第25話 正義の形

 



 ────瞼を、ゆっくりと開く。


 ・・・・・・どこだ、ここは。


 気がつくと俺は、真っ白な草木が生い茂り、空も地面も、目に映るすべてが白で塗りたくられた世界で立ちすくんでいた。


 俺は・・・・・・ここで、何をしてたんだろう。


 なぜか、自分が今まで何をしていたのかをよく思い出せない。

 冷静に、頭の中を整理してみることにした。


 ────そうだ、確か剣術祭で戦って・・・・・・それで・・・・・・。


 慌てて、俺は自分の身体の状態を確認する。

 欠損したはずの右腕がある。着ている服は東都剣術大学校の制服だが、さっきまでボロボロだった身なりと共に全て家を出る前の状態に修復されている。

 普通に考えれば、まず有り得ない。


 ・・・・・・そうか、俺は死んだのか。


 直感的にそう感じ、なぜか普通にそれを受け入れている自分がいた。

 ということは、ここは死後の世界か何かなのだろうか。

 ぼんやりとした視界が少しずつ鮮明になる。


 ・・・・・・前に誰かがいる。誰だろう。


 俺は目を凝らしながら、少しずつ、その影に近づく。


 それは、信じがたい光景だった。


 ずっと、会いたかった人が。

 懐かしい姿が、そこにあったからだ。


「・・・・・・りょう・・・・・・か・・・・・・?」


 俺が近づいた先には、涼火がいた。

 その少し後ろには、志半ばで死んでいった仲間もいる。


「みんな・・・・・・俺を、待っていてくれたのか?」


 そんなはずはない、そう思いつつも俺は問いかける。

 でも、涼火たちは何も応えようとしない。


「・・・・・・ごめん、俺も死んだみたいだ」


 涼火たちは俺を真っ直ぐに見つめている。

 相変わらず、何も喋ろうとしないまま。


「・・・・・・俺さ、死んじゃったけど・・・・・・最後は大事なものを守れた。悔いがないって言えば嘘になるけど、今度は・・・・・・大事なもの全部、守れたんだ」


 涼火たちが俺に背を向けて歩き出した。


「あっ、ま、待ってくれよみんな! 俺も一緒に連れてってくれよ! みんな、どこ行くんだよ!」


 俺は走って追いつこうとするも、みんなの歩く速さにすらついていけない。


「みんな、待ってくれよ! 俺も一緒に行くよ! はぁっ、はぁっ、あ、歩くの、速いよっ!」


 皆は歩いているのに、徐々に俺から遠のいていく。


「りょ、涼火! 置いて行かないでくれよ! 俺も一緒に────」


 そう言うと、涼火が振り向いた。


 涼火はほんの少しだけ寂しそうな顔をすると、笑った。

 それは、生前にもあまり見せてくれたことのない優しい笑顔だった。


 俺の足元が崩れ、俺はその場から垂直落下する。


 俺は涼火に向かって手を伸ばすが、届かない。

 静かに真っ暗な暗闇の底へ落ちていく。


 ・・・・・・りょう、か────


 視界から涼火の姿が少しずつ小さくなり、やがて俺の視界から消えていった。







 ピッ、ピッ、ピッ。

 均等に刻まれた機械的な音が聞こえる。


 重い瞼をゆっくりと開けるが、視界がぼやけてよく見えない。

 何度も瞬きを繰り返し、ようやく目の焦点が合い始める。


 視界の先は暗闇に包まれ、自分がどういう存在であるのかすら朧気な状態から徐々に意識が覚醒し始めた。


 暗い。さっきまでもこんな場所にいた気がする。

 でも、思い出せない。

 少しずつ身体を動かし、どうにか上半身を起こす。

 目が慣れてきたのか、辺りが鮮明に見え始めた。


 ここは・・・・・・病室・・・・・・?


 自分がベッドで横たわっていることに気づく。


 ・・・・・・そうだ、思い出した。


 俺は着ていた患者衣の袖を捲り上げて右腕の欠損部分を確認する。

 そこでようやく、これが夢ではないことを理解した。


 生きてる・・・・・・? なんで・・・・・・いや、今はそんなことどうでもいい。


 点滴スタンドや医療機器から自分の身体中に繋がれた大量の管を、一つずつ丁寧に外していく。

 医療機器に関しては、急に管を抜いたりすればそれを知らせる機械音が鳴ってしまうため、先に電源コードを抜いておいた方がいいだろう。

 全て外し終えると、俺はゆっくりと立ち上がった。


 そして、機械の音が全てなくなったことで、小さな音があることに気付く。

 カーテンの向こう側から、少し寝息のような音がしている。


 誰かがいる。それも、二人。

 おぼつかない足取りで静かに歩き、カーテンをめくると、そこにはユアとエリーナが椅子を二つ並べて毛布にくるまりながら眠っていた。


「・・・・・・っ」


 俺の目から大粒の涙が溢れ出てくる。


 なぜ、泣いているのか。


 自分でもよく分からなかった。


 それでも、溢れ出てくる涙が。

 涙が止められない。


 酷く顔を歪ませながら、ただ、泣いていることすら嬉しくて仕方がなかった。

 きっと、二人は長い間この病室にいてくれていたのだろう。

 すごく疲れているに違いない。


 なんだか、起こしてしまうのは申し訳ない気がして。

 彼女たちの目が覚めたらお礼を言おう、そう思いながら、涙を拭って俺は病室を後にした。



 水道でカラカラに乾いた喉を潤した。

 用事がある訳でもないが、なんとなく夜風に当たりたくなった俺は、屋上へと向かう。







 屋上に出ると、心地の良い風が俺の乾ききった肌から容赦なく体温を奪っていく。

 思っていたより寒い。

 体調は悪くないため、少し外の空気でも吸おうと思って出てみたが、少し気分が高まりすぎていたみたいだ。

 やはり、病室に戻って大人しくしていた方がいいだろうか。


 そんな思考を巡らせていると、思ってもいない人物が手すりに腕をかけながら夜景を眺めているのが見えた。

 よく見ると、煙草を咥えているみたいだ。


 俺は素足のまま足音を消し、その人物に静かに近づいていく。


「よっ!」

「ッ!? てっ、テメェッ!」


 俺と同じ患者衣を着たギンジは俺の姿を見た瞬間、まるで、良くないものでも見たかのよう驚き方をする。


「・・・・・・マジで、化けてでたかと思ったぜ」


 どうやら、ギンジは珍しくも心の底から驚愕していたみたいだった。


「煙草、体に悪いぞ」

「うっせぇな。良いんだろうが」


 軽口を挟むとギンジは落ち着きを取り戻したのか、また吸い始める。


「・・・・・・ここは?」

「パルクレイア内の病棟だ」


 屋上からよく景色を見てみると、確かに見慣れた街並みだった。

 夜が明ければ、俺とユアの家や東都剣術大学校の校舎や研究棟も見えるかもしれない。

 ギンジの説明と屋上から見渡した街並みから察するに、ここがパルクレイア内に一つだけある大病院の病棟であることは間違いないみたいだ。


 俺のいた病室は、集中治療室の個室だったのだろう。


「なぁ、ギンジ。・・・・・・俺、どのくらい眠ってた?」


 とりあえず、気になる質問を一つずつ投げてみることにした。


「その様子じゃ、ついさっき目覚めたばかりってとこか」


 ギンジは煙を吐き出し、煙草の香りが辺りに立ち込める。


 そういえば、涼火も昔よく吸っていた。

 なんだか少し、懐かしい匂いだ。


「お前が眠っていたのは九日間だ。その間に何回か心肺が停止したが、その度にあの二人がパニックを起こしてたな」


 あの二人というのは、ユアとエリーナのことだろう。


「聞きたいことが山ほどあんだろ。一から説明してやるよ」


 ギンジがめんどくさそうに頭をかきながら、煙草の火を消す。


「まず、お前が決勝で使ったあの札。お前の身体の中には欠片も残ってなかったみたいだ。そのせいで、とんでもなく面倒なことになっちまってる」

「面倒なこと?」

「当たり前だ。アーガスの継承権なんて公には公表されていない禁忌物を使用した挙句、紛失しちまったっていうんだからな。北帝国からは完全に・・・・・・って言っても、お前は元から目を付けられていたかもしんねぇがな」


 北帝国軍には、少なからず俺に恨みを持つものがいるだろう。

 それよりも、アーガスの継承権を体内の魔力回路に結びつけて、意識が遠のいていったあの時のことだ。


「・・・・・・あの時、頭の中に言葉が浮かんだんだ」

「言葉?」

「言葉と・・・・・・記憶? いや、何を言ってるんだ俺は。ごめん、今のは忘れてくれ」


 俺は頭を振り、おかしな思考から脱規する。

 自分が正常なのかが、分からなくなりそうだ。


「んなことよりも、お前がどうやって身体の崩壊連鎖反応を止めたのか。そっちの方がよっぽど気になるがな」


 俺の身体がなぜ無事なのか、それは目覚めてから俺も考えていたことだ。

 確証はないが、現状から考えられるのはおそらく・・・・・・。


「多分だけど、意識を右腕に集中しすぎて崩壊に偏りができたんじゃないかと思う。結果的に右腕を失ったけど、そのおかげで助かったとも言えるな」

「・・・・・・そうか」


 最低限の納得のいく説明ができただろうか。

 ギンジは不愛想な顔をこちらには向けず、景色を眺めている。


「だからと言って、お前が死の淵を彷徨っていたことには変わりねえけどな。奇跡的に一命を取り留めてから十日足らずで普通に歩けるって、どんだけタフなんだお前は」

「しぶとさとタフさだけには自信があるんだ」


 苦笑しつつ、俺は欠損してしまった右腕を見る。

 俺が重傷だったのは、崩壊現象よりもフリゲラに貫かれた腹部の損傷が激しかったのではないかと思う。

 しかし、たった数日でこうして歩けるまでに回復したということは、アーガスの継承権による回復作用が効力を失わなかったからだろうか。


 アーガスの継承権については、おそらく俺がこの世界で一番詳しく知る人間だ。

 もしかしたら、この先で副作用のような症状が出るかもしれない。

 それらも踏まえた上で、事情聴取を受けなければならないだろう。


 ギンジが新たに煙草を一本取り出し、火をつけた。

 そこで、ふとした疑問が湧いてきた。


「そう言えば、ギンジはなんで患者衣なんて着てるんだ?」

「お前の血が足りねぇから、俺が血を提供してやってたんだよ。血液型が完璧に合う奴が近くに俺しかいないとかなんとかでな」


 そうか、ギンジがここにいるのはそういうことか。


「・・・・・・ありがとな、ギンジ」


 俺が礼を言うと、ギンジは少し照れくさそうな素振りを見せた。


「れ、礼ならあいつに言っとけ。むかつくぜ、あのクソ赤女。血液型が合うのが知人に俺しかいないとわかったとたん、泣きながら俺に土下座してきやがったからな。ったく、どんだけ俺のことを薄情な人間だと思ってんだか」

「そっか・・・・・・ユアが・・・・・・」


 ユアが目を覚ましたら、そのことについても礼を言わなければ。


「そういやお前、あいつらはどうしたんだよ。病室に泊まり込んでなかったか?」


 ギンジは吸い終えた煙草を小さなケースに入れながらそんなことを聞いてきた。


「目の下にクマができてたからな。起こすのも悪いかなと思って、そのまま出てきた」

「そうか。まぁ、それで正解だったかもな。深夜なのに、あいつらが大泣きし始めたら迷惑だ」

「・・・・・・確かに」


 ギンジの言う通り、俺もそれは危惧したことの一つでもある。

 俺なんかのために泣いてくれたら、正直なところ嬉しくもあるが、他の患者に迷惑をかけるのは良くない。

 とは言え、いつ二人が目を覚ますかも分からないため、早く戻るに越したことはないだろう。


「ってことだから、そろそろ戻るよ。色々ありがとな」

「おい、待てよ」


 俺が病室に戻ろうとしたところを、ギンジに呼び止められた。


「まだ、話は終わってねェ。もう少し付き合えよ」


 ギンジは煙草の箱をしまい込み、今までと違った真剣な面持ちで話し始めた。


「・・・・・・この一週間、ずっと食堂でお前に言われたことについて考えてた」


 食堂・・・・・・ユアとギンジが決闘することになった、あのときのことか。


「特殊暗殺部隊にいたんじゃ、そりゃあ普通の正義なんて認められるはずねぇよな」


 ギンジは星空を見上げながらそんなことを言い出す。

 俺が特殊暗殺部隊にいたことは、ユアから聞いたのだろう。


 まだ、俺には正義の正しさがなんなのかが分からない。


 何が間違っているのかすらも、分からない。


「ギンジは・・・・・・答えを見つけたのか?」


 俺は、ギンジの顔に目を向けた。

 ギンジは、冷えた空気に溶け込ますように息を吐いた。


「・・・・・・考えはしたんだけどな。結局、俺にもその答えが何なのか分からなくなっちまった」

「・・・・・・」


 ギンジはほんの一瞬だけ少し苦しそうな顔をしたが、言葉を続ける。


「それでも・・・・・・それでも俺は自分の信じる道を進みてェ。自分とは全く関係のない誰かを救うことが間違っていようと、綺麗事だろうと、偽善だろうと・・・・・・その道を進みてぇんだ」

「・・・・・・そうか」


 それはもう、立派な一つの答えのように聞こえた。


 俺の信じた正義が間違っていたからといって、それがギンジの信じる正義を否定する理由にはならない。


「・・・・・・もしかしたら、俺たちは似た者同士なのかもしれないな」

「けっ、それだけは死んでもゴメンだぜ」


 ギンジは、今まで見せたことのない笑顔を俺に向けた。

 ギンジが心から笑っているところを、俺は初めて見た気がした。


 そうか・・・・・・こいつはこんな顔で笑うのか。


 なんだか可笑しくなって、俺も一緒に笑った。


 正義の道を迷走し続ける俺たちを、満点に散らばった星々が虚しく照らす。

 俺たちは間違え続けても、それでも前に進むしかないんだ。



 だって────俺たちは、魔剣術使なのだから。

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