閑話 白緑の馴れ初め

 白樺恵五は孤独な人生を歩んできた。

 物心つく前に交通事故で両親を亡くした。咄嗟の第六感の発動により自身だけが助かったが、幼心に消えない傷を心に負った。やがて孤児となった恵五は孤児院に引き取られ、18歳までの日々をそこで過ごすこととなった。生活は快適とは言えなかったが、虐げられたことはない。

――ただそこには、恵五だけを見てくれる人間は居なかった。

 慢性的な孤独を抱えながらも、それを解消する術を子供である恵五は持たなかった。友人と笑い合い、施設の子供たちと関りを深め、その絆の中に唯一無二を見つけようと懸命に目を凝らす。

 そのお陰か、学校生活の最中、テストで良い点を取ると教員に贔屓をしてもらえることに気が付くことが出来た。”目を掛けられる”という忘れるほど久しい感覚があんまりにも嬉しくて、勉強ばかりしていたら、全国でも有数の大学を勧められるほどになっていた。

 高校卒業と同時に、規定により施設からは出て行くことになっていたのだが、それに関しては、意外なほどに恵五の心が動くことはなかった。施設の人々は、恵五を誇りに思っていたようだが、職務である以上、どうしても恵五だけを見ることは出来ない。あそこには独り占めできる愛が無かった。それが自身の無関心の理由だと思う。

 その諦めを、寂しいことだとも思っていなかった。当たり前のものとして、長い付き合いである漠然とした寂寥と共に、大学生活を始めた。

 恵五が施設を離れてからも、時折連絡が来ることがあった。

「最高学府に入ったというのは本当か」「あなたが誇らしい」「卒業後よければだが、寄付をしてほしい」「また新しい子供が来た」「兄であるあなたを追いかけようと頑張っている子がいる」

 そんな話を聞く度に、研鑽を怠ってはならないな、と背筋を正す。迷惑だとも重責だとも感じない。恵五はこのまま社会に出て、公共の福祉と彼らへ、精一杯の恩返しをすべきだと考えていた。

 奨学金を借りて勉学に集中し、大学の授業料の免除を申請すれば、直近の金銭には困らなかった。だから、今は只管に学んで、それで、いつか――いつかでいいから、自分と“傍に居てくれる人”を作って、そんな人を大切にして……自分もそうしてもらえるような、物語の中でしか知らない、理想の関係を築いてみたかった。

 サークルやアルバイト、講義にグループワーク。人と接する度に、飽きもせずに唯一無二を探し続ける。

――青葉緑に出会ったのは、そんな日々の最中だった。

 恵五が緑の落とし物を拾い、届けたのが始まり。

 馬が合った。話すと楽しかった。これまでで一番の親友だった。


 あの日まで――ただそれだけだったはずなのに。


 あの日、恵五は風邪を引いた。咳をして、熱が出て、だが、誰も傍に居ない。

――一人は、寂しい。

 おもむろにそんな気持ちがこみ上げて、呑み込むことが出来なくなる。これまでの人生で抱え続けた寂寥ごと、喉から全て吐き出してしまいそうだった。

――誰か、傍に居て欲しい。

 一人は嫌だ。

 自分だけを愛してくれる人が欲しい。

 誰にも大切にされないまま生きていくなんて耐えられない。

 頭痛に目を閉じ、呻きながら布団を握りしめる。吐き気もするほどの熱で朦朧とする頭の中に、インターフォンの音が入り込んだ。

 ピンポーン。

「……恵五? 大丈夫か? お見舞いに来たぞ~……?」

(……だれだ?)

 熱の籠った息を吐き出し、精一杯の力を込めて立ち上がる。扉を開くと、そこには目を見開いた緑が立っていた。

「……みどり」

「恵五!? お前顔真っ赤だぞ!? む、迎えさせてごめんッ!! 布団戻れ!」

 その言葉を聞いたかと思うと、気が付けば布団に横たわって目を閉じていた。どうやら意識が飛んでいたらしい。動く気にはなれず、目を開き、耳を澄ます。キッチンから物音がする。

「……みどり?」

「! 恵五、起きた!?」

 緑は駆け寄って、恵五の背を支え、身を起こす手伝いをしてくれた。

「なんで……。おれは、ひとり、なのに……」

 立ち上がろうとして、酷い眩暈に倒れ込む。緑は恵五に押し潰されながらも、何とか布団に戻してくれた。

「心配して来たんだよ。なんで教えてくれなかったんだ? 部長から聞いて初めて風邪引いたって知ったんだぞ!?」

「……? なんで、来てくれたんだ?」

「だから……! 心配だからだよ!! 案の定フラッフラだし! とにかく、今はご飯食べて寝ろ! 今は休め!」

 恵五の頬に伝った汗を、緑は冷えたタオルでふき取った。心地よさに目を細め、ぼうっと緑を見つめる。彼も恵五を見つめていて、そっと目元の髪を払ってくれる。

 緑は敬語の口元に温かな粥の載った匙を差し出して、恵五がそれを口に含む度嬉しそうに笑った。自分で食べると言っても聞き入れてくれない。恥ずかしいことのはずなのに、突っぱねられたことが嬉しかった。

――恵五くん、もう大丈夫なの? そう、じゃあ……ごめんね、酷くなったら呼んでね。私、隣の部屋で年少の子たちのお世話してるから、大きい声出したらすぐ来るからね。

「恵五、まだ食べる?」

「……うん」

 食欲は無かったが、もっと傍に居て欲しくて一生懸命に食べた。全てを食べ終えると、緑は一度膳を下げに戻っていく。その時に感じた、まるで半身を失ったような孤独感。これまで自覚すらしていなかった寂しさが、絶望となって心を染めた。

(駄目だろう、こんな……。これが普通なんだ……)

 頭痛が酷い。頭を両腕で抱え込み、体を胎児のように丸める。戻ってきた緑は、その有様に驚いたようにしゃがみ込んだ。

「大丈夫か、恵五……」

 迷った様に、緑は恵五の頭を撫でた。頭痛を和らげようとしているのか、手つきは優しく、恵五は熱で虚ろな目で、そんな緑を見つめ続けた。

 髪を梳く手は恵五を安心させた。汗をタオルで拭って、労わるように頬を撫でる。慈愛すら含んだ目は、恵五以外を見つめることはなく。他の何を、見るでもなく。

 意識を失う直前、唇に触れた感覚は柔らかく――恵五はその日初めて、自分だけに向けられた愛情を感じた。

「……恵五は病人なのに。俺……最低だ」

 恵五が眠るまでの間、ずっとずっと、緑は傍に居てくれた。




 緑が――緑こそが、恵五の“傍に居てくれる人”だ。

 そう悟ってから、すぐに思い知らされた。恵五が緑に近づくことは、許されないことなのだと。

 青葉の家系については知っていたが、知れば知るほど世界の違いを知る。緑には護衛が常に居り、家にも使用人が大勢居る。

 それだけではない。彼には不自然な点が幾つもあった。大学には毎日送迎がやって来て、構内から出るだけで電話をする必要がある。風邪を引いた恵五の家に行くことも、護衛に何度も言い募って漸く許されたらしい。幾ら貴い流れを汲む家系とは言え、それだけでは説明のつかない拘束だ。日々の会話の中で、緑が自由に行動できる日が来るのかと聞けば、いつも笑って誤魔化される。

 否応なしに突きつけられた――恵五が何をしたって、彼との穏やかな日々など叶わない。正攻法では、緑に傍に居てもらうことなど不可能なのだ。

 例え緑が恵五を拒絶しようと、嫌おうと――彼に傍に居てもらうためには、外道へ落ちる他、手段はなかった。

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