第八話 イベントに入れば恋が出来るらしい

 国王の不自然な挙動について考えながら建物内を進み、スタッフルームに到着する。そこに一歩足を踏み入れた途端、俺は崩れ落ちた。

 寒い。寒い、寒い、さむい……。

 心拍数が下がり、内臓まで凍えていく。ぶるぶる震えながら、鈍く重い舌を持ち上げ、言葉を発した。

「雪三……ゆきみつ、さむいって……ごめんって……」

「まるで僕が何かしているみたいな言いぐさだ。相変わらず失礼なやつ」

「だ、だいろっかんん……。第六感、つかってくれ……!」

 エアコンによってよく冷えた室内は今の俺にはキツかった。両腕と胴体、喉から口元にかけては蛇の鱗でびっしりだが、内臓や脳はまだ人間だ。このまま省エネモードに入れば、血液が行き届かなくなって死ぬ。

 寒さに耐えかね、完全な蛇になり冬眠することを検討していると、ベッドに丸まった俺の背に雪三の手が乗った。

「あ~~~~~~……あったけえ……」

 じわじわと温まっていく体におっさん臭いため息が出る。うつ伏せになって力を抜くと、玩具を弄る子供のように指先をつねられた。

「蛇に近づき過ぎると興奮するんですか? 危うく毒で殺されるかと思いましたよ」

 乱れた白衣に毒液の染みが出来ていることに気づき、雪三は顔をしかめていた。俺はバツが悪く、寝転がったまま視線を逃した。

「なんか……野生に還っちまうのかもな。ここまで変化すること自体あんまねぇから、毎回こうなるのかは知らねぇけど」

「へえ。……指はまだあるんですね」

「第六感をセーブしてる間はな。内側は人間の骨と筋肉のまんまにして、外側の皮膚にシックス素粒子塗して……あー、揚げ物に衣付ける感じだよ」

「ああ、確かに一回り大きいな……」

 元の手に素粒子によって肉付けされた形になるので、少しばかり大きくなるのだ。枕に頭を押し付け、ベストポジションを探っていると、喉元をスリスリと擦られる。気持ちは察せられる。そこの部分は鱗が柔らかいので、感触が心地良いのだろう。急所なので俺は気が気でないが。謝罪の意を示すため、眉を顰めながらも無抵抗を貫いた。

「声帯も変えたんですか? 随分静かだ」

「変えてねぇけど、結構近いとこが変わってるからな。気を抜くと無声音しかでねぇ」

 無声音というよりは呼吸音だが。代わりのように指先を擦り「シャーッ」と音を立てると、雪三は噴出した。

 やがて彼は医者らしく俺の傷跡をじっくり見たが、すぐに呆れたように首を振る。

「明日には治りますね。どれもかすり傷程度に収まっている。毒については……一応、採血しておきます」

「おう」

 腕を出そうとして、強靭な鱗でびっしりのそこに、袖をまくるのをやめた。二人して黙って考えた後、結局足の甲から採血することになった。

「なんか……悪いな。あと多分、今日から三日ぐらいお前ん家泊まるな……」

 雪三無しでは、どの公共施設も俺にとっては冷凍庫の中と変わらない。

「厚かましい……と言いたいところですが、別に構いませんよ。どうせ僕が嫌だと言っても、本家が許さないでしょうし」

「針葉ブラックすぎだろ。分家のお前もそこまで締め付けられてんの?」

「……勘違いするな、お前も分家の出身だろう」

 頭を叩かれたかと思うと、雑に撫でまわされ、整えていた髪はくしゃくしゃになってしまった。

「どうせ戸籍はあっちだ。お前と過ごしたのも一年くらいだったし」

「弟の癖に随分偉ぶりますね。図体ばかり大きくなったかと思えば、兄のことも忘れるなんて」

 幼少期、ビニール袋に詰めて本家に宅配されるまでに、ほんの一年共に過ごしたというだけだ。俺は分家ではマジのマジで害獣扱いをされていたので、彼と兄弟らしい触れ合いをした記憶はそうない。浅い付き合いのはずだが、雪三は不服そうな顔をしている。

「まさか樅二のことを兄だなんて呼んでないでしょうね。あんな……針葉の狗がッ」

「何でそんなに樅二のこと嫌いなんだよ……」

「お前、自分が本家にどんな目に遭わされているのか自覚してますか? ボロ雑巾よりズタボロにされているんですよ。早く死ねば良いとばかりに、危険な仕事ばかりさせられて……あいつらよりもよっぽど僕の方がお前を思っています。たった一年程度の仲でもね」

 客観的に見るとそうかもしれないが、俺自身はそう辛いとは感じていなかった。黄緑坊ちゃんの護衛を任されてからは楽なものだったし、緑坊ちゃんの護衛は……今日まで楽だったし……。それ以前なら、まあ、それなりに死にかけたこともあったが。

「大体、緑様の護衛の件も。攫われた後に交代だなんて、針葉はいつも汚れ仕事をお前に任せる。……そういえば、随分必死に守っていましたね。お前も命令されていたはずでしょう? 緑様を――事故に見せかけて殺せ、と」

「……されたけども。個人的な借りがあるんだよ。もう暫く生かしてやりたいってだけだ」

「借り? 一体何をしてもらったんです」

「してもらったんじゃなくて……俺が緑坊ちゃんに酷いことしちまったんだよ、昔」

 顔を背け話す気はないと示すと、雪三はしかめっ面になりながらも身を引いた。

「……話す気がないなら結構。さて、今日から三日ですね。明日からは僕の職場まで付いてきて来ると良い。――お前が居ると、静かでいい」

 雪三が部屋を出ていく音を聞きながら、目を閉じる。死線を潜り抜けせいか、寒さの名残か眠気が止まない。

 直前に話していたせいか、夢の中の俺は過去の世界に居た。緑坊ちゃんに罪悪を抱くに至った最悪の任務の思い出だ。

――わざわざ思い出させなくたって、ちゃんと守るっての……。

 ゲームの攻略対象らしくあるよう、誰かに強いられている気分だ。夢から逃避しようと寝返りを打つが、抵抗も空しく意識は夢の中へ落ちて行った。



***



 人を好きになるとはどういうことか。

 愛の意味は千差万別。殊に俺にとっては、「そりゃもう、視界に入れると堪らんぐらい愛が溢れ、ありとあらゆる危険から守り可愛がりたくなる」という意味を持つ。例えるなら猫を見た愛猫家に近いだろう。

 拒絶されようと嫌われようと、形を変えて注ぎ続ける。勿論下心はあるので、自分を好いてもらえるように、時にはちょっと強引な手を取ったりもしつつ。猫に対するならば何の問題もないのだが、その対象が人権保持者であるという一点において、俺の愛には難がある。

 その暴走っぷりは自分の理性では抑えられないほどで、前世では妹から『兄貴、妹からの一生のお願いなんだけどさあ、これから死ぬまで二度と恋とかしないでほしい……』と真摯にお願いされたほど。

 恋の他にも愛はある。例えば妹。妹は家族だ。生まれた時から共に在った最も信頼できる半身。自身を育て上げた両親も同じく信じられる。自分を害す利益が、家族というコミュニティには存在しない。

 心から身を預けられるもの。これも「愛」の一種だ。親愛。

 俺にとって愛は生きる理由で、無くてはならないものだ。誰だってそうだ。人でなくても、物への愛着くらいはあるだろう。愛なくして、人は幸福を得られない。


――では今世は?


 今の俺の名は、針葉柊四。妹のしていたヤンデレBLゲームの攻略対象の一人だ。その能力は『蛇化』であり、何度も使用すれば二度と人間には戻れないという代償がある。

 ハイリスクな第六感だが、柊四・・は行使を躊躇わない。何故なら、柊四にはこの第六感以外を人に求められた経験がないからだ。第六感故に死に瀕する緒兎一とは異なり、忌み嫌われながらも柊四が生きていられる唯一の理由が、この強力な第六感だったのだ。

 護衛向きの毒の効かない力は針葉では重宝され、柊四は捨てられた自分の価値はそこにしかないと思い込んでいる。……という設定だったはずだ。

――そんな奴に生まれ変わるなんて、ツイてねえな……。

 不意に頬に冷たい感触が触れて、天を見上げた。雪だ。気温は低く、今日は俺の第六感は使いものにならない。

 凍えるようなそんな冬の日の屋外。すっかり真っ暗になった夕方六時、俺は件の『針葉柊四』本人として、彼の過去恋愛イベントの場に居る。

 妹の話によれば、ここで柊四は、人質とされた青葉黄緑を奪還するために、瀕死の重体となる。そして死を避けるため、冬という最悪の条件下で止む無く完全な蛇化を行うのだ。体の傷はマシになったが、その代償に自我が蛇に寄り、人としての死の眠りが忍び寄る――そこを緑が無能力で救い、「俺の弟を助けてくれて、ありがとう」と礼を述べるのだ。柊四はそれにいたく感動し、“それ”しかできない自分の力を緑のために奮うことを誓う。具体的にはその恩に、敵の殺害とか危険人物の殺害とかで応える。

(で、緑坊ちゃん専属になるために、わざと緑坊ちゃんを樅二の目の前で攫わせて、それを自分が助けに行く……とか。正式に緑坊ちゃんの護衛になってからは、何から何まで頼まれてもいないのにお世話しまくるし、あわよくば軟禁しようとしてくる……ってとこが、俺に似てるんだって話だけども)

 トントン、とイヤーカフを指先で叩き、準備が整ったことを告げる。

(じゃ――期待してるぜ、緑坊ちゃん)

 今世の俺にはまともな家族が居ない。心奪われるような出会いもなく、生まれ落ちてからずっと迫害されながら子供の小遣いほどの給料で働かされている。

 それ自体はまあ、良しとしよう。第六感が強いからか、それともゲーム補正か、今日という日まで怪我らしい怪我を負ったことはない。やりがいもあるし、助けた相手に礼を言われるのは気分が良い。俺が居なければ死んでた命を助けられたと思えば、悪くない。

――ただ、生きる意味が足りない。

 愛が欲しいと言えば陳腐だが、突き詰めればそれだ。俺の心を奪ってくれるような人間が欲しい。この世界に生まれてから今日まで十九年、一度たりとも「この人間のために生きたい」どころか、「この人間と何かをしたい」とすら感じたことはなかった。

 ひたすら、無味乾燥な日々。美味い飯を誰かと食べたいと思うこともなく、誰かと遊ぶことも話すことも触れ合うことも見つめ合うことも、そうしたいと思うこともない人生。そんな人生の一体何が楽しいのだろう。

 親愛はもう不可能だ。親ガチャを完全に外している。外部に関係性を求めようにも、厭われている俺は学校や休日の自由行動も基本的には認められていない。

 つまるところ、俺は――限られた時間での、運命的かつ熱狂的な一目惚れを欲していたのだ。

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