Case2 厭音症

第六話 まあ俺も攻略対象なんだが

 透き通った水が足の間を流れていく。第六感による錯覚だろうか、それが生きている”何か”であるように思えるのは。

 この地下神殿の水は全て、外から引いてきた川の一筋だ。穢れは水に流れ、川の流れと共に海へと行きつく。

 故にここは禊のための場所――儀式を行うための場所。

 いつ、どんなに体調が悪い時であろうと、求められれば、自分はここに立たねばならない。

「――ハッ、クション! ~~ッ、もうヤだって! 夏だからまだマシだけど、寒すぎるんだってえ!!」

 転生してこのヤンデレBLゲームの世界で生きていく内で何に一番困ったかと言うと、生まれつきの能力である、自分の第六感の存在だった。

 国防の要でもある『結界エンクローズ』の能力。その必要性は分かっていたが、一人で何億人の命を背負うことも、力を使うことも、どちらも疲れるのだ。

 あとシンプルに禊の場所寒すぎるんだわ。

「……もし。緒兎一おといち様、お時間でございます。禊はお済でしょうか」

「ンッンン! ……ああ、すぐに向かおう」

 庶民的な一面を御簾の向こう側の女官に見せる訳にもいかず、ダルそうな顔のまま、声だけは厳格なものを演出する。この『結界』の第六感を引き継げるのは、この大和国の王族のみであり、(望んでもいないのに)国税で生きる自分にはそれなり以上の振る舞いが求められる。

 そして王族の中でも特に、国家全体を包むことが出来るほどの第六感を持って生まれた者は――即ち真に不本意なことに、自分は――この国の国王になることが決まっているのだった。

(前世はただの庶民女だったのにさあ。急に男、しかも国王になれとか……。ハア……割に合わな)

 濡れた着物を脱ぎ棄て、禰宜にされるがまま正装に着替えさせられる。我ながら惚れ惚れするほどムッキムキの体が、袍に包まれていった。

(この色中々イケてるじゃん。イベントスチルの時の服よりいい感じ。……ていうか、桜ノ宮緒兎一やっぱ神々しいな……私の好みじゃないけど……。これで緑ちゃんもイチコロだったして)

 儀礼用の鏡に映る自分の口角が、僅かな自嘲に上がる。

――よく言うものだ。緑に興味など、まるで抱いていない癖に。

 だが……緑の持つ無能力を、自分に向けて使われては困る。緑の第六感が特別なように、緒兎一の第六感もまた、別の意味で“特別”なのだ。

 具体的にいうと、緒兎一は緑の力を食らうと、精神性を失い白痴になってしまう。そういった厄介な性質の第六感なのだ。

(まだ死にたくないし……。死ぬにしても、出来ればこれまで働いた分くらい良い思いしてから死にたいなあ。今の私、損しすぎ)

 現状、多種多様な死が緒兎一には近づきつつある。もしもこの世界にゲーム通りの人間たちが生きているのなら、近い将来、自分が白痴になったり、首を切られ殺されたり、毒殺されたり、腹を刺されて死んだりする可能性があった。

 そんな未来は真っ平ごめんだ。自分はまだ二十数年しか生きていない。

 その二十年も、第六感を使うことを強いられ、碌にこの神殿から離れることもできず、心を許せる人間も居ない退屈な人生だ。無償の愛からはほど遠い自分がこうも尽くしているというのに、誰からも報酬はもらっていない。

 世の中はギブアンドテイク。損だけして死ぬなんて絶対にお断りである。どんな国民だろうと、この国に生きる以上緒兎一に貢ぐ義務があるというのに。……こう考えてみると、まるで自分が法治国家も真っ青の取り立て屋のように思わなくもなかったが、よくよく思い出せば原作の緒兎一もこんな感じであったので問題ない。とはいえアイドルも国王も人気商売。原作とは違って自分にはそんな振る舞いは出来ない。

――現状は損切り待ったなしの今世ではあるが、まだ死ぬわけには行かない。やりたいことがある。

 死を回避するためにも、ゲームで言うところの『針葉柊四ルート』と『アセビルート』だけは防ぐ必要があった。柊四が緑の恋人になれば他攻略対象は皆殺しになり、アセビが恋人となれば緒兎一・樅二・柊四が殺される。

 柊四ルートとアセビルートへの分岐フラグは、どちらも同じイベントで立つ。リアルタイムで来月の、国内の有力者を招いた神事での選択肢で決まるのだ。出来ればそれまでに、緑を神事に立ち入れなくしておきたい。おあつらえ向きに、彼は”無”能力者である。これを利用しない手はないだろう。

 実は緑が第六感の無効能力を持っていることは、一部の人間の間では周知の事実である。その効果範囲を気にかけるといった体で、青葉へと実験の協力要請をしてある。受諾の返事はまだないが、もしもそこで彼が緒兎一の結界さえも消せることを証明できれば、重大な神事への出席は禁止になるだろう。今の時期ならばまだ緑の専属護衛は柊四ではないので、その点でも好都合である。

――と、いうのが当初の予定だった。

(先月には青葉に連絡入れたけど、了承どこか拒否の返事も来ないんだよなあ……。……あー、もしかしてタイミングミスった? 緑誘拐イベントの方が早く起こっちゃったら、忙しくてそれどころじゃないか)

 鈴や祭事の道具が奏でる微かだが耳に残る音が、思考の邪魔をして鬱陶しい。荘厳な儀式が進められるのを目にも留めず、生存のための計画を練り直す。散漫な意識でいても問題などないのだ。

 どうせ、仕上げは緒兎一がしなければ終わらない。

 大きな鈴の音が鳴り、それを合図に祭壇の青い炎が燃え上がる。人々は衣擦れの音すら立てず、その沈黙を合図に緒兎一は現実に視点を戻した。

 ばちん、と決まり切った動作で柏手を打つ。第六感に対応する素粒子を引っ張り込み、吐息を吹き出す。青い炎のような息吹が鏡の表面を撫でた後、この国の全ての鏡を通して、“糸”を繋ぐ。結界を補強出来たことを感じる。

「……成功したぞ。最東端の鏡が限界に近付いている。近い内、交換しておけ」

 崩れ落ちそうな体を支えられながら、青い炎を飲み込んだ鏡を見つめる。

「ハア――割に合わない」

 やはり、自分がこうまでして国を守る以上、全国民は自分を労わるべきでは? 全く、転生ガチャ大失敗である。



***



 昨日もアセビが来た(毒を盛った)せいで、口がまた蛇に変化してしまった。牙の辺りの収まりが悪い気がして、口元を撫でると、医者が興味深そうに視線を寄越す。

「その牙、また毒性が強まっていましたよ。お前の協力のお陰で、多くの研究機関で抗血清の研究が進んでいるようで、僕としては嬉しい限りですが……肝心の毒は何処から仕入れているんです? いよいよ緑様の護衛……もとい監視役に任命されたのでしょう。以降も働いていくつもりなら、特殊嗜好は控えた方が良いですよ」

「人聞き悪いこと言うの止めろよ、雪三ゆきみつ。別に好んで摂取してる訳じゃない。エアコンのある場所には近づけなくなるし、口元以外は普通に暑いし、こっちも不本意なんだよ」

 採血を終え、捲っていた袖を戻し立ち上がる。雪三もそれに続き、白衣を脱いでジャケットを羽織る。医者である彼だが、今日だけは俺と共に緑坊ちゃんの護衛役なのである。

「……まあ、お前には悪いと思ってるよ。すまん、現場まで引っ張り込んじまって」

「お気になさらず。僕の第六感を、王族の方にエアコン代わりに使っていただけるなんて、またとない機会です。一族の名誉として語り継がせていただきますよ」

 冗談なんだかそうじゃないんだか分からないトーンで言うと、雪三は俺の首に手を触れた。首元の鱗に雪三の指が触れると、冷えていたそこはあっという間に人間の体温相当にまで温まる。あー、冬場のこたつ的温かさ……。

「緑様と緒兎一様の実験には桐山ホールを使うんでしたか。そう広くもないですし、難しくはないでしょう。温かな春のような快適な空間を演出してあげますよ。医者のこの僕が。お前のために」

「悪かったって……」

 乱れていた襟元を引っ張られ、すっかり忘れていた最後のボタンを留めて支度を終え、出発する。

 俺の運転する車で一度青葉の屋敷に戻り、緑坊ちゃんに雪三と共に合流した。ここからは青葉に既に置かれている針葉所有の車で、専属の運転手に身を任せることになる。

「柊四、雪三、おはよう! 今日はよろしく!」

「おはようございます、緑様。微力ながら精一杯お役目を果たさせていただきます」

「おはようございます、緑坊ちゃん。何かお困りの際は、いつものように私に」

 雪三が先に乗り込み、俺は外で針葉の運転手と軽く打ち合わせをする。遅れて坊ちゃんの横に座ると、彼は落ち着かない様子で俺の腕を引いた。

「な、なあ、柊四は緒兎一さんのこと知ってる? 俺は小さい頃、一緒に遊んだことあるらしいけど……。……俺の無能力のこと、嫌ってる人かな」

「緒兎一様は国防の要。王族の長兄の立場として、内心はどうあれ、緑坊ちゃんに無闇に近づくことは許されないでしょう。嫌われていても好かれていても、お話する機会は、そうありませんよ」

「そっか……そうだよな! 急に、ごめん……。おじい様のこと、思い出してた」

 前当主は無能力の緑坊ちゃんのことを蛇蝎の如く嫌っていた。隠居した今でもアセビを差し向けるほどなのだから、憎悪していると言い換えてもいい。

「今日の実験で、俺の力が結界に効かなければいいな。そうしたら、おじい様も少しは……」

 これまで、緑坊ちゃんの力が『結界』の第六感に作用するというのは、青葉や針葉お抱えの学者による単なる予測に過ぎなかった。今日の実験で、それが事実であるかどうかがはっきりすることになる。

(まあバッチリ効くらしいが……)

 妹に聞いた話では、リアルタイムでは来月の神事の場でそれが明らかになり、緒兎一ルートが始まるらしい。王族まで狙えるなんて、坊ちゃんのポテンシャルが留まるところを知らない。

 曰く、『能力だけを求められてきた緒兎一が、緑の無能力で「ただの緒兎一」になれたのを切っ掛けに、緑に執着するんだよね。で、自分の屋敷に軟禁して、自分が与えた分だけ返してくれる緑を好きになっていく。緑も緑で無能力を屋敷の人に責められ続けて、段々共依存になって……え? ああ、思い入れがあってさあ。何かこいつは兄貴っていうより、私とちょっと似てるんだよねえ』だそう。

 車は僅かな振動もなく目的地へ向かう。緑坊ちゃんは俺の横で黙りこくっており、雪三は車内の温度を俺のために整えてくれていた。いやマジ……俺のためにごめん……。

 敢えて悪者を作るとすれば、ヘンテコ蛇人間になってしまっているこんな時でさえ、仕事を休ませてくれない針葉とかいう家が断然悪いのだが。ブラック企業だぞこんなの。有給ねーからなこの家業国家お抱えの軍隊……。

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