第20話 『第一病院』にて【小柚①】


 窓の外から差し込む暖かい光が、わたしのいる殺風景な診療室を照らしていた。現在、この場所で、本来は静かなはずの診療室で、二人の医者による熱い討論が繰り広げられている。

 

 長身でメガネをかけた男性は、白衣の袖をまくり上げながらいかにも深刻そうな表情で言った。


「田中先生、あなたが言うことも理解できるが、その治療法を導入すべきではないとは、僕は! 思えませんね」


 もう一人の医師は、茶髪な塩顔。田中先生と呼ばれたその男性は、眉をひそめ、反論する。


「しかし、佐藤先生、僕はその方法が実際に効果的であるかどうか疑問である、と言わざるを得ませんね。患者たちに無闇にリスクを負わせることはできません」


 部屋の中には緊張感が漂い、二人の医者は証拠となる資料をもとに、各々の理論を突きつけ合っていた。彼らの議論は、患者たちの未来に大きな影響を及ぼす可能性があり、その論争は激しさを増していく。


 そんな、かっこいいものだったら良かったのだが。


「この患者の症状と過去の炎症によるデータを見ると、アレルギー性の反応が出ることはほとんどないはずだ」


 ちらりとこちらを見る佐藤先生。


「過去のデータを見るというのなら患者のこれまでの病歴を見たほうがいい。抗生物質による治療での反応がよろしくないことが、あなたなら分かるはずだが?」


 田中先生もこちらをちらりと見る。


 真剣な表情の二人だが、会話が途切れるタイミングでこちらを見てくる。


「免疫抑制剤ならどうだ!?」


「そんな危険な薬、簡単に使えるか!」


 ヒートアップしだす二人。


「「安藤くんはどう思う!?」」


 同時にこちらを向く二人。


「お二人ともすごいなー、と思いますよー」


 あんたら、仲良いだろと思わずにはいられなかった。



 ******



 わたし、安藤小柚が二人の医者に捕まる二時間前の話。今日も今日とて、大学と管理局に提出するレポートのネタ集めのために、わたしは『第一病院』に来ていた。


 あこがれの岩清水院長に紹介状をもらって、第一病院にやってきたのはいいが、この場所の人たちはとにかく忙しい。大量の医療用ロボットが常駐しているのにも関わらず、早歩きをする白衣の人たちや清潔感はあるが表情が死んでいる看護師たちが、絶えず廊下で動いている。


「……っ」


 目の前の光景に思わず息を飲む。


 第一病院に受診者は存在しない。島内に存在する4つの大病院で扱いきれないと診断された患者たちが、ここに集められるのだ。


 だが、ここに来ることができた患者は幸せだと言える。治る見込みがあると診断されたからこそ、ここに集められるのだ。不治の病を罹患している患者は、他の大病院に入院したままにされる。


 そんなことを考えながら、受付の前の椅子に座っていると、サンタクロースのような立派なひげを携えた初老の男性に声を掛けられた。


「——君が、安藤小柚くんかね?」


「はい……っ!」


 立ち上がり、姿勢を正す。


「話には聞いていたが、随分若いんだね。その歳で島の出入り許可をとったのか、物好きだね」


 初老の男性が優しく笑う。


「はい! どうしてもこの島に来たい理由がありました!」


 緊張からか声が大きくなる。


「ほほっ、そうかね。それじゃあ行こうか」


「はい!」


 ゆっくりと力強く歩く男性に先導され、わたしも歩きだす。


 この人は井手口周作いでぐちしゅうさく。『第一病院』病院長にして、現医療界の実質的な最高権力者。【歩く大病院】と呼ばれるお方である。


「それで、僕は何を見ればいいのかね?」


 歩きながら井手口院長が尋ねてくる。優しい雰囲気ではあるが、言葉の節々に重みを感じる。


「ご覧になっていただきたい研究資料があります」


 私は島外から持ってきたカバンを軽く叩く。


「ほう。研究とな」


 井手口院長の声色が、明らかに楽しげになった。


忌憚きたんないご意見をいただければ……」


 わたしは欲しいものは諦めない主義だ。望みが1パーセントでも残っているなら、未練がましくてもそれにすがっていたい。


 一階の奥、医院長室にたどり着き、井手口院長とともに中に入る。


「ほほっ、どうぞ」


「ありがとうございます」


 椅子に座ることを促され、豪華な机を挟み、井手口院長と向かい合う。


「ふむ、それじゃあ見せてくれるかな」


 短く、はっきりとした口調で、井手口院長は発声する。


「はい。よろしくお願いします」


 こちらも簡潔に、はっきりと依頼する。渡したのは複数の資料。わたしがまとめあげた研究成果である。


(……先輩は怒るかな)


 一抹の不安は胸の中に残っているが、後悔は一切ない。この選択が最善だと信じているから。



 ******



 時計の針は現在まで戻ってくる。


「ほほっ、批評は書いておくから、ちょっと見学しておいで。終わったらその子に連絡入れるから」という井手口院長のお言葉に甘えて、関係者パスを首にかけ、第一病院の中を見学することにした。


 道案内を務めてくれるのは、運搬ロボット第八世代の『トラツクくん』。ガイドAIや通信機能を内蔵した第一病院オリジナルの高性能ロボットである。


 その『トラツクくん』に案内され、3階を見学している時に、田中先生と佐藤先生に捕まったのだ。有意義な話が聞けるなら、とのこのこついていったわたしも悪いが、まさか投薬の話題だけで二時間以上拘束されるとは思わなかった。


 最初の10分程は確かに勉強になったが、途中からはわたしへのアピール合戦に変わっていた気がする。


 可愛すぎるのも考えものだなー、と軽く考えていたが、そろそろ疲れてきた。


 優秀な人ほど余裕をもたせて、緊急時に対応してもらうシステムなのが、この病院だ。平和に議論を交わすことができるというのは、この二人がかなり優秀だという証拠だろう。


 だがしかし、わたしは知っている。優秀さとコミュニケーション能力は比例関係にないことを。


「イデグチサマカラノメッセージデス!」


 聞きたいことは聞けたし、そろそろおいとましようかな、と思っていた頃、助け舟になるメッセージが届いた。


「佐藤先生、田中先生。貴重なお話ありがとうございました」


 わたしは軽く挨拶して立ち上がる。


「「ああ、またいつでも遊びにきて構わないよ」」


 ぴったりと息のあった両先生のセリフに、思わず吹き出そうになりながら、ドアに手をかける。


 やっぱり仲良いでしょ、この二人。


「失礼しました!」


 短く言い残して、わたしは『トラツクくん』とともに一階を目指したのだった。



 ******



 院長室の扉を軽く、三回ノックする。


「どうぞ」


 返事が返ってきてから、わたしは扉を静かに開けた。


「失礼します」


 軽く一礼してから中に入る。


「はい、これ」


 井手口院長から数枚のプリントを受け取る。


「すばらしかったよ」


「ですよね!」


 思わず大きな声が出てしまう。井手口院長が驚いて、軽く仰け反ってしまった。


「すみません……」


 反省する。


「ほほっ、いいんだよ」


 井手口院長はにこりとほほ笑んでくれた。


「それにしても、それを一人でやってのけたのかい?」


「はい! だから、どうしても井手口院長にご覧になって欲しくて……」


 また声のボリュームが上昇していた。少し落ち着こう。


「うんうん、力になれたなら良かったよ」


 井手口院長の微笑ましいものを見た、というような表情に少しだけ恥ずかしくなってきた。


「それで、研究は続けるつもりかい? まだ未完成でしょう?」


 井手口院長の質問に、わたしは一瞬、声が詰まる。


「いつかは再開すると思っています、必ず」


 それでも、はっきりと答える。わたしはその結果を信じているから。


「ほほっ、そうかね。あ、そうだ」


 そう言って、井手口院長は立ち上がり、院長室の棚から一つのバインダーをとりだす。


「これ、あげるよ」


 わたしは差し出されたファイルを素直に受け取る。


「これは……?」


「昔ね、僕もそれについて考えていた時期があったんだよ。でも思いつけなかった」


 どこか遠いところを見ているような、儚い姿だった。昔を思い出しているのだろうか。


「こんな貴重なものよろしいんですか?」


 井手口院長の研究資料。ものによってはとてつもない価値があるものだ。


「いいの、いいの。データとしては保存してあるしね。未来のために使ってくれた方がずっといい」


 井手口院長は笑顔を崩さない。それでも眼差しは真剣であることが伝わってくる。


「大切に……、必ず役に立てます」


 わたしは決意を込めて宣言する。


「うんうん、そうなってくれたなら嬉しいねぇ。ほほっ」


 井手口院長は立派なひげを触りながら、何度も頷いていた。


「今日は貴重なお時間いただき、本当にありがとうございました」


 できる限りの感謝を伝えたい。本当に心のそこからありがたいと思っているからだ。


「こちらこそ、ありがとう。楽しかったよ」


「それでは、失礼します!」


 深々と頭を下げて、退出しようとする。


 井手口院長は手のひらをこちらに向けて、笑顔で見送ってくれた。


(——これなら……きっと)


 わたしは、はやる気持ちを抑えながら、『第一病院』を後にしたのだった。


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