腰には大仰な銃器を所持しており、海外の犯罪組織が何の用でここへ来たのか、樅二が上手く聞き出そうと話を振っている。

――あー……。そういう使い方もあるよなあ……。

 聞くところによれば、彼らは緑坊ちゃんの無能力を母国に持ち帰り、戦争の道具にしたいらしい。あまりにも身勝手な理由に、樅二が眉をひくつかせながら苛立ちを抑えている。

 あまつさえ人質の解放と引き換えに、緑坊ちゃんだけでなく十億円をも用意しろと言い出したところで、樅二は手筈通りつま先で二度地面を叩き、俺に合図を送った。

――最後まで要求聞いてねぇのに、いいのかよ……。

 内心呆れながらポケットから煙草サイズの筒を取り出す。針葉の用意した小道具の一つで、ここに毒液と息を吹き込めば、毒を広い範囲に散布することが出来る。坊ちゃんと樅二は予め抗血清を注射しているはずだから、敵が俺の毒で呼吸困難になった隙に全滅させて、黄緑坊ちゃんにすぐに抗血清を打ち込めば、何事もなく解決する……はずだった。

 そう簡単に行けば話は早いのだが、そうはならないだろう。今から俺は瀕死の重体になるらしいのだから。

 深く吐息を流し込み、シックス素粒子を集める。即効性で、しかし致命的ダメージには間を置く毒――すぐにイメージ通りのご都合毒物が出来るのだから、便利なものだ。

 男たちが苦しみ始めると同時、黄緑坊ちゃんの救助に向かう。緑坊ちゃんは、樅二と共に倉庫を出ていき、安全地帯まで撤退できたようだ。小さな黄緑坊ちゃんの体を抱きかかえ抗血清を打ち込むと、青ざめていた彼は安心しきった笑みを浮かべた。

「しゅうじ……」

「すぐにお家に帰れますから。今はお休みください」

 後ろ手にハンドサインを送り、針葉のガードマンを呼ぶ。黄緑坊ちゃんを託し、倒れ伏す男たちの中で、一人立ち続け、俺を見つめている人間と相対した。ガスマスクをしている訳でもない。あの男は毒に対して非常に強い耐性があるようだ。

 黒い外套を羽織るガタイのいい男……あれは、攻略対象の一人、アセビか? 顔が伺えない。服装以外の、身体的特徴である白髪や、茶色の目が見られれば判断出来るが、そんな余裕はないだろう。

「……どうした? ずっと立ったままだな。早く治療しねぇと、お仲間はみんな死ぬぞ」

「無駄。間に、合わ、ない。……お前、の、せい、で、報酬、ない」

 損をしたはずの彼の穏やかとも取れる声色に、俺は僅かに首を傾げた。

「なら、お前は何のためにここにいる?」

「ヒヒッ――お前、と、殺し、やりあう、ためッ」

 小さな種子が空中に舞う。面食らって身を引くと、それらの種がたちまちの内に花を成し、果実を実らせ、新たな種子を辺りに弾けさせた。美しい花が一面に咲き乱れる。倉庫に倒れた男たちがその毒にとどめを刺され、痙攣しながら息絶えた。

 俺の第六感は、蛇は蛇でも不思議パワー由来の蛇化だ。大抵の毒物には耐性があったが、それでも微かに感じた痺れに警戒が強まる。

「お前、毒、効か、ない……?」

 毒花の上で、男が驚いた様子で俺を見つめている。油断なく構えていたが、再び空に投げられた種が大輪の花を咲かせ、向こう側が見えなくなってしまった。何処を狙われるか分からない。もしも相手が飛び道具を持っていたら厄介だ。

 そこで――自身の何処までを蛇にして身を護るべきか、俺は迷ってしまった。一時の防御には有効だろうが、今この気温で臓器まで冷やすことはリスクが高い。その逡巡の間に、黒衣の男は予期せぬ角度から俺の腹を殴りつける。

 息を詰めて硬直する俺の頬に、男は興味深そうに手を滑らせた。

「!? な、んだよ……!?」

「触れ、ても、死ぬ、ない。お前……変」

 腹部の痛みと嘔吐感を堪えながら、袖口から刃物を抜く。犯罪者相手なのをいいことに、遠慮なく振るった。黒衣の男は難なく交わすと、相手も大ぶりのナイフを取り出す。

「もっと、試す。お前、何処、まで、耐え、られ、る?」

 蛍光灯に輝く光沢あるナイフは、その切れ味と、表面に何かが塗られていることを知らせてくれる。自身も構えながら、冷えにより痺れ始めた口元を苦々しく歪めた。

「……一人で勝手に楽しくなるなよ。羨ましくなってくる」



――腹に食らったナイフが泣けるぐらい痛い。

 蛇になれば謎パワーで傷は塞がるのだが、気温が低すぎる。イベントで緑坊ちゃんが来る前に冬眠してしまうやもしれない。それに第六感の完全発動後の、体長4mほどの極太の大蛇を見て、俺であると気づいてもらえるかは疑い半分だった。……恋愛イベント補正で何かの運命力が働くのだろうか?

「しっかし……ま~じで、しぬかとおもった……」

 黒衣の男は、一通り俺を虐め倒した後に満足げに去っていった。よって倉庫から出てくるのは俺一人。腹を抑えながらヨロヨロと出る。外には疎らに針葉の人間が居たが、支えてくれる訳もないので、自力で救護班の元へ歩く。救護用の車両にやっとの思いで身を寄せると、中では黄緑坊ちゃんが寝かされていた。

「……!! しゅ、柊四! 中で戦ってたって聞いて、心配してたんだよ……!」

「黄緑坊ちゃん……ありがとうございます。この通り、元気ですよ」

 救護車の付近は、別地点で残党処理をしていた針葉の負傷者でいっぱいだった。どいつもこいつも俺を見るなり嫌そうな顔をする。黄緑坊ちゃんに労わられた後は輪にかけて、舌打ちの嵐、針の筵だ。この中で治療を受ける気にはなれそうにない。死ぬ時は静かな場所が良かった。

(なんか……恋愛イベント熟すより先に死にそうだしな……)

 それでも別に構わないか……と思えてしまうのが空しい。この恋愛イベントで、俺が緑坊ちゃんに恋を出来れば良いのだが。とにかく生きている意味を手に入れなければ、今回の人生が――これまでも、これからも、本当に無意味な時間だったことになる。自分が死ぬ時に、「ああ、もっと早く死んでおけば良かった」などと思う人生は、あまりにも空虚だろう。

 意識が混濁する中、手近なコンテナに凭れ掛かる。寒い。出血と気温のダブルコンボだ。横たわり、今にも力尽きんとする体が俺の制御下から離れ、勝手に第六感を発動させる。傷が塞がった感覚と共に、冷たいアスファルトの温度が、変化しつつある全身を通じてしみ込んでくる。

 骨まで冷える。血の一滴まで凍り付きそうだ。拍動が弱まる。眠い。ねむい、ねむい……。

 誰かの足音、温かな何かが近づいてくる――。

「――!? 柊四ッ!! 柊四、大丈夫なのか!? っ柊四、柊四……! 返事してくれ!!」

 体が抱き寄せるように持ち上げられる。自身に触れた温かなものから熱を奪おうと、体が勝手に巻き付く。暖かい。

「しゅ、柊四!?」

 全身に体を絡ませて、血潮の流れにうっとりと目を閉じる。この柔らかい皮膚の下、直に肉を分け入って、臓腑に体を潜らせて這入り込めば、どんなに心地良いだろう?

 牙を剥くと毒液が滴り、獲物の首筋に流れていった。獲物はその感触に、体を硬直させた後暴れようとしたが、締め付けを強めるとすぐに身動きをやめた。その温かさを長く味わうために、首筋には浅く少しだけ嚙みつき、それを邪魔しようとした腕にはきつく噛みついて、その返り血を全身で浴びる。

 次はどこに嚙みついてやろうかと首を擡げていると、獲物が俺の体を、空いた手で撫でた。

「柊四、こんなになるまで、ありがとう。っ……すぐ、戻して、あげるから」

 この獲物は何を言っているのだろう、と鈍い思考で考えるよりも早く、変化は如実に訪れた。人の体に戻った俺は青ざめて、スーツにしまってある予備の抗血清を打ち込む。

「緑坊ちゃん……!?」

 血まみれの緑坊ちゃんは力ない笑みを浮かべて、俺の頭を撫でた。自身の痛みなどまるで感じていないかのように。

「そんな顔、するなよ……お前の方が、重症だっただろ」

「俺とお前じゃ頑丈さが違うだろうが! ああ……クソ、こんなつもりじゃなかったのに……」

 苛立ちながら再び口元だけを蛇化し、毒に対する耐性を持ってから、坊ちゃんの傷口から血を吸いだす。包帯をきつく巻いた頃には、緑坊ちゃんは青ざめ、貧血の症状が見えていた。

 俺の心には深い後悔だけがあった。緑坊ちゃんは俺を慰めようとしてか、何度も何度も頭を撫でる。俺はそれを受けながら、「あの時死んでおけばよかった」と黒衣の男との殺し合いを思い出していた。

 昔は、あんな風に動いたり出来ない普通の人間だった。ナイフもすぐに皮膚を切り裂いて、どんな毒にだってすぐに侵される。こんな……化け物のような生き物なんかでは、決して……。

(あ~、クソ……前世入れたら二回りも年下の子供にこんな傷つけて……。今世の俺って本当に危険生物なんだな……針葉の扱いも納得だわ)

 べっこべこに凹みながら緑坊ちゃんを背負おうとすると、「いい、自分で歩ける」と断られた。俺が怖いのかと身を離すと、支えを失って倒れそうになった緑坊ちゃんが、俺の腕を掴んだ。

「ごめん……柊四が嫌なわけじゃないんだ。……救護班のとこに行きたくなくて」

「何をおっしゃっているんですか? 今すぐにでも医者の手当てを受けるべきです」

「だってこの牙の跡、柊四だってすぐにバレるじゃん」

 言葉を失っていると、緑坊ちゃんは俺の腕を強く握り直した。

「守ってくれよ、黄緑のこと。……守ってよ、俺のこと。なあ、死なないでよ、柊四」

 必死に言い募る緑坊ちゃんに、先ほどの負い目もあって頷かざるを得なかった。先ほど緑坊ちゃんに救われなければ、どうせ死んでいた命だ。俺の中には相変わらず生きがいの「い」の字もなく、今日の最悪の自己で、胸の奥には緑坊ちゃんへの罪悪感だけが渦巻いている。

 ならば、彼の言うがままに。

 確か緑坊ちゃんは二、三年後の神事での事件のせいで、なんだかんだで多くの人間から命を狙われる。俺は彼に救われた身の上だ。彼が本当の想い人と結ばれるその時まで、彼を守ることだけを目標として――それを見届けたら、死んでしまおう。

 死に際に「もっと早く死んでおけばよかった」なんて、もう思わなくていいように。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る