第30話

 我ながら心が狭いなとは思う。

 

 ジノがランカにドーナツを食べさせようとしたのを見た時、ファルトは考える前に行動していた。勝手に手が動いてドーナツを取り上げ、ジノを見た。ジノはにこにこと表面上は笑っているように見えたが、本当のところはわからない。

 最初出会ったときはまるでものを見定めるような目に見えたが、二回目はまた違う形で挑まれるように見られた気がする。

 

 五つも下の学生に大人気ない視線を返して、格好悪すぎる。ランカも気づいただろうか。



 その後は予定通り、神殿エリアに戻り博物館に入ったが、内部はいつも通り閑散としている。まばらで静かな建物のなかを、二人はゆっくりと見て回った。

 

 隣を見るととても楽しそうに展示物を見ているランカがいる。足取りも軽くとてもご機嫌で今にも鼻歌でも歌いそうな様子だ。


「あ、私この文字好きなんだよねー」

 展示された鏡の後ろに古語が書かれているものを指差した。古語は滑らかな絵のような形をしており、その一つを好きなのだと言う。

「きれいな形だよな」

 さりげなくランカが書いてある古語を読み上げる声が耳に心地よい。


 いつ聞いても好きだ。


 ランカが古語を読み上げるのを聞くのがファルトは好きだった。自分ではこうはならないと思う。発音がとても綺麗で、きっと誰か古語のできる人に師事したのだろうと推測する。

「ランカは誰かに古語を教わったのか?」

「うん。ドミエの魔女の師匠だよ」

 納得できる答えがランカから返ってきた。ドミエの魔女は古きしきたりを守る魔女たちである。彼女たちは全般的に古語が得意だと言われている。

「ドミエの魔女の魔法はとても綺麗なの」

 展示物を見ながらランカは何気なくそう話す。自分もドミエの魔女なのにまるで自分のことではないこのような言い方だ。

「今の魔法の使い方も好きなんだけど、やっぱり古語を使ってると精霊の反応も違うの。発動される魔法が私には違って見える」

 ファルトも思わず頷いた。


 今でも思い出す、ランカの詠唱する姿はとても美しかった。最後まで発動するのが見れなかったのがとても残念で仕方なかった。


「ランカが古語で詠唱していたのを見たことがあるんだ」

 ファルトがそう言うと、ランカがもの凄い勢いで振り向いた。

「それって、まだ二級魔法士のときのだよね?!しかも失敗したときのでしょ?!レモレから聞いたけど恥ずかしすぎる!」

 ランカが頭を抱えているがファルトからすれば全然そんな必要はない。

 

「とても印象的で、目が離せなかった」

 思い出しながらそんなことを言うと、頭を抱えてたはずのランカの手は彼女の頬に移動している。

「や、やめてよ!そんなこと言っても何も出ないからね!」

「詠唱が聴きたくて、こっそり魔法で聴いてた」

「えぇえ!!」

 思わず大きな声が出たランカはハッとしたように手が口の前に来た。すでに声は出た後で手遅れだ。しんとした博物館にランカの声が響く。

 

「それからずっと話してみたかった」


 いつか伝えたいと思っていたのに結局今になってしまった。自分方はランカを前から知っていて話をいつかしなければいけないと思っていたのだ。

「学校で話すタイミングがあると思ってたんだ。……、一級魔法士にすぐになれそうだと感じてたから」

 そう言ってファルトがランカを見ると、彼女は目を逸らして笑っている。

「ちょっとこだわり過ぎたら、何回も失敗しちゃって。しかもそんなことしてたらなんか闇の大精霊が拗ねちゃって……。出る準備万端なのになんで毎回失敗するんだ!って」

 ファルトからすると闇の大精霊は気難しい精霊のイメージなのだが、ランカに呼ばれることを待っていると言うことは、精霊にも好かれていると言うことなのだろう。


 誰にでも好かれそうだな。

 

 ランカを見ているとそう思う。ファルトは彼女を見ているととても眩しく感じることがある。どうしたらこちらを見てくれるだろうと思う。姿を見たことのない闇の大精霊にさえ嫉妬しそうだ。

 そう思ったから話を奪った。


「仕事の資料でランカのポートレートを見た時、手が伸びた。他の誰かにこの仕事を取られるわけにはいかないと思って」


 その言葉を聞いたランカは真っ赤になって固まっている。困らせたいわけではないのだが、若干伝えるタイミングを誤ったかもしれないとも思う。ただ、こう言う話はなかなか通信機でするのは難しく、会った時に話したいと思っていたのだ。

 ゆっくりと距離を縮めたいと思っていてもなかなかその加減が難しい。


「すまない、……進もうか」

 まだ博物館内の展示は続いている。先を促そうとすると、ランカに服の袖を引かれた。


「仕事、来てくれたのがファルトでよかったと思ってる、よ」

 少し途切れ途切れに話し始めたランカの言葉にファルトは静かに耳を傾けた。

「この前の仕事は、実はドミエの魔女になって初めての王宮からの大きな仕事だったの。……内心失敗したらどうしようって、怖かったところもあったんだけど、ファルトが話しやすくて、気を使ってくれて、仕事も楽しくて、とても安心した。……、って、学生時代のファルトのこと覚えてなかったんだけどね!」

 ははっと笑ったランカに、それでもファルトはなんだか救われた気分になって、つられて笑った。



 ゆっくりと館内を歩く時間は、ファルトにとってとても心地よいものだった。流れる時間はとても穏やかで、最近続く苦手な仕事の疲れも忘れるレベルだ。


 もっと一緒にいたいと思うのは、今のオレには欲張りな話だな。

 どうしたら落ちて来てくれるだろうか?


 無意識に手を伸ばしかけてハッとしてファルトはその手を引いた。

「こう言う精霊への愛を感じる文章はいいよね」

 ランカが展示品の一つを指差す。その先には、陶器の器が飾られていた。陶器の器には、春の精霊を讃える古語が書かれている。

「これ見るといつも勝手に想像してる。他の季節の精霊を讃える器もあったんだろうなって。そこに書いてあったのはどんな文章かなって」

 ランカは想像しながら古語で文章を作っていく。ファルトよりずっと語彙が豊富で、すらすらと出てくるのが羨ましく感じる。



 経路を辿って歩いた博物館の中は、いつの間にか終わりが来た。一人でまわるよりもずっとゆっくりとしたペースで見ていたはずなのに、あっという間に感じられる。名残惜しいもののすでに日は、傾きかけている。


 もう終わりか。


 ランカをちらりと盗み見るととても満足そうな顔をしており、寂しくあるもののホッとした。楽しんで貰えなかったらそれが一番つらい。


「出ようか」

 ファルトの言葉にランカが少しだけ顔を上げて頷いた。



 森の入り口まで送ると言って譲らなかったファルトに、ランカが「まだ明るいのに!」と文句を言っていたが、そんなものを聞き入れる気は初めからなかった。


「今日はありがとう」

「こちらこそ」

 定番の挨拶を交わして別れる。ランカに背を向けられると、ぎゅっと胸を締め付けられる気がした。


「ランカ」

 思わず呼ぶと、ランカはその声に気づいて振り向いてくれる。

「何?」

 言うことは決めていなかったが、ファルトが欲しいのは次だ。

「また、誘ってもいいか?」

 ファルトの言葉に、ランカは笑顔を向けてくれる。

「うん、楽しみにしてるね」

 そう言うとランカは軽く手を振り森の中へと消えていった。彼女が通ると森が迎え入れるように足元が淡く光る。

 そんな光景を最後までみていた。



 まずい。………期待してしまう。

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